レース1日目の各自の動き。細かいですが、1年生を含めこれだけ各自が様々な役割を果たしました。ありがとうございました。
レース1日目の各自の動き。細かいですが、1年生を含めこれだけ各自が様々な役割を果たしました。ありがとうございました。
お世話になっています。
ディンギー班主将の西尾です。
卒論の中間発表が今週の火曜に終わり、
それから大掃除に、試薬整理と、
夏休み前の諸々の作業を終わらせているところです。
今週末でこんがり焼けたと思ったら、皮がどんどんむけちゃって、
なんとも研究者らしくない顔で教授陣を前に発表しました。実験サボってるって一瞬でばれた気がします、、、
なにはともあれ、無事終わってよかったです。
さて、先週末七大学戦が行われました。
成績は470が4位、snipeが1位、総合が2位でした。
皆さんもご存じのとおり、我ら東大が主幹校で、
正直に言うと、本当に大変だったたなあと感じます。
大会運営面、競技面、両方とも書きたいことがいっぱいあって、何から書き始めようかと、、
まずは、なーしーと、やまこうへ。
この二人をなくしては、今大会を成立させることはできなかったです。お疲れ様。
時を戻して、昨年の東北大学が開催して下さった、七大学戦。
僕らは当日、閖上ハーバーに行って、チャーターもらって、整備して、大会でて。
横目で、東北大学さんが必死になって大会運営されてる姿を見て、来年本当に僕らでこのような大会をできるのかなあ、と不安でした。
思えば、代替わり直後から八景島開催or葉山開催論争があり、、、
新クラブハウスの工事の進捗によるけど、どう転じるか全くわからない、、
それに加えて、いつ開催するのか?、
これもなかなか決まらなかったです
ともあれ、七大学の主責任を中静、山本が務めてくれることになり、、、
七大の運営の全権を与えるから、うまくやってほしい、という
おおざっぱで、しかも難しいリクエストを二人にしました。
はじめのうちは何をすればいいのか、どこまで僕が介入すべきなのか、距離間がうまくつかめなくて、苦労しました。
でも、気づけば僕の想像をはるかに超える、リーダーシップを発揮し、この大会を無事成功させてくれました。
予算作成、アンパイアフリート制に始まり、トラッキングシステムの導入、当日の運営、人員配置に至るまで、本当にたくさんのことがあったと思います。
一つ一つ、僕なりの思い出もありますが、きっと後で
なーしーがたっぷり書いてくれると思うので、そっちに期待しましょう。
本来であれば、僕をはじめ4年生が担うべき仕事だったと思いますが、
やり切ってくれたこと、本当に感謝してます。ありがとう!
他にも今大会を通して、多くの人がこの大会を支えて下さったことを身に染みて感じました。
運営委員長を務めて下さった植地様をはじめ、運営委員のLBの皆様。大会の数か月前から度重なるmtgをしながら、入念に準備して下さりました。何度も何度も失礼なことを致しましたが、最後まで温かく支え続けて下さったこと、感謝しています。
また、大会当日には大会委員長の松下先生、レース委員長の戸沢様、そのほかたくさんの若手LBさんが今大会のレース運営を担って下さいました。
また、観覧艇をご準備下さり、陸と海との両方で熱い声援を送ってくださったLB様、
本当に今大会には数多くのLB様が駆けつけて下さり、現役とLBさんが一体となって作り上げることができたのではないか、と思います。ありがとうございました。
小松コーチに、矢野さん、本多さんと、コーチでありつつも、今大会の海上運営の要を担って下さり、より質の高い運営ができるようにしてくださいました。
レースについてはのちほど触れますが、これから秋に向けてより一層よろしくお願いします。
そして、アンパイアフリート制の導入に大きく貢献いただいた岡部様、チーフアンパイアの渡邊様、プロテスト委員長の浅田様をはじめアンパイアの方々のおかげにより、
慣れない制度ではありましたが、無事にアンパイアフリート制でレースをすることができました。SIの作成から、当日のブリーフィング、海上ジャッジに至るまで丁寧に行ってくださったこと、大変感謝しています。
また、本大会のもう一つの特徴は、トラッキングシステムを導入したことです。このシステムを導入できたことで、レースに出た選手がレース反省に便利だけでなく、陸に残る部員や応援して下さるOBさんが多いこの七大学戦で、多くの人がライブで楽しむことができたのではないかと思います。関係者の皆様、大変ありがとうございました。さらに、今大会ではメディアボートをだして、海上で多くの写真をとってもらいました。川田さん、羽田さんありがとうございました。
(メディアボートの運転手、2年のゆうた。悠太が笑顔で写真を撮ってくれると、こっちも笑顔になります。ありがとう。やっぱりあざとい(笑))
大会調整、また陰ながら今大会を支えて下さった葉山新港の職員の皆様、チャーター艇を貸してくださった葉山・江の島の大学の皆様、ありがとうございました。中には無理なお願いも多々あったと思いますが、ご対応頂きありがとうございました。
そして、七大学のみなさん。
葉山までおいで下さり、ありがとうございました。事前から関係者mtg等しましたが、僕らが想定してなかった質問やご指摘をたくさん頂きました。中には、そこまで準備しているんだ!とか、めちゃくちゃSI読み込んでるなあ!とか、驚くものもあり、他大学が大会にむけて本当に入念に準備されていることを今大会で学ぶことができました。
今大会の実施にご協力くださって、本当にありがとうございました。
この七大学が小戸でもう一度対面して熱い戦いができること、願ってます。
そして、京都大学さん、総合優勝おめでとうございます。(悔しいですが、完敗でした、、、また出直してきます)
そして、何より部員のみんなへ。
2年生以上は、ほぼほぼ全員がなんらかの仕事を任され、中には二つ、三つ、と仕事を掛け持ちしている人も多くいたと思います。
チャーターの引き渡しから、海上運営、陸上本部、レセプション等々、数えきれないタスクがあって、それらを着実にこなし、臨機応変に対応してくれたみんなを誇りに思います。
今大会の本船は、なんとギョウシュウ。
そう、クルーザー班からも連日お手伝い頂きました。ディンギーのレースにクルーザー班が来てくれるの嬉しかったです。ありがとう。
そして、一年生。入部したてて、葉山に来るのは新勧以来だったと思います。何がどうとか分からない中でも、楽しそうにレース手伝いしてくれたことが印象的でした。
僕は閉会式が終わったあと、これらを全部今から片づけるのかと思い、途方に暮れていましたが、部員57名の底力は偉大でした。それぞれが先回りして、効率よく終わるように、またパワーで押しきるところは押し切って、、、このチームなら、これから何でもできる気がします!
連日、うだるような暑さ。そして、それぞれがテストに追われてるときなのに、全力を注いでくれたこと、本当に本当にありがとう。
みんなの活躍、ここには書ききれないけど、僕はたくさん見たし、たくさん聞いたし、たとえ僕が気づけてなくても、きっと誰かが見てくれています。
なんか、引退ブログみたいになっちゃったけど、僕はまだまだ部にへばりついているので、ご安心を、笑
新クラブハウスへの引っ越しに、お披露目会、六大学戦とまだまだ部として乗り切らないことたくさんあります。これからもよろしく!
さてさて、こう振り返ってみると、今大会が多くの人の手によって成功へ導いてくれたこと、改めて実感します。
一人でできることは限られているけれど、みんなでやればどんな大きいことでもやり遂げられる、そういうことを体感できました。
最後にちょっこっと、競技面を。
大野の見事なくじ運により、今年も無事14艇の中で一番古い船に僕が乗ることになりました。
実は昨年の七大学は27番台で、化石といわれた船。
今年は、29番台。去年よりはだいぶ艇番が新しくなりました(笑)
でも、船をよく見ると、、、あれ?メインカムがない。
トラベラーがない、、、トラベラーつけるには船に穴開けないと無理やん、、、
ということに気づき、バンガーになるという、スナイパーになってからの初の挑戦でした。
大野を恨みに恨みました。
なんちゃって、
でも、この3日間だけは、この船を労わろう。そう思って、すべての時間をこの船に注ぎました。
そのおかげで、ほぼほぼ運営はみんなに丸投げしてしまったんだけど、、、
色々工夫はするけれど、バンガーと、ザブンザブン浸水してくる水は、僕にはどうしようもなかった。
1, 2レース目。なんとかリカバーしつつ、2, 1位とまとめて、いい兆しが見えてきたーと思ったところで、3レース目。1, 2レース目の貯金がすべて消え去った。
正直、僕のキャパが限界でした。それをなんとか誤魔化し、周りの助けももらいながら頑張ってきたけど、3レース目が終わったあと自分の中の何かが途切れてしまった。
ランニングはスピードでないし、クローズのスピードは自分が一番遅く感じる。
ただでさえ、さまざまなストレスがかかってる中で、、
絶望してたと思う、というか、絶望してた。もう、どうしていいのか、正直わからない。
感情が外に現れやすくて、帰着後やレセプション中、負のオーラが表情に出てたかな、、、ごめんなさい。
「50%の力しか出せないんだったら、その50%の100%を出せ」
つまりは、どんな状況であっても、自分のベストを尽くし続けよう、ということ。イチローさんの言葉です。やっぱり、イチローさんは人格が違います。
実はすごく感情の起伏が激しいと僕は思います。おそらく、それは三上が一番わかってると思いますが、、、
50%しか出せないかもって思ってるときというのは、なんかどうでもよくなって、
10%しか力出せなかったり、そもそも0%になったり。
今回もあろうことか、ここで勝負から下りたら楽だろうなって。そんなことをぼやいてました。
この大会、みんなが必死になってる中で情けない、、、
まだまだだなあ、、、メンタル的にも、技術的にも
そんな中、とある先輩に助けてもらい、なんとかその夜気持ちを落ち着かせて、、、
何度も何度も何度も励まされて、、、
そして次の日。気持ち入れ替えて、落ち気味の北風でスタート。
東大2艇はまずまずの順位で1上を回るも、ノーレース。
南に回って、再レース。右に風がシフトしていく中で、左に取り残された自分。焦りに焦りました。でも、大野がなんとか前を走ってくれてる。点数計算をしつつ、前を大野にお願いし、僕はやるべきことを淡々とこなす。
最後、ゴールした瞬間。そして、スナイプ優勝が確定した瞬間。
最高でした
これだからやめられない
レースメンバーだけでなく、サポートしてくれてる部員、運営してくれてる方々、応援してくれる方々、と喜びを共有できること、やっぱり最高にうれしい。
そして、残りラスト、無我夢中で頑張ろう、そう誓えた。
全日本インカレで総合入賞する、その瞬間をこのチームで迎えよう。
そのためには、どんなことがあっても、くじけず、ただただ前だけをむいて頑張っていこう。
今後とも応援のほどよろしくお願いします!
そして、この七大学戦に関わってくださったすべての皆様、本当にありがとうございました。
ディンギー班主将 西尾拓大
P.S. 1年の芸だしのおかげで、ちょっと気持ちが晴れました。お疲れさま。なかやまキンニク?を知らないのは僕だけなのか、いつか確かめたいです
この写真からでも必死に取り組んでくれてたことが伝わりやす!
この船にも愛着湧きました。でも、やっぱり308が一番だね。
あと、三上お疲れさん。こっから、全スナ、全個、頑張ろう。
お世話になっております。470スキッパーの成相です。
七大戦の振り返りブログ。
全然納得できる結果ではありませんでした。
個人としては、2日間しっかりレースに出て、個人成績3位、470チームとしては、クラス優勝、そして、東大ヨット部としては、総合優勝を目指していました。
ですが、一つも達成できませんでした。
思えば、代交代が行われた東北大学戦でレギュラーから外れ、その後の春イン前でレギュラーに復帰して92に乗ってから、目標と実力の乖離に苦しんでいる気がします。春インでも悔しいというか、呆然とするような結果で終わってしまいました。もちろん、新歓とレギュラーとしての責務みたいなものでなかなか練習に集中できなかったから、春インが爆風1レースであったからという言い訳もあります。しかし、個人戦では、練習期間もあったし、92にも乗りまくっていたと思うし、レース数も多かったし、要は言い訳がほとんどない中で、よくない成績で終わってしまいました。その後は、オリンピックウィークであったり、関東470決勝であったり、フリートレースが続く中、29という素晴らしい船になぜか乗る機会をもらいましたが、思うような成績を残せないで29の時期も終了しました。
そのような状況で、七大戦を迎えました。七大戦に向けての個人としての思いは強かったと思います。チームがあまりうまくいっていない中で、何か形を残して、いい方向性にもっていきたい。そして、自分が3日間出ることは、濃厚であったので、七大戦でチームの目標を達成するには、自分の努力が必要、そんな気持ちで七大戦に臨みました。
まず、1日目。
明治の4430と日大の46何たらの船を高天さんがくじで引いてきました。くじ運はよかったのではないかと感じました。もちろん、2日目に澤田が出ることは決定していたので、自分と丸山さんが艇番の低い方に乗ることは金曜日の夜に澤田には伝えていました。なので、明治の4430にしました。整備して、午後から意外と吹いている中、プラクティスレースを1レースやりました。結果は、2位でまずまずのできでした。プラクティスレースは、結果よりも、船の不具合の確認の方が主だったので、船の整備項目がたくさんあることに気づいたのは、よかったです。センターがささらないし、カニンガムが引けないし、トラベラーが引けないし、整備項目が多く見つかりました。七大戦は、整備力や即応力みたいなものも問われるので、そういった意味で整備をすることは重要でした。整備が終わり、どの大学も休憩している中、東大だけはブリーフィングの後に出艇し、整備項目の有無や船の感覚を確かめました。そういった意味で、澤田も僕も言葉にはしていませんでしたが、この大会にかける思いがあったのではないかと思います。着艇後、整備をして、船に文句がない状況にして、この日は終了しました。
2日目。
意外と吹いている中、3レースを行いました。1レース目、下1でスタートして、色々失敗したけど、2位フィニッシュ、そして、澤田も6番くらいでフィニッシュしたので、合計点も一桁で最初にしてはまずまずでした。しかし、実際は、澤田がリコールしていたので、芳しくない結果でした。2レース目、スタートの準備ができてなかったり、下有利であることを把握できていなかったりと、自分たちは最悪のスタートをしてしまいました。今回のレースで今まで課題であったスタートの改善も達成しなければならないことの一つであったので、悔やまれるスタートでした。しかし、澤田が1上でトップで回っているのを見て、自分たちも頑張らないといけないと感じ、勇気をもらいました。3レース目は、澤田とひろきが交代することになり、スナイプのレース中の約2時間弱を船の感覚やレース海面の調査に費やしました。このレースは、どちらの船もまずまずのスタートをして、あとはコースやボートスピードの戦いでした。結果は、合計11点でよくありませんでしたが、このレースで2日目のレースを終了しました。実は、僕はレセプション担当だったので、レセプションの準備を着艇後しました。その後、船の整備を行いました。諸々の片付けをして、疲れたので、この辺で就寝しました。
3日目。
この日は、微風予報で、レースができないかと思われていましたが、北風が案外吹いていたので、北風の中、470はレースを行いました。この日は、高天さんも出ているので、二人で合計一桁台をキープして2レース行えば、妥協点の目標には達成するだろうということで、とにかく前を走ることを意識しました。スタートも自分が下ピンで、高天さんが上ピンでスタートをしているのを見て、ピンを二人でしっかりと抑えてスタートできたのはよかったですが、その後のコースの選択ミスや抑えるべき船を抑えられずに、フィニッシュしてしまいました。その後は、風が凪ってしまい、南風の中スナイプが1レースやって、終了してしまいました。大野さんがフィニッシュして、西尾さんが京大の前でフィニッシュするかがスナイプがクラス優勝するかどうかを決定するので、みんな固唾を呑んで待っていたのが印象的でした。スナイプが優勝した時、もちろん嬉しかったですが、それと同時に総合優勝できなかったのは、470のせいだと感じていたので、申し訳ない気持ちもありました。さらに、470の賞状獲得もなくなり、いまだに賞状を手に入れていないのは悔やまれる気持ちです。
レースは、自分にとっては、あまり喜ばしいものではなく終了してしまいましたが、今回の大会を無事に成功させたのは、中静をはじめ、多くの部員のおかげであると思います。中静とかが平日にミーティングをしていたり、準備をしていたことは知っていました。また、この大会中でも夜遅くまで準備していたことも知っていました。その努力の甲斐もあって、無事終えられたのは、よかったと思います。ありがとうございました。
もう残すは、秋のインカレのみになってしまいました。最後にこのチームで良い結果を残せるように今後も練習していきますので、今後ともよろしくお願いします。
成相悠喬
よくスタート前にチャットで「良いレースを!」と発言している人がいますが、あれ僕です。きもちいセーリングはきもちい挨拶から。みなさんもマナーを守ってエンジョイ・セーリングしましょう。
先週末の練習報告をします。
7/6(木)
自主練終わりに大学セーラー御用達のヨット用品店・海洋サービスに買い出しに行きました。今まで仮店舗の仮店舗(森戸海岸の近く)だったのが、リニューアルした本店舗(橋を渡ったとこ)に移っていたので結構遠くなってしまいました。まあ、推しの店員さんと話せたのでよかったです。いつもふわふわしていて、僕たちの癒しでございます。閉店時間までありがとうございました。
↑連日の自主練でなかなか黒くなってしまった同期たち。駒場では人目が気になっても、葉山に来たら普通です。
そのあと夢庵に行って、夢庵御膳を食べました。美味しかったです。
↑ドリンクバーでコーラフロートを自作してきて、あざとく頬張る悠汰。食べ合わせが心配。
7/7(金)
自主練しました。葉山港にかなり濃い霧がかかっており、出艇を1時間ほど延期しました。市毛くんこと、エイの裏側と一緒に乗りました。中静艇を含めた4艇でのコース練の1本目でトップフィニッシュしました。エイと「タックロスがなかったのかな?」とか「コースがよかったのかも!」とかウキウキ話していると、中静艇にゴミが引っかかっているだけでした。
その後、かなりフラストレーションの溜まるタクティクスを仕掛けてきた天野/遠藤艇に憤死しそうになりながら、14時着艇して八景島に向かいました。因縁の場所に...。
その前の週に八景島の新入生練習で起きた諸々の珍事について、ここで書くことは憚られます。雄弁は銀、沈黙は金、森崎はウィン。気になる人は滝沢ガレソにでも聞いてください。
消灯後に冷凍ポテトを揚げて、夜遅くまで自販機コーナーで勉強していた1年生たちにあげました。不評でした。萎えました。
↑横国に売ってもらったセンターボード。サイズは...。
↑ピッタリはまった!ありがとうございました。
7/8(土)
強風で海に出られなかったです。午前は整備や七大戦の準備をして、午後は広場でサッカーをすることにしました。ロコモコ丼(写真撮るの忘れてしまった)を食べていざ広場に向かうと、そこには見慣れた顔ぶれが...。横国が先に来ていました。
ちょうどええわい!ってことで、センターボードをかけて横国と試合しました。勝ったらタダ、負けたら3万。試合前の円陣で気合注入。これほどまでに団結したヨット部を見たことがありませんでした。
木村くんのスーパーゴールをはじめとして、本当に1年生はみんな運動神経が高くてびっくりしました。若いっていいなあ、来年以降もヨット部は安泰だなあ、と、若手LB化した僕たち上級生は後輩に羨望の眼差しを送っていました。
結局GKだったはずの荒井のたくちゃんがゴールを空けていた隙に向こうの決勝点が決まり、惜しくも負けました。
↑第1回センターボード争奪サッカー大会、試合前の集合写真。荒井くん、守屋くん、あとでPayPayの番号送っときます。
晩御飯は油淋鶏でした。めちゃくちゃ美味しかったです。ごちそうさまでした。
7/9(日)
七大戦前の引っ越しをしました。楽しかったです。
↑書くことがないので、オシャレの意味を履き違えていそうな五熊くんの写真を載せておきます。
7/10(月)
家庭教師のバイトをしました。楽しかったです。
7/11(火)
そーまと疾風の回航をしました。富津岬の方にもちょこっと行きました。
↑絶好の回航日和で満面の笑みを浮かべるそーまと。新しく買ったという、「あうくりー」の「じゃうぶれいかー」をかけてご満悦の様子。
葉山で47が自主練していたので、昼休憩の時に47スキッパーをやりました。でもそれほどハイクアウトしないのであまり面白くはなかったです。スナイプクルーの性でしょうか。
今週も楽しかったです。おやすみなさい。
2年 スナイプチーム
三上瑛司
出身は兵庫県の西宮です。甲子園球場があります。小・中学校では、市の総合運動大会で甲子園で組体操をすることができました。甲子園といえば、惜しくも敗退決定した高校球児が、泣きながら甲子園の土を持って帰るシーンが有名です。なので組体操中に球場の土を持って帰ろうとする輩が必ず現れます。僕もその1人でした。しかし僕の立ち位置は芝生の上でした。ピラミッドしながら土を持ち帰る計画は頓挫しました。僕は芝生の草を体操服の後ろポケットに忍ばせ帰還しました。
今となってはその草がどこに行ったのか分かりません。
高校は大阪教育大学附属池田です。東大志望者における合格者の割合が60%(3/5)と超進学校のはずですが、なぜかこの話をすると鼻で笑われます。
ヨット部に入った理由は新歓の際に海の楽しさに触れたからです。4年間頑張ります!