こんにちは。
クルーザー班3年の落合輝です。
今日も、昨日に引き続いて気持ちの良い晴天となりました。皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。
後期から文学部でインド哲学や仏教学を学ぶことになった私ですが、古典チベット語やパーリ語(主に東南アジアで使用される「聖典の言語」)の経典や教義書を読む演習を覗いて、そのいかにも深遠な、果てしなく続く森のような雰囲気を前に、はたと我が行く末に不安を覚える今日この頃です。コロナの雲がいつかは晴れるように、この先の見えない世界の中にも、歩いていけば次第に視界が開けて来ることを信じています。(喩えが逆でしょうか。)
ニュースでは、この長期休暇がいよいよコロナ対策の正念場だと言われていますが、まさにこの状況では「正念場」という言葉の重みを感じます。
かれこれ3週間ほど寮に籠っている訳ですが、ヨットが出来なければ出来ないなりにやる事は多いので、いつもとは違うにせよ充実した日々を送っています。元来、ヨットは気象状況に左右されるものですから、今回の苦境も、一二年くらい大風が吹き続けていると考えれば、そういうものでしょう。私はそう思っています。尤も、大学時代に乗るヨットと卒業後のそれとでは、味わいが違うのでしょうが。いずれにせよ、そのうちまた海に出られる日が来ることを楽しみに待ちながら、勉強に料理に掃除に、勤しむことにします。
しかし授業を受けるにも、一限から五限までずっと(と言っても私の時間割は二限から四限しか埋まっていませんが)同じ椅子に縛りつけられています。これは少し辛いものです。立ち上がりがてら、三階の自室の窓から駐車場になっている中庭を見下ろすと、中くらいの背で細い枝ぶりの木に、白い花が上向きに咲いているのが目に入ります。地上に降りてみると、あまり目立ちません。上から見ると、これも今盛りのツツジの華やかさを背景にして、十字に開く四枚のやわらかい花びらが、よく映えます。
これがハナミズキです。
日本には、大正四年にアメリカから、日本が贈った桜の苗木への返礼として、もたらされました。そのうちの一本は、私の住む茗荷谷から歩いて十分少々の所にある小石川植物園に植えられたそうです。アメリカでは、日本でいう所の桜ほど、ポピュラーな木のようです。そうすると、この寮には日本とアメリカの国民的な樹木が、隣り合って植えられているということです。果たしてその意図はあったのか、無かったのか。
ハナミズキの足元には、元気に枝を伸ばすツツジの木が広がっています。
よく道路脇の植え込みにツツジの木が見られますが、しばしば可哀想なくらい枝が払われ、みじめにも味気のない角切りにされてしまっています。それに対してここに生える木は、そういった無情な仕打ちを免れ、それぞれの思うままに育っています。それがためか、今年見るツツジの花は、目にも鮮やかに、心も明るくなるほど美しいものでした。
今日は旧暦で四月八日。卯月八日と言いますと、山の神が山から下りて田の神になることを歓迎し、農作業の無事を祈って行う、諸々の行事を指します。東日本では山開き、西日本では、竹竿の先に花を束ねて掲げる「花立て」など。この花立ての花には、シャクナゲ、卯の花、そしてツツジを用いるのだそうです。
ツツジが咲く頃、田での農作業が本格的に始まるということです。
週に一度の買い物以外では寮の敷地から一歩も出ない生活ですが、木々や花を見て季節を感じ、そこからいろいろな想像を広げる機会にもなります。
日日是好日。
体調に気をつけつつ、一日一日を良い日にしていけたらと思います。
3年 落合輝