旧加東郡滝野町(たきのちょう)は兵庫県の中南部、加古川中流部に位置した町です。西脇市、加西市、小野市、社町に隣接。滝野町上滝野の加古川中流にある「名勝:闘龍灘(とうりゅうなだ)」が有名で、特に奇岩・怪岩が加古川の川底いっぱいに起伏して連続し、岩に阻まれた川の流れは激流や滝を形成、飛び鮎の名所としても知られています。「町の木:松」「町の花:菊」を制定。
また1989年11月に、アメリカ合衆国カリフォルニア州のホリスター市と姉妹都市提携を結んでおり、町にはそれを記念したプレートと、ロデオのモニュメントが設置されています。
明治22年(1889)、町村制の施行により加東郡滝野村・加茂村が発足。
1925年、滝野村が町制を施行、加東郡滝野町となる。
1954年、加東郡加茂村と合併、改めて滝野町が発足。
2006年、加東郡社町・東条町と合併、加東市となりました。
マンホールには、町の名所「闘龍灘」と、キャラクターの「アユッキー」がデザインされています。
雨水用マンホール
昭和31年10月20日制定の町章は「「たきの」をカタカナにして「タ」を図案化したもの」です。
プラ汚水桝の蓋には、町章の中に「闘龍灘の鮎」と周囲に「町の花:菊」がデザインされています。
仕切弁、空気弁、消火栓はいずれも『アユッキー』が主役で頑張っています(^^;)
「たきの」の文字と、阪神水道企業団のキャラクター『ピュアリン』がデザインされたプラ汚水枡。
日本一早く鮎漁が解禁される滝野町のマスコットキャラクター『アユッキー』。「鮎」をモチーフに昭和63年(1988)に誕生しました。
撮影日:2009年5月3日&2014年12月5日
一方滝野という地名の由来についてはあれこれ調べても見つからないのですが、闘竜灘の右岸沿いに上滝野・下滝野という地名があるので闘竜灘が『滝』の正体であることは間違いないでしょう。
いまは水の浸食で川床に流紋岩の起伏が連続するにとどまっていますが、かつてはもっと高低差のある例えば群馬の吹割の滝のような地形だったのでは?と推察します。
古来運輸の中心は舟運で加古川も然り、川を閉塞させる闘竜灘は舟運の障害以外の何物でもありません。
当然当地で一旦荷の積み替えが起き、結果物流の中継地として栄えたのが滝野なんだと思います。
地理オタクを自認されるまっちさんなら
これぞ!という面白い地名も沢山ご存じなのでは
ちなみにわたくし・・学生時代は、歴史は好きでしたが地理は苦手でした(^^;)
地名の面白さに興味を持つようになったのは社会人になってからです。
それでも、車泊旅をしていなかったら、面白い地名や難読地名を見ても、ふ~~~んで終わっていたかもしれません。
狭い渓谷の谷の出口に位置します。
谷を女性の陰部になぞらえ、文字通り女性の尿道口の手前辺りに当たる場所です。
あとは5月11日投稿の「クチスボダム」でも触れた「クチスボ」という地名。
漢字で書くと「口窄」もしくは「口総」
こちらは谷を口をすぼめた形になぞらえついた地名で、地名姓として口窄や口総姓の方もおられます。
狭い渓谷の谷の出口というのが、又何と言うか、なぜこんな地名をと、思わずその地名を思いついた人に問い詰めたい。
と書いていて、ふと思ったのですが・・・
そもそも誰がその地名を言い出し、誰が認めたんだろう???
そこに住む人は、嫌じゃなかったのかしら??
関西在住になって私が一番驚いた地名は京都府久御山市にある「東一口」。
これで「ひがしいもあらい」と読むのですが、干拓で姿を消した巨椋池の西岸堤防付近には、今も東一口・西一口地区があります。
語源がまた意味深で「忌み清まる→斎払(いみはら)い→いもあらい」に転化したと言われてます。
まだブログには上がっていませんが久御山市のご当地マンホールを紹介する時に調べて「へぇぇぇぇぇ~~~~」と感心しました💦
なんでこんなに鮎?
と思ったら、
>日本一早く鮎漁が解禁される
こんなところに、「日本一」が。😅
ぜひこれからも誇りをもって歴史を重ねていってほしいですね🌸
昨日は危機感を共有してくださって、ありがとうございました。
失礼だっただろうかと心配しておりました。
>日本本来の精神文化
>多くの命によって贖われた主権
仰る通りです。🙏
思うのですけど・・
例えばtibinekoさんが出された「お天道様」という考えは・・
日本人なら誰でもどこかで持っている考えだと思います。
でも仮に日本全国で神社が破壊され、参拝を禁じられたなら。
その当たり前の「お天道様」という考えも
消えていってしまうように思うのです。
tibinekoさんの書かれたことを見て・・
そんなことを改めて、思いました。
守っていきたいですね。日本の、いろんなことを。
共感してくださり、どうもありがとうございました。
あ、安倍さんの慰霊碑ができたそうですよ!
でも現場は反対されて、5km離れた霊園に造られたそうです。
あいにく電車の便は悪そうで・・
風化させないでほしいですね。😭
一応、お知らせまで。
どうか良い日をお過ごしください🙏
キリスト教が日本に入ってきた時、お上はこれを禁じました。
従わないものには
目を覆いたくなるような凄惨な死が課せられました。
でも、それでキリスト教は滅亡したでしょうか?
いいえ、全国各地で密やかに
途絶える事なく継承されてきました。
教会が破壊され、礼拝を禁じられても
彼らの信仰心は失なわれなかった。
日本の神社信仰と、キリスト教信仰は
多分、根本的な芯の部分で違うだろうと思います。
それでも産土神を拠り所とする人
家の敷地の一画に祀られる屋敷神を信仰する人
名前も知らない神が祀られていた
鎮守のお社にお百度をする人
それは日本人の人口の
ほんの一握りかもしれません
けれども日本の神々を敬う人たちは
いかに権力者が禁じようと、
決して途絶える事は無いと思います。
外面はいかようにでも取り繕えます
でも心の奥深くに培われた敬神は
ロボトミーでもされない限り抹殺できない
と・・私は信じています
今宵の満月は「月読命」の微笑みのようです
明日のお天道様の光が
まかろんさを優しく包んでくれますように
PS:安倍さんの慰霊碑を現場に建立させなかった・・
どこの誰に遠慮し、気を使っているんでしょうね😠