昨日に引き続いての佐原、流石に素敵な町歩きは、なんだかんだと障害物はあるものの、画像はかなりの数になります。
ここで、ちょっと面白い手法で、昨日紹介した「福新呉服店」をもう一度紹介してみましょう。 ガラス越しに覗けば、着物地で作られた小物や巾着がテーブル一杯に広げられています。
お隣の「蕎麦処:小堀屋本店」、蕎麦好きのご亭主殿には蕎麦が運ばれるのが待ち遠しいです。 なんて・・😅 実はこのお店、本物そっくりに再現されたミニチュアの町屋。
もちろん手を触れるのは禁止、写真を撮る為にそ~~~と伸ばした手がぷるぷると震えます。
ここは佐原の魅力を発信する「佐原町並み交流館」。お言葉に甘えて厚かましく、係りの方の素敵な法被をお借りしての記念写真。 法被の後ろに描かれているのは「日本図」と「大日本沿海輿地全図」を完成させた『伊能忠敬』の有名なイラスト。
忠敬は、50歳で江戸へ出るまで佐原の名主・村方後見を務め、家業では醸造業等を営んでいました。 小野川に面した旧宅の正面には「だし」と呼ばれる広い荷揚げ場があり、往時の繁栄ぶりを物語っています。
実は2014年に訪問した際は、東日本大震災の復旧工事中だった為、見学が出来ませんでした。あの頃は町中の色んな場所に災害の爪あとがあり、随分と切ない気持ちになったものです。
という事で、今回はしっかりと店舗から、炊事場、書院、土蔵・・その他諸々を見てきました。何よりも綺麗に復興された様子を目の当たりに出来たことが嬉しくて、本当に喜んだものです。 まずは店舗の奥の主屋、寛政5年(1793)、忠敬が48歳のときに自らの設計によって建てたものです。
室内には、忠敬が測量で用いた「中象限儀」や「測量方の旗」のレプリカも展示されています。
主屋の東にある二階建の土蔵は、観音開きの戸が広まる以前の引き戸形式の戸だそうで、比較的珍しいものだそうです。
敷地内には「この一歩から」と刻まれた「測量の日:記念碑」と『伊能忠敬』の銅像がありました。
忠敬が寛政3年(1791)に作った「忠敬家訓書」の碑。
第一 仮にも偽りをせず、孝弟忠信にして正直たるべし。
第二 身の上の人は勿論、身下の人にても教訓異見あらば急度相用堅く守るべし。
第三 徳敬謙譲とて言語進退を寛裕に諸事謙り敬み少も人と争論など成すべからず。
旧宅に隣接する「伊能忠敬記念館」では、測量に使用された各種計測器具や、彼が残した業績が映像た資料と共に数多く展示されています。
忠敬旧宅の近くに、日本の音景色100選に選定された「小野川の樋(とゆ)橋」、別名「ジャージャー橋」があります。 名前の由来は見てのとおりで、橋につけられた「樋」から流れ落ちる水の音から。
そうそう、小野川の「忠敬橋」の欄干は、伊能忠敬愛用の「測量道具:象限儀(しょうげんぎ)」。 流石にここまで徹底されるとむしろ楽しく、他にもないかと探してみたくなります。
場所は変わりますが、佐原公園には、忠敬翁没後100年を記念し今から100年前に建立された銅像があります。夕暮れ間近に訪ねたこの銅像が、旧佐原も含めて、香取市での最後の立ち寄り地になりましたが、それは別の話。佐原の町歩き、まだまだ続きます。
訪問日:2014年5月18日&2019年3月15日
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