旧金毘羅五街道の一つ、丸亀街道の船着き場「新堀湛甫(しんぼりたんぽ)」に建立された「太助灯籠」。江戸在住の人々(千人講)が浄財を出し合って天保九年(1838)に完成したもので、「江戸講中」と刻まれた台座には寄進者や世話人ら1,357人の名前が刻まれています。「太助灯籠」の由来は、寄進者の中で最高額の80両を寄付した「塩原太助」の名にちなんだものといわれています。
「太助灯籠」から程近く、丸亀市西平山町に鎮座される「玉積(たまづみ)神社」。御祭神は『天照大神、品陀皇大神、大國主大神、少彦名神、豊受大神、天兒屋根命、中筒之男神、市杵島姫命、綿津見神』
県神社誌によれば「天保年間新掘堪浦築造の際、剰土を盛たる所に丸亀班大阪蔵屋敷に祀りし神社を奉遷したるなりといふ」。江戸時代には金毘羅宮遙拝所として鎮座されており、鳥居には「金刀比羅宮」の額がかけられています。神仏分離を踏まえて、明治以後独立し、現社名に改称されました。
神社入口、鳥居脇より神域を守護されるのは、明治3年(1870)11月建立の浪速型狛犬さん一対。冷たい雨に打たれながらデジカメを向ける私たちに、何かもの言いたげ。「阿・なぁなぁ、どこから来たん??関西って、どこらへん??」「吽・雨やと言うのに、わしらに会いに来たんか? もの好きやな~」
境内入口に奉納された燈籠の笠の上では、岩山に足を踏ん張る狛犬さん。でも吽形さんは生憎と枝の中に隠れてしまって、この雨では面会は叶いません。
千鳥破風・唐破風付きの拝殿。遠目でも気になる屋根の細工瓦、破風の彫刻が気になりますが、雨が怖くてデジカメが上に向けられない・・😣
雨から隠れるように写した拝殿の脇障子、左は波間を咆哮する龍。右は林に潜む獅子だと思うのですが、後からの撮影なので顔がすっかり隠れています。
拝殿前左右より神域を守護されるのは、文政元年(1818)10月吉日建立の狛犬さん。こちらには「石工:岡田屋五兵衛」のお名前も刻まれており、阿吽共にとてもフレンドリーな表情。見返すこちらも思わず笑顔になりそうな一対です。
「境内社:金神社」、御祭神は『金山彦神』、小さなお社ですがこちらにも神域を守護される狛犬さんが居ます。
こちらがしゃがまなければ、前からのお顔が見えないほどの大きさですが、正面から向き合うと、魔除けのお面を思い出させる、とっても!!強情そうなお顔。
「玉積神社」に隣接されて鎮座されるのは、小さな赤い鳥居が鮮やかな「境内社:稲生神社」。
この神域を守護される狛犬さんは・・・・・何と香炉台の下にいました!
決して軽いとは思えない香炉を背中に載せながら、なんて可愛らしく笑っている事か。思わずしゃがみこんで頭を撫でていた自分にビックリ😅
拝殿の貫から参拝者を見下ろしているのは、精悍この上ない顔立ちの獅子さん。普通は獅子と獏(もしくは像)との組み合わせが多いのですが、ここではどちらも獅子のようです。
角度を変えたら違って見えるかもしれませんが、何しろ雨の中・・・これ以上動き回れないのが残念。
参拝日:2011年6月16日
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