旧大野郡清見村(きよみむら)は岐阜県の南部、旧美濃国に位置した村です。高山市、下呂市、飛騨市、郡上市、大野郡白川村・宮村・荘川村、吉城郡国府町に隣接。村域の約96%が山林で占められた自然豊かな町で、地名の由来は、川上川・馬瀬川・小鳥川の源流部に位置し、水が清らかであることから、「清水(きよみ)」とよび現し「清見」の字をあてたといわれています。
中部自動車縦貫道:高山西IC直ぐに立地する「道の駅:ななもり清見」。その敷地の一角には、中部縦貫道建設工事で土砂に埋もれてしまう危機を逃れた「烏帽子岩」が大切に保存されています。「村の木:ホウノキ」「村の花:カタクリ」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により大野郡清見村が発足。
2005年、大野郡国府町・丹生川村・荘川村・宮村・久々野町・高根村、吉城郡上宝村と共に高山市に編入され、高山市清見町となりました。
マンホールには、小魚を捕らえた瞬間の「カワセミ」の姿が描かれています。
「清水」の清流に生息する「カワセミ」。普通では目にする事のない「カワセミ」ですが、清見村の象徴として村域の様々な場所に出没中。
昭和47年(1972)4月21日制定の村章は「「キ」を円形に図案化し雄和と伝統を表したもので、二代目の村章です」
「牧ケ洞集落は、中世の頃は鎌倉時代に七人の名主がそれぞれ神社を奉った事から、七森・七郷と呼ばれていた時代があり、各郷には、時の土豪が広い耕地や山林、牧場などを領有し、多くの作人を養い独自の氏神を祀り競い合って住んでいた。殿村の社もその一つであり、近くには「烏帽子岩」と呼ばれる巨岩があり土豪を始め氏子たちに崇拝され親しまれてきました。そこにはいまも「ゑぼし岩」と言う字名も残されています。」烏帽子岩説明板より
撮影日:2012年5月17日