高知市追手筋、土佐女子中高校の校舎脇の歩道に「北會所教授館跡碑」が建立。宝暦10年(1760)に、『藩主:山内豊敷』が建てた藩校の跡地だそうです。
帯屋町の一画には「武市 瑞山(たけち ずいざん)殉節地」の碑。土佐藩郷士であり、土佐勤王党の盟主として奔走するも、最終的には切腹を命じられ35歳という若さで生涯を閉じた勤皇の志士。
【ふたゝびと 返らぬ歳を はかなくも 今は惜しまぬ 身となりにけり】
高知市本町「真言宗寺院:高野寺」門前、大正13年(1924)5月建立の「板垣退助誕生地」碑。土佐藩上士:乾正成の嫡男として誕生。戊辰の役では土佐藩の立役者として活躍。東アジアで初となる帝国議会を樹立、「国会を創った男」として知られ、伊藤博文、大隈重信と並ぶ「憲政の三巨人」の一人。
高知市上町、市立第四小学校正門の西横に、板垣退助たちによって起こった自由民権運動の活動拠点として、明治11年に作られた「獄洋社跡」の碑。向って左には「子爵河野敏鎌(とがま)君誕生之地」碑。天保15年(1844)、土佐藩郷士の河野通好の長男として誕生。安政5年(1858)、江戸へ遊学し『安井息軒』の門下となり、文久元年(1861)に帰国。土佐勤王党に加入し、武市半平太や坂本龍馬らと交友関係を持ちます。
「婦人参政権発祥之地碑」。自由民権運動の高まりの中で明治11年(1878)『楠瀬喜多』は男女同権の理を論拠に投票を要求。これによって喜多の願った婦人の選挙権・被選挙権が2年後に実現します。
高知市与力町、板垣退助らと共に「土佐三伯の1人」と言われ、公武合体派の急先鋒として活躍した「後藤象二郎」誕生地碑。天保9年(1838)、馬廻150石の上士の子として誕生。義理の叔父『吉田東洋』の死後、その志を継いで土佐藩の近代化につとめ、坂本龍馬と手を握り、山内容堂に説いて大政奉還を実現。維新以後は民権運動にも関係しました。
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碑ばかりが続いたので、少し趣を変えて歴史的施設群として知られる高知市旭天神町「高知市旭浄水場」。しっかりと閉じられた門に、しっかり拒否されながら😓 遠くに見える美しい建物を眺めてきました。
こちらの「旭浄水場」、ルネッサンス様式のレンガ造りの送水所や事務所棟、計量所などが集約した形で残されており、全国的にも貴重な水道施設群として、2008年に土木遺産に推奨されたそうです。
最後は、高知市南金田・弥生町、高知市を流れる「江の口川」の中に、旧日本測地系による「東経133度33分33秒、北緯33度33分33秒」に位置する「地球33番地」。
緯度、経度の度、分、秒の同じ数字が12個も並ぶ地点は、全世界の陸地ではわずか10箇所のみ。しかも、そんな奇跡的な地点が標高ウン千メートルの山上でも何処かの離れ小島でもなく普通に歩いて行けるのは、ここ高知市の「地球33番地」だけ😲。それって絶対にスゴイ!(注:世界測地系による経度・緯度は、東経133度33分23.937秒、北緯33度33分45.446秒)
訪問日:2014年3月21日&2018年6月16日