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東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

長かった上レグ 短かった4年間

2022年11月26日 03時50分28秒 | 引退ブログ
お世話になっております。4年ディンギー班の青木大吾です。

先日の全日本インカレで、僕は東大ヨット部を引退しました。入部した時に思い描いていたかたちとは違いましたが、最後に自身のできる範囲で少しは貢献できたのかなと思っています。

ここでは、お世話になった方々に感謝を述べさせてください。

LBの方々や保護者の方々をはじめとしたヨット部を支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。今年は最上級生として過ごす中で、皆様の支援があるからこそ日々の練習が成り立っていると実感することが何度もありました。今年の結果は、東大ヨット部を支えてくださった全ての方々と共に手に入れたものなのだと感じています。
来年からは僕もLBの一員として、皆様にしていただいたようにヨット部を支える一人となりたいと思います。

小松コーチと矢野コーチには、本当にお世話になりました。
小松さんは、他の同期に比べて色々と出来の悪い自分のことも本当に気にかけてくださいました。僕がたまにコース練習で前を走ったりすると、着艇後に皆の前で褒めてくださいました。いつも沈んでばかりでしたが、このときだけは上手くなっているのかもしれないという期待を自分に感じることができ、前向きになれました。ありがとうございました。
矢野さんには、最後の数ヶ月にサポートとして動くなかで何度も助けていただきました。色々呆れられてしまうことばかりでしたが、僕にとってはとても楽しく幸せな時間でした。

スナイプチームの先輩方も、現役の間から卒部された後まで長い間お世話になりました。下手な自分と一緒に何度も乗っていただいたり(そして沈してしまったり)、上手くいっていない僕を電話で励ましてくださったり、引退後にも無理を言って冬の練習に来ていただいたり…4年間ずっと先輩方に頼ってばかりでした。本当にありがとうございました。できれば、これから先も仲良くしていただきたいです…よろしくお願いします。

後輩たちには、感謝以上に申し訳なさが先立ってしまいます。これまで何も残せていないからです。だから、せめてサポートとして過ごした帰結としての何かは、今後言葉にして残します。少しでもためになれば嬉しいです。
頼りない僕を支えてくれてありがとうございました。

最後に同期へ。何度も言っているのでもう十分だと思うのですが、僕は本当にみんなが大好きで、尊敬しています。1年生の頃から「すごい人たちと一緒になったものだ…」と漠然と感じていました。選手のみんなは、不本意な結果ではあったかもしれないけれど、本当に誇ってください。最後に琵琶湖に連れて行ってくれて、素敵な景色を見せてくれてありがとう。
もっと一人一人に言いたいことはあるけれど、会った時に話します。いつでもうちに遊びにきてね。これからもよろしく。

東大ヨット部で大学生活を過ごせば、色々なことを考え、経験することになります。
それはどんなものであれ、誰にも等しく尊いものだと思います。それだけで十分です。
だから僕はこれから先のヨット部に、もっとこうなってほしい、ああなってほしいとは何も望みません。
今の現役部員たちと、未来の部員たちによって、東大ヨット部がこれからもずっと続いていくことを祈っています。

4年間ありがとうございました。

マネージャー物語ーー

2022年11月18日 23時59分00秒 | 引退ブログ



20194

キラキラした海と東大ヨット部に吸い込まれるように入部宣言

そこから全く想像できない日々が始まりました。



今まで出会ったことのない類の人たちとの出会い

平日にやりたいことを全部詰め込んで、毎週土日をヨット部に捧げる



計画通りに物事が進まず、考える時間もなくていつも走り回っていた

夜中の台風直撃で2階まで浸水して、肩を寄せ合いながら朝が来るのを待った夏合宿

日が昇る前に起きて、とりあえず暖かそうな布を体に巻き付けて炊事場に向かった春合宿


パレード!と言って艤装しているみんなの間を踊りながら歩き回る

先輩のテーマソングを勝手に作って突然目の前で発表会を始める、、、


大変なこともたくさんありましたが、1年生の時から本当に自由に過ごさせて頂きました。



2020

2年生になった頃コロナで活動ができなかった

練習が再開してもご飯作りができなかった


全然顔を合わせたことがない後輩もできた

ディンギー班のマネージャーが1人になり、自分が部活に何を求められているか考え直した


自分ができることは何か、自分のキャパはどれくらいか、何が苦手でどんなことを頑張らなきゃいけないのか

多くのことに気づくことができました。


ただ楽しく部活をしていればいい訳では無い。

2年生の私は、ヨット部をいいなと思って入ってきてくれた後輩に感謝の気持ちとヨット部の楽しさを伝えられていなかった、という後悔が今でも残っています。



2021

自分はヨット部と本気で向き合えているのか


部活は大好きな場所で、みんなの力になりたい気持ちはある、

でもプレーヤーのヨット愛が凄すぎる

部活の行き帰りだけではなくオフの日もヨットのことばかり考えている


そんなみんなと一緒に過ごしていて、私はこんなんでいいのか、本気でヨットと向き合っているみんなにとってどんな存在なのかと考えることもありました。


そして、プレーヤーがヨットに向き合うパワーに負けないくらい、プレーヤーのみんなに向き合うと決めました。

その時から、みんなのヨット愛を本当に尊敬し、いいチームを作って力になろうと思うようになりました。

そんな3年生でした。



2022

みんなありがとう


今まで部活を作ってきて下さった先輩方、一緒に戦い頑張っている同期、それを支えてくれている後輩

みんなに感謝が溢れる4年生でした。


秋インカレ、

自分がレースに出る訳では無いのに人生で1番緊張して、前日の夜から寝れなくて、私の相棒の後輩マネージャーにずっと弱音を吐いて抱きついていました。

みんなに緊張がバレないように切り替えてはなしかけていました。いつも通りを心がけて。


今でもあの3日間を思い出すと胸がドキドキします。

最終レースが終わって帰ってきたみんなの笑顔とあのキラキラした海と空を忘れることはありません。



一緒にチームを作らせてくれてありがとう。

一緒に戦わせてくれてありがとう。

最後に全日本という素敵な舞台に連れて行ってくれてありがとう。




~完~


最後になりましたが、4年マネージャーの齊藤菜々子です。

4年間、大変お世話になりました。

引退ブログのトップバッターでした。「マネージャー物語」と題し、私の4年間をお話させて頂きました。お読み頂きありがとうございました。

これからも、東大ヨット部をよろしくお願い致します。




それでも自分を肯定したい。

2021年12月25日 15時00分00秒 | 引退ブログ

お久しぶりです。
470クルーをしていました、下重智華子です。


先に言いますが、めちゃめちゃ長い文章になってしまいました。
読むのが大変なので、読まなくてもいいです笑
自己満のブログですが、お手柔らかに。

引退してから、日が経ってしまいました。
引退ブログを書こうとすると、色々なことを思い出して、いろんな感情が溢れて、少し整理がつかなかったので、逃げ回ってました。
でも、ようやく少しだけすっきりとした気持ちになれたので、言葉にしてみようと思います。

このブログは、きっと見る人にとってはしんどいかもしれない。
こんな引退ブログを残すのは、よくないのかもしれないけど、色々考えて残そうと思いました。大目に見てください


私の、この苦しい感情の理由は、4年間で一度もインカレに出られなかったことです。

1年生の時の秋、西坂さんと水石さんが最終レースで数点差の逆転負け。関東大会で敗退てしまった。その時のことはすごく鮮明に覚えていて、私もこれに4年間をかけようと決めたきっかけでした。
その時から、ずっとインカレで走ることだけ考えてました。インカレで前を走って、全日本にいく。わからないけど、もしかしたらインカレへの執着は部で1番だったかもしれない。多分、私が最後まで辞めることを一切考えなかったのは、このブレない目標があったからだと思います。

チャンスがないわけじゃありませんでした。

3年生の時、秋インのペアとして、4年生当時エーススキッパーの松前さんと組ませてもらって。希望した理由はすごく単純で、求められるレベルが高いほど成長できると思ったから。上手くなりたくて必死でした。松前さんの足を引っ張りたくなかった。チームに貢献できるようになりたかった。もしかしたら、自分よりも他のクルーと組んだ方が松前さんは走るのかもしれない、ってそんなこと考えたこともあったけど、実力に見合わない1番艇クルーを努めようと必死でした。
秋インカレの少し前、4番艇のクルーが大橋さんに決まりました。大橋さんはインカレの経験も豊富で、強風域が得意。その頃私は、軽風は自信が持てるようにはなったけれど、課題は強風。
それでも松前さんは1ピンまでなら下重で行きたいって言ってくれました。少しだけ認めてもらえたようで嬉しかった。
結局、2週間前から出艇できるのかレベルの爆風。スナイプが出艇だけして帰るようなコンディション。470だって余裕の2ピンオーバー。こんな風聞いてないよ。練習してないよ。ってみんな悲鳴をあげるくらいの風がビュービュー吹いてました。
私の出番はありませんでした。

天木さんたちの引退が決まって、いろんな気持ちが溢れてたまらなかった。6点差。悔しくて悔しくてしょうがなかった。何が悔しいのかもわからないくらい全部が悔しかった。大橋さんはすごく私に謝ってくれた。そんな、謝ってほしいなんて思ってなかったし、それを聞いてどうすればいいのかもわかんなくて、ただ純粋に、天木さんと松前さんと大橋さんが引退しちゃうのも悲しくて。思ったよりも8位まで近かったけど、あとちょっとだけ足りなかったことも悔しくて。出れなかったのももちろん悔しかったけど、ぜったい私が出ても変わらんかったし、やっぱあの風だったら大橋さんの方が絶対よかったし、どうしようもなかった。

次のチャンスは春イン。
同期の智貴と組ませてもらいました。この頃は本当にすごく楽しかった。2人で船のパフォーマンスを良くするためにどうしたらいいのかをずっと考えてました。小松さんにもたくさん見てもらって、教えてもらって。意味わかんないくらいヨット乗ってました。学業を疎かにしまくって、ヨットしか乗ってなかった。
むやみやたらと乗りゃいいってもんでもないって少しだけ気づいてたけど、自分の身体の限界を感じるくらい乗ってた。本当に楽しかった。
春インが本当に楽しみでしょうがなかった。3番艇争いも熾烈で、チームとしての仕上がりも本当に楽しみだった。関東の中で自分たちがどれだけ喰らいつけるのか、試したかった。

でも、コロナでなくなってしまった。
この時の喪失感は半端なくて、魂抜けるかと思いました。いや、正直ちょっと抜けてました。

それでも、なんとか魂取り返して、メンタル保って、関東個戦。
良いところもあったし、成長も感じた。やっぱり、第1レースで良い景色を見られたことは忘れられない。1番忘れられない良い思い出。それでも結果は悔しくて悔しくて。まだまだだなって思った。秋インまでもっともっと上手くなって上手くなって上手くなるって決めました。

4年生の秋インでは、郁ちゃんと52で4番艇として最後望むことになりました。最後の最後まで諦めるつもりはなかったけど、あまり良い波に乗れなくて、ずっとスランプみたいになってた。自分はもっと上手くなれるはずだったのに、上手くなったのに、どうしてできないの、悔しい悔しい悔しい。諦めたくないけど、期待することにしんどくなって、ぐちゃぐちゃしたまんまずっと過ごしてました。
東大のクルーの中で自分が1番上手いって自信が持てるところは一応あったけど、4人がそれぞれ良いところ持ってて、自分が1番だなんて全然言えなくて。結果も出せなくて。
1番になれなかったことが本当に悔しかった。
圧倒的になりたかった。認めてもらいたかった。本当に悔しかった。

4番艇でもあり、レスキューでもあり、どう振る舞えば良いのか難しかった。下級生の頃は全力でサポートのこと考えていられたけど、選手としての気持ちとレスキューとしての気持ちどっちつかずな感じがしてもやもやしてた。

私の唯一決めたことは、チームを信じ抜こう、ということ。私は多分、1番チームのことを信じてた。古橋は、自分が1番だったって言ってたけど笑。私も、少なくとも同じくらい信じてた。入賞本当にできると思ってた。だって私が控えなんだよ、強いじゃんそりゃあ、って。
レースメンバーが叩いて落ち込んでも、へっちゃら。だって信じてるもん。そんなんじゃないでしょ実力、全然。大丈夫でしょ、実力出せたら勝てるんだから。って本当に思ってました。

そんな気持ちだったから、レースメンバーには少し求め続けてしまった。秋インの結果だって、みんな納得してなかったとは思うけど、私も全然納得できなかった。

全日本の前日練習で、藤田下重のパフォーマンスが良かった。我々が1番走ってるんじゃないかってくらい良くて、自分たちはちゃんと4番艇としてレースメンバーのお尻叩けてるし、役割果たせてると思えた。この練習が私の現役最後のセーリング。楽しかったって思えた。これか本当に嬉しかったし、よかったです。自分のいる意味を見出せました。

全日本インカレの結果はご存知の通り。悔しかったし、もっといけたんじゃないかって思ったりもするけど、本当に揉まれた。うん。実力だなぁ。

まぁ、要は運がなかったなって思います。
クルーで圧倒的な1番の実力をつけられなかったことは自分のせいだけど、自分としては本当に言葉通り出来る限り頑張ってきたつもりだし、そんなに実力が他に劣ってたとも思わない。運がなかったなって思うことにしました。

まぁ、ヨットってそういう競技だなとも思います。世知辛いし、無慈悲。
自然相手だもん、そうだよね。こっちの気持ちなんて知ったこっちゃないよね。


先日、同期と1個上の先輩とご飯を食べました。
先輩方が、下重をインカレに出させてあげたかった、そうずっと思ってレースしてたってのを聞いて、ようやく、天木さんも大橋さんも松前さんも、古橋も崇も智貴も克樹も、調も工藤も、私のこと背負って戦ってくれたんじゃないかなって思いました。
私だけじゃなく、他のインカレにでられなかったメンバーを背負ってくれてた。

あ、470チームの強さはそこだったのかもしれないなって思った。
チームをずっと作ってきて、チームのために戦える人は、最後まで諦めないし、馬鹿力が出るのかもしれない。
自分が出られないことは、本当に、口から心臓を掴めるくらい悔しかったけど、自分のことを背負ってくれる人たちがレースメンバーで良かったなってちょっと思える。

東大ヨット部は、新たな時代を迎えていて、きっと、ここから先、私みたいな人も出てくると思う。
だから、忘れないでほしいです。
こんな気持ちでサポートに回る人がいるってこと。その気持ちを背負って戦うことが、チームを強くすること。



しんどい感じの文章をダラダラ書いてしまってごめんなさい。
こんなこと言ってるけど、やっぱり私はなんだかんだ、こんな経験できて幸せだなって思います。
だって、成長できた。

私は入部する時、4年間を全うしたい、という気持ちで部活に入りました。
自分の成長のことなんで微塵も考えてなかった。
でも、この4年間のおかげで、いろいろなことに気づけたし、考えたし、成長できた。
インカレには出られなかったし、目標には及ばなかったけど
そこそこは上手くなれて、人間的に物凄く成長できて、たくさんのものを得られました。そんな自分を肯定したいと思ってます。

1番は、
死ぬほど負けず嫌いで、負けそうなものなら逃げ出していたタイプなのに、レギュラー争いというしんどいしんどい戦いに諦めず向き合い続けたこと
これがいちばん偉いと思う。自分を褒めたい。何度も何度も、諦めちゃったら楽だな、もうやめたいなって思った。みんなそうだったんだと思うけど、毎回レースメンバーを決める時は吐きそうになってた。こんな気持ちになるなら、もうずっと4番艇でいいって言いたいなって、競い続けないほいうが楽だな。って何回も思った。
けど、逃げないで頑張り続けようって決めてたから、しんどくても辛くても悔しくても練習頑張った。
頑張る、ってことをちゃんとやれた。
これが私の1番の成長です。

他に自分の成長できたとこなんてあげだしたらキリがない。たくさんありすぎて。

チームづくりという面でも
本当にいろんなことを考えて、最後までやってこれた。
意識していたことや大切なことは色々あるけれど、いくつか述べたいと思います。

まず、呪いをかけないこと。
これは、天木さん達の代から引き継がれてきたことだと思います。
1年生2年生はみんなどんぐりだし、差がついても一時的なものなのに、上級生がこいつが上手いみたいな雰囲気を出してしまうと、その呪いがかかってしまうと思います。
私は最後まで自分はダメだなんて思わないでやってこれました。それは、私に期待をかけ続けてくれた先輩のおかげだと思うし、だからこそ、後輩達にも期待をかけ続けようと思ってやってきました。
今までにないくらい層が厚くて、誰がレギュラーになってもおかしくないくらい足並みが揃っているのは、それが理由の一つでもあるのかなって思います。
これから人数が多くなってきて、激戦になってきます。競争が熾烈になる中で、上級生は特に意識してほしいです。期待をかけ続けてあげてください。

下を育てること。
持続可能な強いチームにするために、下を育てることは必須です。
強い人たちが入ってきても結果を出しても、その人たちがいなくなって弱くなったらそれは強いチームとは言えないと思います。だから、今まで育ててきた分を返すという意味でも意識的に取り組みました。

前のブログでも書きましたが、470チームは本当に良いチームだったと思います。
先輩方に恵まれ、同期にも恵まれ、後輩にも恵まれました。
みんな、本当にありがとう。

なんだかんだ、後輩に全日本の舞台を少しだけ見せることができてよかった。
去年涙を飲んで、私たちにはあまり明確に全日本での自分達の姿を思い描くことができませんでした。
来年は、きっとさらに高いステージで上を目指してくれると思います。






後輩達へ
クルーザー班
色々とお世話になりました。小網代はいつも私を笑顔で迎えてくれて嬉しかった。来年はさらに高いところに行けるように頑張ってね。

マネージャーのみんな
いつも明るく選手をサポートしてくれてありがとう。毎日、美味しいご飯を作ってくれて、いろんな気を利かせてくれてありがとう。部にとってマネージャーがどういう存在であるべきか、すごく難しいなと感じることもあるかもしれないけど、自分たちが模索していく中で見えてくるものもあるんじゃないかなと思います。同じチームの仲間として、選手と一緒に上を目指していって欲しいなと思います。これからもよろしくね。

スナイプチームの後輩達
もっと見てあげられたら良かったかもしれないけど、あまり見れなくてごめんね。
多分、スナイプチームはポテンシャルがすごく高いから、上手くいけば本当に今まで見たことがないような景色も見れるかもしれないけど、行き詰まってしまったら暗黒期に入ってしまってもおかしくないような、どちらの可能性も持ってると思います。
4年生が怪我を抱えていたり、色々と大変な部分もあるかもしれないけど、その分、チームの強さ、組織としての強さってものが重要になってくるんじゃないかなと思います。
優しさと想像力を持って、いいチームを作ってほしいです。






470チームの後輩達
今まで一緒に歩いてくれて、どうもありがとう。
一人一人にコメントしたいところだけど、ここで書くと長くなりすぎるので、あとで個人宛に送ろうかな笑
新2年生
同期が8人。人数が多いのは、強いと思う。その一方で大変なこともきっと多い。常に競争が生まれる中でしんどくなる時もあると思うし、辛く感じる人も出てくるかもしれない。8人全員がまとまるっていうのもなかなか簡単なことじゃないと思います。でも、もし8人が全員最後まで続けて、最後まで切磋琢磨してこれたら、最強の代になれるんじゃないかなと思います。しんどい時は、自分のペースで大丈夫。他の7人が支えてくれる。本当に期待しています。
新3年生
この代はマイペースで何考えてるのかわからん人が多くて、色々教えるのにも骨が折れました笑。同じことを何回も言い続けてしまったし、厳しいことをいってしまうことも多かったと思います。ごめんね。でも、君達は本当に成長しました。本当に上手くなったと思う。これからは後輩じゃなくて、チームを引っ張っていく上級生として、さらに自分を高めていってほしいと思います。うるさくいう上級生が減っちゃったから、今度は同期5人で指摘しあって、意識を高く持てるようにね。はやく私たちを超えてくれなきゃこまるから。がんばってね。
新4年生
可愛くて可愛くてたまらない、私の後輩たち。
私は、自信を持って君達を送り出せます。絶対に君達なら私たちを超えてくれる、って確信があります。多分、うちの同期全員心の底からそう思ってると思う。みんな真面目で健気で良い子で。ひたむきにヨットに取り組んできた姿を1番近くで見てきました。本当に私たちの誇りです。これをあまりプレッシャーに感じず、私たちの誇りであることに自信を持って、上を目指してほしいなと思います。
今までやってきたことを信じて、素直な気持ちを忘れずにがんばってね。
ここまで良いバトンを繋げてこれてるから、もっともっとレベルアップして次の代にバトンを渡してね。

I'm proud of you.






多大なるご支援をしてくださっていたLBの皆様
ヨット部として活動を重ねていく中で、どれほど支えてくださっていたのかを実感してきました。
懐の深さと、温かさを持って私たちを見守ってくださって本当にありがとうございます。
今まで支えていただいた分、今度は私が誰かを支えられるよう、人間として精進していきたいと思います。これからもよろしくお願いします。

小松コーチ
本当はもっと良い結果で今までの恩返しをしたかったです。
ヨットのことだけではなく、人柄や生き様からたくさんのことを学ばさせてもらいました。
誰よりも真剣に私たちと向き合ってくれて、なんて恵まれていたのだろうと思います。
ありがとうございました。

ずっと支えてくれたママ、パパ。
4年間ずっと見てくれて、応援してくれてありがとう。
最後の2年くらいは特に、ヨットばっかりになっちゃって全然顔見せられなくてごめんね。
それでも、大会のたびに応援してくれて、元気になれる言葉をかけてくれて、差し入れとかもたくさんくれて嬉しかったです。ありがとう。
これからは、時間ができるから、たくさん会おうね。






最後に、同期へ。
4年間ずーと一緒にやってきてくれた同期には感謝しかないです。
最初は本当に人数が多くて、そこから少しずつ減っていって。辛いこととかを一緒に乗り越えられて、最後まで残ったメンバーはかけがえのない存在です。
あの時語った夢を、全部は叶えられなかったけど、ずっとみんなで目指してこられて本当に楽しかったです。
私がのびのびとやれたのは、賢くて優しくてずっとそばにいてくれた同期のおかげです。
大変な時も、辛い時も、楽しい時もいろんなことを一緒に経験して、過ごしてきました。
4年間は本当に長くて、嫌になるくらいずっと一緒にいたよね。
今、いろんなことあったね、って思い出して笑い合えるのが何より幸せです。
一生の仲間になれたんじゃないかなって思います。
本当にありがとう。

長くなりすぎてしまって本当にごめんなさい。
これで私の最後のブログになります。

東大ヨット部に入って本当によかった。
ここで得られたものは一生の宝物です。
全部、肯定して受け止められます。

まだまだ私のヨット人生は終わらせません。
これからも、よろしくおねがいします。



下重智華子



希望の波跡

2021年12月13日 08時50分22秒 | 引退ブログ

 

こんにちは。

クルーザー班主将を務めておりました、中野です。

 

全日本から早3週間が経ちました。これがJ24全日本の振り返りブログとして最後の投稿となります。引退ブログはまだ誰か書くのかな。かなり長い文章となってしまいましたが、読んでいただければ幸いです。

 

まずはじめに、この4年間でお世話になった全ての方にこの場をお借りして改めて感謝申し上げます。

 

度々ご迷惑をおかけしながらも、様々な形で支援してくださったLBの皆様、レースや練習を通じて我々を鍛えてくださった月光をはじめとする社会人チームの皆様、自分をヨットの世界に招き入れてくれた直近の先輩方。本当にありがとうございました。

 

ディンギーの同期のみんな、4年間お疲れ様。気付いたら半分以下にまで減っていたけど、辞めた同期があれだけ応援に駆けつけてくれたのは残った11人がそれぞれ本気でヨット部に向き合う姿があったからこそだと思います。早速機会を逃したけど()、来年からはみんなで船に乗ろうな。

ディンギーの後輩のみんな。よく会う人もいれば中々会えない人も多かったけれど、勝手に応援してたし今後も陰ながら応援してます。賑やかすぎるディンギー班の雰囲気も僕は大好きで、みんなともう少し接する機会を作れればな、という後悔は少しあります。3月までは暇なので声かけてくれれば飯でも何でも奢ります。

 

 

さて、たった一度のブログでこの濃密すぎる4年間を振り返るなど到底無理があるのですが、折角の機会なので思い返してみます。最後の最後の自分語りにしばしお付き合いいただければ幸いです。

 

「海外でレースに出てみたい!」というミーハーな気持ちで入部を決めた3年半前。最初は海が怖くて仕方ありませんでした。沈して溺れたらどうしよう。ロープが絡まったらどうしよう。結局この恐怖心は最後まで消えませんでした。でも、それで良いんだと思います。海が身近なセーラーだからこそ自然の恐ろしさに抗ってはいけないし、万が一に備えなければならない。これは後輩たちみんなに伝えたいです。

一方で、「4年間常にヨットを最優先に生きてやる」と意を決したのも入部当初でした。高校の部活を悔いある形で終えた自分は、何でもいいから一つ全力で打ち込めるものを探していました。何も知らない海の世界を一から学んでいくのは面白くて、一つのコミュニティに全力を注ぐタイプの自分には最適でした。

ホッパー練や江ノ島でのレース運営を経て、9月から小網代へ。初めての全日本では正直足を引っ張りながら、ただ声を枯らしてブローコールすることしかできませんでした。

 

翌年の3月には、気づいたらフォアデッキに自分一人しかいませんでした。自分しかいないなら、自分が何とかするしかない。ここからの2.3ヶ月で精神的に強くなった気がします。

5月に落合が小網代に来て、夏に後輩たちが加入して、いざ全日本。タクティシャンとして、フォアデッキのまとめ役として、最低限の役割は果たせたのかな。

今振り返ると最初で最後の海外遠征となったマイアミワールドは、ただただ楽しい思い出です。連れて行っていただいたJellyfishの皆さん、ありがとうございました。

来年は仰秀としてこのビッグフリートに挑むのか、もっと強いチームにならないとな、と練習に励んでいた矢先、新たな壁となったのは未知のウイルスでした。

 

4月から7月までの活動自粛、その後の合宿の制限、さらにはレースの中止。引退された先輩方からは「しんどいだろう」と労いの言葉をいただきました。正直、それほどしんどくはなかったです。言ってしまえば、思い切って休息を取れる期間でした。

入部当初に4年間の全てをヨットに捧げると決意したものの、それは限りなく難しいことでした。振り返るとあっという間にも思える4年間という時間は、その中を走っている人間にとってはあまりに長い。気持ちが先走る時もあれば気持ちが付いてこない時もあるのは当然で、時には休むことも必要。そんなことを学べたのは、最初に全てを捧げようと思わせてくれたヨット部のおかげです。

唯一心残りなのは、春日さんと太朗さんの引退レースまでもが中止になり気持ちよく送り出せなかったこと。だから、今年の全日本で同じレースに出られて良かったです。

 

いよいよ始まった最後の一年。自分が主将になることは1年生の頃から分かっていたのですが、いざ始まってみると最初は戸惑うことも多々ありました。

リーダーに必要なものとは何なのか。統率力、決断力、実行力、リスクマネジメント、チーム内外とのコミュニケーション、モチベーターとして常に目標を示し続けること。22年の人生の中で正面から向き合ったことのないものばかりで、自分に何があって何が欠けてるのかすら分かりませんでした。

勿論、最後になってもこれら全ての力を身につけられたとは思えません。特にチームメンバーとのコミュニケーションという面では、少人数のチームだから大丈夫だろうと勝手に思い込み、今思うと一人一人とちゃんと向き合う時間は作れていなかったな、などと反省もしています。

けれど、「自分がリーダーとしてどんな振る舞いをできるのか」という問いに対して、何となくだけどこの一年を通じて答えを掴めたのは大きな財産です。

 

自分で舵を持ちたいと思ったのはいつ頃だったでしょうか。それまでの仰秀はヘルムとトリマーは2年おきに交代、というシステムが出来上がりつつありました。けど自分の代は同期が2人で、一個下は当時3人いて、今後もっと部員が増えた時にこのシステムは続かないのではないか。何より一度しかないヨット部人生で舵を持たずには終われない。そんなことを思って先輩たちに我儘を受け入れてもらいました。3年の夏頃から少しずつ練習もさせてもらいました。

不安は勿論ありました。それまで海面と他艇ばかり見てセールもテルテールもそれほど見てなかった人間が一体どれほど走れるのか。

そんな不安を払拭できたのが、去年12月のフリートレースでした。まさかのトップフィニッシュ。あの時の足の震えは今でも覚えています。

 

ただ、その後も全てが順調だったわけではありません。3月のアニオルズカップはまたも中止になり、フリートレースも感染状況を鑑みて中々開かれず。9月上旬頃には全日本の開催は絶望的との見立てでした。

リーダーとして目標を示し続け、モチベーションを上げさせなきゃいけないはずの自分自身のモチベーションが中々上がらない。夏頃に抱えていたそんな悩みは、落合にすら相談できませんでした。

だからこそ、畠山さんや徳毛さんをはじめ全日本の開催に尽力してくださった皆さんに自分は感謝してもしきれません。

9月末に全日本の開催が決まった時は腹を括りました。計測の準備とか船底の整備とか、スイッチが入るまで極端に面倒くさがり屋の自分には大変なこともあるけれど、最後2ヶ月ぐらいまた全てを注いでやろうと。

10.11月のフリートレースは、このチームの完成形が徐々に見えてきて楽しかった。特にフリートレースでだほはぜに勝って3位という目標は、畠山さんだけでなく僕自身ですら無謀だと思っていました。それを達成できた。俺たちならいける。そんな自信が、自分だけでなくチーム全体に漲っていました。

 

全日本の各レースの振り返りは、もうみんなが充分してくれました。

本当に正直なことを言うと、僕個人としては最後までリザルトというものにそこまで強い拘りはありませんでした。全日本5位という目標もチームとして目指す共通のゴールが必要だったまでで、前を走れれば勿論気持ちいいけど、自分たちの納得できるレースが出来ればいいかな、ぐらいの気持ちでいました。その欲の無さが緊張感をほぐした場面もあれば、詰めの甘さにつながった場面もあります。というか後者の方が多分多いです。でもそれが今の自分のヨット観なので、そこに対して後悔はありません。

 

同期の齊藤崇に借りた三万円のサングラスの最大の役目は、最終レースが終わってから油壺の湾に入るまで、その内側で溢れ続けた涙を隠すことでした。最近気付いたのですが、自分は意外と感情に素直で涙脆いようです。

あの時の感情は、目標を達成できず7位に終わった悔しさでも、このチームが最後の時を迎えた寂しさでもありません。こんな晴れ晴れとした形で引退を迎えられたことに、ただ1人で感極まっていました。最後にあれだけ充実した7レースを走ることができた自分は、幸せ者です。

 

全日本トップフィニッシュという形で、仰秀の歴史に新たな一ページを刻めたこと。

明るくて強い家族のようなチームを、全員で作り上げられたこと。

今年よりもっと良いチームを作れば、もっと高みを目指せるという「希望」を、後輩たちへの置き土産にできたこと。

これら全てを、僕は誇りに思います

 

最後に、小網代のみんなに一言ずつ。

 

友成。君は誰よりも真面目で、規律を守ってくれる後輩でした。今年主将をやって分かったのは、君のような人がチームには絶対に必要だということ。まだ小網代に来て3ヶ月少々で分からないことも多々あると思うけど、これまでLINEに書き続けてきた自分の反省を振り返ってみてください。きっと自分が成長してきたことが分かるはず。

 

関根。君のヨットセンスと飲み込みの早さははっきり言って異常です。自分にもこんな特殊能力があったらな、と何度思ったことでしょう。

ブログのハッシュタグに書いていた通り、フリートレースではまだ3番だし全日本ではまだ7番、世界の舞台での位置などもはや未知数です。でも君たち下級生には、残された時間が沢山ある。自分たちの限界を決めつけず、でも決して焦らず、突っ走ってみてほしい。

 

ヒデ。まず、小網代に来てくれてありがとう。去年の今頃スナイプにも乗せてあげるからと言ったのに、結局全然約束を守れなくてごめんね。あとレース当日に敷き布団の下で寝落ちしててごめんね。

加入当初は馴染んでくれるか少し心配だったけど、すっかり生き生きと活動してくれていて何よりです。

君は海でも陸でも、時に上級生よりタフだと思って見ていました。そのタフネスさ故に、そして同期プレーヤーがいないという事情故に、1人で背負い込みそうで心配だけど、周りには頼れる人がたくさんいます。頼れるものは何でも頼って肩肘張らず、引き続きヨットを楽しんでくれ。

 

美緒、香穂。この2人は、敢えて2人に対して書かせてもらいます。

君たち2人の行動力と活力は、本当にすごい。海に中々出られないという壁を自力で超えていき、時にチームとしてしんどいはずの状況でも2人がそんな雰囲気にさせなかった。ご飯を作り続けてくれたことは勿論だけど、それ以上に大事なことを教えてくれたことに僕は感謝しているし、尊敬してます。

これからはかなちゃんと3人で、また新たな小網代三姉妹としてチームを盛り上げ続けてくれな。

 

萩原。君は今年になって(後輩ができてからかな?)、人として丸くなった気がします。勝ち負けに誰よりも拘る姿勢は、タクティシャンとして大事な要素。最初の頃から1世代前のタクティシャンより常に良いコースを引いてくれていました。でも、ヨット部ではレースの勝ち負け以上のものが得られると自分は思ってます。勿論プレーヤーとしても、まだまだいくらでも伸び代はあるはず。

最後の一年、最上級生として堂々と、視野を広く、そしてポジティブに、チームを引っ張っていってくれ。

 

維摩。今年のレースでスタートを褒められ続けたのは、間違いなく君のおかげです。今年の夏頃から上級生としての自覚がはっきり芽生えたのか、最後の半年は自分の目の届いてない部分をカバーしてくれて助けられました。最後、世界選手権の切符をちゃんと渡してやれなくてごめんな。

今後は常に自分の言動が後輩たちに見られていることを忘れずに、良いチームを作ってくれ。そしてセーラーとしてもリーダーとしても、今年の俺をさっさと超えてってくれ。適当人間に見えて実は誰より責任感の強い君なら、大丈夫。

 

落合。僕にとって絶対に替えの効かない、唯一無二の相棒でした。ありがとう。

 

 

全日本の後、たくさんの方から「良いものを見せてもらった。感動した。」といったお言葉をいただきました。選手としてこれ以上の喜びはありません。

これからも、人の心を動かせるような人間であり続けたいです。

 

4年間本当にお世話になりました。

 

東大ヨット部に幸多からんことを願って。

 

 

20211213

 

那覇へと向かう機上より、快晴の中に邦の秀を仰ぎつつ

東京大学運動会ヨット部

クルーザー班前主将

中野


ヨットは風で走っている

2021年12月11日 23時00分00秒 | 引退ブログ

 

こんにちは。

仰秀のトリマーを務めていました、四年の落合輝です。

 

引退ブログということで、少し息をしているうちに過ぎ去ったこの3年半のことを思い出して、感じたままに長々と書かせていただきます。全日本選手権が終わってから半月も経っていないのに、すでにだいぶ長く経った気がする土曜日の快晴です。

 

自分の大学生活に、開放的なひと時を、と思って入ったヨット部ですが、そのひと時は大学生活の大部分を占めることになりました。実際の時間以上に、コロナで後半の二年間ほとんどキャンパスに行かなかった学生の気分において、部活の存在はなおさら大きかったです。

入部した頃の私は、まだ一ヶ月も経っていないのに寮の先輩から「落合君はまだ部活続けてるの?」と聞かれるほど、運動部に似合わない、いかにも文化系の静かで根性のなさそうな人間だったようです。1年の冬、本郷で開かれたオフ期間中の全体ミーティングのとき、すでに私たちの同期の三割ほどがそれぞれの思うところに従って部活を去ったか去ろうとしていましたが、私も冗談半分に「マネージャーになろうかな」と言っていました。私は一年のあいだはスナイプに乗っていましたが、ヨットは難しいし、体力も足りてないから辛いし、マークは見つけられないし、寒いし…。自分の成長と限界、どちらが先に来るのか、見ものだな、などと他人事のように思っていた記憶があります。

 

2年になる際、人数不足が限界を迎えていたクルーザー班に呼ばれました。そのうち戻るつもりで小網代に荷物を移しました。新勧ののちフォアデッキとしてクルーザーの基本を学び、8月に突然空いたバウマンの座を任され、全日本までの一ヶ月半、ひたすら動作とスタートの練習。これなら出来る、という自信をもちました。自信をもてるまで練習できる環境があったことが、自分にとって幸運でした。今年の全日本における維摩のような、多くの場面で船を主導するバウマンにはなれていなかったものの、船のなかで欠かせない役割を一つは担えているという実感が、励みになりました。そして賑やかな後輩たちがやってきました。仰秀チームが一気に明るくなりました。高校時代の延長でいつもやんややんやと言い合っている維摩と萩原、それに板坂、それにもまして奔放に自分たちが楽しむことに全力な美緒と香穂、そしてゆづ。自分も、彼らのようにのびのび楽しもうかな、と思いました。ありがたいことに後輩たちはその楽しそうな輪の中に巻き込んでくれました。

 

全日本が終わり、順当な流れとして私がトリマーをやることになり、この時になって仰秀で最後までやり通すのだと決心しました。トリマーの目線から改めて思ったこと。ディンギー班から飛んできた太朗さんに「落合はヨットやってて何が一番楽しい?」と聞かれ、「風だけで走ってるんだなぁと思う時」と答えました。本当にそうでした。そして最後までそうでした。眺めるだけだった海原に自分たちで船を出し、海はどこまでいっても水で、ヨットは風だけで進み、雨は雲から降るもので、雲は浮いているんだなぁ、と感じること。自分にとってヨットを純粋に楽しむとはそういうことでした。

 

3年になるタイミングで部活動は中断を余儀なくされました。新入生と顔をあわせることもなく、動画ミーティングをする日々。賑やかな合宿所にいられないのを寂しく思う一方で、ちょっと天気が悪くて出艇できない期間が長く続いているのと同じだとも思いました。限られた部活という時間の中で、レースに勝つことを一番の目標にやっていたわけではなかった私は、無責任ではあるものの焦りを感じませんでした。次第に断続的に練習できるようになって、すぐ最上級生に。大会の予定は定まらず、2月から加入してくれた「ひで」とそれから間もなく入ってくれた関根と友成たちを育てながら、自分たちの技術を高める練習。ただ一日一日の練習を充実させることしか考えていませんでした。私はそれで十分楽しかったし、それ以外のことを一旦保留にしておける状況が、心地良いとさえ感じ、どうすればみんなが今日の練習で一番成長できて充実感を得られるか、を考えることに自分の存在価値を認めていました。合宿所はあいかわらず賑やかで、偏屈だった私の頭もだいぶバカになりました。

 

8月末、合宿再開。しかし9月頭のフリートレースは中止。9月末、全日本の開催に兆しが出て来る。この段になって初めて、レースで勝つことが目標になりました。最後のレースで中途半端な成績だったら折角の引退レースが勿体無いと思いました。新体制の初レースも、仰秀には十数年ぶりのトップフィニッシュがありましたが、それは文字通り「望外の喜び」でした。全日本では狙いを定めて勝ちたい。10月のフリートレースは目標通りの4位、ただ上も下も差があり喜びは薄いものでした。11月のフリートレース、目標はダボハゼに勝っての3位。結果、3位で目標達成、これには喜びました。自分史上最高にピカピカな船艇の仰秀で臨む全日本の目標は、5位。月光とシエスタが2艇ずつ出すことを考えると、それ以外の全てに勝たなければ届かない目標でしたが、勝てると思いました。クルーにはダボハゼに勝つ実力があるし、そのうえで自分が10日間近くかけて磨いた仰秀なのだから勝てないわけはない、と。やはりだいぶバカになったようです。

 

レースの詳細は萩原が必要十分な振り返りを書いてくれました。第1レース、「幸運でした。完璧でした。」いきなりトップをとってどんな気持ちになればいいか分かりませんでした。第2レース、2位。これならば実力を示したと言える「2レース連続で1.2位。興奮で鼓動が止まりませんでした。」鼓動が止まらなくて本当に良かったです。第3、第4レースは月光の中澤オーナー曰く「いつもの仰秀」の10位、13位。一つずつ順位を上げて行けば良い、と思いながらタクティシャンにそう声をかけてあげなかったことが悔やまれました。第5レース、「基本に忠実に。4位。」ケースから始まった第6レースは「追い上げるも10位。」追い上げたことを褒めてあげたいです。第7レース、「ほぼ満点のスタート。」そうでした。それで本部船の方を見やったら、さらに高い位置でFOXや月光が一斉にバウを揃えて波頭を切っていました。あの気迫、あの場面であの完璧さ。それをほぼ同じ風位で走りながら見られていること。今年の全日本における私たちのチームの位置を象徴するような景色でした。まるっと二年間という長きにわたって不満をみせずバウマンを務め続け、スタートにおいてあそこまで導いてくれた維摩に感謝しています。

 

最後のレースが終わってハーバーに帰り、今は月光の若手の牽引役である仰秀復活の立役者、松山さんとお話しました。どんな気分かと問われて、その時は言葉が思い浮かびませんでした。最後にちゃんとヨットレースができたな、とは思いました。やはりそう簡単には勝てない、でも勝てる可能性は十分ある。よく闘った。でもまだ自分たちが現実的に上に行ける余地があった。誇るべき結果は残したけれど大満足でもない。良し悪しありました。それゆえか割に淡々としていました。心の奥にかわらず流れていたのは、「ヨットに乗って海に出ていた時間は幸せだったな」という感慨でした。いつの間にかこんなにヨットが好きになっていました。我ながら笑えます。休日の全てを使ってあんなに毎日のように乗っていたのに、まだヨットに乗りたい気持ちがあります。それは「このメンバーに囲まれて」という前提も含まれているかもしれません。このメンバーだからこそ、ここまで幸せな気分で過ごせました。

 

現役への言葉は個別に残したので、先にLBさんにお伝えしたいことを。

四年間、ヨットを続けられる環境を与えてくださり、ありがとうございました。どれだけお世話になったか、まだ分かっていないかもしれませんが、あらゆる方面からのご支援をいただきました。結果で恩返しできていれば嬉しく思います。田端様は「仰秀が月光とシエスタの前を切る夢を見ました!」というわけで、全日本で観覧艇を出してくださいました。正夢にできて光栄です。ぜひこれからも仰秀の活躍を楽しみにしていてください。

 

直近の先輩方、私のような部員でもヨットを続けられる場所を与えてくださり、ありがとうございました。すぐに上達したり、ヨットレースの面白さが分かってレースで勝つために邁進できたりしなくても、受け入れてくれる寛容な東大ヨット部で良かったです。ヨットの色々な楽しさを知ることができました。

 

それから同期の中野。お疲れ様。だいたい全部任せきりでした。自分が補えたのは部屋の整理と細かい手先の作業くらいでした。中野がいなければ自分もこんな気楽な感じではやってこられなかったでしょう。大変お世話になりました。そんなにすごくよく話をしたという気はしないけど、なんだかんだ濃い関係になった気がしますね。社会人になっても暇ができたらまた一緒にヨットに乗りましょう。

 

後輩たち。もうそんな言うことはないけども。笑

維摩、萩原。頼もしくなりました。このチームでの成績の半分は君たちの負うところです。とても助けられました。とはいえ色々抜けているところもあるので、お互いに言い合ってうまくやっていってください。

ひで。「仰秀は世界一ぃ!」を現実のものにすべく頑張ってください。上手い人に学べばどこまでも上達していけると思います。

関根、友成。楽しみにしています。二人で補い合いながら、うまくなって、仰秀を盛り上げていってくれたら嬉しいです。

美緒、香穂。このチームを明るくしてくれてありがとう。通い練習の時でも楽しく部活生活を送れたのは二人のテンションが朝から「ぶちあがって」いたからかもしれません。その明るさに何度も助けられた気がします。

かなちゃん。仰秀に来てくれてありがとう。すべてこれからだけど、必ず自分なりの貢献があるから、焦らず楽しんでください。

そして最後まで読んでくれた人だけに。ご存知のようにTシャツを作りました。欲しい方は改めてサイズとともにご一報ください。何かの機会にお届けします。

 

夜になってしまいましたので、これで終わりにいたします。

四年間ありがとうございました。

 

東京大学運動会ヨット部

 

落合輝


海に憧れて

2021年12月01日 23時40分00秒 | 引退ブログ

副将、470リーダーを務めておりました470スキッパーの古橋です。

引退ブログを書く日が来るとは頭ではわかっていたものの、実際に書くとなると正直何を書いたら良いのか、引退ブログに相応しい内容なのだろうか、そんなことばかりを考えてなかなか筆を取ることができませんでした。端的にズバッとかっこいいことは言えないかもしれませんが、お付き合いいただければと思います。


「果たして自分はヨット部に何を残せたのだろうか。それはきっと後輩たちが証明してくれる。」


これは昨年引退された470リーダーの天木さんが引退ブログで綴った言葉でした。この1年間、僕はこの言葉の重圧に悩まされ、そして同時に励まされながら一選手として、一最上級生として走り切ることを目標に頑張ってきました。

今年の1年生が入るまで、470チームは総勢14人と今までにない人数でこの一年が始まりました。

年明けまでの練習はひたすら新入生の教育と自分たちの新体制を確立させるので必死になって終わりました。冬から春にかけては上級生と下級生の配艇をどう組むかでとことん悩んだり。そこからレースメンバーを決めるとなると、何から何をどうやって決めたらよいのか五里霧中で、最上級生としての立場と選手としての立場の兼ね合いがすごく難しかった。何回にも渡り同期との話し合いをしたのにもかかわらず、無情にもコロナの関係で春インカレは中止となり、不完全燃焼になったまま八景島へと引っ越し。気付いたら最終章の始まりである夏になっていて、自分の実力不足に焦ったり。とことん乗り込むしかない、とほぼ脳死状態でいつがオフだったのか忘れるくらいヨットに乗りまくりました。秋インカレの時期になって、もしかしたらここで引退するかも、といった不安と戦いながらヨットに乗れる幸せを噛み締めて練習をしたり。そして全日本インカレに行けたと思いきや、最後の2日間はレースをすることなくもう引退。

果たしてこの一年の結果はどうだったのでしょうか。470チームが目標としていた関東インカレ決勝での入賞には及ばず7位、全日本シングルという目標には程遠い18位。結果だけを見ると先輩方の期待には応えられなかったようにも思います。

ただ僕が在籍していた4年間を取って見ても、歴代の先輩達が築き上げてきた礎のもと確実に東大ヨット部が年々強くなっていると感じるのは事実です。ヨットの技術はもちろん、部員への思いやりや時間の使い方、練習に対する姿勢も年々強豪校の風格に近づいており、今や東大ヨット部は自分が1年生の頃では考えられないくらい多い部員数によって成る組織になりました。

先輩達が残してくれたものがきちんと伝承され、毎年強くなっている過程で東大ヨット部に在籍することができて本当に良かった。自分たちの代が残せたものが何かはわからないけれど、今の後輩達には何の心配もしていません。

陸シュミを誰よりも熱心にしていて、こいつのヨットに対する熱意にはかなわないと思った工藤は、この一年で磨きがかかり誰しもが認める実力を伴ったエースクルーになってくれました。来年の彼が作る470チームには期待しかありません。1年の時はヨットに乗ってもいないのに、2年生だった僕よりもずっとずっと楽しそうに部活に参加していた調は、今や全日本インカレでシングルを取れるだけのスーパースキッパーです。辛い時、何度君の笑顔に救われたか知る由もないでしょう。人数の関係でレース等に出してあげられる機会は少なかったかもしれないけれど、高原はサポートに回ってもらうのがもったいないくらいメキメキと上達して、共に切磋琢磨してくれました。来年はきっと今年の分まで爆発してくれるはずです。こんな可愛らしい子が荒れ狂う海に出て帰って来れるの!?と入部時に感じていた郁ちゃんは、今年レギュラー陣を脅かす4番艇の役目をしっかりと果たしてくれました。来年は荒れ狂う波を乗りこなす1番艇ですね。

ちょうど1年前のこの時期に入ってきてくれた加藤、松尾、丸山、吉田も本当によく頑張ってくれました。寒い時期からの入部だったのにも関わらず、誰も辞めずにここまでついてきてくれました。まだ1年しか経ってないと考えると、君たちの成長は無限大の可能性を秘めています。期待してますよ。少し遅れて入部した佐藤も、そのブランクを埋めて彼らを越えるくらい上手くなってほしいです。

まだ何が何だかわからない1年生。ヨット部で過ごせる時間があと3年も残っている君たちが正直羨ましくて仕方ないです。今後経験するかもしれない辛いことも全部ひっくるめて思いっきり楽しんでもらいたいです。きっと4年間1つのことを続けて得られるものは言葉では言い表せないくらい素晴らしいものだと思います。

同期のみんなには感謝を伝えたいです、本当にありがとう。4年生にもなると会うたびにもうお前の顔を見るのは飽きたよ、と言ってしまいたいくらいに常にいた仲間ですが、引退と共にそれもなくなってしまうと考えるとやはり寂しいです。各々が自分の色でチームを引っ張っていって、最後まで成長していた姿はとても頼もしかったです。470チームに関しては自分が何度も開いた突発的なミーティングに嫌な顔一つせず付き合ってくれてありがとう。みんなが毎回本気で向き合ってくれたから自分も妥協せずにできました。4年間、共に切磋琢磨してくれてありがとう。

言いたいことはもっともっとあります。スナイプチームやマネージャーのみんなにも、本当は一人一人に伝えたいです。ただ自分には上手く伝え切るだけの才がないので、この場を借りて感謝したいです。今までありがとう。みんなに囲まれてヨット部にいられることが幸せでした。

こんな素敵な4年間を過ごせたのも日頃から多大なる支援と応援をしてくださっているLBの皆様、どんな時でも練習に付き添ってくれた小松コーチ、そして一度たりとも自分の活動を否定することなく応援してくれた家族のおかげです。今まで随分とわがままを言って、貴重な経験をさせていただきました。本当に感謝してもしきれません。ヨット部で過ごした4年間は私の宝物です。

思えば4年前、新歓がとうに終わった6月初旬、最後の最後まで入部するかを悩んで最終的に入る決断を下した自分には拍手を送りたいです。決して生ぬるいものではなかったけれど、これ以上濃い4年間は他では過ごせなかったと思います。

なんだか言いたいことが全然言えてない気もしますが、そもそもこの4年間をたった一回のブログで振り返るというのは無理な話なのでここら辺で失礼します。


楽しかったなあ。


もう一度大学生活をやり直せるとしても自分はまたヨット部に入るでしょう。


4年間、ありがとうございました。

前副将、470リーダー

古橋恒太


この写真、バカなヨット部っぽくって大好きなんです。 まこと

2021年11月30日 22時21分17秒 | 引退ブログ

4年間お世話になりました。

ディンギー班前主将を勤めておりました長岡誠です。今回は引退ブログです。

 

 

まず最初にさまざまな方々に感謝申し上げたいです。

ヨットをやっておられる方なら皆さんわかっていらっしゃることかと思いますが、ヨットは他の人の支えなしでは決してすることのできないものです。

 

まずLBの皆様。

ヨットという、個人どころか現役全員で合わせてもまともに練習を回すことができないような高額なスポーツをやらせてもうらうという点で、LBの皆様のご支援なしではこの4年間はあり得ませんでした。お金だけではなく、さまざまな技術的支援、物的支援、社会人としての知見による活動のサポート。ありとあらゆる点で基盤にはLBの皆様の支えがありました。今年一年は主将という立場で皆様とお話しする機会を得ることができ、その支えを現役の中で一番切に感じることができました。

特に具体的なアドバイスを頂けた島田会長、岸野理事長、理事会の皆様、霜山監督、

練習を見に来てくださった若手LBの皆様。

本当に尊敬できる方々ばかりで、勉強させていただきました。誠にありがとうございました。

 

小松コーチ。

先日お話しした時に、小松さんと僕が初めて話した時のことが話題になりましたが、僕もすごく印象的でよく覚えています。どういう文脈かは忘れましたが、小松さんが世界一周レースの思い出を話してくださいました。僕は、こんなものすごい体験をした人が存在するのかとすごく感動しました。あれ以来、小松さんは紛れもなく僕にとって、ヨットの神様でした。

言動や態度、視野、考え方。こういうセーラーになりたいと思って、4年間過ごしました。あまりにも遠い道のりだったので、距離感がわかりかねます笑。少しでも近づけていたら幸いです。

 

後輩たち。

勘違いかもしれないけど、慕ってくれてありがとう。主将としては頼りなかったと思うけど、それでも1年間チームを運営できたのは、確実に君たちの寄るところだとおもう。秋インとか全日本最終日に泣いてくれた子がいたのは、なんか感動しました。

次の一年、その次、、、と続いていくけれど、今の東大の雰囲気を保ちつつ、前に進んでいってくれればと思いますし、確実にできると思います。応援してます。

 

直属の先輩たち。

僕は本当、先輩っ子というか、the後輩みたいな人間なので、頼れる先輩たちに囲まれていた頃は本当に自然体だったし、楽しかったです。

この4年間で一番いい思い出をあげろって言われると、100%2年のころの春インから全日本までの期間を挙げると思います。あの頃は良かったなあ、とかいってると怒られそうですが、実際よかった笑。

尊敬できるひとたちばっかり(?)で、また気が向いたら会ってください。

 

同期のみんな。

本当、頼りなくてごめん。全部が全部、僕のせいではないかもしれないけれど、今年両クラスで全日本にいけず、「凡事徹底」もできず、正直4年間で一番緩くなってしまったことに、痛烈に責任を感じています。でもなんとか踏みとどまれたというか、それなりに形になったのは同期の支えのおかげでしかなかった。最初は1人で悩んでどうこうしようとしてうだうだしていたけど、なんでも話して解決していけばいいんだって、本当の意味で気付くのに時間がかかりすぎた。そう思えるくらいみんな頼りがいあって、なんか立派になったんだなって感じてました(何様笑)。

僕は一年の冬、寒くてしんどくて痛くて、なんで毎日こんなとこでこんなことしてるんだろう、辞めようかなって思っていたけど、それでも続けたのはみんなとの合宿が楽しかったから。みんなとのつながりを失うのが嫌だったから。そのおかげで4年間頑張れたし、人間的にも成長させてもらいました。

友達少ないので、末長く付き合って欲しいです。

 

 

4年間終わって何を思うかと言われて、そんな大それたことは言えないわけで、切実に感じることは土日が輝いてるってこと。先々週友達に話したら逆に羨ましがられました笑。

 

楽しかったことは正直そんなに多くなくって、辛かったことは話し始めたら日が暮れちゃいます。でも学びは多かったです。何より謙虚になれた気がします。

自然と対峙して、っていうと壮大で高貴な感じがするけど、しゅうの言葉を借りると、自然ってほんとに泥臭い(東京湾のことではないです)。すごく具体的な話になるけど、僕はほんとに波をかぶるのが嫌いで、しょっぱいし濡れるし冷たいし染みるんです。トラッピーズは絶対に逃げられないから残酷な世界だなって思ってましたけど、ハイクアウトは逃げれる(そうでもないか)からこそ僕は辛かった。楽しようと思えば楽できる、もうちょっと妥協してもいいんじゃないかって3年までは思ってました、正直。すごく初歩的な話で呆れないでね笑。でも4年は結構逃げずにやれたんじゃないかなと思います。ここは結構自信ある。首の筋つるほど歯食いしばって、足の感覚なくなるほど全力で出て、どんだけ波を食らってもそれでもハイクアウトする。比較的頑張れてたと思います。出て当たり前の世界だから言いたくないし、誰もいってくれないけど、僕だけは自分のこと褒めてあげたい。とか言いつつ他大のクルーはもっと出てるから、ホントすごいな、尊敬できるなって思ってました。

 

コミュニケーションは大事だなってこともすごく勉強できました。

当たり前だけど、本当の意味で理解できる人って自分しかいないから。どれだけ近くにいる人でも寄り添う努力をしないと絶対に近づけないし、理解できない。

マネージャーのみんなには、この点で本当に感謝してる。僕に対話を要求してきてくれたし、僕の話もきちんと聞いてくれた。本当にありがとう。

この一年での成長で一番大きかったのは、ここだと勝手に思ってます。
人数が多くなってきたからこそ、大切でした。本当に努力しないと、全員の声を聞けなかった。ほんとのことを言うと聞けてはいなかったです。合宿もできない、平日は学校で忙しくて、割くべき時間が取れなかった、とか言い出したらきりないし、言っても後悔が募るだけなので、やめておきます。でもチームが全体として機能すると言う点で、本当に必要なことだって理解はできました。チームは一人一人が集まってできるものなんだから、その意思を汲み取るのが必須って、まあ考えると当たり前のことなんですけど。

 

会話することとかは普遍的にリーダーに求められることなのかもしれないですけど、「体育会系のチームのリーダー」に求められることの一つとして、物理的に声が大きいことって大事なんだなって、この一年で気づきました笑。ある程度統率と規律、ストイックさが求められる団体なので、締まる声って本当に大事。僕は天性で多分だめなんですけど、もっと努力はできたなって今では思ってます。

 

なんだか後悔談みたいになっててよくないですね。

とにかくチームってものに真正面から向き合えたことは本当にいい経験になりましたし、今後の大きな考え方の基盤ができたように思えます。人間としても少しは成長できたのかな。そうなら嬉しいです。

ヨット部に入ってよかったです。

 

 

でもヨットというスポーツはまだ終わらないです。僕どうこうは置いといて、ヨットそのものは存在していきます。

繰り返しになりますが、ヨットは自然と対峙するスポーツで、僕はディンギーで目の前の波との葛藤で終わってしまいましたが、小松さんのように広い視野で海や空を見て、そして予測・対応できるような、そんなセーラーにとても憧れを抱いています。

できればそういうスケールの大きな、大局観をもったそんな人間になりたいです。

なので楽しく続けれるなら、まだヨットに乗りたいものですね。

 

個人的な話ばかりで、あまりメッセージ性のある話ができませんでしたが、引退ブログだし許して欲しいです。

4年間ありがとうございました。

 

 

東京大学運動会ヨット部

長岡誠


自分で選んだ道

2021年11月28日 23時14分01秒 | 引退ブログ

こんばんは。4年マネージャーの横川あみです。

最初で最後の引退ブログを書こうとしているところですが、先に同期の引退ブログを読んだり、1年の時の自己紹介ブログを読んでみました。そしたら書きたいことが山ほど溢れてきました。改めて濃い4年間を過ごしたなあと実感しています。なるべく短く終わろうと思いますので、どうか最後までお読みいただければと思います。

 

 

私がヨット部に入ったのは半分偶然、半分勢いでした。たまたま友人にヨット部の新勧コンパに当日誘われ、友人の付き添いという軽い気持ちで行きました。そこで話をしてくださった先輩方、そしてLBの皆様の言葉は今でも鮮明に覚えています。部活動に打ち込む大学生ってこんなにキラキラしているんだなと思ったし、ヨットに対する熱に圧倒されました。そのまま試乗会の予約をして、試乗会の最後に勢いで入部宣言!自分でもびっくりするほどの決断力でしたが、あの時の自分は正しかったと言ってあげたいです。他大学の部活動、ましてやヨットという競技を全く知らず、マネージャーの経験もない自分だったので、大きな不安もありました。でもヨット部に入ってよかった!!今は心からそう言えます。私が歩いてきた道のりは、時に困難だったけれど、それでも楽しくてキラキラしていました。

 

 

そんな4年間。いろんなことがありました。(とは言っても私は最後の1年間ほとんど参加できずにいたので、3年間と言ったほうが正しいですね)

初めて同期が部活を辞めた日。初めて同期ペアでディンギーに乗ったのを見届けた日。

先輩に憧れて一生懸命だった日々や、初めて後輩マネージャーができた日も。

雨でも雪でも、無風でも強風でも、どんな時も練習して、八景島で赤旗だった日は座学と整備をして。

2年生の時にレスキューから見た全日本の景色も、みんなが海上で美味しそうにマネ飯を食べてくれる昼休憩も。

レスキューに乗って練習の動画を撮ることも、炊事場で楽しく料理をすることも。

大好きだった同期マネがいなくなった日。今年の秋インで470チームが全日本出場を決めた日。

もっともっとあるけど、全部の思い出が、かけがえのない宝物になりました。

 

 

正直、同期がいなかったら部活を辞めていたと思います。辞めたいと思ったタイミングは片手でおさまる程度だけど、それでも同期がいたからとどまったし、この代じゃなかったら確実に今の自分はいませんでした。私の同期はプレイヤーとマネージャーの壁をあっさりと越えて、いつも私を受け入れてくれて、ときどき褒めてくれたり、ときどきマネージャーに感謝してくれたり。自分たちの現状に満足せず、たくさんミーティングをしました。ふとした時に誰かが声をあげて、常にみんなで前を向けるようにしてくれて、ディンギー班とクルーザー班の物理的な距離はあっても、いつも部活の仲間だと意識し合えました。そんな同期がいて、とても誇りだし、自慢のチームです。

途中で辞めてしまった元同期も、秋イン、全日本と、すっごく応援してくれました。なんて良い代なんだろうと思います!(笑)

 

 

この場を借りて、伝えさせてください。

いつもかっこいい姿を見せてくれたプレイヤーの先輩方。1年の時に海マネになりたくて必死だった私をあたたかく受け入れてくださったお陰で、今では海マネのポジションが確立できました。本当にありがとうございます。

大好きなマネージャーの先輩方には、たっっっくさんのことを教えてもらって、ここまで育ててもらいました。みなさんの意思をちゃんと引き継げたでしょうか。プレイヤーに尽くす、その為にすべきことと、自分の気持ちも大切にすることを教えていただきありがとうございます。

プレイヤー、マネージャーの後輩たちには色々と助けられました。この代でたった一人のマネージャーは心もとなかったと思うし、迷惑もたくさんかけたけど、支えてくれて、慕ってくれてありがとう。これからの東大ヨット部がすっごく楽しみです!

小松コーチには本当にお世話になり、海上でのことを1から100まで丁寧に教えていただきました。欲を言えば、もっと一緒のレスキュー艇に乗って、小松さんの”技”を身につけられるようになりたかったです。ありがとうございました。

LBの皆様、日頃から多大なる支援をありがとうございます。皆様の支えがなければ、4年間の部活動をやり切ることはできなかったと思います。4年生の時は、それをひしひしと実感し、自分も今度は現役を支えるLBとして頑張りたいと思いました。本当にありがとうございました。

そして家族へ。きっと引退ブログがあることも知らないだろうけれど、全日本インカレが終わったときに貰ったLINEは本当に嬉しかったです。いつもありがとう。

 

こうしてみると入部当初には想像もできないほど沢山の方たちに支えられた4年間だったなと感じます。他にも学連や他大学の友人にも感謝の気持ちでいっぱいで、書きだしたら止まりませんね。

 

 

長くなりましたが、私のヨット部人生は最高に楽しくて、宝物の日々でした!実は、秋インの予選も決勝も、そして全日本も、出艇を見届ける度に泣いてしまいました。自分でもなぜ泣いてるのか分からなくて、とにかく毎回涙が溢れてきました。でも今は何の涙だったか分かる気がします。ひたすら一緒に頑張ってきたチームメイトの勇姿を、引退まで見ることができた、その嬉しさだったんだと思います。だから引退も、決して悲しいものではなく、4年間頑張ったからこその嬉しいことです!

そうやって捉えると自分におめでとうと言ってあげたくなりますね(笑)

 

 

4年間本当にありがとうございました。

東京大学運動会ヨット部が今後ますます飛躍して、全国にその名を響き渡らせるような、ものすっっっっっっごいチームになりますように。

横川あみ

 

 

 

 

 

最高の同期!ありがとう

 

 


失敗と成功

2021年11月26日 12時15分45秒 | 引退ブログ
お疲れ様です。
4年470スキッパーの鈴木です。

とうとう引退ブログを書く時期がやってきてしまいました。引退して土日を謳歌していると思いきや、先日は全日本470に出場していました。久しぶりの結果を出さなければならないというプレッシャーのかからない中でのレースで純粋にヨットレースを楽しめた気がします。加藤ありがとう。

さて、いよいよ引退となったわけですが思えばこの4年間は本当にいろいろなことがありました。

1年生の秋インカレ。陸上でたまやの結果をはらはらしながら見てて、結局最後のレースで逆転されてしまい全日本に行くことができなかった。あの時の先輩の姿は今でもよく覚えています。それまで適当に過ごしていた僕が初めてインカレを目の当たりにしヨット部としての自覚が芽生えた瞬間でした。

2年生になってやっとフリートレースなどに出れるようになったけど、もちろん前を走れるわけもなく無限に後ろの方を走っていました。当時は人数がかつかつで僕か古橋が4番艇みたいな状況だったけど、実力的に僕らがインカレに出ることなどあるはずもなくサポートメンバーとしてレスキューに乗り、同期の崇がレギュラーとして前走っているのを羨ましく見ていました。

3年生になり本格的にレースメンバー争いに加わろうとしていた時にコロナで活動停止に。先輩たちは僕らのためにオンラインの活動を準備してくださっていましたが、やっぱりどうしてもモチベーションを保ちきれていなかった自分がいました。その後、練習が始まり自分は唯一の最上級生クルーとペアを組ませてもらっていたのにもかかわらず全然前を走ることができなかった。例年の3年生スキッパーよりも明らかに悪い結果しか残せてなったし同期のスキッパーにも全然歯が立っていなかった。何で結果が出ないのかわからず非常につらい思いをしていた時期でした。そんな中でも最後まで僕を信じてボトムアップを図ってくれた先輩には本当に感謝してもしきれません。

4年生になって僕らが掲げた目標は関東入賞、全日本シングルでした。そのためには特に自分の実力がまだまだ全然足りていないことはよくわかってたから、最上級生としてのチーム運営と個人の選手としての成長のどちらもおろそかにしないことを意識していました。実際、4年生の間でミーティングは何回も何回もしたし、練習も自主練にも精力的に取り組むなどかなり頑張っていた自信はありました。秋になってチームとしても個人としても実力はかなりついてきていたのではないかと思っていました。
しかし、目標は達成できなかった。秋インでもあれほど古橋が口酸っぱく言っていたケースをおこしてしまった。全日本でも雰囲気にのまれ3艇とも実力を発揮できず18位と散々な結果をとってしまった。走りは他の大学にも間違いなく負けてなく、サポートも非常に良かったのに結果はついてこなかった。きっとレースでの立ち回りとか経験とかそういった部分で負けていたのだろうと思います。来年は今年の経験を活かして入賞を成し遂げてほしいです。

この4年間の結果を見てみると、正直もっとできたんじゃないかという思いも少しあります。1,2年生の時にもっと真摯に練習に取り組んでいれば、一回のレースをもっと大事にしていれば、コロナさえなければ、あと半年あったらもっといいとこ行けたんじゃないかとか今でもたまに思ってしまうことがあります。

でも、この4年間が充実した最高のものであったことは胸を張って言うことができます。僕は所詮部活動は大学生活を充実させるためのツールに過ぎないと思っています。もちろんLBからの寄付があって、献身的な指導を受け、親の支えもあってある程度の責任が求められているのも事実です。しかし、我々はプロのようにお金をもらってるわけでも無いし、何ならバイトもしながらわざわざ自分で高いお金を払って部活に参加しています。なので、僕は部活動の成功とは結果以上に終わった時に本人がどういう気持ちでいれたのかという部分にかかっているのではないかと個人的には思っています。

そういう意味では僕の部活動は大成功であったと思います。頼れる同期がいて、優しくいろいろなことを教えてくれる先輩がいて、慕ってくれる後輩がいて、献身的に指導してくれるコーチがいて、多額の支援を受けいつでも努力できる環境があって、皆に平等にチャンスがあって皆がいつも笑っている、そんなヨット部が大好きでした。

後輩たちも、結果が出なくてつらいときやプレッシャーに押しつぶされそうなときもあるかもしれないけど、そういう時こそ気負わず肩の力を抜いて最後には楽しかったと思えるよう活動してほしいなと思います。

このような環境に身を置くことができたのは、同期、先輩、後輩、小松コーチ、LBの方々、両親など様々な方々の支えのおかげです。感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。

4年間本当に楽しかった。
4年前、ヨット部に入る決断をした自分をほめてやりたいと心の底から思います。

東京大学運動会ヨット部 鈴木智貴


淡青色の矜持

2021年11月19日 01時02分00秒 | 引退ブログ

大学生になって、ろくに休みの土曜日や日曜日を過ごしてきませんでしたが、先週ようやく満喫できました。自分の近所の人形町の休日の人通りはここまで多いものかと圧倒されましたね。

大通りの一角にあった、自分が愛用していた定食屋が、100均ダイソーに建て替わっておりました。老舗が潰れて、新しい店に変わっていく様は、東京に来て随分と見てきた光景ですが、自分の住んでいる街が発展していることの証で喜ばしい手前、どこか寂しいものを感じます。


4年間を振り返ります。


1年目の入った当初は、同期が30人近くいて、賑やか過ぎるほどでした。しかし、時がたつごとに一人また一人と部を去る人がいて、気づいた頃には半分に満たなくなっていました。代交代が行われて、ヨットに乗る機会がぐんと増えました。

自分が思い描いていたものとは真逆で、ヨットはここまで泥臭いスポーツなのかと驚かされたのは今でも忘れられません。寒い中朝早く起きて、出艇時間に追われ、海上ではタックとジャイブの動作を繰り返し、16時に着艇した時にはヘトヘトになり、頭がよく回らないままミーティングを行って、陸シュミして、布団で力尽きたように眠る。この繰り返しは本当にキツかったなぁ。

今思えば代交代前はまだ新歓のふわふわした雰囲気から抜けられてなかったのかもしれません。この寒くて厳しい冬の練習によって人数がより少なくなる反面、ヨット部に残された我々同期一同は、覚悟というかヨットに対する姿勢がより引き締まったように思います。



2年目は、幸運なことに、自分はレギュラーに選ばれました。しかし、経験が浅いために、周りの上級生クルーと同じ働きができるはずもなく、ペアを組んで下さった4年生の塚本さんには苦労をかけてしまいました。

それでも、他の先輩クルーに追いつくべく、誰とでもクルーとして乗れる日には乗って、練習時間をできるだけ長く確保してきました。動作を人並みにできるまで、頭の中でどれほど再現し、イメトレをしたことか。

こうした努力が実った(と自分が勝手に落とし込んでいるお調子者なのですが)のか、西宮の全日本の舞台で6位で東大のスピンを届けた時には感無量でありました。自分の成長を近くで見守ってくださり、誰よりもストイックに練習をこなす塚本さんのクルーとして一緒に走れたことは今でも誇りに思っています。



3年目。コロナの自粛によって、思うように練習ができません。一番ヨットが楽しいであろう3年生の時間を奪われてしまったことは、今でも大変残念に思います。

しかし、ヨットから離れることで、今まで当たり前のようにヨットをしてきたけれども、全然当然ではないこと、蓋を開けてみればヨットという競技は本当に多くの人の支えと後押しによって成り立っているスポーツなのだと痛感できる1年でもありました。

座学や動画研究によってできない練習を埋め、知識を蓄え、数少ない練習をより有意義にして、最後まで諦めずに前を向き続けた先輩方には本当に感謝したいです。

ここまで尽くしてくれた4年生の先輩方に恩返ししたい、関東インカレで引退させたくないという一心で、ヨットを走らせていたのですが、あともう少しのところで全日本への切符を手にすることができず、非常に悔しい思いをしました。



4年目。自分が最上級生になったら、こうしよう、ヨット部のこういうところは改善したいというものを持ち合わせていましたが、いざ練習期間となると出艇時間と各々のタスクに追われ続けてしまいます。

スローガンとしてこの1年『凡事徹底』を掲げたのですが、実際に徹底できていたのかというと、自信を持って頷くことができない始末。

ヨットのプレイヤーとしての自分と、主務としての自分と、最上級生としてのチーム運営に口を出す自分。忙しない練習期間の中で、これらにどう折り合いをつけ、どのように振る舞うのか。難しい1年でございました。

春に3年生の調と組んだ時には、全然思い通りにレースで走らせることができず、苦しい思いをしました。でも、ああでもないこうでもないと試行錯誤しなから、活き活きとヨットに臨む調と一緒にいて、ヨットの本来の楽しさを再認識させられました。彼が春の悔しさをバネに秋には我々4年生と遜色ない走りを見せてくれて、本当に嬉しかった。

秋からは、昨年に続けて古橋と乗ることになりました。3年生の時は互いに気楽にまっすぐ走らせていただけでしたが、4年生になって最上級生としての、470リーダーとしての、1番艇としての覚悟と責任感を背負うた別人でありました。

大胆でがさつな自分とは異なり、何事にも妥協なく、「反復、継続、丁寧」が似合う彼は、シーマンとして立派だとつくづく思わせられてきました。最後まで楽しかったなぁ。古橋、ありがとう。全日本470で、全日本インカレの雪辱を果たすことを心待ちにしております。



こうやって振り返ってみると同じヨット部の4年間と一口に言っても、毎年毎年で色があって、十分に充実していたと今では思います。

1年生の時に、自分たちが最上級生になった時には同じ船に乗ろうと誓っていた同志が、ヨット部からいなくなってしまった時は、それはそれは辛かった。

でも、彼らよりも絶対に充実した4年間を過ごしてやる、楽しんでやるぞという意地で、ヨットから離れないことを自分に課し、今でも自分のその選択は間違ってはなかったと、心から思えます。



東大は年々強くなっている。悔しくも最後の全日本インカレの舞台で、それを結果として表現できることはできませんでした。シングルを目標として、実際は18位。有終の美は飾れませんでした。

3年生の秋インカレを通して、ケーストラブルをなくそうと誓い、練習中も口酸っぱく言ってきた我々自身が、1日目に文字を多くつけてしまい、全日本インカレを引退の記念レースにしてしまった。

応援してくれていた下級生やLBの方々の期待に答えられず、本当に申し訳ないと思っております。


その敗因は、自分は全日本で初めてを経験することが多かったことにあると思っています。

大きなレースではじめてUFDをつけてしまった。初めて自艇に抗議が出されて、面食らい、必要以上に焦ってしまった。

そういうところからどんどん全日本の緊張の雰囲気に飲まれてしまい、最初のレースでできていただろう大胆なレース展開や本来のボートスピードを引き出すことができなくなってしまった。これも実力だったと思う反面、やはり後悔は残ります。


それでも、東大はいいチームになっている、そう思わされる場面がありました。出艇からの曳航のスピード、海面につくまでの手際の良さは東大は1番でした。

1年生から上級生まで一丸となって、蒲郡の過去のレースのトラックトラックを分析してくれました。

レギュラーだけではなく、サポートメンバーが責任感と使命感を持って、一人一人が結果に貢献しようという雰囲気がありました。そしてそれを表現できるには十分の舞台だった、それだけでも全日本には大きな意味があったと思います。



3年生以下にはもっともっと高みを目指して欲しい。一人一人が東大ヨット部に"誇り"を持って欲しい。まだまだヨットに乗る機会がある、東大ヨット部を表現する舞台が残されている彼らを自分は素直に羨ましいと思います。

いつしかブログで書かせてもらいましたが、自分は後輩には本当に恵まれてきたとつくづく思っています。サポートも上で書いた通りだし、平日の自主練の頻度も人数もちょっと前では考えられないくらいに多くなっています。

そんな彼らの成長と挑戦を近くで見守っていられる自分は幸せだと思いますし、ずっと応援していきたいと思っています。


長くなってしまいました。拙い文章ですみませんでした。


ヨットは4年間通して、どこまでも魅力的なスポーツでありました。

ヨット部は、自分にとってどこよりもくつろげる居場所でありました。


4年間、随分とぜいたくをさせていただきました。


ヨットのいろはから丁寧に教えてくださった先輩方、チームを期待以上に支えてくれた後輩、多大な支援と応援をしてくださったLBの皆様、いつも練習に付き合ってくれてヨットの楽しさと過酷さを教えてくれた小松コーチ、そして共に戦友として4年間そばにいてくれた同期、本当にありがとうございました。


風をめいいっぱいに受けたスピネーカーのように、勇気と希望を自分の中に孕ませ、今後の残りの人生を歩んで行きたいものです。

来年から社会人になって困難なことに立ち向かっても、自分の携帯の中にある淡青色のスピンを見返して、この4年間を思い返し、誇らしく、力強く生きていきたいと思います。


東京大学運動会ヨット部4年 齊藤崇