東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

初スキッパーです②

2016年10月23日 22時39分31秒 | 通常練習

お久し振りです。1年スナイプスキッパーの鈴木敦己です。

470スキッパーの戸倉と同様、今月からスナイプクルーだけでなくスキッパーとしての練習も始めました。

 

初めてスナイプスキッパーとして出艇したのは9日(日)でしたが、強風だった上にスキッパー技術が皆無であったため、すぐにクルーとしての帆走練習に切り替わりました。この日は、2015年全日本学生ヨット個人選手権大会で優勝された山田剛士さん(同志社OB)と、森本真仁さん(九州大OB)に来ていただき、僅かな時間ではありましたが走り合わせでのライン修正などを教えていただきました。

 

15日(土)は風も穏やかで新人スキッパーには最適なコンディションとなり、クルーの江村さんと練習しました。風に合わせてひたすら帆走するには、集中力がかなり必要であることを実感した1日でした。

 

22日(土)にも山田さんと森本さんに来ていただき、ライン修正のおさらいとラウンディングの練習をしました。前回とは異なりクルーが下オンデッキでヒールトリムするほどの微風で、改めて各動作の丁寧さ、正確さが甘いことを思い知らされました。

 

23日(日)は一転して10mほどの強風となり、出艇したものの昼前に一度赤旗が揚がって一時帰着しました。強い風はもちろん、東京湾の不規則な波にも叩かれ、スキッパーとして初めて完沈しました。タック後の沈でしたが、クローズドホールドの時に沈しなかったのはすぐにメインセールを出していたからで、帆走中にほとんどメインを引けていなかったのが非常に悔しかったです。午後は風も落ち、山田さんと森本さんに教えていただいた方法での動作練を行いました。

 

まだまだ経験も知識も技術も足りない新人スキッパーですが、12月初頭の東北大学・東京大学交流戦でのレースデビュー目指して頑張って参ります。これにて失礼します。

 

1年 鈴木敦己


初スキッパーです

2016年10月20日 15時16分33秒 | 通常練習

こんにちは

470チーム1年スキッパーの戸倉です。

今までは470クルーでしたが、今回の練習からスキッパーをさせていただきました。

クルーは角出さん、西坂さん、中田さんに乗っていただきました。

練習内容は走り合わせやコース練が中心でした。

全体的に苦戦していましたが、特に難しいと感じたのは、メインをしっかり引くことと、ラダーを無意識に動かさないことです。両手でメインを引こうとすると、どうしてもラダーが動いてしまい、船が蛇行してしまいます。

また、良いクローズ角に合わせても、いつの間にか船が回転してしまい、パワーが抜けてしまいます。

弱点を認識し、多くの練習を積んで慣れることも重要だと思いますが、並行して筋力トレーニングによってメインを楽に引けるようにしたいと思っております。

次の練習までにすることは腕力と握力を鍛えること、正しいフォームを確認しておくこと、そして新しいグリップを買うことです。


最後の秋インカレを振り返って(間邪浩太)

2016年10月05日 18時11分51秒 | レース反省

 

先日引退しました470リーダー兼副将の間邪です。

元SNS大臣の僕ですが、ついに最後のブログとなりました。

 

僕からは特に470チームに重点をおいて

秋インカレの振り返りを書かせていただきます。

 

秋イン決勝の結果は両クラス8位でした。

470級は7位の千葉大と9ポイント差で、

今年も全日本インカレの出場権を獲得することが出来ませんでした。

 

新艇、疾風、ニューセール、そして何より小松コーチを招聘していただき、

LBの皆様に多大なるご支援をいただいたのにも関わらず、

このような結果になり、大変申し訳なく思っています。

 

今季は

春インカレでは7位でシード権を獲得し、

シード校以外のほぼ全ての大学が参加する直前の神奈川五大では1位と、

手ごたえは感じていました。

 

このチームなら必ず全日本に行けると思っていました。

しかし、甘かったです。

秋インカレ決勝当日は

風が安定せず、レース数はわずかに3日で3レース。

まさか3レースで終わるとは思っていませんでした。

 

3日目、陸上待機の後、AP+Aが掲揚された瞬間、

それまでなんとも思っていなかったのに、急に涙が溢れてきました。

今年の夏は、週6で毎朝8時出艇して、

練習量はどの大学にも負けてなかったと思います。

練習もレースもどの大学よりも早く出艇しました。

秋インまでやれることはやってきたつもりでした。

しかし、次から次へと後悔が生まれてきました。

もし第4レースがノーレースにならなければ、

もし第2レースがノーレースになっていれば、

沈をしなければ、スピンを下ろしてジャイブしまくっていれば、

もっと微風の中でも練習していれば、もっと意識を高く練習していれば。

 

最後の小松さんのミーティングで多くの部員が泣いていましたが、

そんな光景は4年間で初めてでした。

それは、やはり4年間でもっとも全日本インカレに近かったからだと思います。

部員全員が絶対全日本に行きたい、絶対全日本に行けると心の底から思っていたからだと僕は思います。

 

特に僕は2年の後半から470リーダーをしていたので

仰秀や他の艇種に乗る機会があまりなく、ほとんど470に乗っていました。

なので、全日本インカレに出場することが全てでした。

出場できなかったら、今までの4年間の努力が全否定されるような気がしていました。

 

このように思っていた僕でしたが、

今回の悔しい経験を後輩と一緒にすることができたのが

470リーダーとしての数少ないの成果であるかなと思います。

僕たち4年生はこの悔しさを晴らすことはできませんが、

後輩たちには次に活かすチャンスがあります。

大会後の納会で、西坂に

「このチームをサポートできて本当に良かったと思う。」

と言ってもらえて、本当に嬉しかったです。

全日本インカレには行けなかったけど、ヨット部で4年間頑張って良かったと思えました。

 

4年間多大なるご支援をしてくださったLBの皆様、

直接指導してくださった先輩の方々、

最後まで4年生についてきてくれた後輩、

4年間苦楽を共にした同期、

そして、最後のシーズン、ペアを組んでくれた角出

本当にありがとうございました。