旧加東郡東条町(とうじょうちょう)は兵庫県の南東部に位置していた町です。黒谷・秋津地区には、鴨川ダムの建設によって出来た町のシンボル的存在「東条湖」が有名。特に、湖底に沈んだ土井集落に対する感謝の意を表すとともに観光の発展を願って守護神を祭った「水天宮」は、東条湖八景の中でも最も美しいと言われています。三木市、小野市、三田市、社町に隣接。町域を占めるゴルフ場の面積が日本一である事から「ゴルフ場銀座」の異名も持ちます。主産業として釣針・鯉のぼりの製造が盛んで、旧庁舎近くでは「鯉のぼり」のモニュメントが風に揺れています。「町の木:松」「町の花:コスモス」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により、加東郡中東条村・上東条村が発足。
1955年、中東条村・上東条村が合併、加東郡東条町が発足。
2006年、加東郡社町・滝野町と合併、加東市となりました。
マンホールには「町の花:コスモス」と「町章」、風に泳ぐ「鯉のぼり」がデザインされています。
昭和40年7月30日制定の町章は「「と」を図案化し、円形は平和と東条湖を表したもの。」合併協議会資料より
町章と火消し纏がデザインされた消火栓
道の駅東条の壁に架けられていた看板。「太閤殿下の昔から作り続けられているひな人形 五月の風に舞う鯉のぼり 釣り針づくりは日本一 歴史と文化を大切に 人の手のぬくもりのある 清らかな水と緑の東条町 にっぽん人の心のふるさとです」
「道の駅:東条」の記念スタンプは、特産の「鯉のぼりと釣り針」
撮影日:2009年5月3日&2014年12月5日
ところが鴨川ダムはというと、たぶん地元の兵庫県民でも「鴨川??京都のダム?」こんな程度だと思います。
このダムは水利に余裕のあった丹波篠山の篠山川から加古川支流の水を集めながら水利に乏しい東播磨に灌漑用水を導水する東播用水農業水利事業によって建設され、『国営事業で建設されたわが国最初の農業ダム』という枕詞がつきます。
このダムが水を送るのはまさに酒米の代表山田錦の生産地一帯。
古くから平坦地はあるけど水がなく大規模な稲作が行えない地域でした。
以前山田錦は灘という酒造の一大生産地を控えその誕生は必然的なものだったのかも?などと書きましたが、実情は異なり本当はもっと大規模な稲作を展開したいけれど水がないのでできない。
偶々気候風土に合った作れるお米が酒米しかなかった。
むしろこっちが正解かも。
文字にすればわずか二行ほどですが、その壮大さを想像すると、感嘆の溜息しか出ません。
鴨川ダムは写真でしか見た事がなく、東条湖にも行ったことがありません。
それはおいて・・・
日本の集落の農業を支えてきたのは、まさにダムであり溜池である。
改めてその事実噛み締めます。
>湖底に沈んだ土井集落に対する感謝の意を表すとともに観光の発展を願って守護神を祭った「水天宮」
なんとゆかしい由来の神社でしょう。
湖底に沈んだ集落、ってなんだか胸がきゅんとしますね。
その集落に感謝して神を祀る・・。
素晴らしい心です。
胸のなかでため息をつきながら読んでいますと、
鯉のぼりのマンホールが。
可愛いデザインです。😊
話は変わりますが、まっちさんのコメントを読みました。
もちろん私は何の知識もないです😅
なので、そのままの感想ですが、
これぞ「災い転じて福と為す」かなぁと思いました。
水がなくて米が作れない地が、灌漑でもまだ悪い条件を跳ね除けて、
日本の酒造りを支えているってロマン溢れる話だと思います😊
>日本人って・・意外としぶとい
tibinekoさんの返信を見て、そうだといいなと思いました。
悪いニュースを見すぎて、日本を信じる心が弱くなっていたようです。
安倍さんの慰霊碑、やっぱりtibinekoさんも現地にこそ、と思いますか。
私もできれば現地に、と少し残念に思っていたので、tibinekoさんの言葉に同志を見る思いがしました。😊
暑いですが、体調良く過ごされますように🙏
されどマンホール
マンホールの話題が町の歴史に及んでゆく
ある意味、凄いなって思います
旅の途次に、本当にごく”稀”にダムに行く事があります。
(基本的に深い水辺、高い場所は恐怖なので)
そこで目にするのは、
ダムの為に故郷を離れなければならなかった人々の
哀しい程の切なる祈り。
水底に沈んだ故郷を、美しくあれと祈る心。
そんな碑が、ダム湖の側に建立されています。
集落に対する感謝の祈りを込めて祀られる神。
日本人の心の深さが心に染み込みます。
明日は例によって例の火曜日(笑)
頑張ってきます!