旧朝来郡和田山町(わだやまちょう)は兵庫県中北部に位置した町です。兵庫県の北部地方は「但馬(たじま)」と呼ばれ、県面積の約四分の一を占めています。但馬地区は「北但(ほくたん)」と「南但(なんたん)」とに二分され、南但の中心にあるのが和田山町となります。東は山東町と県を跨いで京都府夜久野町に、西は養父町、大屋町、南は朝来町、北は出石町、但東町に隣接。「町の木:カシ」「町の花:桜」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により、朝来郡枚田村・東河(とが)村・竹田村が発足。養父郡糸井村・大蔵村が発足。
1927年、竹田村が町制を施行し、朝来郡竹田町となる。
1930年、朝来郡枚田村が町制を施行・改称して朝来郡和田山町となる。
1955年、朝来郡東河村と合併し、改めて和田山町が発足。
1955年、養父郡糸井村・大蔵村が合併して養父郡南但町が発足。
1956年、朝来郡和田山町、竹田町・養父郡南但町と合併、改めて和田山町が発足。
1959年、和田山町大字堀畑の一部が養父郡養父町に編入。
2005年、朝来郡生野町・朝来町・山東町と合併、朝来市となりました。
マンホールには町章を中心に「町の花:桜」がデザインされています。
昭和34年3月15日制定の町章は「全体は和田山町の“W”を形どり、中央に突き出た部分は和田山町の限りない成長力を表しています。」旧公式HPより
和田山駅の外れに残された「旧和田山機関庫:車両庫」と「給水塔」
撮影日:2011年3月11日&2014年11月20日
とにかく山の中にそれぞれ隔絶されたような小盆地が点在していてどこがどこやらわかりません。
光秀が当地攻略にかなりてこずったのも頷けるし、江戸時代に入っても小藩が列挙した理由も納得。
あと私の先入観なんですが、日本海に面した豊岡や城崎温泉は『丹後』のイメージがこびりついてるのですが、但馬なんですねー。
そういった特別な技術を持つ集団が生まれるのは、やはり、地理的な事が関わってくるからでしょうか。
地名や旧国名が伝えているもの。。深く掘り下げれば面白いのでしょうが・・恥ずかしながら追いついていけません(^^;)