車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 兵庫県旧夢前町(姫路市)

2023年12月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧飾磨郡夢前町(ゆめさきちょう)は兵庫県の南西部、中播磨に位置した町です。姫路市、宍粟市、市川町、福崎町、香寺町、神河町、安富町に隣接。地名は「夢前川」に由来。夢前川・菅生川の中流と上流に位置し、町域中央を中国自動車道、南端を山陽自動車道が東西に横断。播磨富士と呼ばれる「明神山」や、日本三彦山(新潟県:弥彦山、福岡県・大分県に跨る英彦山)として知られる修験道の地「雪彦(せっぴこ)山」が観光地として有名です。「町の花木:サクラ」を制定

全国で唯一「夢」が付く市町村で、旧キャッチフレーズは「夢のある町」

明治22年(1889)、町村制の施行により飾西郡置塩村・鹿谷村・菅野村が発足。

1896年、郡制の施行のため、神東郡・神西郡および多可郡の一部の区域をもって神崎郡が発足。

1955年、置塩村・鹿谷村・菅野村が合併、飾磨郡夢前町が発足。

2006年、姫路市に編入され、自治体としての夢前町は廃止されました。

マンホールには「町の木&花:サクラ」と「夢前川」「雪彦山」が描かれています。

「姫路市下水道局下水道管理センター」展示マンホール

昭和37年12月20日制定の町章は「カタカナで「ユメ」を、円形に図案化したものです。」

撮影日:2014年12月6日

 

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ダイセル異人館 in 兵庫県姫路市網干区

2023年12月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

姫路市網干区新在家、ダイセル網干工場の一画に、「旧日本セルロイド人造絹糸株式会社:外国人技師住宅」として『設楽貞雄』の設計により、明治43年(1910)に竣工された2棟の異人館があります。

外国人技師住宅から旧図書館を経て「ダイセル異人館」に、2019年、会社創立100周年事業として周辺が再整備され、現セルロイド資料館として一般公開されています。

下見板張りと竪羽目板張り組み合わせた外壁に、スレート葺きの屋根。一階南側にバルコニーがあり、コロニアルスタイルの形態を有した外観は、懐かしいアメリカドラマの中の世界。

私たちが訪問した当時の「ダイセル異人館」は、工場の稼働日にのみ公開されています。その事を知らなかったため、内部を見学することが出来なかったのがとても心残りでした。

パッションピンクの屋根と白壁の対比が鮮やかな建物、実は上のものと全く同じ設計で建てられたそうですが、色が違うだけでこんなにも印象が変わるんですね。

現在は「衣掛クラブ」の名称で社員施設として使われているそうで、現在も非公開です。

2棟の建物は、昭和62年に兵庫県「ひょうご住宅百選」、1989年に「姫路市都市景観重要建築物」に、2009年には経済産業省「地域活性化に役立つ近代化産業遺産」に「ダイセル化学工業網干異人館」の名称で認定されました。

この2棟に隣接して、白とグレーを基調とした同じようなコロニアルスタイルの平屋建ての異人館が見えます。特に説明などが設けられていなかったので詳細は不明ですが、遠目からでも綺麗な建物だとわかります。

訪問日:2010年5月8日

 

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津田天満(つだてんま)神社 in 兵庫県姫路市飾磨区

2023年12月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

姫路市飾磨区構に鎮座される「津田天満(つだてんま)神社」。御祭神は『菅原道真公・津田大歳明神・賀茂別雷大神』

旧社格は村社。別名「津田天満宮」とも称され、菅公の逸話から「網敷天神」とも称されます。

昭和十一年一月建立「菅公聖訓」

由緒「菅原大神が、太宰府へご左遷の際、津田の細江に嵐を避けて船を寄せ、当社お旅所「史蹟菅公小憩伝説地」(県指定)の石碑がある思案橋のほとりで、とも綱を敷いて休憩されたと伝えられる。『播磨国鎮守大小明神社記』の餝東郡26社の中に、津田大歳明神とあり、菅公が当地へ船を寄せられる以前、既にこの地に大歳明神の社が奉斎されていた。後世里人が、菅公の御徳を敬慕して、この氏宮に主神として祀り、津田天満神社と称え、主配その位置をかえるようになったもので、創立年代は不詳である。往時は末社40社を数え社殿も壮麗であったが、天正8年羽柴秀吉の英賀城攻めで、社殿・神宝・旧記ことごとく消失したと伝えられる。以後、現在地に再建。津田の里(構、加茂、今左家、思案橋)四町の鎮守産土の神として崇敬され現在に至っている。」兵庫神社庁HPより

朱塗りの神橋から一の鳥居を経て境内へ。〆柱の先に拝殿、本殿と社殿が続きます。

絵馬殿も兼ねた開放的な拝殿

拝殿前左右より神域を守護されるのは、道真公の神使いとされる大正六年(1917)七月建立の神牛さん一対。ゆったりと顔を上げて参拝者が撫でるのを待っているかのような仕草と表情、見ているだけで癒されそう。

更に神牛さんと並んで神域を守護されるのは、享和二年(1802)九月建立の浪花タイプの狛犬さん一対。こちらは迂闊に近寄りがたい強面のお顔、うっかり手を出したら噛みつかれそうな勢い(^^;)

拝殿の屋根には大好きな飾瓦、それもかなり珍しい造形の飾り瓦がのせられています。さて破風の鬼にあたる部分に見えるこの人物は一体誰でしょうか??周囲は波、半身を出して(多分)笑いかけている姿から想像すると「人魚」??

留め蓋の瓦にも、趣向を凝らした飾瓦・・・大きな亀の背中に乗って釣り竿を担いでいるのは「浦島太郎」。小脇に玉手箱を抱えているところを見ると、乙姫様に御いとまごいをして故郷に帰るところ・・と言う事は上のあの謎の人物は「乙姫様」??!!。

反対側の留め蓋では、のんびりと牛の背中に乗った人物が・・着物の裾の長さから見て子供のようにも見えますが・・・・更に謎(笑)

更に、拝殿兼絵馬殿に奉納されていた「巨大草鞋」・・何か特別な意味があるのでしょうか??積み重なってゆく謎(笑)

拝殿内に架けられた絵馬の多彩さ、年代を超えて奉納される絵馬を拝見するのも神社参拝の楽しみの一つ。

左端の「義士本望を遂引揚之場」などは、播磨地方の神社の奉納絵馬としてはテッパンかもしれません。

「境内社:厳島神社」御祭神は『宗像三女神』。古くより海上交通の神として大切に奉られてきました。

拝殿彫刻は極彩色の龍。彩色が施された神社彫刻は決して珍しくありませんが、こうした場所に置かれたものとしては異例の鮮やかさ。

「摂社:海神社」

「摂社:稲荷神社」

「境内社:山部赤人神社」、御祭神は『山部赤人』。

拝殿前より神域を守護されるのは昭和44年4月建立のエイリアン顔の狛犬さん一対。たま~~に、このタイプのお顔を見かける事がありますが・・モデルは何だったんでしょう?

御神木

奉納御神馬、腹掛けには「梅鉢」の御神紋

内容・作者ともに不明の歌碑(^^;)

参拝から数年後、この近くに「菅公小憩の地」なるものが整備されており、菅原道真公や山部赤人の歌碑も建立されていると知りました。また次回にと思っている間に参拝が難しく・・「そのうちに・・」は無い事なんだと思い知らされています。

【ほのぼのと 津田の細江の水尾つくし まだ夜は深き月の入り汐】 菅原道真

【風吹けば 浪が立たむとさもらひに 津田の細江に浦隠りおり】山部赤人

参拝日:2010年5月8日

 

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九所御霊(くしょごりょう)天神社 in 兵庫県姫路市大善町

2023年12月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

姫路市大善町に鎮座される「九所御霊(くしょごりょう)天神社」。御祭神は『少彦名命』、 合祀神『大山袛命・経津主命・菅原道真公・大物主命・      猿田彦命・柿本人麿公・ 誉田別命・大鷦鷯命』

石造大鳥居には「元治元年(1864)四月、御国産江戸積仲間(木綿江戸積仲間)」の刻。

由緒「創立年代は不詳、天平年間に聖徳太子が播磨国分寺の大伽藍を建立されたときには、既に天人衣を着た天神をお祀りする天神社があり、付近一帯の総鎮守の霊神であったと伝えられています。貞治3年(1364)、時の領主赤松貞範が、播磨九所の松本天神社と市之郷御霊社とを合祀し、併せて『市別府』の賛辞を呈されました。爾来、市別府:九所御霊天神社と称されています。」公式HPより

神門

鳥居から神門へと真っ直ぐに伸びる参道、正面に入母屋造の拝殿、左右に「幟立て」用の竿が伸びています。こちらでは毎月15日に月次祭が斎行されるそうなので、その準備かもしれません。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、嘉永六年四月建立の狛犬さん一対。白い前垂れがお母さんのエプロンみたいでちょっとアレなんですが(笑)、垂れた耳に立派な尾を立てて踏ん張る姿は中々のもの。

拝殿前より神域を守護されるのは、梅鉢の御神紋を付けた、ブロンズ製の神牛さん。肩から胸にかけての筋張りが若干気になるものの、堂々とした姿で参拝者を見守っています。

「遙拝壇」大正元年九月十三日建立。いずこの社、いずれの祭神を遥拝されているのか不明。

神門の留め蓋飾り瓦、花であるのはわかるのですが・・葉は菊、花は蓮?ボタン?、見方によったらバラにも見えるし椿にも(^^;)

留め蓋の獅子は、モデルが非常に気になる容姿なんですが・・・言うならば、地球外生物・・・。

「摂社:稲荷社」、御祭神は『 加茂居稲荷神・白髭稲荷神・秀高稲荷神・蒼稲魂神・畑稲荷神・福富稲荷神』

拝殿前より神域を守護される神狐さん一対、巻物を咥える口元のリアルさは驚嘆すべき技量を見せつけています。玉を咥える神狐さんの耳の欠損は、出来が良いだけに残念でなりません。

「摂社:八幡社」、御祭神は『伊弉諾大神・天照大御神・大己貴神・猿田彦神・誉田別神・豊受大神・奥津彦神・奥津姫神・埴山姫神』

参拝日:2010年8月12日

 

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旧陸軍・第十師団兵器庫・師団長官舎 in 兵庫県姫路市

2023年12月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

姫路市本町にある「姫路市立美術館」。赤煉瓦の外観から想像がつくように、かっては「旧陸軍:第十師団・兵器庫」として、明治時代(1904年頃)に建てられたものです。

建物は姫路城の一角にあり、美術館正面から見ると真後ろに姫路城の美しい姿を見る事が出来ます・・と言ってもこの時は修復中😓

ですが、考えようによっては、ある意味、貴重な写真になったかも・・😊

南北棟の増築部分の設計は、棟札より陸軍技手『宮本平治・井田熊吉』が担当。一時期、市庁舎として使用され、後に美術館となった建物は、登録文化財の指定を受けています。

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姫路市立美術館の程近く、同じ姫路市本町に「旧陸軍第十師団長官舎」が残されています。その前身を知らなければ多分訪問する事も無かった「カトリック姫路教会・ザビエル館」。そこにあるモダンなつくりの官舎は、現在カトリック淳心会の施設として使用されているそうです。

旧日本軍の瀟洒な建物がキリスト教系の施設に転用されているのを目にすると・・なぜか重苦しい気持ちに襲われるのです。原子爆弾「リトルボーイ」を積み込んだ爆撃機は、キリストの祝福をうけて飛び立ったのだという事実を、ここに集う人たちは知っているのだろうか

訪問日:2010年8月12日

 

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旧制姫路高等学校 in 兵庫県姫路市

2023年12月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

明治・大正・昭和の初期にかけて竣工された学校建築と言うのは往々にして素晴らしく、旅先においても機会があれば訪ねており、お陰様にて未だに失望したことがありません😍。

今回訪ねたのは、姫路市新在家本町に残る、1926年(大正15年/昭和元年)竣工の「旧制姫路高等学校本館」「旧講堂」

木造2階建てで下見板貼、ホワイト系ペイント仕上げの校舎は、その当時の旧制高校校舎に共通する様式となっており、不思議な安定感を感じます。

中央に設けられた通路は中庭に抜ける通路として設計されたもので、その様式もまたこの校舎建築に華やかさを添えています。

改正高等学校令に基づき全国で増設された官立高等学校の一つで、国内では広島とともに、大正12年に設立された最後の官立旧制高等学校。修業年限は3年で、文科および理科からなる高等科が設置されました。

旧校舎前から左手に進むと、同時期に竣工された旧講堂へと至ります。校舎と違って少し離れた位置から全体を見る事ができるので、感動も倍増😊

行動の近くに建立された「ああ、白陵の碑」。「白陵」とは「白鷺城を望む丘」 を表す言葉で、旧制姫路高等学校の寄宿舎として設置された寮の名前でもあります。

碑の近くには、学生服にマント姿の学生や、羽織袴で正装した学生などの姿を写した当時の「姫高生」たちの群像。

それにしても・・・本当に昔の学校建築は美しい。いかに国家が教育と言うものを重んじてきたか・・こうした建物を見ていると如実に感じさせられます。

敷地の一角に建立されていた「忠魂碑」

訪問日:2010年8月12日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県姫路市

2023年12月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

世界遺産に登録された姫路城を擁する「姫路市」。その地名は、姫山の古名「日女路(ひめじ)の丘」に由来するといわれます。この地名は古くは「お蚕さん」の事を「ヒメコ(蚕子)」と呼んでいたことから、かつてこの地が養蚕業の盛んな地域であった事に因んで付けられたものと考えられています。江戸時代には「西国将軍」「姫路宰相」と呼ばれた『池田輝政』によって姫路藩がおかれ、姫路はその城下町として整備されました。

マンホールには1993年に世界文化遺産に登録された「国宝:姫路城」がデザインされています。

「姫路市下水道局下水道管理センター」展示マンホール

池田市マンホールサミット:展示マンホール

中国自動車道加西SA記念スタンプ「姫路城」

新たなマンホールには、三大荒神興の一つ、灘のけんか祭りがデザインされています。

池田市マンホールサミット:展示マンホール

設置場所:姫路駅南口正面

撮影日:2017年8月14日&2019年9月17日

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2016年8月1日、第2弾として全国40自治体で44種類(累計64自治体74種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「姫路市」のマンホールカードは、「姫路市下水道管理センター」でいただけます。

2016年に設置開始されたマンホールには「姫路城」がデザインされています。

「1993年に日本初の世界文化遺産に登録された国宝「姫路城」の デザインマンホール蓋です。2015年3月に同城の「平成の大修理」が終わったことを記念して制作しました。城郭は池田輝政が11601年から 約9年をかけて完成させたと伝えられ、天を突く天守閣群と美しい白壁の広がりは、まるで飛び立つ白鷺のようです。姫路城が別名「白鷺城」と 呼ばれるのも、うなずけます。また、のちに天下人となる秀吉が居城したことから「出世城」の異名を持つほか、長い歴史で一度も戦火や災害の 被害を受けておらず「不戦・不焼の城」とも呼ばれます。そんな強さと気品を併せ持つ姫路城のマンホール蓋をどうぞお楽しみください。」

配布先パンフレットとマンホール設置マップ

訪問日:2017年8月14日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県姫路市

2023年12月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

姫路市(ひめじし)は兵庫県の西部、播磨平野の中西部に位置し、播磨地方の中心都市として知られています。市域の中東部を市川、中西部を夢前川、西端を揖保川がそれぞれ南流して播磨灘へ注ぎ、播磨灘沖には家島諸島があります。加古川市、高砂市、加西市、たつの市、宍粟市、太子町、福崎町、神河町、市川町と、更に海上で相生市、赤穂市、県を跨いで香川県小豆島町、岡山県備前市に隣接。兵庫県下2位の商工業生産額と人口を擁する都市であり、市域には世界遺産の「姫路城」や、西の比叡山と呼ばれる「書写山圓教寺」など多くの観光資源を有しています。「市の木:カシ」「市の花:サギソウ 」「市の鳥:シラサギ 」「市の蝶:ジャコウアゲハ」を制定。

キャッチフレーズは「生きがいと魅力ある住みよい都市 姫路」

明治22年(1889)、市町村制の施行により、旧飾東郡姫路の全区域と他三村の一部区域をもって姫路市が発足。

1896年、郡制の施行により、飾東郡・飾西郡が飾磨郡に。神東郡が神崎郡に。揖東郡・揖西郡が合併し揖保郡に変更。

1912年、飾磨郡国衙村・市殿村の一部を編入。

1925年、飾磨郡城北村を編入。

1933年、飾磨郡水上村・神崎郡砥堀村を編入。

1935年、飾磨郡城南村・高岡村を編入。

1936年、飾磨郡安室村・荒川村・手柄村を編入。

1946年、飾磨市・飾磨郡白浜町・広畑町・揖保郡網干町・大津村・勝原村・余部村と合併、改めて姫路市が発足。

1954年、飾磨郡八木村・糸引村・曽左村・余部村・揖保郡太市村を編入。

1957年、印南郡別所村・飾磨郡四郷村・御国野村・花田村を編入。

1958年、飾磨郡飾東村・神崎郡神南町・印南郡的形村を編入。

1959年、印南郡大塩町を編入。

1967年、揖保郡林田町を編入。

2006年、飾磨郡家島町・夢前町・神崎郡香寺町・宍粟郡安富町を編入。現在に至ります。

下水道50周年を記念して作られたマンホールには、「市の花:サギソウ」がデザインされています。

「メタウォーター下水道科学館なごや」展示マンホール

「姫路市下水道局下水道管理センター」展示マンホール

美化業務課のキャラクター『ビティちゃん』の、ポイ捨て防止啓発デザインストリーマーマンホール。

明治34年(1901)12月17日制定の市章は「姫路の「姫」の字を図案化したものです。 女偏の中に臣の文字を入れて姫とし、簡単な意匠のうちにも発展する市勢をあらわしています。」公式HPより

集落排水のマンホールは、市章のみのJIS規格品。中心部以外も全部同じタイプです。

消火栓は「市の花:サギソウ」と、「市の鳥:シラサギ」。色合いも含めて、とても綺麗なデザインです。

市章を取り囲むように「市の花:サギ草」がデザインされた仕切弁。

お城がデザインされた小さなハンドホールは、商店街付近に多く設置されています。

姫路市イメージキャラクターで姫路ふるさと大使の『しろまるひめ』。「姫路城」を象徴する真っ白なもち肌とお城の帽子、桜の髪飾りがトレードマークのやさしいお姫様です♪

「ひめじ官兵衛プロジェクト」所属の、黒田官兵衛イメージキャラクター『かんべぇくん』。家紋の入った朱塗りの兜と手に持った采配がトレードマークです。 

初夏の考古園(姫路城西御屋敷跡庭園)

撮影日:2008年8月14日&2010年8月12日

&2017年8月14日&2019年9月17日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県太子町

2023年12月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

揖保郡太子町(たいしちょう)は兵庫県の南西部、西播磨地域に位置する町です。姫路市、たつの市に隣接。「日本書紀」に「『聖徳太子』が推古天皇14年より播磨国の水田100町を与えられた。以後、この地は「鵤荘(いかるがのしょう)」と呼ばれ、現町域はこの地に当たる。」とあり、『聖徳太子』縁の地とされています。また、江戸時代の地誌『播磨鑑』においては、町内:宮本地区は『宮本武蔵』出生地の有力候補地の一つとあります。「町の木:サザンカ」「町の花:ヒマワリ」を制定。

キャッチフレーズは「和のまち太子 活きるまち 誇れるまち つながるまち 安心のまち」。

明治22年(1889)、町村制の施行により、揖東郡斑鳩村・石海(せっかい)村・太田村・龍田村が発足。

1896年、 郡制の施行のため、揖東郡・揖西郡の区域をもって揖保郡が発足。

1931年、斑鳩村が町制を施行、揖保郡斑鳩町が発足。

1951年、斑鳩町・石海村・太田村が合併、町名を変更し揖保郡太子町が誕生。

1955年、揖保郡龍田村を編入、現在に至っています。

マンホールには町章を中心に、「町の花:ひまわり」がリズミカルに描かれています。

昭和41年12月20日制定の町章は「太子町の「太」を2つ組み合わせ図案化し、聖徳太子の「和」の精神を象徴しています。」公式HPより

撮影日:2008年5月2日

 

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芦屋公園・富田砕花旧居 in 兵庫県芦屋市

2023年12月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

別名松浜公園とも呼ばれる「芦屋公園」。芦屋川左岸沿いに国道43号から河口付近まで南北にのびた面積29,433平方メートルの公園には、市木であるクロマツ約420本が植栽されています。

岩を重ねたモニュメントに【 震災に  耐へし芦屋の 松涼し 】。芦屋市出身で『高浜虚子』の孫『稲畑汀子』の句。

「芦屋公園松林」の看板

芦屋市宮川町の歴史的建造物「富田砕花旧居」。「兵庫県文化の父」といわれ、戦後「歌風土記兵庫県」などを世に送り出した詩人『富田砕花』が、市内から移り住み、終の棲家とした建物です。 

1934年には、作家『谷崎潤一郎』が居住し、ここで松子と婚礼をあげています。また、小説「猫と庄造と二人のをんな」の舞台となった場所でもある由。見学可能だったようですがこの日は木曜日・・見学不可でした😥

訪問日:2017年4月6日

 

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