車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

山邊(やまのべ)神宮 in 島根県江津市

2018年04月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

江津市江津町に鎮座される「山辺(やまのべ)神宮」。延喜式神名帳石見国那賀郡に記載される「山辺神社」に比定される神社。御祭神は『布都御魂(ふつのみたま)、素戔嗚尊、稲田姫命』。さらに天照と素戔嗚の誓約(うけい)によって生まれた『五男三女神』を配祀。

社伝に【白雉3年(652)に「石上神宮」の分霊を勧請したとされる。祇園信仰はのちに習合したものとされ、「東向寺」の僧侶が別当を務めた。明治6年(1873)に村社に列格。】

参道の左右より神域を守護されるのは「安政五歳 戌午六月吉日建立」の狛犬さん一対。

浪花でもなく出雲でも丹後でも無い・・独特の風貌はご亭主殿には嬉しい遭遇だったらしく、二度とも、実に沢山の枚数が残されています(笑)

参道を真っ直ぐ、一の鳥居を更に進むと神門があり、その先に二の鳥居と拝殿に至る石段が見えてきます。

石段下左右より神域を守護されるのは、真横に尖った耳と大きな玉を抱えこむ、とってもスレンダーな宝暦四年(1754)建立の尾道型狛犬さん一対。

手水社の横に奉られる井戸神様。蓋の上にはどこかの屋根の留め蓋にいたと思われる一対の獅子。

手水舎と石段参道を挟んだ一画に保存されていた「災害保存太鼓」「この大太鼓の悲惨な姿は、昭和47年7月11日の夕方、山陰代豪雨災害の際、拝殿倒潰により梁が落下した痕跡である。想像を超えた激しい災害の跡を物語っている。山邊神社はこの災害太鼓を永久保存し、後世に残すことにした。」。ここで初めて、井戸神様の獅子は、拝殿の屋根を守護していた留め蓋獅子ではと思い至りました。

いかにも現代的な拝殿は、昭和47年の豪雨災害で倒壊した拝殿に替わって建てられたもの。

それほど広くはない拝殿の一画に祀られる境内社「四柱神社」。御祭神は『天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神』

拝殿近くには、白龍が霊石に姿を変えたという「ねがい石」が鎮座されており、手に抱いて一願成就を願います。

二人それぞれ、言葉に出さない願いが何だったのか・・聞く事はありませんでしたが、多分わかるような気がします。

参道途中にあった神輿庫

収蔵されていた「御神輿」と三種の獅子がとても印象的。おそらくそれぞれに役どころと謂れがあるのでしょう。

本音を言えば祭礼と名の付く物が大好きな二人、地域色豊かな獅子舞なんてものに出会った日にはもう舞い上がるくらい嬉しいモノ。出来れば間近に生で見たいものです。

見所一杯の「天領江津甍街道」明日はご亭主殿が憧れてやまない「石見左官の技術の粋」を紹介します。

参拝日:2011年5月15日&2019年4月16日

 

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天領江津甍(いらか)街道~Ⅱ~ in 島根県江津市

2018年04月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

天領江津甍街道のスタート地点から中川沿いに町を抜けて、江の川の岸辺まで歩いてきました。 見上げた先にあるのは「三江(さんこう)線」の鉄橋。あわよくば電車が来ないかと期待し、撮影ポイントを定めて暫く待ったのですが、世の中そんなに甘くないようです(笑) 

その後2018年3月に廃止が決まったとか。時々目にする観光ポスターに登場していた、おだやかな車窓風景がまた一つ消えていったのかと思うと、少し切ない気持ちになります。

本町の豪商・飯田家の別邸だった「二楽閣(じらっかく)跡」。2011年は歩き過ぎてちょっとばかり駄々をこね始めた足に遠慮して断念した石段。

2019年の街歩きでは、多分これが最後という思いもあって上まで。それにしても随分と綺麗に整備されて、なんだか違う場所に来たみたい(^^;)

ここからだと「三江(さんこう)線」の線路が下に見えるんだね。もうどんなに待っても電車の姿は見られないけれど・・

街道歩きの帰路で、思いもかけずにこんなに素敵な建物に出会いました。

昭和12年(1937)に建てられた「花田医院」

「本町通り西側に占める敷地に建つ。T字型に落棟を付ける寄棟造の木造2階建を中心に、その正面に入母屋造の玄関、その南側直角に半切妻造で洋風意匠になる診療所、背面に半切妻造の台所などを付設する。複雑な構成になる建物で、カーキ色の石州瓦が印象的。」文化遺産オンラインより

 

2011年の街歩き、石段の上に見えた細工瓦に惹かれ、立ち寄らせて頂いた、臨済宗東福寺派寺院「観音寺」

山門の「鴟尾(しび)」は菊花で象られています。

さらに留め蓋には、俵に乗ったネズミ、もちろんこれもきちんと阿吽の一対。

珍しい細工瓦に夢中になっていた私達に、突然、本堂からお声がかかりビックリ! もしかして無遠慮過ぎたのかと恐縮していると、優しくお接待のお誘いをいただきました。見知らぬ旅の者に温かいもてなしを頂き、どれほど感激したか・・今も忘れがたい思い出です。

大森銀山に次ぐ北前船の寄港地として栄華を誇った天領の町、その面影は至るところに残されています。白壁のまぶしさ、黒板塀の重厚さ、石州瓦の鮮やかさ、そして江の川の、きらめく水の流れ。町歩きの素晴らしさは、まさに歩いてこそ実感でき、心に残る記憶もより鮮明になるのです。

明日は、スタート地点の奥に鎮座される、「山辺(やまのべ)神宮」の紹介です。

訪問日:2011年5月15日&2019年4月16日

 

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天領江津甍(いらか)街道~Ⅰ~ in 島根県江津市

2018年04月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

中国地方では最大とされる一級水系の本流「江の川(ごうのかわ)」、別名「江川(ごうがわ)」とも呼ばれます。この江の川の河口から約2キロの位置に、かって「天領のまち」として栄えた、江津本町があります。

石州瓦の赤い屋根が続く町並みには、舟運と海運の要所として栄えた往時の面影が今も色濃く残り、それを生かした町づくりが地域の人々によって推進され「天領江津本町甍街道」として完成。2003年度に、夢街道ルネサンス推進会議により「モデル地区」に認定されています。

まちの中心を山陰道が貫き、陸路、海路、川の道の交通接点として経済的な発展を見せた江津本町。2011年、2019年と二度に渡って歩いた「夢街道ルネサンス~天領江津本町甍街道」。スタートは大正15年(1926)に江津町役場本庁舎として建てられ、1962年まで江津市役所として使用された「旧江津町役場(国登録有形文化財)」から。

「鉄筋コンクリート造及び木造2階建、金属板葺。正面は中央と左右に二層分の柱型を配して頂部を段状のパラペットとし、その間に縦長窓や幾何学的な図柄を配しており、左右相称で上昇感のある立面構成をもつ。」文化財データーベースより

本町川沿いに残る白壁・黒板塀のいかにも旧家を思わせるお屋敷、初夏の日差しに輝く石州瓦の赤が続く町並は、夢街道の名にしっくりと馴染んで足並みも軽やか。

観光地によくある人混みもなく、私たちの他に人影は無し。この美しい空間を二人占めしているような、何とも不思議で贅沢な気分。

細い路地の先、天領の町並みから唐突に姿を現す、白とブルーの洒落た建物は「旧江津郵便局(国登録有形文化財)」。明治前期に建てられた擬洋風建築物で、郵便制度が始まって間もないころの貴重な建物です。

「通りに南面して建つ、建築面積38㎡の木造2階建。寄棟造妻入桟瓦葺。正面1階をポーチとし、2階にバルコニーを設ける。外壁は白漆喰仕上げで、隅には鼠漆喰でコーナーストーンを模し、柱や窓枠を青色に塗装する。川港町の伝統的な家並みに彩りを添える。」文化遺産オンラインより

かつて廻船問屋が軒を並べていた本町川沿い。川べりに面白いものを見つけました。 それなりに色々な名所旧跡を見てきた私たち、一応それが何であるかすぐに分かります(笑)

川べりにずらりと並んだ「鼻ぐり石」。荷を運んできた牛や馬をつなぐために作られた設備ですが、その数の多さが往時の繁栄を今に伝えています。

まだまだ続く「天領江津甍街道」の町歩き、明日は目に付いた「素敵」をランダムに紹介。

訪問日:2011年5月15日&2019年4月16日

 

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岩根(いわね)神社 in 島根県江津市

2018年04月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

都野津を後にして、江津市嘉久志町に鎮座される「式内社:岩根(いわね)神社」。御祭神は『伊弉諾尊・伊弉册尊・正哉吾勝速日天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと)・天穗日命(あめのほひのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)・活津彦根命(いくつひこねのみこと)・熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)・ 田心姫命(たきりひめのみこと)・狹依毘賣命(いちきしまひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)』。

昭和二年二月建立の二の鳥居

由緒に【神代の昔、田心姫命が当地の「隠岩」に隠れ、出雲国の乱に馳せ参じ、十羅の賊を討たれたことより、『十羅刹女大明神』として奉斎されていた古社であったとする】

拝殿は比較的新しく、貫から参拝者を見守る獅子の木肌はまだ柔らかく、見開いた象眼もくっきりと鮮明。

拝殿前、石段左右より神域を守護されるのは、大顔ですが、気立ての良さそうな広島型玉乗り狛犬さん一対。玉乗りと言うより運動会で玉を転がすお父さん的なイメージが・・(笑)

本殿左手に稲荷社の朱の千本鳥居

境内社「荒神神社・稲荷神社・護王神社・皇子神社・王子神社」が祀られます。

「神木の跡」の碑・・・ご神木がここに有ったと言う証しでしょうが、何かの理由で枯死したか、それとも訳有って伐採されたのか?不明。

「壽恵碑」難しい漢字ですが、これで「すえひ」と読み、身近では「壽恵廣(すえひろ)=扇子」などの箱書きにも使われます。「目出度き事に恵まれる記念の碑」とでも言えば良いのでしょうか?とても美しい日本語ですね。 境内の一角に建立されていたものなので、氏子の何方かが慶事を記念して納めたのかもしれません。

神社の近くに、田心姫を隠した伝説の「かくれ岩」が有ると聞いて探したのですが・・辻の地蔵堂周辺の探索を終えても見当たらなかった為、断念。どうやら反対方向を探していたようです。

参拝日:2011年5月15日

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御神名一口メモ

正哉吾勝速日天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと)・天穗日命(あめのほひのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)・活津彦根命(いくつひこねのみこと)・熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)』、天照大御神と須佐之男命が誓約をしたときに生まれた五男。天照大御神の勾玉から成った。

『 田心姫命(たきりひめのみこと)・狹依毘賣命(いちきしまひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)』、天照大御神と須佐之男命が誓約をしたときに生まれた三女神。須佐之男命の剣から成った。

 

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大年(おおとし)神社 in 島根県江津市都野津

2018年04月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

江津市都野津町に鎮座される「式内社:大年(おおとし)神社」。御祭神は『大年神(おおとしのかみ)・稻倉魂命(うかのみたまのみこと)』

社伝に「神亀二年六月、伊勢神宮別宮より、都濃郷大年免に勧請。正徳元年、現在地へ遷座。」

石段参道正面、一対の狛犬に護られて石州瓦の拝殿

本殿左に鎮座される境内社。奉られるのは「金刀比羅神社・大元神社・厳島神社」

大黒様と恵比寿神が並ぶ社殿

社殿の前には大きさも素材も様々な恵比須・大黒天やお狐様の置物が奉納されています。おそらく・・引っ越しや建て替えなどで置けなくなった神棚の主役たちがこちらで余生を過ごされているのでしょう。

境内社が並ぶ石垣の端にも、瓦材でできた一体だけの狛犬さん。もしかしたらどこかの屋根にいたのかも・・姿も構図もとても素晴らしいのに・・

参拝を終え、急な石段を降りた正面に「矢立の松跡」「この矢立の行事は弘安年間蒙古軍の侵入を見張るために築かれた 大年免の砦を守る武将が戦勝を占うための行事といわれているが、 その後は農作の占いや五穀豊穣、天下泰平を祈願して正月九日に社前から神主職によって矢を射られていたもので、江戸時代には神主 大崎(大前)家によっておこなわれた。明和七年(1770)の「万書上帳」 には矢立の松、毎年八月大前極人的射とある。当村の矢立の神事が 弘安の昔に創始されたものとすると当時の矢立の松は元の大年神社付近にあったものと思われる。然し正徳元年(1711)現代の都ノ山に遷座の際に矢立の松も位置を換え現在の松(二世松)に選定されたものと思われる、 全国的にも例が少なく石見では当社のみで貴重な神事です。」現地案内

訪問日:2011年5月15日

 

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都野津(つのづ)の町歩き in 島根県江津市

2018年04月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

江津市最初のお目当ては、石州瓦が美しい都野津(つのづ)地区。 細工瓦が大好きなご亭主殿、本格的な瓦の産地に出向くのは今回が初めてとあって上機嫌。

初夏の日差しの下で存在感を主張する石州瓦の赤。島根県が位置する山陰という響きには、暗く厳しい冬の色が想像されがちですが、とんでもない!!。 空の青と石州瓦の赤は感動を覚えるほど鮮やかに存在感を主張しています。

その美しい石州瓦で作られた鬼瓦。少し低い塀の上では、珠玉を手にした龍が主の住む場所を守っているのです。

各地で見かける玄関周りの飾り瓦と言えば「恵比寿・大黒」とか火難除けの波ですが、ここはちょっと違います。 色も形も違ってそれぞれに独自の形ですが・・・どちらも富士山で間違いないでしょう。

別の場所には、今にも飛び立とうと羽を広げる鷹の姿。別のお宅では、羽を休めて休憩中。

さらに極めつけは!何と「茄子」がちょこんと屋根の上に乗っかっているではありませんか。 富士山と鷹と茄子とくれば「一富士(いちふじ)、二鷹(にたか)、三茄子(さんなすび)」。 あの有名な「初夢で絶対に見たい縁起物」の組み合わせですよね !(^^)! 飾り瓦にこの三つが使われているなんて初めて見ました。

町歩きの途中で見かけた、スクラッチタイル貼りが美しい「都野津会館」は、昭和12年(1937)に竣工された「旧都野津(つのず)町役場」

「都野津の中心部に建つ。角地に建ちスクラッチタイル貼で大振りな柱形を作るなど鉄筋コンクリート造風にみせる。玄関を入ると公衆溜で奥を諸室にあて、二階は一室の広間とする。当時流行した日本趣味あるいはライト風の地方伝播の一例とも目される木造役場。」文化遺産オンラインより

道々にお見掛けしたお地蔵様の祠

こちらは化粧を施された御大師様像。塵一つなく清められた祠に手を合わせて願うのは、今日から始まる旅の無事。

明日は、都野津に鎮座される神社の紹介です。

訪問日:2011年5月15日

 

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ご当地マンホール in 島根県江津市

2018年04月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

江津市(ごうつし)は島根県西部の石見地方に位置し、北部の東西につづく海岸段丘と、南部の丘陵地帯からなる自治体です。中国地方最大の江の川の河口に位置し、古くは江の川河口の港として発展。江戸時代には北前船の寄港地として栄えました。日本国内で北緯35度線が通る最西端の市であり、また 東京都からの移動時間距離が全国で最も遠い市とされ、「東京から一番遠いまち」などとPRしています。「市の木:黒松」「市の花:ツツジ」を制定。

キャッチフレーズは「元気!勇気!感動!ごうつ ~江の川が育むイキイキ協働体~」「湯の町(温泉津)・川の町(江の川)・窯の町(石州瓦)」

明治22年(1889)、町村制の施行により那賀郡江津村・都野津村・都濃村・渡津村・川波村・二宮村・跡市村・浅利村・松川村・江東村・川平村・上府村・下府村・国分村・有福村が発足。

1914年、江津村が町制を施行、那賀郡江津町となる。上府村、下府村、国分村が合併して那賀郡国府村が発足。

1922年、都野津村が町制を施行、那賀郡都野津町となる。

1940年、江津町が都濃村、渡津村と合併、改めて那賀郡江津町が発足。

1951年、国府村が町制を施行、那賀郡国府町となる。 

1954年、江津町が都野津町、川波村、二宮村、跡市村、浅利村、松川村、川平村、江東村と合併、江津市が発足。

1955年、国府町が有福村と合併、改めて那賀郡国府町が発足。

1956年、江津市が、那賀郡国府町本明・上有福地区を編入。

2004年、江津市が邑智郡桜江町を編入、現在に至っています。

雨水マンホールには「柿本人麻呂と依羅娘子」、「星高山・新江川橋・江の川」「市の花:ツツジ」がデザインされています。(高丸線跨線橋の近くに設置)

「星高山・新江川橋・江の川・桜」それに「市の花:ツツジ」がデザインされています。(市役所の敷地内に設置)

雨水用プラ枡蓋

「新江川橋」と「江の川」

2004年10月1日制定の市章は「頭文字の「G」を基本にして、中央から外に向かって伸びる2枚の翼は石央の中核都市として飛躍する姿を表現するとともに、これを取り囲む円は江津市、桜江町両市町の「和」と「団結」をもって、より大きく、よりすばらしい希望に燃えて発展していく新市の姿を象徴しています。新しい江津市の基本理念である「元気」(赤)・「勇気」(緑)・「感動」(青)をイメージできる色で表現しています。」公式HPより

昭和29年10月8日制定の旧市章は「「江ツ」を鳥の形に図案化したものです。」

防火水槽・消火栓

制水弁

量水器

江津市のPRキャラクター『人麻呂くんとよさみ姫』。飛鳥時代の歌人である柿本人麻呂が、妻のよさみ姫と共に ごうつ万葉大使として現代にタイムスリップしてきました。 縁のある江津市のために、多くのイベントに登場して活躍しています。

撮影日:2011年5月15日&2019年4月16日

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古代装束の三人は、「道の駅:サンピコごうつ」マスコットキャラクター『海彦・山彦・川彦(サンピコ)』。三人のヘアースタイルがそれぞれの名前を表しています(*^^*)

江津市後地町、国道9号線沿いの「道の駅:サンピコごうつ」では、二度に渡って車中泊をさせて頂きました。手がるなお惣菜もあり、どれも美味しく頂く事ができ、偏食家の私にも大満足。車で旅をする者にとって、このような道の駅は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました🙏🙏

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 島根県

2018年04月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

今日からは、2011年5月・2013年5月・2015年4月・2019年4月と四度に渡って訪問した島根県の思い出です。

島根県(しまねけん)は本州西部に位置し、山陰地方の西側を占める県です。離島の隠岐諸島や竹島を含み、自治体は8市5郡10町1村で、県庁所在地は松江市。川本町以外はすべて「ちょう」、村は「むら」と読みます。旧国名は出雲国・石見国・隠岐国で、現在でも出雲地方・石見地方・隠岐地方と呼ばれます。県名は、県庁の置かれた松江城が、かつて旧島根郡(嶋根郡)に属していたためとされます。「嶋根」の名は、古代の『出雲国風土記』において国引きをされた『八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)』が命名したと伝えられています。「県の木:黒松」「県の花:牡丹」「県の鳥:白鳥」「 県の魚:トビウオ」を制定。 

キャッチコピーは「ゆったり清らかなしまね ご縁の国しまね」

明治4年(1871)7月、廃藩置県により、松江県・広瀬県・母里県が成立。

明治4年(1871)11月、松江県・広瀬県・母里県と隠岐地方が合併、第一次島根県が発足。

明治9年(1876)、 島根県と鳥取県が合併、第二次島根県が発足。

明治14年(1881)、鳥取県を再置、現在の島根県が成立。

マンホールには、県章を中心に「県の花:牡丹」と「県の木:黒松」が描かれています。

石見空港付近に設置されていたマンホール。「島根県石見」の文字の上を、「梅を背負って飛ぶ飛行機」がデザインされています。

「石見空港」は、1993年に出雲空港、隠岐空港に続く島根県下3番目の空港として開港しました。

空港内で見かけた「萩・石見空港マラソン全国大会」のキャラクター、『空run(ソラン)ちゃん』。全国で唯一、現役空港の滑走路を走ることができるマラソン大会。頑張って選手のみんなを応援してます。 d(-_^) 

昭和43年11月8日、明治百年記念として制定された県章は、【中心から放射線状にのびる4つの円形が雲形を構成して、島根県の調和のある発展と躍進を象徴し、円形は、「マ」を4つ組み合わせたもので「シマ」と読まれ、県民の団結を表しています。】HPより

島根県企業団 空気弁

仕切弁

制圧弁:親子タイプ

2010年に誕生した島根県観光協会二代目マスコットキャラクター『しまねっこ』。島根県の応援団で「リメンバーしまね:団長」兼「神話博しまね」の公式キャラクター。頭に大社造の帽子をかぶり、首にはしめ縄のマフラーを巻いて、島根のPRに励んでいます。後ろで秘かに素戔嗚さんのコスプレをしているのは「しまねSuper大使」に任命されている『吉田くん』、紹介は下のマンホールカードで(笑)。

島根県警察シンボルマスコット『みこぴーくん』。愛称は命(ミコト)の「みこ」と警察(ポリス)のPを合わせ、島根の神話をモチーフに2005年に誕生しました。「日本一治安のよい島根」を実現するために活躍しています。

健康長寿島根のマスコットキャラクター『まめなくん』。活動目的は県民運動を応援すること。

大山隠岐国立公園にある、島根県立三瓶自然館サヒメルのマスコットキャラクター『テンピー』。三瓶山に住む「テン」がモデルで、良くある永遠の6歳では無く、毎年6歳になるそうです。

(※)離島の隠岐島は未訪問。また竹島は県の領域ですが、戦後ずっと某国に不法占拠されたまま、日本人が立ち入れない場所となってしまいました。このような不法を平然と犯す国と、友好だの何だのと浮かれる神経が、私には我慢できません。

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マンホールカード、頂きました。

2020年12月17日、第13弾として全国50自治体で50種類(累計557自治体717種類)の マンホールカードの配布が開始されました。「島根県」のマンホールカードは、「出雲市駅観光案内所」でいただけます。

2020年に設置開始されたマンホールには、ハートを背景に「島根県に乗る吉田くん」がデザインされています。

「「しまねSuper大使」に任命されている「吉田くん」。 本名は「吉田"ジャスティス"カツヲ」、誕生日は7月27日、出身地は雲南市吉田町です。そんな吉田くんは、島根県の下水道の魅力を無理なく計画的に、日夜こっそりとPRしています。採用した吉田くんのイラストは、県と市町村で協同して行っている下水道出前講座の受講生(小学生)にアンケートを行い決定しました。また、出雲大社など縁結びスポットが多い島根県をイメージし、吉田くんのまわりにはハートがデザインされています。 ちなみに、肩書であるSuper大使とは親善大使や観光大使を”超えた”存在らしいですよ。」

 

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ご当地マンホール in 愛知県大口町

2018年04月04日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛知県

丹羽郡大口町(おおぐちちょう)は愛知県の北西部、濃尾平野に位置する町です。町域は木曽川の堆積物で作られた扇状地で、北から南にかけてゆるやかな傾斜となってます。「町の木:木犀」「町の花:桜」を制定。

キャッチフレーズは 「輝く水と緑、元気な暮らし広がる自治のまち おおぐち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、丹羽郡柏森村・富成村・小口村・太田村が発足。

1895年、丹羽郡小口村大字余野地区を柏森村に編入。

1906年、丹羽郡柏森村余野、太田村、小口村、富成村が合併、丹羽郡大口村が発足。

1962年、大口村が町制を施行し、丹羽郡大口町となりました。

マンホールには町章を中心に「町の花:サクラ」が一面に描かれています。 

「メタウォーター下水道科学館あいち」展示マンホール

災害用マンホール

昭和47年(1972)8月1日制定の町章は「「大口」の2字を一体化したもので、町民の親和と団結を表わすとともに、町勢の向上発展を単純明快に象徴化したものである。」公式HPより

撮影日:2011年6月4日

 

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銭洗(ぜにあらい)尾張弁財天 富吉(とみよし)神社in蟹江町

2018年04月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県蟹江町城に鎮座される「銭洗(ぜにあらい)尾張弁財天 富吉(とみよし)神社」。御祭神は『富吉龍大神』。御側神『大松大神』

御神紋は龍の化身とも言われる弁才天に相応しく「波に三つ鱗紋」

由緒では「室町時代、永享年間北条平八郎時満が蟹江城を築くにあたり神のご加護を頂くため、鎌倉より銭洗弁天を勧請し、黄金の井戸銭洗いを造り、その浄水で軍資金を粗い、この福銭をもって蟹江城を築城したと伝えられています。昭和39年、海門寺大池を埋め立てることとなり、約400年ぶりに尾張弁財天富吉神社として祀られました。」蟹江町公式HPより

決して大きな規模の拝殿では有りませんが、日差しを受ける黄金の井戸、何本もの柄杓が並べられた銭洗い場。室町時代からの言い伝えで、この境内の銭洗いの池にて財宝を洗えば、福徳が授かり、また洗った小銭で商売をすると何倍にもなるとの言い伝えがあるとか。小市民の私たちもそれに倣ってみました。

神秘の中に鎮まられる祠の左右より神域を守護されるのは瀬戸焼きの狛犬さん一対。傍らの黄金の井戸には「瀬戸市 龍山窯 電光師 作」の札があるのですが、この狛犬さんが同じ方の作品で有るか否かは不明。それにしても良い意味で個性的で素晴らしい狛犬さんです。

  

銭洗いの水場近くに祀られている祠には、一抱えの石のようなものが鎮座されています。 どのような姿で鎮座されておいでなのか・・むやみに覗き込むのもはばかられて確認はしていません。

更に境内の一角には、信長亡き後の天正12年(1584)に、徳川家康と豊臣秀吉軍が戦った蟹江合戦の犠牲者を祀る「蟹江城主、先祖代々供養塔」が建立されています。

由緒碑の末尾に書かれた言葉です。「もうかるとは 信ずる者と掛けてもうかる   神を信じ 佛を信ずる者に授かった物が 儲かったである。」

参拝日:17年3月27日

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御神名・他一口メモ

『大松大神』、京都伏見稲荷では、参道の一角に「お酒の神様」として祀られていますが、それ以上の詳細は不明。

「波に三つ鱗紋」、龍神の霊力という魔除けの力を表す。北条時政が江ノ島弁財天に子孫繁栄を祈願したとき、大蛇が神託を告げ、三枚の鱗を残して消えたことに由来するともいわれる。

 
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