東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

世界選手権を終えて

2024年10月29日 23時38分48秒 | 仰秀シアトルワールド

お世話になっております。クルーザー班主将の関根佑樹です。

 

世界選手権の振り返りについて書かせていただきたいと思います。

 

まず、今回、クルーザー班が世界選手権に出場し、無事帰国することができたのはたくさんの方々の支えがあったからに他なりません。

日頃の活動や今回の遠征において技術面・資金面で支援してくださっているLBの方々、現役に一番近い立場で色々とアドバイスをくださった監督チーム、小網代でレースや練習をしてくださったり今回の遠征でもご協力いただいた社会人チームの皆様、マリーナをはじめとして関わってくださっている業者の方々、日常生活で支えてくださっている家族、一年生の時からともに切磋琢磨してきているディンギー班の仲間、皆さんの助けがなくては今回の遠征は成立し得ませんでした。改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。

また現地においては、空港からの行き帰りの送迎や炊飯器の貸し出し、懇親会などを開いてくださったシアトル淡青会の皆様、チャーター艇のオーナーであるMr. Youch、コリンシアンヨットクラブや大会運営の方々、そして海外チームの方々にたくさんのご協力をいただきました。ありがとうございました。

 

このようにたくさんの方々の支えで何とか出場を遂げた世界選手権ですが、自分自身にとって一番助けとなってくれたと感じているのは、やはり同期の友成やクルーザー班の後輩たちです。

 

2023年の全日本選手権が終わり、世界選手権に行けそうだという流れになったのは、関東J/24協会の新年会で日本J/24クラス協会会長の亀山さんに「君たちワールド行けるよ!」とおっしゃっていただいた時です。その時の自分自身の気持ちとしては、ついに世界選手権に行けるのかというワクワクした気持ちと、自分が主将としてチームを引っ張って世界選手権出場という大仕事をすることができるのだろうかという大きな不安な気持ちでした。

 

「世界選手権出場」というのは、自分がクルーザー班に勧誘された決定打でした。当時、ヨットをほとんど知らない自分が、大学スポーツで世界に行けるなんてなんて夢があるんだと思ったことがクルーザー班に入ったきっかけであり、それから3年間、頭のどこかで「世界選手権」を意識してヨットをやってきていました。それゆえ、世界選手権出場が現実味を帯びてきたことに対するワクワク感はかなりのものでした。

また、クルーザー班としても2018年以来出場することが叶わず、いかにして世界選手権を出場しようかともがき続けていました。そんな中手にした世界選手権の出場権はクルーザー班としても願ってもない好機でした。

その一方で、自分自身としては不安な気持ちも非常に大きかったです。世界選手権に出るということは、全日本選手権とは違った大きな難しさがあると感じていました。そもそも前回出場したのが2018年と6年も前のことであり、少なくとも経験した現役はいない。そのため、チャーター艇はどうすれば良いのか、資金はどうしたら良いのか、移動手段は、エントリーは、保険は、、、などほとんどが部としても初めてのことだらけでした。そんな大仕事を自分が主将として引っ張っていけるのか、主将の先輩方である中野さん、維摩さん、ひでさんと何とか肩を並べようとしている自分にとってそれ以上の大仕事をできるのか、とにかく不安でした。

でもやっぱりやってみたいから進むしかない。そんな気持ちで準備を始めていきました。

 

そんな自分の内心を察されていたのでしょうか。後輩たちがとにかく優秀な動きを見せてくれました。

 

特に自分の不安な気持ちを取り去ってくされたのは3年の源と太智でした。源にはチャーター関連を任せていたところ、色々な条件を見定めて1艇に絞り、「これにしましょう!」と言ってくれました。彼のリーダーシップが垣間見えました。さすがは次期主将です。また、オーナーとのメールのやり取りも支払いについてもやってくれました。太智には宿やレンタカーを任せていましたが、候補をズラズラーと並べて、条件を比較して「これがいいと思います。」と言ってくれました。さすがは気遣いの鬼です。彼らは、事務作業はもちろんのこと、しっかりと自分の意見を持ち、実際に意見をする、また新しいことにどんどんと挑戦をしていく姿には、これ以上ないほど助けられました。彼らの代では何かすごく大きなことを成し遂げてくれるのではないかと、密かに大きな期待を膨らませている、というのはここだけの話です。

 

2年の木藤と古川もかなりの大物です。木藤はとにかくSNSをこりにこって投稿してくれたり、スポンサーの獲得に向けて動いてくれ、また海外でのヨットレースという珍しい状況で適用できる保険はないかと奔走してくれました。古川は彼は彼で、とにかく色々なチームに乗りに行ってくれます。関東の船のみならず7月には石垣島でのレースにも乗りに行っていました。この積極性はチームに新たな風を吹かし、どんどんといい方向へ導いて行ってくれています。そんな彼らは、世界選手権の帰りの飛行機で今後のチームの方向性について大喧嘩をしてしまうほどヨットに情熱のある後輩たちです。この情熱は今後もチームの大きな推進力になると思っています。

 

構成も何も考えずに書き進めていたらなんだか後輩へのラブレターみたいになってしまいそうなので、世界選手権の話、特に当日の話について書かせていただこうと思います。

とはいえ、詳しいレース展開や自分たちの心情については太智のブログで書いてもらっているので、ここでは自分の心が動いた瞬間ベスト3を書いてみたいと思います。

 

第3位、最終日のハーバーバックです。

最終日、風待ちの後行われた第9レース、スタートが上手くいかなかった中、まだ1レースあるからとにかく一つずつ着実に順位を上げていこう。そんな気持ちで船を走らせていました。しかし、フィニッシュする5秒前、スピンの向こうに見える本部船にAPAが掲揚されていました。その時の何とも言えない虚しさは言葉に形容し難い気持ちでした。一方で、フィニッシュ後、そのままスピンで全艇ハーバーバックした時の景色には改めてこんなに多くの船で、みんな同じ船に乗ってレースをしてきたのかと改めて思う瞬間となりました。横並びでスピンを上げて10艇がぎっしり走っている中から見る景色はなかなか味わうことができないものでした。

 

第2位、第2レースの6位フィニッシュです。

第2レース、とにかくスタートが上手くいきました。自分たちはジャストスタートを決める中、周りの船がリコールし戻っていったためとにかくフレッシュで走り続けることができました。その結果、1上を1位回航することができました。ただ、その時は1位回航ということは分かっていましたが、あくまで冷静に走らせることに集中していました。その冷静さのおかげか、最小限のダメージで6位フィニッシュを決めることができました。6位フィニッシュが決まった瞬間はこれまでにないほど嬉しく、興奮しました。

 

ここで番外編です。今回の遠征で一番ヒヤヒヤした瞬間はプロテストを受け、それに参加する源を待っている時です。これはベスト3に入れてもいいかなとも思ったのですが、源が詳しく書いてくれているのでここでは詳しい話は書かないことにします。ただ、初めて審問に関わったのが世界選手権になるとは想像もしていませんでした。

 

第1位はハーバーでの優しい人たちです。

まず最初にハーバーで出会ったのは計測委員のノエルさんです。自分たちがチャーター艇の前でオーナーの到着を待っていたところ、彼は「案内してやるよ!ついておいで!」で陽気な調子で話しかけてくださりました。そして、「何でも聞いてね!」と声をかけてくださり、ハーバーでの最初の歓迎を受けました。気さくでアメリカらしいジョークを言う方で、自分たちが船を陸で牽引していたところ、首の前で親指を切って「You’re fired!」のジェスチャーをしながら、「You are perfect!」と声をかけてくださいました。

オーナーのケンさんも気さくな方で、彼の言うジョークは半分くらいしか分かりませんでしたが、6位フィニッシュをした日に会った際は「すごいね!明日も走れよー!」と応援してくれ、そして感慨深そうにしていました。

また、別チームのメンバーのカエサルさん(?)は、いとこが日本の千葉に住んでいるから日本大好きだよ、とこれまた熱烈な歓迎を受けました。

最終日に出会ったのは、名前も分からない男の方で、無口ではありつつもジェスチャーはおしゃべりという中々日本では合わないタイプの方でした。彼には上架を手伝ってもらいました。また、ヨットクラブから歩くには遠い船の置き場まで車で送ってもらいました。その際、初めて会った名前も知らない自分にクッキーとジュースを奢っていただきました。車は1980年台のアメ車のような車で、車内にはラテン音楽が流れていました。そんな車内でクッキーとジュースを食べ、これがアメリカかと感じました。

 

以上、まとまりのない文章となってしまいましたがこれにて世界選手権の振り返りブログを終わらせていただきます。

 

改めまして、このような貴重な経験をすることができたのはひとえに周りの方々のおかげです。ありがとうございました。

 

今後も11月の全日本選手権に向けて、短い期間とはなりますが精一杯頑張っていきますので応援のほどよろしくお願いいたします。

 

 

関根佑樹


最終話

2024年10月28日 17時29分32秒 | 通常練習

いよいよヒロアカと呪術廻戦が最終話を迎えてしまいました。最近はアニメでもヒロアカを追って毎週感動を貰っている日々です。ついでではありますがインカレの方も最終話を迎えようとしています。夏合宿からここまでを個人的に振り返るブログとします。

 

 

お世話になっております。2年スナイプスキッパーのモトオです。神田さんからブログ書けとの指令が来てしまったので渋々書きます(数ヶ月ぶり)。時間なくて手抜きですが許してください……

 

 

2S怒涛の追い出し(結局基本平均点は変わらず)が終わり長い長い夏合宿へ。走り合わせ、ラウンディング、トレイン。とひたすらに基礎を固める日々。正直全然楽しいとは思いませんでした。無風になった時にライジャケ脱いで天野さんと海に飛び込んでる時間が1番楽しかったのを覚えています。午後の合同コース練、覇者にはスタートから置いていかれ東大内でも別に特別走るわけでもなくニョーシーにはボコられと散々な内容でした。これを週5。マジでしんどかった。有難いことに乗艇機会を沢山いただき長い時間乗ることができましたがそれゆえモチベーションの低下も激しかったです。と、マイナスなことしかここまで書いて無いですが同じ生活をする仲間が合宿所にはいて夜雑談するのが楽しかった、だからなんとか走り抜けたのかなと思います。夏合宿を経て、元々にょーしーワンマンチームだったスナイプチームはそれなりに全体として形になってきてその手応えはチーム全体が感じていたと思います。その答え合わせをすべく秋6大へ。他人の走りを見る余裕は無かったので自分の振り返りだと、突き抜けた走りは出来なかったですが誰よりも無難な走りは出来たと思っています、調子に乗るわけでも落ち込むわけでもなく淡々とセオリー通りに。そして秋インではスタメンとして使っていただき、1日目と2日目の全てのレースに出させていただきました。自分のやるべきことはただ一つで「絶対に叩かないこと」だと勝手に思ってました。1レース目から慶應の須田君からプロテストを賜り絶望的立ち上がりでしたがなんとか耐えの内容。そこからはトラブルも何も無く実力通りのレースができたと思います。他のメンバーも好調で全然僕よりいい順位で帰ってきてたので僕も頑張んないとなーと思いながらレースしていたのを覚えています。(もっと書こうと思ったけど時間無くなってきたのでこの辺で)

 

 

そして迎えるは全日本インカレ。4年生にいい形で引退してもらうためにも308を走らせます。リーダーのにょーしーをキャリーするくらいの勢いで走らせます。

 

 

「プルスウルトラ」

 


魂の裏プラクティス

2024年10月28日 15時46分53秒 | 通常練習

お世話になっております。一年の470スキッパーの下村です。薫(ぺ)は置いておくとして、野口、大、山岡、井出の同期の通常ブログを読んだ記憶がないまま自分の二度目の通常ブログ指名が回ってきたことにすごく動揺しながらこのブログを書いています。

しかし、回ってきたものは仕方がないので一生懸命今週(10/26、27)の練習の振り返りをさせていただきます。今週は二日とも三四年生が江ノ島で全日本前のプラクティスレースだったため一二年生のみが葉山で練習という激アツコンディションで、船舶免許の実技試験に落ちて落ち込んでいた僕も流石にウキウキでした。

土曜日は5、6メーターの気持ちいい北風でラウンディングを主に練習を行いました。レスキューに乗らず一日スキッパーの練習をするのは初めてだったのでめちゃくちゃ収穫があって楽しかったです。あまりに寒い時間帯があったのでウェットスーツを買うことを決意させてくれた一日にもなりました。

日曜日、江ノ島に負けじと葉山では裏プラクティスレースが開催されました。470、スナイプ、レーザー、ホッパーの混合レースというワクワクしかないレースでした。レースは上下2周で行われ、途中から艇速の問題でレーザーとホッパーは上下一周となりました。全部で9レース行われ、自分はホッパーで2レース、470で4レース参加しました。ホッパーでは2レースともビリから二番目という悔しい結果でしたが、470ではトップフィニッシュ2回、2着2回というなかなかに満足な結果を残せました。コースはクルーまかせでしたが。能登谷さんと乗るのも、薫(ぺ)と乗るのも初めてだったのでとても楽しかったし、土曜に引き続いて学びばかりでした。一番楽しかったのは薫(ぺ)と漕ぎまくって爆走したことですかね。1から3メーターくらいの微風でオスカーアップしてくれた寛大な運営にも感謝です。他にも寺口杉山ペア(スナイプ)や470クルー転向が噂される泰三さんの魂のボディパンピングが見れて満足でした。大、スミスがレーザーで両舷からフリックを試み、ただ船体だけが揺れていたのもなかなか面白かったです。

 

裏プラクティスでは下重さんが運営の手伝いをしてくれました。ありがとうございました。ミスコンも頑張ってください。ミーティングの話も熱かったです。

 

いやいや書き始めましたがかなり長くなってしまいました。来週は全日本です。ブログは自分のことばかりでしたが四年生へは感謝でいっぱいですし、できるならまだ一緒にヨットがしたいです。下級生としてできる限りレースメンバーの支えになれたらいいと思います。笑って終わりましょう。それでは。

 

 

 

 

 

 


愛を感じて

2024年10月28日 13時38分24秒 | 仰秀シアトルワールド

平素よりお世話になっております、クルーザー4年の友成です。

 

9月28日から10月5日まで開催されました、J24世界選手権について書かせていただきます。

 

私自身のブログでは、世界選手権出場決定から実際に参加するまでの手順、取り組んだことを中心に(後世への記録用として)書かせていただきます。

 

 

前年度の全日本選手権で7位に入り、上位艇の辞退により出場権を獲得いたしました。

いざ、ありがたくも出場が決定したものの、チームとして最後に出場したのは6年前ということもあり、何から手をつければよいのかまったくわからない状態でした。

 

そこからは、ドライブに残されていた過去の先輩方の資料を拝読し、やるべきタスクを整理していく、分担していくということを半ば手探りで行いました。(こういった事務資料にしても座学資料にしても記録として残っているのは非常にありがたい限りです)

 

エントリーの手順や現地での整備計画含めタスクは多くありましたが、大きく分けて二点書こうと思います。

 

 

  • チャーター艇について。これがとにかく大きくて大変な作業だったと思います。3年生の源が主に担当してくれました。3,4月ごろより世界選手権の公式ホームページにアップされているチャーターボートリスト(写真と説明が記載されている)を見て、どの船がよさそうか・速そうかというのを担当者がリストアップしてくれ、皆で話し合って決定しました。船を決定する上では、チャーターフィー・その船の過去の実績、基本搭載備品(艤装の種類)や船底等の状態などを中心に確認しました。5月ごろよりオーナーの方と連絡を取り、計測証明書などエントリーに必要な書類や決済方法の確認など行いました。結果的に艤装も普段使っている状態に近く(ブロック類等は自分達で持ち込みましたが)、コスパ最高の船を選べました。(オーナーの方も非常に親切で現地での買い出しに車まで出していただきました、ありがとうございました)自分達がよく走れるレースもあったのは、良い船を選べたことに尽きると思います。源の目利きともろもろの準備には大変頭が下がります。

 

  • 資金面について。これも航空機・宿泊費・現地での食費・レンタカー代などあらかじめ試算してどのぐらい必要なのかを確かめました。現役強化費で補う分に加えて、それでも足りない分はLBの方からのご寄付・そして自分達で資金を調達する、の二通りの手段を講じました。前者については、LB通信や総会でお話しすることで、どのぐらい必要なのか、またどういう思いで世界選手権に参加したいのかをお話しさせていただきました。結果的に目標額を上回るご寄付をいただけました。後者については、業務用スーパーが行なっているスポーツ支援事業の補助金制度を使わせていただきました。(これは主将の関根が資料作成から面接までやってくれました。)サポートメンバー含め世界選手権という大掛かりな遠征を実現できたのは、まさにLBの皆様のご支援・そして部員の皆の頑張りのおかげです。ありがとうございました。

 

 

最後にはなりますが、この世界選手権では周囲の皆様に支えられていることをとにかく感じる瞬間が多かったです。インスタへの反応をいただけたり、普段活動しているマリーナの方からメールで激励のお言葉をいただいたりと、たくさんの方々から気にかけていただきました。(結果速報が遅れてしまったことに関しまして申し訳ございませんでした。)

改めまして、LB様をはじめとする皆様、一緒に行ってくださった社会人チームの皆様、マリーナの皆様、現地で生活全般のご支援をしてくださったシアトル淡青会の方々、ハーバーの方々、オーナー様、タスクを完璧にこなしてくれたチームメンバー、ご家族の皆様、お世話になった全ての方々に感謝申し上げます。このような自分史のハイライトとなるような貴重な経験をさせていただき、誠にありがとうございました。

 

たくさんの方々のご声援をいただいていることを身に染みて実感したからこそ、レースには大変悔いが残ります。途中まで手中におさめていたU25優勝を逃したことがいまの自分達の実力です。弱さに向き合って、チーム2024を締めくくるべく全うします。

 

 

 

友成遼


猛省と無心

2024年10月27日 23時28分39秒 | 通常練習

お世話になっております。仰秀2年の木藤です。今回はシリーズとしてWorldの振り返りブログです。ただ、僕の場合は各日の振り返りブログにおいて所感は成しています。海外のセーラーとの交流、日本では体感し得ないワールドクラスのビックフリートな雰囲気、第二レース1上でみた景色、尽くせばキリがないのですがまさに言葉にいい尽くせない体験でした。その点に関しては振り返りブログに尽くしたものですから、今回は現在の今後に向けた気持ちを端的に。結果としてU25では3位。色々と僕自身含め個々にもしくはお互いに感じることはあるのでしょうが結果は結果で4日目、最終日のifを語るべくにあらず。個人的にチームでも1番猛省すべきプレーだったものとは思いますしチームには申し訳ない気持ちとミスのトラウマを個人的にズルズルと帰国後も引きずってプレーにブレがあるし邪念が入って何事にも集中しきれていない、精度が悪い自分が持続していることを自覚しています。まずはそのことを自ら断ち切らないと次に繋がらないものとは思っています。それに見合うだけの自信を裏付けるだけのものを積み上げることが、まず次の全日本に向けた目先の課題です。ワールドに関しては明確なことはチームとしては来年のプリマスでリベンジをという意欲を新たにしているところではあります、個人的にもその気持ちは今回の世界の舞台を実際に体感したのちにさらに強いものとなったことは事実なんですが自分は今はそういうことを言っていられる立場でもないので目の前のレースに一つ一つコミットして注力してチームからの僕のプレーへの信頼を取り戻していくより他ないと思います。

日毎の振り返りに思いの丈を託したようにレースの内外にかかわらず本当にいい体験をさせていただきました。大会出場にあたり応援、ご協力いただきました全ての方に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

 

木藤大和

 


勝つまでヨットはやめられない

2024年10月26日 23時21分13秒 | 通常練習

いつもお世話になっております。

クルーザー班3年の源優介です。

久しぶりのブログがワールドのブログということで少し緊張しております。

さて今回シアトルワールドですが私はタクティシャンとして出場しました。レースの様々や生活の様は他の人が書いてくれているので、私はタクティシャンとして出席した審問について書きたいと思います。

ケースが起きたのは2日目の第一レーススタートです。我々がスタートすると下の艇がいきなりタック、でもスピードはないのでその場で停止。我々は気付くのが一歩遅れ相手のヘルムズマンが座るあたりのハルに激突しました。とっさにプロテストを出すも下の艇は「我々は悪くない、あいつらのせいだ」と叫んでいて下の方を指差すがどの船について指さしてるかが全くわからない上に、ぶつかった船がプロテストされたにもかかわらず回転せず、そのままレースを続行していました。
英語でプロテストをするかどうしようか悩みながら、陸に戻ると我々がぶつかった船のタクティシャン(アイルランドチーム)が我々のバースにきており結局ウィットネスとしてプロテストに参加することになりました。


そうして迎えたプロテストタイム。部屋に入るとプロテスト委員会が開口一番
「you are protested by this Irish team」と我々に確認してきました。
プロテストの用紙を見ると後から付け足したように我々のバウナンバーが追加されており結局我々も避けれるのに避けなかったとしてプロテストされました。

我々のバウナンバーは76でした。

 

実はアイルランドチームはぶつかったことにより下の艇と我々の艇に挟まれレースが続行不可能なほどの穴が空いており、我々が悪くなればかなり重いペナルティになりそうだったのです。

でも、英語で論破できるわけもないのでひたすら
We avoided as soon as possible と言いまくりました。

蓋を開けてみると4艇が関わっていたケースということもあり1時間ほどの時間をかけ最終的には無罪放免となりました。
無事に切り抜けた安心と達成感でその日はその後ずっとふわふわしていた気がします。

どんだけ気をつけていても衝突は起こってしまうものではありますが、こんなに体力を使うことは2度としたくないと思うと共にこんなことは2度とないだろうからとてもいい経験でありました。

 

ちなみにケースの内容としては上から船の名前を1.2.3.4(4が仰秀)とすると1がまず2のラダーにぶつかり上らされタックし、その船を避けようと3がタックしそのふねに4がぶつかったというものです。


無罪放免とはなりましたが今振り返るとそのケースがあってからいいレースが全くなかったので、ワールドに我々はまんまと飲まれてしまったのだと思います。


後から振り返ってみると、技術面でも足りないところはまだまだありましたがそれよりも精神面で足りないところがいっぱいあったのだと感じています。

しかし、ワールド本番はもちろん、ワールド前の準備を含め(私はボートをチャーターする担当でした)人間的にもヨット的にもかなり成長できました。
チャーターボートという数ある大事な仕事のうち一つをなしとげられたというのは今後の人生で自分に自信と勇気を与えてくれるものになるはずです。
 


最後になりましたが、このような素晴らしい体験をできたのは、応援・ご支援してくださったLBの皆様、J/24関東フリートの皆様、その他多くの方のお力添えがあってです。本当にありがとうございました。

今後とも精進して参りますのでよろしくお願いいたします。

これで私のブログを締めさせていただきます。

源優介

 


マイナスからゼロに向けて

2024年10月25日 22時45分43秒 | 通常練習

お世話になっております。2年(?)の下村です。

 

部費だけでなくブログについても滞納をしてしまっていて、今更特定のクールについて書くのは少し不自然な気がするので夏全体を個人的に振り返るつもりで書きます。

 

今年の夏合宿は2年生になったというのはもちろん、スナイプクルー不足がちなのもあって去年とは桁違いにヨットに乗る機会があった気がします。また、強風の日がしんどくて記憶に残るからそう感じるだけかもしれないですが風が強く吹くことが多かった気もします。僕はあまり体力がないのでいつも疲れ果てて夜はすぐ寝ていました。ぐんぐんできることが増えていくのを感じた春に比べ、自身の成長を感じにくく個人的には精神的にもしんどく感じることが多かったです。ただ、秋インシリーズの結果が示したように、夏合宿を経て、少なくともレースメンバーについては実力を大きく伸ばしました。3年目4年目のレースメンバーは自分よりも成長を感じる機会が少なくてもおかしくないのに夏合宿の間にこれだけ上手くなれるのだから、自分もモチベーションを高く保って少しずつ成長していかなければならないと思いました。

↑同期のdjdjdidくんもe-sailing レースメンバーとして、合宿を経ての成長を結果で示してくれました。負けてはいられません。

 

なんやかんやあって自分は今マイナス的な要素を多く抱えている気がするので、それらを清算すべく漆黒の意思を持って0に向かって行きたいです。

 

すごく余談ですが、いつかスティール・ボール・ラン的な感じで太平洋横断ヨットレースをいつかジョジョでやって欲しいなと最近思ってます。


Don't Look Back in Anger

2024年10月25日 02時05分09秒 | 仰秀シアトルワールド

お世話になっております。
クルーザー班3年の杉山です。


10月上旬に行われたWorld Championship 2024の振り返りをしたいと思います。
今回の遠征は運営の方々をはじめ、仰秀を応援してくださりご支援くださった皆様、シアトル淡青会の皆様、シアトル現地の方々、その他多くの方々に大変お世話になり、実現したものでした。
ワールド出場という貴重な機会をいただけたこと、深く感謝しております。ありがとうございました。

シアトルの海は冷たく、風は色々なコンディションがありました。
1日目は風待ちから北風が入ってきて、レースを始める頃にはジブにチェンジし、ランニング中に弱まりジェノアに戻すような風。2日目は北風でラルパフの激しい軽風、3日目は安定した北風中風、4日目はがらりと変わって冷たい雨が降り注ぎ、初めて経験するほど不安定なフレとラルパフの南風強風。最後の下レグにはすっかり晴れて風がパタッとなくなりDNFギリギリのフィニッシュ。そして最終日、5日目は風待ちからなんとか北風が入り軽風~中風で最終レースを終えました。

成績としては
36-6-14-26-44-24-39-(55)-40 計229点
56艇中31位、U25で5艇中3位、2位まであと13点、1位まであと17点

非常に悔しい結果に終わりました。
関根さんのヘルム、友成さんのヘッドセールトリム、源ちゃんのコースがあれば、僕らの走りができれば優勝は狙える、2日目を終えてそう思いました。しかし慣れないビッグフリート、聞き取れない英語、意見の相違、1週間を超え疲れの出てきたアメリカ生活など、様々な要因がそれを難しくし、結果的に順位を落としてしまいました。
最終日はできて1レースだろうという前評判の通り、朝からAP。1位とは19点差。56艇のレースでは追いつくことも不可能ではない、そんな状況でした。順位が決まる最後のレース、下側にはU25の1位2位のチームが並んでいました。別の船に下に入られ、ケアしながらバウアップしたところ最悪のリコール。下の船をすべてよけると船団とは既に大きな差が生まれていました。集中して走るしかない中、少しずつ順位を上げましたが、何も特別なことは起こりませんでした。U25の1位・2位のチームは気付けばほぼ真横でフィニッシュ。どちらも大きく崩していたために、スタートがうまくいけば優勝はありえたのではないか。隣で優勝の喜びを身体いっぱいで表現するU25優勝チームを横目に見ながら、悔しさと無念さが胸いっぱいに広がりました。

なんだかうまくいかない、なんだか空気が濁っている、そう感じながらそれを改善できずズルズル悪いレースを続けてしまう、そんな状況を打破できなかったことが、すごく悔しいです。


最終レースが終わりチャーター艇の上架などを行った後、立派なミュージアムでクロージングセレモニーに参加しました。
日本から参戦した月光ダイアナチームは4位、シエスタチームは5位という好成績で、表彰されていました。
U25は優勝がアメリカのsaltineチーム、2位がアメリカ・地元シアトルのsparkチーム、3位が我々、4位がドイツのItchy&Scratchyチーム、5位がアメリカ・コロラド州のShell Shocked、6位がアメリカ・ニューヨーク州のSeaweedチームでした。
表彰式は粛々と聞いていたのですが、表彰式が終わり自由時間になったとき、優勝したSaltineチームのメンバーと話すことができました。
Saltineチームは幼少期に同じヨットクラブに所属していたメンバーが、大学生になりアメリカ全土に散らばったのち、久しぶりに結成したチームだったそうでした。珍しく青色のハルをしていた僕らの船をずっと気にしていたらしく、"You all are wonderful competitors! The blue boat was always very fast!と褒めてくれました。
また係留バースが隣だったジャーマニー達は友達同士でワールドによく出場しているらしく、いつまでもイケメンでクレイジーでした。

U25チームのみんな、ナイスガイばかりでした。

閉会式の後U25のチームと話し、記念に写真を撮ってもらったことでやりきれない気持ちは次第に晴れ、良い大会だった、貴重な体験だった、と充足感が満ちてきて、アメリカ最後の夜が終わりました。

しかし日本に戻れば悔しさは再び生まれ、心から消えません。
来年のワールドはイギリスのプリマス。叶うことならもう一度出たい、と思っています。

日本に戻ってきて、ヨットに関わる人たちから2日目の1上1位回航を褒めてもらい、関心を持ってくれる嬉しさとともに最後まで1位を維持できなかった不甲斐なさを痛感します。

去年の全日本で出場権を獲得してから、自分の中でシアトルワールドは特別な目標でした。せっかく先輩方が掴んでくれ、多くの方に応援してもらっているからこそ、ワールドのためなら時間と労力は惜しまない心意気でいようと思っていました。世界を知るBigな男になって帰ってくることを夢見ていました。しかし詰めが甘かった。
これからはヨットの目標は全日本に定め、この代の集大成を万全の準備で臨みます。また、目を背けつつあった学科の勉強にも精を出していきたいと思います。

実際にワールドに出てみて、セーリングを通して世界の人々と通じ合えた喜び、仰秀というチームの知名度、J/24協会やヨットクラブの歴史など多くのことを体験できました。
初めての海外で、貴重で最高の体験をさせていただきました。

 

クルーザー班3年 杉山太智



さいごに少しまちの感想と写真を。

ヨットクラブのあったバラード地区は生活の安定した人が多く、街並みも治安もすごく落ち着いた場所でした。高い建物は少なく、樹木が針葉樹林で日本では珍しい街路の光景でした。穏やかな感じがすごく気に入りました。

シアトル中心部は海から丘になっており、高層ビルの形成するスカイラインがとてもきれいでした。海沿いとPikes Marketは観光地化されていて人で賑わっていました。観光は少ししかできなかったのでまたいつか訪れてみたいです。

↑シアトル市街地

↑1上トップ回航の瞬間

↑トップ回航後6位フィニッシュを受けてのインスペクション立ち入り

↑さむさむ~

↑U25優勝Saltineチームの表彰

↑優勝のSaltineチームと

↑ジャーマニーたちと

↑U25トロフィーも持たせてもらいました

↑シアトル淡青会の方とのパーティー。送迎や炊飯器など大変お世話になりありがとうございました。


シアトルワールド

2024年10月24日 22時59分00秒 | 通常練習

お世話になっております。クルーザー班2年の古川です。

引き続きシアトルワールドの振り返りをします。


とにかく悔いが残る終わり方でした。最終レースの日は調子の良かった二日目の海況に似た風待ち後の微風でレースが始まるというものでした。今回のワールドではフォアデッキをポジション固定せず、ヒールの潰し具合を考えて自分は強風時ピット、微風時バウマンというものでした。最終レースは微風でバウマンをやっておりました。結果はスタートで前に出過ぎてリコールが生じ解消のせいで大きく出遅れ思うように順位を上げられず44位フィニッシュ。U25で1位の艇は近い位置でフィニッシュしており最終レース前では20点の差がついていたので二日目と同じようなスタートをできて上位を取れていれば勝てていました。微風(我々の体重で起こせる限界の強さの風)での走りは二日目のレースからもかなり好感触を持ってもいました。強風時はやはり確実に400kgないと厳しいということは今回のワールドで実感できました。最終レーススタート直前ではこのまま進めば下に艇がいるのでスピードを殺さずジャストで出るなら良いスタートでありましたがもし高い位置にいることがわかっていたならば前の艇の下に行く判断を即決でできていたはずでした。その判断をするべき時点で自分はその時のスピード的に高い位置にいるのか低い位置にいるのか自信がないままずるずる下に艇がいるまま大きな進路変更をせずに進み結果リコールとなったのです。位置が高いか低いかに関して自信がないことを伝えるなど、バカロスの情報が見えている人に位置が高いか低いか判断してもらうなど、もう少し後ろに進路決定を委ねるなどもう少しやりようがありました。

とにかくくよくよしてばかりはいられないので全日本選手権に向けて精進してまいりたい所存です。


古川諒真


10/19(土)は、29のマストをはめた後、52に乗せ替わって赤旗江ノ島回航をしました。10/20(日)は、赤旗でオフになりました。

2024年10月24日 22時06分40秒 | 通常練習

お世話になっております。ディンギー班3年470スキッパーの松本悠汰です。

10/19,20の活動報告を終わらせていただきます。

 

 


 

今週はヨットに乗った時間が短すぎたのでタイトルで活動報告を完結させていただきました。このまま終わると怒られそうなので、オフの過ごし方について書かせていただきます。

 

6:00起床

部員一同終日赤旗であることを悟りオフが確定。

2,4年生は足早に帰る中、3年生ズはいつも通りのマイペースを発揮し、合宿所で優雅にくつろいでいました。

 

11:00 合宿所発

重すぎる腰を上げてついに僕と三上クンは脱合宿所を果たす。

ここで僕は川越祭りに行くことを決意し、隣にいた三上クンを誘った。三上君は女がいるなら行くと言うので、ついでに今ぽさんも誘った。脅威のフットワークの軽さを誇る今ぽさんが来ることで、三上クンを川越に連れ出すことに成功。

 

13:30 川越着

僕は一足先に祭り会場に到着し、祭りに来ていた母親の元へ。ママ活に成功し、活動資金を入手。

15:00 今川御一行と合流

意気揚々と祭り会場へ!!

 

↑川越祭り名物の山車に圧倒される人々。

 

ひとしきり歩いた後、ラムネとビールを片手にちょっと休憩。

 

18:00 辺りはすっかり暗くなり、祭りもクライマックスへと向かっていく。

 

↑夜の氷川神社も中々に雰囲気があって良き。

 

↑ラムネ、じゃがバター、チョコバナナ、フルーツ飴の祭り四天王を制覇し、大満足の様子。

 

↑山車を引く人々とそれを見つめる人々に押し潰されながらも記念写真をパシャリ。三上クンは彼女にお土産を買ってご満悦。

 

輪投げを一つ入れるだけでSwitchゲットとなるボーナスステージにチャレンジするもあえなく撃沈。ちゃんとバイトして買います。

 

20:00 目的を全て果たした今川御一行は祭り会場を後にする。

 

21:00 川越駅に着くも、今ぽさんが名残惜しそうな顔をしていたので、飲み屋に入る。

↑顔が火照り、ぶりっ子ポーズをする今ぽさんと。

23:30 良い感じに出来上がった3人は再会を誓って各々帰路につく。

 

以上、オフの活動報告でした。