車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

八幡神社 in 愛知県あま市七宝町

2016年12月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

あま市七宝町遠島宮西に鎮座される「八幡神社」。御祭神は『品陀和気尊(ほむだわけのみこと)=(応神天皇)』

境内由緒碑「御祭神 品陀和気尊は即應神天皇に座す。品陀和気尊を祭祀せる社にて、御神徳もっとも顕著。祈念するに霊験著しきこと悉く衆人の知る所なり。」

鳥居をくぐった正面に「石造り連子窓型蕃塀。連子上部に向かい合う「一対の龍」、下部羽目左右に「鯉の滝登」り、中央に「橘紋」が彫られています。

連子窓上部、向かい合う双龍に護られる「八幡神社」扁額

参道正面、開放的な拝殿前左右より神域を守護されるのは、大正15年(1926)奉納の岡崎型狛犬さん一対。

吽形さんは仔狛の背中に手を、阿形さんは毬の上に手を置いています。

世の中はすべて事も無し、平和です・・・的なお顔(笑)

拝殿後方、幣殿前左右より神域を守護されるのは、享和14年(1814)甲戌建立の構え型狛犬さん一対。使われた石の材質+置かれた場所が良かったのか、とてもそんなに長い年数を経たとは思えない顔貌を保っておられます。

幣殿前左右より神域を守護されるのは、明治39年建立の浪花系の狛犬さん。横向きにとがった三角耳と上向きの鼻が特徴的な一対です。

境内に枝を張る「羅漢槙」の御神木。

樹齢約400年、 樹高13m・地上部2m程の高さで3枝に分かれており、昭和30年に愛知県天然記念物に指定されました。

参拝日:2011年4月24日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八劔(はっけん)社 in 愛知県あま市七宝町

2016年12月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

あま市七宝町桂宮附に鎮座される「八劔(やつるぎ)社」。御祭神は草薙剣に由来する『八劔神( やつるぎのかみ)』

境内由緒碑「創建は安土桃山時代天正年間(1580)。桂城主織田大和守の請願により山城葛野郡桂村から転遷し奉られたのが始まりとされています。」

一の鳥居を潜ってすぐに「石造連子窓型蕃塀」。連子窓の上には社号額を挟んで2頭の龍が相対しています。

二の鳥居と本殿に続く拝殿。

幣殿に続く御本殿

幣殿前左右より神域を守護されるのは、明治41年(1908)11月建立の浪花タイプの狛犬さん一対。愛知県で浪花タイプはちょっと珍しいかも。

こんな風に並べると、ついついいつもの癖で勝手にセリフが・・・(^^;)

「なんやえらい汗かいて悩んではるでぇ」「ほんまやなぁ。まぁ勝手に悩ましとき(笑)」

鬼瓦(経の巻)には、八劔社を表す「八」

拝殿屋根の留め蓋でくつろぐ飾り瓦の獅子一対。穏やかな顔で参拝者を見守っておいでです。

「八剱社」社号碑

参拝日:2011年4月24日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊福部(いふくべ)神社 in 愛知県あま市七宝町

2016年12月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県あま市七宝町伊福宮東に鎮座される「伊福部(いふくべ)神社」。御祭神は『日本武尊』。

境内由緒書「御祭神は伊福部の連の敬愛する神様であり、天平2年(730)に創建された。明治5年(1872)には郷社に列せられ、同25年(1892)に熱田神宮西方に祀ってあった八百万神の本殿を移し、これが現在の本殿である。」

参道二の朱塗り鳥居

柔らかな日差しの中、まっすぐに続く参道。

「石造連子窓型蕃塀」

欄間上部には「双龍」、羽目部左右に「鯉の滝登り」

羽目部中央に卯年と刻まれた「兔」、おそらくは奉納年を表しているのでしょう。

四方吹き抜けの開放的な「拝殿」

拝殿から続く「幣殿」

幣殿前左右より神域を守護されるのは、昭和四年五月建立の岡崎型狛犬さん一対。阿は毬を手に、吽は前足の間に仔狛を抱いています。

親狛の足の間に収まり毬にもたれて境内を見つめる仔狛。

さらに幣殿のより近くより神域を守護されるのは、昭和五十二年二月奉納の狛犬さん。太い眉が流行りのモンスターキャラを彷彿させる可愛らしい一対。

幣殿奥、真っ直ぐに鎮まられる御本殿

本殿の玉垣の奥深くより神域を守護されるのは、明治四十二年十月奉納の神殿狛犬を思わせる一対。場所的な事も有りこの角度が精一杯ですが精悍で美しい顔立ちです。

幸い透かし塀の向こうと言う立地のお陰で、後姿はこのようにしっかりと!

さらに本殿玉垣の内より神域を守護されるのは、明治十七年三月奉納、昔タイプの狛犬さん一対。阿は角を、吽は宝珠を頭に戴いています。「日吉さんの神使いに似ている」と御亭主殿。

失礼なことをと思いつつ・・言われてみれば確かに・・(^^;)

境内社「津島神社・村上神社・八幡神社」

熱田神宮宮司正七位角田忠行氏による「伊福郷之碑」 傍らの駒札に「伊福と言う地名は元々この地域に伊福部連という氏族が居住していたことによると云われており伊福部神社も伊福部連の祖先を祀ったものである。しかし中世以降「伊福」が転じて「伊麥」と称するようになった為、明治二十二年に県知事に願い出て「伊福村」に変更している。この碑文はその経緯や伊福部連について説明したもので明治二十二年三月に建てられている。」

「神鳳抄(じんぽうしょう)所載碑 伊福部御厨舊地」「明治二十二年三月建立」、(神鳳抄とは、伊勢神宮(内宮および外宮)の領地の諸国一覧表)

石造りのように見える吐水龍

境内一団高くに「御大典記念碑」

一の鳥居近く参道の傍らに咲いていた「黄色花酢漿草(きいろはなかたばみ)」

同じく参道中に咲いていた黄色い花、名前は知らない。

参拝日:2011年4月24日

------------------------00----------------------

なるほど一口メモ

「蕃塀(ばんぺい)」は、一般に愛知県北西部を中心に分布しているといわれる。もともとは「不浄除け」と呼ばれ、現在でも地元の方々は「不浄除け」と呼ぶ場合が多い。ご神体守護の為、不浄なものを遮断する役割。またご神体の強い力を人々が不用意に浴び続けないようにする役割を果たしている。木造・石造りが有り、特に真ん中に連子窓を持つものを「連子窓型蕃塀」と呼ぶ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 愛知県旧七宝町(あま市)

2016年12月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧海部郡七宝町(しっぽうちょう)は愛知県中西部、2010年に合併した甚目寺町、美和町の他に、名古屋市、津島市、大治町、蟹江町と境を接していました。町名は、江戸末期より七宝焼きによる工芸品の製造が盛んであったことにちなんでつけられ、また加賀藩主:前田利家の正室「まつ」の生誕地としても知られています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、海東郡安松村、遠島村、沖之島村、秋竹村、桂村、川部村、下田村、伊福村、徳実村、下之森村、鯰橋村、鷹居村が発足。

1890年、安松村・遠島村・沖之島村が合併し、海東郡宝村が発足。秋竹村・桂村・川部村・下田村が合併し、井和村が発足。伊福村・徳実村・下之森村・鯰橋村・鷹居村が合併し、改めて伊福村が発足。

1906年、海東郡宝村、井和村、伊福村が合併、海東郡七宝村が発足。

1913年、海東郡と海西郡が合併、海部郡となる。

1966年、海部郡七宝村が町制を施行、海部郡七宝町となる。

2010年、海部郡美和町、甚目寺町と合併、あま市七宝町となりました。

マンホールには「七宝焼の壺」を中心に、「町の木:松」、「町の花:水仙」が描かれています。

七宝焼きふれあい伝承館に展示されていた「七宝焼の壷」

街灯にデザインされた水仙柄の「七宝焼の壺」

町章を中心に「町の花:水仙」がデザインされた側溝蓋

昭和48年11月3日制定の町章は、七宝の「七」を図案化したもので、色は青色が使われています。

「仕切弁」

「排泥弁」

「消火栓」

「側溝蓋」

「〇に水」が図案化された汎用タイプの知章仕切弁

「町の花:水仙」と町章がくりぬかれたレリーフの街灯

撮影日:2011年4月24日&2017年3月29日

------------------------00----------------------

弥富市上野町にある「日光川下流浄化センター」には上記デザインマンホールのカラー蓋が展示されているそうです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漆部(ぬりべ)神社 in 愛知県あま市甚目寺

2016年12月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県あま市甚目寺、甚目寺観音西側に隣接して鎮座される「式内社:漆部神社(ぬりべ)神社」。御祭神は『三見宿禰(みつみのすくね)』。配祀『木花開耶姫命 』。合祀『八大明神』

朱塗りの清め橋。正面に「蕃塀」と「拝殿」

「石造り連子窓型蕃塀」。連子上部には「波頭を翔る龍」、羽目部左右に「阿吽の獅子」、中央に「竹林の虎」

「創建時期は不明。甚目寺の鎮守社として創建当初の名称は漆部神社といい、 鎌倉時代以降に漆部天神、八大明神社に改称された。明治の神仏分離で境内を分け、昭和32年(1957)には社名を漆部神社に戻された。」

流造桧皮葺の「本殿・祭文殿」

本殿玉垣の内より神域を守護されるのは、明治20年(1887)4月建立の狛犬さん一対。装飾は少なく、尾もかなり控えめ。非常にユニークで個性的な顔立ちで、吽形さんは角を頂いています。

取って付けたような尾とか・・美容院でパーマのロット巻きをしている人みたいな頭とか・・色々と突っ込み処満載ですが、決して嫌いなタイプではありません。

上下を鳳凰に護られた「陰陽勾玉巴紋」の絵馬

「陰陽勾玉巴紋」の腹掛けをかけた御神馬

『八大神社』社号標と「開山甚目龍磨顕彰碑」

境内社ですが、「村社:日吉神社」の社号標と一の鳥居。御祭神は『大己貴大神(おおなむちのおおかみ) 』

「石造り連子窓型蕃塀」は漆部神社と同じ様式のようです。

「日吉神社」、朱塗りの二の鳥居。

「御本殿」

「拝殿」

拝殿前左右の石門上より神域を守護されるのは、顔の大きさが目立つ異国風味の狛犬さん一対。真横に折れた耳、そこから繋がるたてがみと真横に大きな口。吽形さんは仔狛を。阿形さんは毬に手を置いています。

親狛の手にぶら下がりながら後ろを振り向く仔狛。親狛に負けない面構えは末頼もしい(笑)

「日吉神社」参道の右手に建立されていた歌碑。悔しいですが達筆すぎて解読できません(-"-)

参拝日:2017年3月29日

------------------------00----------------------

御神名一口メモ

『三見宿禰(みつみのすくね) 』、『瓊瓊杵尊』の子である『火明命』から五代目。漆器具の製作を行った人々の祖神。

「八大神社」、「稲荷神社、賀茂神社、春日神社、住吉神社、祇園神社、貴船神社、平野神社、松尾神社」の総称。

「式内社」、延長五年(927)にまとめられた「延喜式」の巻九・十(延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記載された2861社。鹿島・香取・諏訪・富士本宮・伊勢・伏見・住吉・出雲・厳島・宗像など・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳳凰山:甚目寺(じもくじ) in 愛知県あま市甚目寺東門前

2016年12月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

「推古5年(597)、伊勢甚目(いせはだめ)村の漁夫:龍麿が、江上庄の入り江で魚をとっていた折、網に黄金の聖観音像が掛りました。歓喜した彼は入り江の北にお堂を建て、像を納めました。 これが甚目寺の始まりと言われています。」

「推古五年 開山甚目龍磨顕彰碑」

愛知県あま市甚目寺東門前に門を構える真言宗智山派寺院「鳳凰山(ほうおうざん):甚目寺(じもくじ)」。通称「甚目寺観音」。法隆寺や四天王寺に次ぐ我国有数の古刹で「聖観音」を本尊とします。

「聖観音像は、釈尊の授記を受けて作られたもので、百済を経て日本へ渡り、敏立14年(585)に海中に投じられた三尊仏の内の一尊と言われています。他の二尊もそれぞれ拾われ、阿弥陀仏は信州の善光寺、勢至仏は九州大宰府の安楽寺にあります。一尺一寸五分(約34cm)の聖観音像は後に十一面観音の胎内仏となっています。」記事中の色文字は甚目寺誌略より抜粋

建久7年(1196)再建の「南大門」。源頼朝の命を受け、梶原景時が奉行となり建立。仁王門とも呼ばれ、明治33年に重要文化財に指定されました。

安置されている「仁王像(金剛力士像)」は慶長2年(1597)、『福島正則』の寄進によるもので、昭和33年に愛知県有形文化財に指定。

「南大門」を潜りまっすぐ正面に朱塗りも鮮やかな本堂。

施無畏(せむい)印と与願(よがん)印を結び、左手には如意宝珠をお持ちになられる「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)」。ところで、何故「おびんづる様」はいつもお堂の外縁に居るのかご存知ですか? 実はお釈迦様と約束した禁酒の誓いを破った罰で、内陣(堂内)に入れて頂けなくなったからなんですよ (⌒∇⌒)。

境内左手に高さ25mの「三重塔 」。江戸・明治時代の囲碁棋士であった『吉田半十郎』の寄進により寛永4年(1627)に再建。昭和28年に重要文化財に指定されています。

「本尊:愛染明王」。御利益は「縁結び・聞こえ」

三重塔手前に「秋葉堂」

御本尊『秋葉三尺坊大権現』。御利益は「大防守護」。

本堂左手に「弘法堂」、御本尊『弘法大師』。御利益は「所願成就」

「弘法堂」の右手に「石仏・地蔵様の祠」

境内右手に「六角堂」、本尊「地蔵菩薩」「千体の地蔵様が奉られ、特に子供の育成を加護し、学業成就、身体健康に御利益があります。」

堂内に奉られる地蔵菩薩立像

死後の世界をつかさどる十人の王が奉られる「十王堂」。「閻魔王(えんまおう)」は冥界の王として、死者の生前の罪を裁くとされ・・

「地蔵菩薩」は釈迦にかわって衆生を地獄の苦しみから救済し、導くとされます。

「奪衣婆(だつえば)」は三途の川で亡者の衣服をはぎ取り、相方の「懸衣翁(けんえおう)」は、その重さで犯した罪を計るとされます。十王と奪衣婆は室町時代の作だそうで、漆黒の姿と白目の対比は・・できればあまり長居したくない (((((^_^;)

「天下泰平」の台座に座す石仏

「白山大権現」を祀る「白山大権現社」二基

南北朝時代作の「梵鐘」が納められた鐘楼。梵鐘には「建武四年三月廿日(1337)」の銘が残されており、昭和40年に愛知県有形文化財に指定されました。

塔頭寺院:高徳院(の画像はありませんが)に祀られる「伝:左甚五郎作:大黒天」

甚目寺境内地:9,193平方メートルは、あま市指定史跡に指定されています。

参拝日:2017年3月29日

------------------------00----------------------

ブログ一口メモ

「敏立14年に海中に投じられた三尊仏」、廃仏論を唱えた『物部守屋・中臣勝海』によって難波の堀江に捨てられた仏像。

『物部守屋』、『鐃速日命(にぎはやひのみこと)』を祖先とし、天皇家を除いて「天孫降臨」の逸話をもつ唯一の氏族。

「施無畏(せむい)印」、「恐れなくともよい」。「与願(よがん)印」、「願いを聞き届けよう」の言葉を、手指の形で表したもの。

「 十王」「十王堂」、死後の世界をつかさどる「泰広王・初江王・宗帝王・五官王・閻魔王・ 変成王・太山王・平等王・都市王・五道転輪王」の総称。十王を奉るお堂。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 愛知県旧甚目寺町(あま市)

2016年12月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧海部郡甚目寺町(じもくじちょう)は愛知県中西部、名古屋市の西側に隣接しており、名古屋市のベッドタウンとして発展してきました。尾張四観音の一つである甚目寺観音が名称の由来であり、地名になったのは鎌倉時代からと伝えられています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、海東郡甚目寺村、萱津村、春富村、白鷹村、森村、新居屋村、東今宿村が発足。

1906年、甚目寺村、萱津村、春富村、白鷹村、森村、新居屋村、東今宿村が合併、改めて海東郡甚目寺村が発足。

1913年、海東郡と海西郡が合併、海部郡となり、海部郡甚目寺村となる。

1933年、甚目寺村が町制を施行、海部郡甚目寺町となる。

2010年、海部郡美和町、七宝町と合併しあま市となりました。

マンホールには、町名の由来となった「甚目寺の南大門」や境内の伽藍が描かれています。

「甚目寺の南大門」

昭和45年(1970)1月1日制定の町章は「重要文化財の甚目寺:三重塔を象ったものです。」

<

「側溝蓋」

「町の木:クスノキ」がキャラクター化された側溝蓋。調べてみましたが、特にキャラとしての名前などはありません。

近くの柵にもいます。名前が無いのが勿体ないくらいよく出来ていると思うのですが・・・

甚目寺町では昔から「小松菜」が栽培されており、今も特産品として知られています。特産品の小松菜を高々とかかげる女性・・名前は無いみたい(笑)

こちらの女性が美味しそうに食べているのは甚目寺名物「こまっちゃんおやき」。観光協会、 町民、 町の和菓子店が一. 体となって開発した、特産のこまつなを入れた 「おやき」だそうです。おやき大好きなご亭主殿の「食べてみたい」というリクエストに「後でね」と言って、それっきり忘れてしまった気の毒な思い出が・・(^^;)

綺麗に彩色された女性が食べているのは、こまつな入りのどら焼き「こまっちゃんどら」。小松菜の煮びたしは好きだけど・・どら焼きは微妙(笑)

「方領大根」は江戸時代に甚目寺町方領地内で栽培された品種。「あいちの伝統野菜」に認定されています。

甚目寺地区の地場産業として知られる「刷毛(はけ)・ブラシ」「甚目寺の刷毛は、名だたる漆職人から銀座寿司店の職人、某国立大付属病院の名医まで、多くの愛好者によって支えられ、また陰のブランドとして、今も日本の名工たちの仕事を支えている」・・と、HPに掲載されていました。

ラストは甚目寺の纏いを持つ消防士さんで「火の用心」。愛知県警から応援に駆け付けたマスコットキャラクター『コノハけいぶ』「交通安全」。思いがけず楽しませて頂きました(〃∇〃)

撮影日:2011年4月24日&2017年3月29日

------------------------00----------------------

弥富市上野町にある「日光川下流浄化センター」には上記デザインマンホールのカラー蓋が展示されているそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 愛知県旧美和町(あま市)

2016年12月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧海部郡美和町(みわちょう)は名古屋市の西12km、海部郡の北端に位置した町です。2010年に合併した甚目寺町、七宝町の他に、津島市、愛西市、稲沢市とも境を接していました。

歴史上に名高い『蜂須賀正勝、福島正則、豊臣秀次、溝口秀勝』らを輩出した町としても知られ、二ツ寺屋敷には賎ヶ岳の七本槍で知られた「 福島正則公生誕地碑」が残されています。

旧キャッチフレーズは「花とみどりと戦国武将のふるさと」

1889年(明治22年)、町村制の施行により、海東郡正則村、金賀木村、篠田村が発足。

1890年、海東郡金賀木村が蜂須賀村に改称。

1906年、海東郡正則村、蜂須賀村、篠田村が合併、海東郡美和村が発足。

1913年、海東郡と海西郡が合併、海部郡が発足。

1958年、海部郡美和村が町制を施行、海部郡美和町がとなる。

2010年、海部郡甚目寺町、七宝町と合併、あま市となりました。

マンホールには町章を中心に「町の花:スミレ」。周囲に「町の木:カシ」がデザインされています。

昭和43年(1968)4月1日制定の町章は、合併した三つ村を表しています。

「仕切弁」

「制水弁」

「空気弁」

「消火栓」

「町の花:スミレ」がデザインされた街灯。

【  山路きて  なにやらゆかし 菫(すみれ)草  】 松尾芭蕉

足元に咲いていた菫に、ふと口をついた芭蕉さんの一句

撮影日:2011年4月24日&2017年3月29日

------------------------00----------------------

弥富市上野町にある「日光川下流浄化センター」には上記デザインマンホールのカラー蓋が展示されているそうです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 愛知県あま市

2016年12月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

あま市は愛知県の西部に位置し、ほぼ全域が海抜ゼロメートル地帯の町です。名古屋市、清須市、稲沢市、愛西市、津島市、大治町、蟹江町に接し、広大な濃尾平野とそこを流れる河川の恩恵を受けて、近郊農業を中心に発展してきました。2010年3月22日、海部郡甚目寺町・美和町・七宝町が合併して誕生。市名は、難読の郡名である「海部」をひらがなに直して「あま市」としました。あま市役所 本庁舎 は、旧美和町役場に置かれています。「市の木:ハナミズキ」「市の花:百合」を制定。

キャッチフレーズは 「人・歴史・自然が綾なすセーフティ共創都市”あま”」

マンホールは旧甚目寺町のデザインで、自治体名が「あまし」に変更されています。

旧美和町のデザインマンホール。中央町章部分が消され、自治体名があましに変更されています。

2010年9月23日制定の市章は「ひらがなの「あま」から受ける印象と、AMA(エー、エム、エー)という対称的な文字の組み合わせによって、あま市の将来像を表しています。」公式HPより

「仕切弁」

「排泥弁」

「空気弁」

「量水器」

あま市公認キャラクターの『あまえん坊』は、「あま市生まれのアマガエル。子供たちが大好きな、カエルのお坊さんなんだケロよ。人と人との出会いを大切に、仲良く手をつないで円(縁)になるんだケロ。いつか、あま市に大きな輪を広げるのが夢だケロ!」公式HPより

撮影日:2011年4月24日&2017年3月29日

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西之森神社と蓮行寺 in 愛知県蟹江町

2016年12月01日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛媛県

愛知県蟹江町西之森に鎮座される「西之森神社」、御祭神は『大山祇神・草薙之神(くさなぎのかみ)・宇迦之御魂神』

愛知県神社庁名鑑に「大正4年に近在三社を合祀し「西之森神社」と改称した」

拝殿前に並ぶ一対の蝋燭立て。「日露戦役参加」「當字出身軍人」と刻まれた「蝋燭立て」。神社に蝋燭と言うのは初めて拝見しました。おそらくは戦に行かれた方々の勲を、そうして無事を願って奉納されたものと思われます。

拝殿の奥、格子の前より神域を守護されるのは大正11年建立の、扁平頭がお洒落な狛犬さん一対。耳から肩まで流れるたてがみが霊峰に住む仙人のようで、とっても良い!(笑)

神社名の「西」を刻んだ鬼瓦

まるで甲羅のようなたてがみマントを纏った留め蓋瓦の飾り獅子一対。この辺りは三州瓦の産地が近い所為なのか、細工瓦にもユニークなものが多く、細工瓦好きには堪えられません。

拝殿向拝の龍、結構な迫力で神域を護っておいでです。

珍しく大口の吐水龍(笑)

「西之森神社」程近くに門を構える、浄土真宗本願寺派寺院「光林山:蓮行寺(れんこうじ)」。『阿弥陀如来』を本尊とします。

神社参拝を終えて偶然お見掛けしたお寺様。このまま素通りは心苦しく参拝させて頂きました。出迎えてくれた向拝の龍の何と穏やかで愛らしいお顔。

留蓋瓦の飾り獅子の何と勇ましく可愛らしい事。

親鸞聖人生誕800年を記念して置かれた旨が記された旧本堂の鬼瓦。説明を別に残しておかなかった為、それ以上の仔細は読み取れません。

真っ白な花びらは境内の静けさにこの上なく似合って・・散り敷く姿さえも可憐に見えます。

参拝日:2011年4月24日

------------------------00----------------------

御神名一口メモ

『草薙之神(くさなぎのかみ)』、草薙剣(くさなぎのつるぎ)」を神格化したもの。元は「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と呼ばれ、後に『日本武尊』の手に渡り、焼津の地において草を薙ぎはらい炎から逃れた事に因んでこう呼ばれる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする