車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

甘強(かんきょう)酒造株式会社 in 愛知県蟹江町

2018年04月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県蟹江町城4丁目、蟹江川沿いに本社を置く「甘強(かんきょう)酒造株式会社」。創業は文久2年(1862)、みりんや日本酒、焼酎の製造・販売を行う酒造会社です。

「初代『山田平八』が濃尾平野で収穫される豊富なもち米を原料とし、縦横にはしるクリークによる便利な舟運を利用してみりんの製造を始めたのが最初です。昭和29年(1954)には、清酒四天王の醸造を開始。現在でも、地元濃尾平野や国内産のお米を原料に、本物と呼ばれるみりんや日本酒を醸造しております。」公式HPより

屋号である甘強みりんに名称変更したのは、昭和10年(1935)。甘みや旨みの強い本物のみりんを造り続けるという想いから「甘強みりん」と命名されました。

道路側向かって右に昭和13年(1938)建設の、スクラッチタイル貼りの「事務所」。愛知県西部に残る数少ないRC造の建物です。堤防敷き(いわゆる土手)の斜面に建っており、住宅側から見ると3階建てで地下部分は倉庫。1階は事務所、2階は会議室と和室で、渡り廊下で住宅の2階につながっています。

住宅母屋は大正11年(1922)ごろに柱などの構造材、材料を蟹江川から運びこみ、数年かかって建設されたものです。突き当りの建物は明治38年(1905)ごろ新築された土蔵造の「味醂蔵」。右に工場の建物が見えます。

明治から昭和初期に建てられた同社の建物のうち、2005年に登録有形文化財に登録された「旧本社事務所・工場・住宅主屋・住宅土蔵」。生憎とこの事実を知ったのは車泊旅から帰宅して調べた結果。知っていれば車をどこかに置いて、もう少し丁寧に画像に残したのに・・。

訪問日:2017年3月27日

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一言メモ

登録有形文化財とは・・ 貴重な建造物をより多く残すための制度。建築後50年を経過したもので1. 国の歴史的景観に寄与している。 2. 造形の規範となっている。 3. 再現することが容易でない 。この3つの基準を満たす建造物を国が指定するものを指す。

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ご当地マンホールとマンホールカード in 愛知県蟹江町

2018年04月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

海部郡蟹江町(かにえちょう)は愛知県の西南部に位置し、東は名古屋市、北は津島市、あま市、西は愛西市、南西は弥富市、南は飛島村に接しています。町内には蟹江川・日光川・福田川・善太川・佐屋川などの河川が南北に流れ、それぞれが伊勢湾に注いでいます。また町域の1/5がこれら5本の河川によって占められている為、町域のほとんどが海抜ゼロメートル地帯にあり、古くから水害に対する治水工事や対策がなされてきました。

また「かにえ」の地名が、初めて文献に表されたのは、建保3年(1215)「水野家文書」の中からといわれています。そのころの蟹江は、一面海に囲まれた土地で、「蟹江郷」とか、「富吉荘」という名称で呼ばれていましたが、海辺に柳が茂り、多くの蟹が生息していたことから「蟹江」と呼ばれるようになったと伝えられます。「町の木:金木犀」「町の花:花しょうぶ」「町の鳥:よしきり」を制定。

キャッチフレーズは「かわ ひと まち 表情豊かないきいき小都市(こまち)」

明治22年(1889)、町村制の施行により、海西郡蟹江町、海東郡西ノ森村・須成村・新蟹江村・千秋村・大井村・神島田村が発足。

1906年、海東郡西ノ森村、須成村、新蟹江村と合併、新に蟹江町が発足。

1906年、海東郡千秋村、神島田村、大井村が合併、海東郡永和村が発足。

1913年、海東郡と海西郡が合併、海部郡が発足。海部郡蟹江町となる。

1956年、蟹江町が永和村新千秋地区を編入、現在に至っています。

マンホールには、「町の花:花菖蒲」「町の木:金木犀」「町の鳥:よしきり」、さらに豊かな河川で遊ぶ「カニ」と、ロゴマークの「かに丸くん」がデザインされています。

蟹江町水道事務所展示マンホール

愛知県下水道科学館展示マンホール

コミュニティ・プラント(コミプラ)のマンホールには、町章を中心に「町の花ハナショウブ」がデザインされています。

蟹江町のカニロゴマーク『かに丸くん』、まん丸の大きな目がチャームポイント??です。

中央に「かに丸くん」をデザインした汚水用プラ枡蓋。

ロゴマーク付き消火栓

ロゴマーク付き仕切弁

昭和9年(1934)1月10日制定の町章は「まちの歴史に深いかかわりを持つ旧蟹江城の城主、佐久間家の家紋「三引紋」が、そのまま町章として制定されました。」公式HPより

町章付き消火栓

自治体名付き消火栓

同じものに見えますが、「仕切弁」の文字が右から左のタイプ

「仕切弁」の文字が左から右のタイプ

蟹江町130thアニバーサリー記念ステッカー

蟹江町マスコットキャラクター『カニまるくん』。昔、蟹江町に多く生息していた「蟹」をモチーフに誕生しました。大きな目と大きなはさみで町のPRに頑張っています。

蟹江町観光協会マスコットキャラクター『カニンジャちょき丸』。かに丸くんに仕える新米忍者として2013年に誕生しました。

車中で見かけた「かにえ・尾張温泉街」のアーケード。愛知県下で唯一「日本名湯100選」に選ばれた温泉だそうです。

ところでこれ、何に見えます? アンモナイトのオブジェかと思って横の立て札を見ると「旧日光大橋 親柱飾【像】」と・・。そうですか・・・これ、像だったんですか・・・芸術の世界は難しい(笑)

撮影日:2011年4月24日&2017年3月27日&2019年9月19日

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2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計455自治体539種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「蟹江町」のマンホールカードは、「平日:蟹江町水道事務所(蟹江町上下水道部下水道課)、休日:蟹江町歴史民俗資料館」でいただけます。

2004年に設置開始されたマンホールには「ハナショウブ」と「キンモクセイ」、「ヨシキリ」、「かに丸くん」がデザインされています。

「蟹江町のキャラクター「かに丸くん」をはじめ、町の花「ハナショウブ」、木「キンモクセイ」、鳥「ヨシキリ」がデザインされたマンホール蓋です。 昔の蟹江は、南部が海に面した入り江で、葭が茂り、多くの蟹が生息していたことから「蟹江」と呼ばれるようになったと伝えられています。 今でも町には大小6つの河川が流れ、その風景は水郷のまちを象徴する趣があります。 ヨシキリは春になると川などの葭原に飛来し、「ギョギョシ」と鳴き声を響かせます。 ハナショウブは初夏に大きくて鮮やかな白や紫色の花をつけ、キンモクセイは秋に山吹色の可憐な小花を咲かせ、甘い芳香を放ちます。」

訪問日:2019年9月19日

 

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ご当地マンホール in 愛知県旧十四山村(弥富市)

2018年04月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

旧海部郡十四山村(じゅうしやまむら)は愛知県の西部、木曽川水系の河川によって作られた水郷地帯に位置した村です。水耕を中心とする農業が盛んな村で、全域が海抜ゼロメートル地帯の起伏のない平坦な地形となっています。十四山という地名は、木曽川河口の三角州に形成された葦山十四カ所を干拓した地であったことから名付けられた説が有力とされています。「村の木:槇」「村の花:菊」を制定。

十四山支所近くにあった「十四山村道路元標」

十四山支所前にある避難場所指示に、海抜0mの位置が表示されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、海西郡十四山村、海東郡千秋村・大井村・神島田村が発足。

1906年、千秋村、大井村、神島田村が合併し、海東郡永和村となる。

1913年、海東郡と海西郡が合併、海部郡十四山村、永和村となる。

1956年、海部郡十四山村が永和村千秋地区を編入。

2006年、弥富町に編入合併、市制が施行され弥富市となりました。

農業集落排水のマンホールには、「村の木:槙」「村の花:菊」が村章を中心にデザインされています。

(旧庁舎展示マンホール)

真空弁マンホール

区間弁マンホール

昭和61年11月3日制定の村章は「児童の校帽徽章として採用されている物を一部手直しして採用。」

「海部南部:水道:消火栓」。上水道関連の蓋には村独自の物はなく「海部南部水道企業団」で統一されています。

撮影日:2011年4月24日&2017年3月27日

 
コメント (2)
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