昨日で「芝山仁王尊 観音教寺」の境内紹介は終わりましたが、もう一つ、どうしても外せない「仁王門」。
「仁王門」の紹介は一通り終わっているのにと思われそうですが、残したものは、実は彫刻の数々。 寺社彫刻が大好きな私にとって、この「仁王門」は、いつまで見ても見飽きない彫刻の宝庫。 「懸魚」に踊る龍にはどうやら翼があるようで、とすればこれは伝説の霊獣「翼竜」。四龍を率いる龍の王たる存在。
「斗栱(ときょう)」の隙間部分にさり気なく掘り込まれているのは「木菟(ミミズク)」の彫刻。
古来より木菟は魔除けと幸福をもたらす鳥とされており、壁にその所在場所が記されていました。 それにしても何と言う素敵な遊び心でしょうか😄 彫り上げた時の職人の顔が目に浮かびます。
畳敷きの内陣の奥に収められている「お仁王様」。早朝ゆえか内陣の扉は固く閉ざされています。 残念ながら「お仁王様」は拝観できませんでしたが、代わりに扉に彫刻された龍は全部見ることができました。
一見同じように見えて、実は全ての龍がそれぞれ異なった姿を見せて、小さな升目に収まっています。高みを見上げるもの、飛翔せんと身構えるもの、固くわが身を丸めたまま息を潜め何かを待つもの。おそらく全ての龍にそれぞれの物語があるのでしょう。
寺社彫刻の大スター的存在とも言える「龍」は、通常だと左右の門にあたる場所の上にもいます。 その行く手にあるものの確かな存在を見知っているかのように、ひたすらに前を向いて進む「龍」。
一方、何度も何度も後ろを振り返る「龍」。その目線の先にはひたすらに着いてくる小さな「龍」の姿があります。 伝説の霊獣とされる龍ですが、こうして彫刻に現された姿には万物共通の親子の慈愛が感じられます。
「龍」に負けない寺社彫刻の花形は、貫から下界の四方を見下ろす獅子たち。こちらも流石の迫力。
古来より「獅子」は守護に長けた霊獣として、神社仏閣の様々な場所で活躍しています。 ついでに書いちゃうと、神社に良く見られる狛犬では、角が無いものだけを「獅子」と呼びます。
木組みの僅かな隙間に掘り込まれた唐獅子と牡丹、獅子は神威ある霊獣、牡丹は百花の王で、この取り合わせは最強とされています。
大切な建築物に「水」に関わるものを彫刻するのは、火災除けのまじない的意味合いからとされます。 「波間に遊ぶ千鳥」は、そうした意味も含めながら、なおかつ装飾性を失わない美しい構図。
これも同じ意味合いを持ちますが、特に玄武は四神獣の一つ。守護と火防を併せ持っています。
実際にはもっと多彩な彫刻があるのですが、それを収めるには私達の腕とカメラでは役不足😔 それでもファイルに保存したアルバムを見返すたびに、その時の記憶は鮮明に蘇ってきます。
参拝日:2014年5月19日&2019年3月11日
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