車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

甲殿住吉(こうどのすみよし)神社 in 高知県高知市春野町

2020年06月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・高知県

高知市春野町甲殿、甲殿川の河口近くに鎮座される「甲殿住吉(こうどのすみよし)神社」。御祭神は『住吉三神』

由緒「文明3年(1471)に建立遷宮、起源はそれよりはるかに古いとされる。土佐十景の一つに数え、社の東には四国八十八箇所三十四番札所種間寺の奥の院・本尾山奥の院がある。」Wikipediaより

三の鳥居前より神域を守護されるのは、天保2年(1831)9月建立の狛犬さん。三角に尖った鼻がかなり特徴のある顔立ちの一対。春野町では一番古い狛犬さんとして、春野町文化財に指定されています。

境内参道には昭和21年(1946)の南海地震の折に、住吉山から崩れ落ちてきた「南海地震の遺し物」とされる大岩が注連縄の結界に守られて鎮座しています。

落石注意の看板

この辺りはは高知市といってもかなり外れた場所。しかも随所に落石注意の看板。時間的なものも含めてそれでもあえて参拝したのは、ご亭主殿が「どうしても見たい!!」と切望した狛犬さんに会うため。

大正8年(1919)の建之ですから、そんなに古いというものではありませんが、
構えの姿勢を崩すことなく、幼い仔狛を背中に乗せています。

愛おしむ様に見返るその表情のなんともおだやかで優しい事・・石工さんは何をモデルにしたんでしょうね。

満足気なご亭主殿が私用に選んでくれていた「岩屋神社:鴛鴦の大槇」は・・石段参道に分け入らないと見られないらしく、危険と言う事で呆気なく終了😩

岩屋神社の向かいに聳える「御菱岩(おいしいわ)」を背景に「申し訳ない」のポーズ😔

参拝日:2013年3月21日

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ご当地マンホール in 高知県旧春野町(高知市)

2020年06月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

旧吾川郡春野町(はるのちょう)は高知県のほぼ中央部に位置した町です。高知市、土佐市、吾川郡いの町に隣接。町域は吾南平野の中、仁淀川の東岸に展開され、南は土佐湾に面し、気候は温暖多雨。暖地農作物の生産に適し、県内屈指の施設園芸地域となっています。春野の街を網の目のように走る用水路はまさに「水の町」の雰囲気を醸し出しています。「町の木:桜」「町の花:アジサイ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

旧キャッチフレーズは「水と文化の郷・春野町」

明治22年(1889)、町村制の施行により吾川郡弘岡上ノ村・弘岡中ノ村・弘岡下ノ村・仁西村・森山村・西分村・平和村が発足。

1956年、弘岡上ノ村、弘岡中ノ村、弘岡下ノ村、仁西村、森山村、西分村、平和村が合併、吾川郡春野村が発足。

1969年、春野村が町制を施行、吾川郡春野町が発足。

2008年、高知市に編入合併され、高知市春野町となりました。

集落排水のマンホールには、町章を中心に「町の花:紫陽花」がデザインされています。

舗道にあったモザイク画マンホールには、「町の花:アジサイ」が美しくデザインされています。

新川川に架かる「西山橋」の親柱・高欄にも「町の花:紫陽花」がデザインされています。

同じく舗道にあったモザイク画マンホールには「町の木:サクラ」と「町の鳥:ウグイス」がデザインされています。

昭和31年9月30日制定の町章は「春野村章として制定されたもので、全体で「ハ・ル・ノ」を表しています。」

撮影日:2013年3月21日

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観光迷所~竜馬とはりまや橋 in 高知県高知市

2020年06月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・高知県

高知市の観光といえば、高知城に桂浜に・・・それから~坂本龍馬! えっ!? 龍馬は観光名所じゃないって? だって、でも、ほら、街を走る電車にも。

駅前の一等目立つ場所にも居るし、みなさん、ここで記念写真とか撮っちゃってるし😅

町歩きをすれば、龍馬とお龍さんとのツーショット顔出しがあふれてるし。

何てったってこんなイケメンになって、長宗我部君と肩を並べてるし😍

ねっ!ほらやっぱり竜馬さんは、「よさこい」なみに高知の観光名所なんですよ😄

どこに行っても超人気者でスーパースター。彼の周りはいつでも観光客で一杯!!

と・・・・・それから、それから・・、ああそうだ!!高知にはもう一つ、とっても有名な観光名所があるのよね~😄
♪土佐の~高知の~はりまや橋で~♪って、歌の文句にもなってる、あの、とっても有名な「はりまや橋」。実はここで、ある秘密の事件が発覚してしまうのです!😱!

♪坊さんかんざし買うを見た♪・・現場写真はありませんが、事件の当事者『純信とお馬』のスクープ画像は、顔出しになって広く世間に知れ渡りました。

事件のきっかけとなってしまった「カンザシ」、なんと!こんな場所に隠されていたんですね!

今では二人のモニュメントだって出来ちゃってるし、世界の大スター・キティだって現場となった橋の上でポーズをとってるし、世の中平和で結構なことです😄

と、色々語ってみたけど、確かにどっかで紹介されていた通りの「日本3大がっかり名所」。軽くため息をついてしまいそうだわ~😩
と・・・ため息つきながら「はりまや商店街」に行ったらね・・・「がっかり名所でごめんちゃ」って😅。

大丈夫!龍馬さんの哀愁漂う背中に免じて、笑って許しちゃいます😄 😊

訪問日:2013年3月21日&2014年3月21日

           ・・苦しくも同じ月日でした

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朝峰(あさみね)神社 in 高知県高知市

2020年06月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・高知県

高知市介良(けら)に鎮座される「式内社:朝峰(あさみね)神社」。御祭神は『木之花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)』。相殿に『爾爾伎之命(ににぎのみこと)、大山祇命』を奉ります。

由緒概略に「霊峰富士山の本宮、浅間神社より年代はわからねど、勧請さ れた神社で御祭神も同一なり。三代実録や延喜式名帳に所載の神社で土佐の国、延喜式内二十一社の一つなり。近古、長曽我部氏も尊信厚く 神領田五十余ケ所を寄進される。また藩主山内家祈願所八社の一つにして貞観八年 六月に、神位従五位上と歴史に歴然たり。」

拝殿の内には、『木之花咲耶姫命(このはなさくやひめ)』のレリーフが奉納され、美女神に相応しく色とりどりの花が足元を埋め尽くすように飾られています。

神域を守護されるのは阿吽共に片足をあげた安政6年(1859)未9月吉日建之の狛犬さん一対。上げた足の下には何かが居たのでしょうか?それとも単にポーズなのか・・古い時代のものだけに気になります。

【朝峯の 神瑞山に虹立てり 雅澄大人を継がざらめや】

参拝日:2013年3月21日

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高知県護国神社 in 高知県高知市

2020年06月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・高知県

高知市吸江に鎮座される「高知県護国神社」。明治維新以降、国難に殉じた高知県関係の護国の英霊四万一千余柱が祀られます。

桜の花陰から参拝者を見守り、神域を守護されるのは昭和17年(1942)建立の狛犬さん一対。 低く身構えた体の上に、満開の桜がはらはらと花びらを落としています。

参道を進んだ先に奉納されていた手水鉢。何時の時代のもか確認を忘れてしまいましたが彫り込まれた彫刻の見事さもさることながら・・

手水の中には立派な鯉が二尾、命あるもののごとく尾をくゆらせています。

参道の先、開けた境内の正面。こちらには、ご亭主殿の存在さえ知らない祖父殿もおいでになられます。今ここに私達が立っていられるのは、皆様方の尊い命の購いのお陰であることを、心から感謝いたします🙏🙏。

そして・・国を想い、人を想い、尊き礎となられた御魂に対し、鞭打つ愚者がこの国に存在する事を、腹立たしく、申し訳なく、情けなく、そして悲しく思います。今はただ・・御霊の安らかでありますように・・

境内に響く幼き人たちの歓声。私たちの姿を見て手を振ってくれる子供の姿に応えて手を振れば、同じように釣られて振られる小さな手。穏やかな優しい春の一時。

参拝日:2013年3月21日

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潮江(うしおえ)天満宮 in 高知県高知市

2020年06月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・高知県

高知市天神町に鎮座される「潮江(うしおえ)天満宮」。御祭神は『菅原道真公・菅原高視公・北の御方・天穂日命(あまのほひのみこと)・大海津見命(おおわだつみのみこと)

「昌泰4年(901)1月25日、道真公は太宰権師(ごんのそち)として西海に左遷され、同時に長男の右少弁菅原高視朝臣もまた土佐権守として京都を遂われ土佐国潮江に住居。 道真公が延喜3年(903)に薨去されると、侍臣白太夫は遺品を護持してこれを高視朝臣に伝えるため、はるばる土佐に来国した。白太夫は老齢と難路に苦しみ健康を害し、ようやく大津村舟戸の霊松山雲門寺にたどりついたが病を発し、延喜5年79歳で歿した。 高視朝臣は、白太夫の没後その遺品をおさめ、これを霊璽として祀ったのが潮江天満宮の由来である。」

絵馬に描かれているのは、土佐国:潮江に居住したといわれる、道真公の嫡男『高視朝臣( たかみのあそん)』

境内入り口より神域を守護されるのは「石工・三川田常蔵 明治19年(1886)9月建之」の出雲構え狛犬さん。高く顎を突き出した姿勢と、真っ直ぐに伸ばした尾が迫力を感じさせる一対。

参道の三の鳥居と四の鳥居の途中より神域を守護されるのは、文久3年(1863)9月吉日建之の狛犬さん。ダンディと言う言葉がしっくりとくる一対。

楼門前には大正14年(1925)3月吉日建之の狛犬さん。阿吽共に子供を抱いています。おや・・吽形さんの口元に注目!何か嫌なことでもあったのか、たてがみをキリキリとかみ締めています😲

同じく楼門前より神域を守護される明治12年(1879)9月吉日建之の狛犬さん一対。 もしかしてこちらの吽形さんもたてがみを噛んでる??土佐の狛犬さんはたてがみを噛み占めるのが癖なのでしょうか?

嘉永6年(1853)建立の楼門。内外には『名工・島村三四郎』の彫刻があり、郷土芸術の誇りとされていますが、私のデジカメでは綺麗に捉えられなくてこれが精一杯。昭和42年に高知市保護文化財に指定されています。

のたうっているのは大蛇でしょうか?雲間の中に立っている人、高見からそれを見る人。下の画像では、男が果敢に剣をとって大蛇と戦っています。八岐大蛇のようにも見えますが・・・題材が分かればもっと面白いのでしょうが・・

天満宮なので牛さんが居るのは当たり前ですが、この撫で牛さんが寝そべってるのは百度石の上。

梅園からひっそりと神域を守護されるのは「石工・井上五平次」明治8年(1875)9月建立の狛犬さん一対。阿形さんはお尻を高く上げて顔を背けているのですが、画像では今一つはっきり判別できません。

吽形さんは右前脚で太鼓を踏みしめながら、嬉しそうにカメラを向けるご亭主殿を凝視。

【仰ぎ見よ 瀧は氷柱(つらら)の 玉すだれ 広瀬丹吉 

【衣手は 破れぬともよし梅の花 しづ枝引くとも おらで行かめや 野田ちから

【御社や 梅千本の あさ月夜 佐藤雨夕(うせき)】

参拝日:2013年3月21日

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土佐神社~其の二 in 高知県高知市

2020年06月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・高知県

土佐神社楼門近くに置かれた社号標は、土佐神社付近にあった「一宮古墳群二号墳石室」の、天井石五枚のうちの一枚。同じく三枚が楼門前の橋に使われました。

境内入り口に立つ「楼門(国重要文化財)」は「神光門」とも称され、寛永8年(1631)に「山内忠義」によって造営。

楼門左右の内陣には、鮮やかに色彩が施された随身が、神域の警護に当たられています。

右奥に見えるのが幣殿、手前に見えるのが拝殿左翼殿・・かなり複雑な社殿の位置。

社殿の右手に位置する「神饌所」。右手奥の土佐漆喰の壁に水切り瓦の建物は「神庫」。これは正面からの画像が欲しかったなと後で後悔。

絵間には、土佐三大祭の1つとして知られる例祭「志那禰祭(しなねまつり)」の「お松明」と神の船遊びと称される「神輿渡御」の様子が描かれています。

「輪抜祓所」の後方、聳える杉の御神木の下には、注連縄の結界に守られて鎮座される「礫石(つぶていし)」

畳二畳程の 自然石は、往古「土左大神」が、自らの鎮座地を定めるにあたり投げた石と伝えられており、古くはこの礫石を磐座として祭祀が行われていたと云われています。

かって禊の斎場であったしなね川に祀られていた「禊岩」。1999年の河川工事のため、現在は境内東方の神苑に祀られています。

志那祢の森を進んだ先に鎮座される「境内社:巌島神社」。御祭神は『市寸嶋姫命・多紀理比賣命・多岐都比賣命』。神前の神橋は「悠仁(ひさひと)親王殿下」御誕生を寿いで奉納されたもの。

緑の中に鎮座される「神明宮」。御祭神は「天照皇大御神・豊受大御神」。古くは伊勢神宮遥拝所であったといわれています。

鳥居脇に鎮座される「秋葉神社」。御祭神は『火之迦具土神』。

神光門から境内まで真北に真っ直ぐ約300m程続く参道は、室町時代に造られたもので、進むに従って社殿が高く見えるように掘り下げられたそうです。神光門から鳥居まで真南に真っ直ぐ・・・二度目の土佐神社を後にしました。

参拝日:2013年3月25日&2018年6月16日

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土佐神社~其の一 in 高知県高知市

2020年06月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・高知県

高知市一宮(いっく)しなねに鎮座される「式内社:土佐神社」

土佐国一宮で、旧社格は国幣中社。御祭神は『味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)・一言主神(ひとことぬしのかみ)』

「創祀については、明らかでありませんが、境内東北方の礫石と呼ばれる自然石を磐座として祭祀したものと考えられ、古代に遡ると言われています。延喜の制が布告された平安時代、醍醐天皇の御代には式内大社に列せられ都佐坐神社と称され、特に皇室の崇敬あつく勅使の参向もしばしばあり、朱雀天皇の御代天慶三(940)年には、神階を正一位に進ませられています。」HPより

拝殿から幣殿、本殿へと真っ直ぐに伸びる御神域。そこに新旧で一対の備前焼の宮獅子が奉納されています。

阿形は「慶応2年(1866):木村新七良貞清」、吽形は「2011年:鬼師・安川清泉」の奉納。この年代を超えた一対の宮獅子には、実に感動的な逸話があるのですが、興味のある方は、「土佐神社 宮獅子」で検索してみてください。

 

元亀元年(1570)、長宗我部元親によって再興された社殿は、入母屋造りの前面に向拝を付けた本殿と、その前方の十字形をなす「幣殿、拝殿、左右の翼、拝の出」から構成。弊殿を頭とし、尾に相当する拝の出を長くした十字形を成しており、本殿に向かってとんぼが飛び込む形に見立てた、いわゆる「入蜻蛉形式」、凱旋を報告する社という意味があると言われています。

ご本殿向って左に鎮座されるのは「事代主神社 ・.西御前社 ・大国主神社」

拝殿南東に立つ「鼓楼(国重要文化財)」は、土佐藩二代藩主山内忠義によって慶安二年に建之。上層は桁行三間・梁間二間で、彫刻・柱が彩色で彩られており、内部には時を知らせるための太鼓が吊るされています。

拝殿正面向かって右手には絵馬殿があり、かなりの年代を経たと思われる絵馬が多く奉納されています。高く白帆をあげた回漕船の絵馬が多いのは、太平洋に面した土佐の国らしい光景です。

絵馬殿の後方には、本殿西北にあったご神木の杉を奉斎した「輪抜祓所」が設けられています。「年輪をくぐり抜けることにより心身が祓い清められ大木の長寿や、たくましさを授かる御神徳がある」と説明があります。

境内案内、もうしばらくお付き合いください🙏

参拝日:2013年3月25日&2018年6月16日

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高知八幡宮&神明宮 in 高知県高知市

2020年06月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・高知県

高知市はりまや町に鎮座される「高知八幡宮」。高知城内・城下の鎮守神とされ、御祭神は『品陀和気命(ほむだわけのみこと)・息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)・宗像之三女神(むなかたさんにょしん)』

「往古、大高坂氏が高知城(大高坂城)の守護神として石清水八幡宮から勧請し城内に鎮祭したと伝えられ、慶長年間山内氏入国以来土佐藩主直祭の社として、又、城下、高知街、北街、下知村の産土神(氏神)として尾土に遥拝殿を設けて氏子の祭祀を奉仕していたもので、明治三年遥拝殿を、明治四年高坂鎮座の本宮を現在地(山田町)に奉遷しました」 案内板より

一の鳥居脇より神域を守護されるのは、明治34年(1901)建之の狛犬さん一対。切れ長の口と甲羅のような背中の毛並みが何かを連想させる、関西ではわりとよく目にするお姿。

境内の一画に建立された「箸塚」「包丁塚」「魚塚」、HPよりの引用で「食物は神様からのいただき物で、その食物と人とを結ぶお箸にも魂が宿るという信仰を元に、毎年箸供養祭りを斉行。併せて魚供養、包丁供養の神事を奉納しております。」

「境内社:釣船神社」。御祭神は『釣船大明神>』・「キスゴさま」の愛称で親しまれています。熱病退散の霊験があらたかで、とても個性的な奉納絵馬。

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高知八幡宮の向かいに鎮座される「神明宮」。御祭神は『天照大神・豊受大神』

由緒「この社は寛永8年(1631)加藤六兵衛により勧請され、明治12年までは高知城下郭外各町の惣鎮守でした。享保16年(1731)に社殿が焼失し、同19年公儀により再建され、その後も2回ほど社殿再建がされています。」

表参道鳥居の脇より神域を守護されるのは、昭和6年(1931)9月吉日建立の構え型狛犬さん一対。

吽形さんの少しあがった足元には子狛が居ます。

で・・・こんな表情の子狛さんをみると、ついついアテレコで遊びたくなる私・・・多分、危ない奴です😅。 ちなみに・・「頭踏むなよ~!ちくそぉ~離せよぉ~~~!!」って言ってます😆

裏参道より神域を守護されるのは、昭和7年(1932)1月吉日建之の狛犬さん一対。こちらでは阿形さんが子狛を抱いています。 

で、その子狛さん・・・・この何とも鬱陶しそうな顔が、もう最高😆 絶対に表参道の子狛さんとは無二の親友に違いありません。

参拝日:2013年3月21日

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龍馬を訪ねて~町歩き in 高知県高知市

2020年06月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・高知県

浦戸湾口の龍頭岬と龍王岬の間、弓状に広がり「月の名所」と詠われた「桂浜」。海浜一帯は「桂浜公園」として整備され、多くの観光客で賑わっています。

特に人気の撮影スポットが、龍頭岬に建つ「龍馬像」。昭和3年(1928)に地元の成年有志によって建立、台座を入れると高さは13m超。記念写真を撮る時は、ずっと手前に立つとツーショットが取れるよと、団体さん専用のカメラマンさんが教えてくれました😄 😃

砂浜に立ち、絶え間なく繰り返される波の動きを見ていると、大切に胸の中にしまいこんできた種々の記憶や思い出がない交ぜに蘇ってきて、思わず泣き出しそうに・・・鬼籍の人となった父母とこの浜に立ったのは、あれは何時だったのか・・

【海底に 珊瑚花咲く 鯊(はぜ)を釣る】高浜虚子

桂浜の近く、戦国大名:長宗我部氏の浦戸城跡に建つ地上2階地下2階の「坂本龍馬記念館」。土佐に生まれた幕末の志士・坂本龍馬に関する資料を収集・展示し、近代日本の黎明に生涯を捧げた龍馬の業績を顕彰するため、1991年11月に開館。

「海援隊約規(真物)」「姉乙女宛手紙(真物)」「陸奥宗光宛手紙(真物)」等々・・龍馬ファンならずとも、当時の歴史ファンには垂涎物のあれこれですが、一番衝撃的だった展示は、龍馬が寺田屋事件で使用したと同型の拳銃「スミス&ウェッソン」。思わず「本物だよ・・」と声を潜めてしまう小心者の二人😓😓

記念館の屋上からは、雄大な太平洋と、美しい桂浜の砂浜が一望でき、それはまるで絵葉書のように美しい光景。龍馬さんが立っているのはどの辺りだろう?

高知市上町一丁目に、昭和27年(1952)に再建された三代目の「坂本龍馬誕生地の碑」。天保6年(1835)11月15日、土佐郷士:坂本八平直足の次男として誕生。類まれなる行動力で数々の功績を残しながらも、慶応3年(1867)11月15日、京都近江屋で凶刃に倒れました。

中岡慎太郎と共に、薩摩連合を実現させ、大政奉還の成立に尽力するなど、志士として新しい時代を築いた「坂本龍馬」。ベンチに座ってゆっくりと龍馬に思いを馳せてみるのもまた一興😊

龍馬が思い描いた日本国になれたのかどうか・・・遠くの友に旅の便りを出すのなら、ぜひこのポストから!

流石は龍馬の生まれ育った町、通りすがりの街角の郵便局にも、龍馬さんの姿がありました。

訪問日:2013年3月21日&2018年6月16日

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