東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

スタートで負けた

2019年11月29日 19時38分09秒 | レース反省

こんにちは、クルーザー班1年バウマンの青木維摩です。11月23、24日のJ/24関東選手権で始めてバウマンとしてレースに出場しました。

今回の関東選手権は土曜日が強風で中止で、日曜日に2レース行われました。結果は10艇中8位。率直に言ってスタートで負けてしまった。特に2レース目は完全にスタートが敗因だったと思います。ヨットレースはスタートが6割、スタートの責任の半分はバウマンにあると言われるように、スタートで負けた関東選手権の8位という成績に対して自分の責任を痛感しています。

1レース目は下有利15°のスタートライン。バウマン初心者の自分にとってはすごく位置どりが難しい状況でした。事前の話し合いではポートスタートは厳しそうだから出来るたげ下側から出られるポジションで出て、ポートスタートしてくる艇がいたらその船にスターボをかけようということになった。ウエイティングラインに着いた時にはスターボ艇団のアウターより2艇目。まあまあ悪くないポジションでした。上側の船に比べたらバウも出ていた。しかし加速しても下有利がきつすぎてなかなかスタートをきれなかった。仰秀のすごいの前を月光、月光DAIANA、だぼはぜが横切っていった。その時点でその3艇に対する負けは決まってしまい、3位以上の可能性もほぼなくなった。でも他の艇は仰秀と同様にスタートラインをきれずにいたから勝負はまだ決まっていなかったが、1上マークの直前でスターボ艇にミートして避けて一回転してして大きく順位を落としてしまい、結果は8位。バウマンとしてはとても悔しいレースでした。

2レース目はほぼフラットなスタートライン。事前の話し合いでは右海面に行きたいから上側でオンタイム優先で出ようと決まった。ウエイティングラインにつけようとタックした直後、ポートの艇団が仰秀に迫っていた。艇団への対応を指示できず下側の艇団が作ったウエイティングラインより1艇身低くなってしまった。スタートラインを切るまで下側の艇との関係は変わらず、5〜10秒遅れのホープレスポジションでのスタートになってしまった。その後もスタートラインを切った順番は変わることなくフィッシュまでいってしまった。スタートで負けが決まってしまったレースでした。

自分のスタートの大きな弱みはオンタイム〜5秒遅れのスタートがなかなかできないこと。原因は加速のタイミングを強気な時間にできないこと。練習でもリコールすることはほとんどないが、10秒以上遅れる回数はとても多い。2レース目では自分は25秒加速の指示を出していたが、35秒の時点で25秒じゃ足りないかもとは思っていた。でもリコールを恐れて決断できなかった。下側のスペースが十分にあるならもっと強気な決断をしなくちゃいけない。結局は自分はチキンなんだと思う。

全日本選手権に出させてもらった時は、クルーザー班にまだお客様気分で来ていたのかもしれない。代替わりしてからは仰秀の一員としての自覚が高まり、積極的にチームに関われるようになったと思う。それとともにレースで勝ちたいという思いも強くなった。関東選手権で負けてからさらに強くなった。11月30日、12月1日にはプレアニオルズカップが迫っている。このレースではスタートはレース後ミーティングで話し合われないくらい良いスタートを決めたい。12月8日にはフリートレースもある。関東選手権とあまり変わらないチームが集まる中で、関東選手権で負けたチームにリベンジしたい。今の走りならスタートを上手く決められれば、レースも勝てると思っている。

これからも仰秀の応援よろしくお願いします。

1年 クルーザー班 青木維摩

 

 


2つのレース反省を同時にやると文章は冗長になる

2019年11月29日 16時01分00秒 | レース反省
こんばんは。新4年470クルーの大橋です。先週の11/20〜24にかけて江の島で全日本470選手権大会が開催され、僕を含め東大から3艇参加することができました。

以下リザルトです。(全69艇、2フリート、括弧内はカット)

4692 塚本・天木 (DNF)-20-20-21-23-5-18  合計107点 43位
4579 松前・大橋 (DNF)-22-26-13-10-6-9   合計86点 38位
4452 小野・下重 (DNF)-22-17-27-27-12-10 合計115点 48位(女子4位)

この大会は各地区予選レースの上位艇しか出場できない大会の為、社会人も参加する470級のフリートレースの中では1番レベルの高い大会です。僕と松前のペアは関東予選で出場枠を獲得することが出来ず元々は出ないはずでしたが、例年8月開催のこの大会がセーリングワールドカップなどの影響によって11月のこの時期に移動したことで参加を辞退したペアがいたため、出場権を獲得し今回参加できることになりました。そのため、今回戦う相手の実力は自分達と同等かそれ以上(少なくとも関東勢は)だとレース前から意識して胸を借りるつもりでレースに臨みました。

話は少し遡りますが、同期の松前とはインカレに向けて9月頃からペアを組み始め秋インカレの全レースを一緒に出場しました。2人とも大学からヨットを始めたためレース経験もそれほど多いとは言えないペアでした。そんな中、関東インカレ決勝の2日目ではチームの足を引っ張るようなレースをしてしまい、リベンジしようと思っていた西宮での全日本インカレでは全く上位と絡めず4レースをして一度も半分より上の順位を取ることができませんでした。2カ月間ペアを組んで結局不完全燃焼のまま代替わりを迎えてしまったと思っていたのですが、突然このレベルの高いフリートレースに参加できることが決まってもう一度松前・大橋ペアでレースを戦えることになって本当に良かったです。

早速レースを振り返っていきたいところですが、簡単にリザルトの見方を説明したいと思います。ここは読み飛ばしてくれて大丈夫です。今回のレースは69艇が同時にスタートするのではなく、半分に分けられて別々のレースを行なって順位をつけています。そのため、1レース目から5レース目までは小野・下重と他の2艇は一緒のレースをしていません。そのため2レース目のように僕らと小野・下重が同じ順位を取っている訳です。全体順位を考えるとざっと得点を2倍すれば69艇でレースした場合の得点を見積もれると思います。最後の2レースは35位以上のゴールドフリートと36位以下のシルバーフリートに分かれてレースをしているのでリザルト上は良く見えますが、それは上位の艇がゴールドフリートでレースをしているためです。

さて前置きが非常に長くなってしまいましたが、レースを振り返っていきたいと思います。

初日は開会式があったため午後から出艇しましたが、1レース目だからか上げ潮だったためかどちらのフリートもゼネラルリコールを繰り返し結局この日は1レースしかできませんでした。特に僕らが参加しているフリートは風がかなり強い時間帯にレースをしていたため、多くの船が沈をしていて僕らもフィニッシュまであと少しの位置で沈してしまいました。そのため1位のフィニッシュ後10分以内に辿りつけず、DNFをつけてしまいました。初っ端からノーケースノートラブルとはいかず、カットされるとはいえここで文字を付けなければ他の艇に対して優位に立てるところだったのに残念でした。

2日目は最初の2レースが思うようにいかず北風の振れ海面に上手く対応しきれませんでした。もしかしたら西宮の感覚がまだ体に残っていたのかもしれません。それでも後半2レースは江の島を思い出したのか良い順位をキープし続けてフィニッシュまで持ち込めたので良かったかなと思います。この日で予選シリーズが終わり東大3艇はシルバーフリートになりました。

3,4日目は視界不良の為朝は出艇出来ず、4日目にゴールドフリートが強風の中1レースを成立させたのみで東大は海に出てすらいません。

そして最終日、朝はかなり風が強くそこから昼にかけて風が落ちていく海面で2レースが成立しました。シルバーフリートになって感じたことはスタートの出やすさです。2日目までのスタートの難しさと比べたらこの日はそこまでプレッシャーをかけられることもなく楽にスタートすることができました。終わってみればどちらもシングルで帰って来れたので悪くないレースだったかなと思います。

つらつらとレースを振り返ってきてしまいましたが、全日本に出てわかったことはこのレベルでもそこそこ戦えるということと課題のスタートはずっと克服できていないということです。スタートは艇数が増えれば増えるほど上手くいかず、その後の復帰も遅くなるなあと感じます。今回よりも艇数が多いインカレまでになんとか克服できることを祈るばかりです。でもその点を除けば未経験ペアでも全日本で真ん中くらいの成績を取れるという自信はつきました。走っていて感じたのは周りのレベルが同じくらいであること。少しのミスで順位を落とし得る反面、周りもミスをするのでちゃんと走らせることができれば前に出ていける。その感覚を得られたのが今回のレースでの一番の収穫ではないかと思います。そういったことが見えてきたのもヨットレースを知って周りが見えるようになってきた最近のことなのですが、ヨットはやればやるほど楽しいという魅力の一つを実感しています。

さて自分の話はこのくらいにして、この全日本470で4年生だった塚本さんと小野さんが正式に(?)引退となりました。お二人ともお疲れ様でした。この大会に出場が決まって一番嬉しかったのはお二人とまだヨットができるということだったかもしれません。自分が入部してから一つ上の先輩スキッパーとして何度も共に乗って指導して下さり、個人的にはどちらともインカレに出場させてもらったりと語り尽くせないほどの思い出があります。お二人を全日本インカレの舞台に再び連れて行くことができて本当に良かった。まあ僕ら後輩が連れて行ってもらったというのが正しいんでしょうけど(笑)。
次は僕らが後輩を全日本の舞台に連れて行く番。全日本インカレが終わった直後は遠征からの解放感と前を走れなかった悔しさでそんな気持ちにはなれなかったけど、全日本470が終わった今なら胸を張ってそう言える気がする。気がついたら最高学年になってしまってちょっと焦っている自分もいるけど、頼もしい同期と後輩達が僕にはいるのであと1年弱なんとかやっていけそうです。

途中から全日本インカレの話を混ぜてしまって文章がぐちゃぐちゃになった感がありますが、ご容赦ください。久々にブログを書くと書きたいことが多すぎてまとまらなくなってしまいました。これからはもっと頻繁にブログを書くべきですね。長々とお付き合いいただきありがとうございました。


新4年 大橋徹也



冷静じゃいられなくなるほどびびった

2019年11月28日 23時41分00秒 | 通常練習
こんにちは。1年スナイプクルーの山村です。今回の練習に全出席しているかつ自己紹介以外のブログを書いたことのない1年スナイプが2人だけであり、もう1人とのマッチあみだに勝利してしまったので今週のブログを書かせていただきます。

さて、新体制発足後初の公式練習だった11/21〜24の合宿の振り返りをします。なんか長いのは今週が駒場祭期間で木曜から授業がなかったからです。

木曜は出艇禁止日で掃除、金曜は練習、土曜は赤旗でミーティングや整備など(とだらだら)、日曜は練習でした。

掃除で同期と棚を整理し見違えるほど綺麗になって満足したのが今週の個人的ハイライトです。ハイライトとか言っておきつつ、練習で霞んでもうほぼ覚えてないですが。あと書いてて思ったのですが、棚が綺麗になったところで満足したので周りにはいらなくなったものなどが散乱しております。片付けないと。

練習は特に金曜の風が強かったです。しかもめちゃくちゃ寒かった。午前中食当のおかげでレスキューに乗らずに済んだので、自分のあみだ運に感謝です。肝心のスナイプですが、動作ができないだけでなく体力のなさも浮き彫りになりました。この反省は自分のメモに書き溜めてあるので長くなるし割愛します。とりあえず筋トレですね。

余談ですが、動作ができなくて反省した大吾に誘われ月曜に陸シュミ自主練をしました。意外といいですただ陸シュミのためだけに残るの。先輩方の動画を見ながら、出来なかったとこの確認や理想の動作のイメージを前よりも持つことができました。それから、いかにストレスなく陸シュミできる陸シュミ艇を作れるのかっていうことを考えてたので2倍楽しかったです。

高原が頑張って書いてくれたので自分からは以上です。それでは。



冷静に考えなくても13万円のsailracingのジャケットってすごいね

2019年11月28日 22時33分00秒 | 通常練習



いつも東大ヨット部のブログを見てくださってありがとうございます。1年470スキッパーの高原です。大好きなキンモクセイの匂いがなくなり、大嫌いな銀杏の匂いもなくなり、合宿所のベランダがzhikのスーパーウォームの裏地の黄色と黄緑で染まる時期になってきました。

先週の合宿の振り返りをしたいと思います。

先週は大学が駒場祭だった影響で木曜〜日曜の4日間も練習でき、しかも僕ら1年470スナイパー'sにとっては初めてのスキッパー練ができる♪・・・

と思い、高原は胸を大きくさせて木曜日の朝5:30に起き、8時集合の15分前に合宿所の扉を開けました



が、、、



ほんとは9時集合で、木曜は八景では出艇できず

金曜日は風の予報あぷりウィンディが真っ赤に染まるほどの強風overコンディションで1年スキッパー'sはヨットに乗れず

土曜日は金曜日以上の爆風赤旗で出艇できず

日曜日にようやくスキッパーデビュをすることができました。

ヨットに乗れていなかった日も様々なことをしたので時系列で書いていこうと思います。


木曜日
八景島では出艇できないかわりにミーティングルームと艇庫の大掃除をしました。高原は八景島合宿所大臣として艇庫の改造の指揮者になりました。セールを使えるものと使えないものにわけ、いつも散乱してるブーツの置き場を改め、使えなくなった様々なゴミを捨てるなど環境の改善に取り組みました。全日本470から帰ってきた先輩方から口々にお褒めのお言葉をいただいたので非常によくなった自信があります!

金曜日
この日は気温が最低5℃最高9℃風速10m/s以上視界不良と富士山の頂上のような厳しいconditionで僕はVSRに乗っていました。レスキューからみた先輩のハイクアウトしながらの正確なメイントリム、同期1年470クルー工藤のスピンポールのようにまっすぐなトラッピーズ、1年スナイパー大根田のトラッピーズのごときハイクアウトは、自分もこの強風でもヨットに乗れるように早くうまくならなければならないと強く決意させるものでしたが、東京湾の上に鎮座する鬼の気候はその決意を3秒ルールで吹き飛ばすほど強く、またそれだけにとどまらず合宿所に帰ってきた高原をまたも3秒ルールでzhikの冬用装備の注文ボタンを押させるように仕向けたのでした。

土曜日
昨日の疲れからか全てノンレム睡眠かのように深く眠っていたところ、同期工藤の起床の叫び声で起きすぐに窓の外を眺めるとそこにはエベレストの頂上のような気候が広がっており、それは瞬時に赤旗であることを確信させるものでした。結局その日は昨日壊れたsailやsheetを修理し筋トレ後のプロテインが甘く感じるほど大量の筋トレをし、寝る前にイタリア語6組が駒場祭で作った「パンツエロッティ」というイタリアのおいしいおかしを食べただけで終わりました。


↑パンツェロッエィ 外はピザ生地でカリッと中はトローリ


日曜日
昨日とは変わって朝起きてみた気候は富士山5合目くらいでした。午前がoverコンディション、午後になるとinデッキくらいまで落ちるとの予報でした。僕は午前の半分と午後の半分で470スキッパー練をしました。

午前はハイクアウトしながらのメイントリムをしてまっすぐ走らせ、なんとか先輩との走り合わせについていけたのですが、その後のコース練でタックやジャイブ、マーク回航などの動作で先輩との技術の差を強く痛感しました。同期マネージャーさん仲田にLB角出様の指摘の入っている貴重な動画をとっていただき、後で見返してみると舵をガンネルの外にでるまで使っていたり、ロールタックの起こし方が甘かったりするなど様々な課題が浮き彫りになりました。角出様と動画を撮ってくれた仲田には本当に感謝しています。ありがとうございます。これからも高原成長記録として動画を集め、1つ1つ改善しなければなと思います。

最後に、八景にいる大学が集まる八景レースが12/14にあります。このレースにはsideマークがあるとのことで、これからクローズやランニングだけでなく、リーチングやサイドジャイブの練習をしていかなければなりません。レースまであと2週間、練習日数は4日と限られた時間しかありませんが、その時間を有効に使って指数関数のような成長曲線を描いていきたいです。応援よろしくお願いいたします。

1年470スキッパー 高原諒




 

道はまだ長い

2019年11月27日 17時25分07秒 | レース反省

3年クルーザー班主将、ヘルムスマンの春日健志です。

いつもお世話になっております。

 

代替わり後の練習と、11/23-24に開催された関東選手権についての報告です。

 

全日本選手権が終わり代交代してから早くも2ヶ月が経ちました。

この間の練習について報告します。

基本的には、自分たちに足りていないことを考え、それを潰すためにどうすべきなのか考え、練習しました。

 

まず、月光の方に繰り返し言われている通り、動作を底上げしなければいけません。そのために、回数を決めてタックジャイブ練、回航練をひたすら繰り返しました。ただ回数を重ねるだけではなく、理想の動作のイメージを持ちつつ、一区切りごとに反省し改善していきました。

なかなかハードでしたが、終わったあとは自分たちの動作がレベルアップしているのを感じました。とはいえまだまだなので、今後も練習メニューの中心に据えたいと思っています。

 

次に、防衛大学と合同練習を行いました。普段自分たちだけで練習することが多い中、比べる相手と後ろから見てくれる人がいる練習は自分たちの長所短所を感じられる密度の濃いものとなりました。

練習環境を設定して下さった防衛大学の皆さん、コーチングして下さった神戸大沢口さん、LB工藤さん、磯野さんには大変感謝しています。これからもJ24学生セーラーのレベルを高めあっていきたいです。

 

そして、ディンギー班が練習を小松さんに見ていただかない日に、小松さんに仰秀に乗っていただきました。

練習内容、自分たちの走りや動作のクセ、船の改善するべき点など、書ききれないほどたくさんのことを教えていただきました。自分たちだけの練習ではどれだけ練習しても決してこれだけのことには気付けなかったと思います。本当に衝撃的な体験でした。

個人的に一番驚いたのは、小松さんが20年ぶりにJ24の舵を握って30秒後に、ニュートラルのヘルムを見つけ、手を離して走られていたことです。すぐ後ろで見ていたのですが、この瞬間は一生忘れないと思います。笑 その後自分でも舵を握ったのですが、ヘルムへの意識、感じ方が大きく変化したのを感じました。

練習を見ていただき本当にありがたかったです。機会があれば、是非また乗っていただきたいと思います。

 

また、レースメンバーの設定も以前と少し変えてみました。関東選手権には自分たちだけで出ることも出来ましたが、LBの方に来ていただき、代わりにクルーを社会人チームに派遣しました。レース後にLBの方に改善点を指摘していただき、一方派遣したクルーからは外から見た仰秀の課題と、社会人チームとの違いを還元してもらいました。寒い中来て下さった磯野さん、多賀谷さんありがとうございます!

 

仰秀の弱点は、自分たちだけでの練習が多くなってしまうことだと思います。自分たちだけだと問題点に気付けず、成長曲線が頭打ちになってしまう。これでは一生月光チームなどの社会人に勝てません。もちろん、自分たちに今必要な動作の向上は1艇で出来るので、1艇の時はごりごりやっていきたいと思います。

この2ヶ月間、多くの方のおかげでとてもいい練習をすることができました。感謝を忘れないようにしたいと思います。

 

 

次に、関東選手権の報告です。上記のような練習で一定の成果を感じつつも、悔しい結果になってしまいました。

リザルトは中野が既にあげてくれています。

 

この大会ではいくつも課題が見つかりました。

動作、ボートスピード、スタート。それぞれ改善すべき箇所はいくらでもあります。その中でも、特に今回のレースで見つかった課題があります。

それは、クルーとのコミュニケーションとヘルムの感じ方。

 

自分はレース中なるべくキョロキョロせず、走りに集中しようと思っています。これ自体はいいと思うのですが、集中するあまり無言だとクルーとの意思疎通が取れません。(これはしゃべるスキッパー多賀谷さんにも指摘されました)

自分がヘルムをどう感じているのか、パワーはどうなのか、クルーにどうして欲しいのか。集中しつつも、前に伝えられるようにならないといけないと感じました。

 

また、そのためには今まで以上にヘルムに敏感にならないといけません。畠山さん、小松さんが口を揃えてヘルムが大事とおっしゃっていて、頭では分かっているつもりでもないがしろにしてしまっていました。自分が感じているヘルムを口にし続けることで、意識できるようになりたいと思います。

 

今後もプレアニオルズカップ、フリートレースなどレースが続きます。

クルーザー班ではレースの経験は貴重なので、一つずつ大切に、できる限り多くのことを持ち帰れるようにしたいと思います。

 

来年9月のイギリス世界選手権まで、時間はあるようでありません。

日々の練習を無駄にすることなく、活動して参ります。

今後ともよろしくお願いします。

 

 

3年 クルーザー班主将 春日健志


悔しい。

2019年11月26日 18時23分59秒 | レース反省

こんにちは、クルーザー班2年タクティシャンの中野です。9月の全日本以来のブログになります。

先週末、J/24関東選手権が行われました。リザルトは以下の通りです。

(10艇、全2レース)

 

月光DIANA  2-1 3点

月光 3-2 5点

SARASA 4-3 7点

Pink Kiss 5-4 9点

Vicky 6-5 11点

だぼはぜ 1-11(OCS) 12点

Jellyfish 7-6 13点

仰秀 8-7 15点

ESPERANCE Ⅴ 9-8 17点

ESPERANCE Ⅱ 10-9 19点

 

感想を一言で言うと、タイトルの通りです。勝負をする者として、負けたら悔しいのは当然。

土曜日が荒天で中止になり、日曜日は風が安定しないコンディションの下で2レースしか行われませんでしたが、これが自分たちの今の実力だと認めざるを得ません。

特に今回のレースで浮き彫りとなった課題はスタートですね。これに関しては今回がバウマンとして初レースだった維摩と春日さんが重点的に振り返ってくれると思うので詳しくは書きませんが、「ヨットレースの6割はスタートで決まる」というどこかで聞いた話の意味を実感しました。ノーレース含め3回のスタートの内、ベストスタートは全くなかった。

個人としては、タクティシャンとして大外しはしないコース引きはできるようになってきたのかなと思います。回航前にその後のプランを予め決めて伝えておくと言った基本的なことも抑えられるようになった。

でも逆に言えばチームを「勝たせる」コース引きはできなかった。2レースとも良くも悪くも1上とほぼ変わらない景色でフィニッシュを迎えました。具体的には、いざという時の瞬発的な決断力がなく、何となくズルズルと真っ直ぐ走らせてしまう。奥の海面のブローが見えず、海面選択に絶対的な自信が持てない。課題は山積みです。

とにかくレース数をたくさんこなして、色々な経験を蓄積したいですね。幸いにも来週はPre ANIORUs cup、再来週はフリートレースとレースが続くので、引き続き頭をフル回転させていく次第です。

 

今回は関東選手権についてのブログという形ですが、せっかくの機会なので今思うところについても書きます。

思い返せば1年前の駒場祭期間は蒲郡で初めての全日本選手権に出場していました。あれから1年、個人としてもチームとしても色々な経験をしてきました。ANIORUs cup で神戸に惨敗し、西宮で2度もユニバメンバーと一緒にJ/70に乗せてもらい、2度目の全日本でタクティシャンとしてコースの全権を任され、そしてつい先日はJellyfishのクルーとしてマイアミワールドにも出させてもらいました。

そして今は、来年9月のイギリスワールドに向けて早くも動き出しています。新体制になって早くも2ヶ月。まだまだ技術、精神などあらゆる面で未熟なチームであることに変わりはありません。でも、このチームには揺るぎない強みがあると思っています。それは「明るさ」。プレーヤー・マネージャー合わせて6人の1年生が入り、小網代には今まで以上の活気があります。以前春日さんと帰りの電車で「小網代にはもっと元気さがあっても良い」なんて話をしていましたが、彼ら彼女らがガラッと変えてくれました。3人のマネージャーも自分たちでチームをより良くするアイデアを色々出し、実行してくれています。そのおかげで今は本当にやりやすい雰囲気と環境の中で活動できています。

勿論、この明るい雰囲気が馴れ合いにつながってはいけません。締めるべきところは締め、「明るく強いチーム」を全員で作っていければと思います。

まずは来週のプレアニで1年ぶりの勝利を味わい、アニオル本番での打倒神戸に向けて弾みをつけてきます。

 

 

東京大学運動会ヨット部

クルーザー班 2

中野陽


託された想い

2019年11月19日 19時33分48秒 | 全日本インカレ2019

3年470クルーの天木です。 

自分にとって出場するのは初めてとなる全日本インカレが終わりました。

 

思ったのは、もっと上に行ける。

 

一昨年、昨年と、4年生たちは本当にやりきれない表情で部を去っていきました。全日本の舞台で何もできなかった、と。

今年。4年生は晴れやかな表情をしていました。

4年生引退のハーバーバック。昨年は涙をこらえ、無言で帰りました。関東で終わってしまった悔しさから、西坂さんとは何も話せませんでした。着艇後、自然と涙があふれてきました。

今年はいつも通り。小野さんと笑いながらレースの反省やら振り返り。想像と違うなと思いながらも、なんかしっくりきました。自分たちのペアは、2Rを除けば1上は全て10番代。西宮のような風のフレや強弱が激しい海面でしっかり風を掴んで1上の順位を上位で安定できたのは、自信になりました。

これはコースを引いているクルーの特権なのですが、西宮のようなフレ海面はとてつもなく楽しいです。いくらでもフレで挽回できます。3Rはスタート直後ケースを起こして2回転。ほぼドベからのスタートでした。しかし、海面を見て左と決めていたので、大ブランケの壁の中、ひたすら左に突っ込むと、1上はいつの間にか17番でした。2人で半ば呆れながら、フレの怖さ、何より楽しさを痛感しました。

しかし、2Rはスタートに失敗して叩き、他のレースも1上の順位をキープできませんでした。10番代で安定することを自らに課していたのに、程遠かったです。悔しさと手応えの入り混じる全日本。

 

何もできなかったわけではありません。もちろん47013位という順位に満足しているわけでは全くないです。でも、前を走る力はある、それを証明することはできました。

469231308は順位を上げてシングルでフィニッシュしました。

課題は山積み。ケースの多さ。スタートで失敗した際の対応。順位をキープする力。挙げればキリがないけれど、前に顔を出すことが多くなってきました。

前を走る経験。前を走ったという自信。

これほど貴重なものはありません。積み重ねていけば、いつのまにか前を走るのが当たり前になります。後ろからの巻き返しや順位をキープすることもできるようになります。

 

一昨年33年ぶりに両クラス全日本に進出した時から部に在籍していた私たち。ついに我々が幹部。全日本に行くことが当たり前の我々なら、何か起こせると思っています。

 

七大戦優勝。全日本インカレ入賞。

 

高い目標かもしれません。でも、後輩には夢を持ってほしいです。やるからには日本一を。先輩方は私たちに「全日本」という32年途切れていた夢の舞台を見せてくれました。我々は、後輩にどんな夢を与えられるのでしょう。

後輩が全日本優勝という夢を持てるように。その夢を持っても恥ずかしくないように。

夢を現実に。

 

全日本入賞は、決して高い目標ではありません。 

去年まで一緒に全日本の枠を争っていた明治470の全日本入賞、めちゃめちゃかっこよかったです。

推薦を取っていない、始まりは同じはずの国公立スナイプの躍進。京大スナイプの優勝、九大、広島大の入賞。

夢をもらいました。

 

次は我々の番。

今年だけでなく数年後、さらにその先を見据えたチーム作りを。

我々が結果を残すのはもちろん、次やまたその次、チームの水準がどんどん上がっていけるように。

今まで先輩方がやってきたことは間違っていない、それを証明します。後輩がやってくれたよと、先輩方が自慢できるような成績を。賞状持つ準備して待っていてください。

 

数年前、部員数5人、470級片クラス2艇しか出せず廃部の危機だったチームから、両クラス全日本出場が当たり前のチームになりました。LBの皆様方のご支援、先輩方の紡いできた努力。先輩方がこれまで紡いできたものがなければ、我々は今ここにいません。我々が今、さらなる高みを目指せることに、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

東大は、もはや全日本出場で満足するようなチームではありません。

次は全日本入賞が当たり前のチームに。

 

史上初の470級全日本入賞。

そして、(現行の制度になってからは)初の全日本総合入賞へ。

 

記録を遡ると、

 

最後に全日本で入賞したのが、1990年江の島インカレでのスナイプ級6位。2021年のインカレは江の島。二年生に期待ですね。

さらに遡ると、1978年津インカレのスナイプ級6位、1969年西宮インカレのA級5位。ということで、来年2020年のインカレ開催地、西宮にも縁があるようです(少々強引ですが笑)。

 

最後に優勝したのは、1946年琵琶湖インカレ。2022年のインカレは琵琶湖…

こちらは70年以上途切れています。2022年、最後に優勝した琵琶湖で76年ぶりの全日本覇者に返り咲くか。一年生に期待です。

 

 

幸い最高の環境は整っています。あとは努力するのみ。

ラスト1年間。後悔はしません。

想いは託された。

西宮で賞状片手に笑って引退します。

 

東京大学運動会ヨット部

3年 470リーダー 天木悠太


微速前進

2019年11月19日 17時32分29秒 | 全日本インカレ2019

こんにちは。新3年スナイプクルーの長岡誠です。

先日行われました全日本インカレの振り返りを今更ながらしたいと思います。

 

 

 

もちろん初めての全日本ということでどこまで今の東大が通じるのかわからなかったですが、実際に全日本に参加してみてなんとなくは把握することができました。

 

スピードに関しては全日本でも十分通じるものがあることを確信しました。一度前に出ることができたらそのままキープ、もしくはあげるということが可能だったからです。実際、前入り段階では入賞した広島大学に対してもスピードで負けているといった感覚はなかったです。

 

 

 

では何が違ったのか。スタートとコースだったのかなと思います。

 

 

スタートは広島大学はうまいですね。trac trac を見直していると、すごくドンピシャで出ている時があってそのままキープ。というような最高の流れができていたと思います。

 

一方の東大、とりわけ31308はスタートはそこそこ、もしくは微妙で、そこから挽回していくという展開が多かったです。

スタートに関してはかなりスキッパーに依存していますので、スキッパーのミスということにしてしまえばそれで終わってしまうのですが、クルーとしてもっと主導していく力があってもいいんじゃないかと思います。実際新4年のスーパークルーたいぜんさんはスタートを主導しているようです。早くたいぜんさんになりたいです。

 

ただ、スタートが悪くても巻き返せるというのが吉武さんのすごいところでですね、本当にすごいんですよ。

今回の全日本インカレで4位、関東インカレで1位を取ったレースがありましたが、どちらもスタート前にはじき出される展開だったのですが、スタート前早い段階で巻き返してスタボのケツを切っていき、フレッシュをつかめたタイミングでタック、というようなスタートをしました。これいいですよ。使えます。もしかしたら企業秘密だったかも。そこからはボートスピードで蹂躙していくみたいなイメージです。

特に関東1位を取ったレースはその構図が顕著で、本当に僕はハイクアウトくらいしかしてませんでした。ほんとに。早く吉武さんになりたいですね。

 

 

話が逸れました。

 

コースに関しては、他の大学や艇に関してはわかりませんが、僕たち(僕)についてはレース中「これはやってやったぜ」と思っていましたが、実際にtrac tracでコースどりをみてみると案外大したことなくて愕然としました。西宮は場所ごとで風が違いすぎるので、普遍的な反省はしにくいですが(なんだか日本語がおかしい気がするけど)、特に感じたこととしてはやはり視野は広く、ということでしょうか。

ブローに気づかなかったらジ・エンドでしたから。四日目なんかはブローの強弱がすごくて掴んでいるかいないかで伸び方が全然違った。

 

あとはシフトを海面や他艇を見てわかればいいんですが、僕には正直わからないですし、西宮では「見た目が悪いのは希望」みたいな教訓があったように、ボンボンシフトしていくので、とにかくコンパスを見てリフトを走る。

それだけ徹底しておけばあまり難しいことは考えなくてよかったと思います。

 

全日本中にコースで気をつけたことといえば、リフトを走ることとあとタックを我慢することでした。

これはほんとに正しい判断なのかよくわかりません。ヘダーした時、他艇との関係が厳しくなった時、タックしたいなーとなるところですが冷静に後ろを見てタックした時にゲインを確定させられるのか、あるいは損をしないかを考える。

現状を維持することとタックをすること、どちらが利益が出そうか、あるいは損をよりしないのか。

今までは「タックする?」と聞かれたら、ほとんど何も考えずにタックしていましたが、一旦考える、情報を集めるということを意識しました。パッとタックして、あーしまったとなるよりいいのかなと思います。

まあ、一番いいのは周りを把握しといて聞かれる前に判断する、指示することなんでしょうけど。

 

 

 

こんな感じで我ながら低レベルだなと感じますが、一年前まともにランチャーもあげられなっかた僕がここまでよく成長したなとしみじみ感じるわけです。

 

今から振り返ればレースを経験するごとに成長していったのだなと感じます。

春インでは初めてコースを一部引き、秋インで本格的にコースを引き、全日本ですべてコースを引く。

文面に起こすと、成長の仕方があまりにも微速前進で少々笑えます。ただ、又聞きなのですが、春六大でコースもスタートもスピードもすべてを任せていたあの吉武さんに、「僕周り何も見ていなかったんでコースわかんないです」と言わしめた(らしい)ことにはすごく感激しました。

任されてたんだって。

にやにやしちゃいました。

まあ、意思疎通が円滑に取れるので多少は見ておいてくれると助かるのですがね笑(見ていてくれてるとも思ってますが)。

 

とは言いつつも、コースで吉武さんに褒められたことはただの一度しかなく、それもなんで褒められたのかさっぱりわからないという感じだったので、これからもっと褒められるようなコースを引いていけるように努力していきたいと思います。なんだか小学生みたいですね。

 

 

 

 

去年度の目標が「3人目のクルーになる」だったらしく(最近思い出しました笑)、それはなんとか無事達成できたということで。

 

今年はどうしましょうか。

そうですね。決めました(5分考えました)。

スキッパーに、特に吉武さんにペア決めで「クルー誰とでもいいや」と言わせる。

わかりにくいな。ようは阿部さん、たいぜんさんとほぼ同等くらいに頼れるクルーになる。ということです。

 

直近の課題はランニングのコースとルールの把握、権利の主張、スタートへの参加、整備(、準中の免許笑)といった感じでしょうか。

まだまだやることは多いです。頑張ります。

 

 

長岡誠

 

追伸:世間はにのロスみたいですが、僕は 若干tgyロスです。


来年もまた。さらば西宮。

2019年11月18日 17時08分07秒 | 全日本インカレ2019
どうも。470クルー2年の齊藤です。
パッと書いて一番早く投稿しようなんて思っていたんですが、なんか書きたいことがまとまらずにグダグダしていたら結局締め切り近いというね。全日本、振り返ります。


まずはなんといっても第3レースを語らずにはいられないですな。
シングルフィニッシュ。あのレースは終始気持ちよかった。楽しかった。
2週間経った今でも鮮明に覚えていますよ。

スタートは、ラインが低く、加速に早く入ることで上手く出られました。
左海面に異常なブローがあったので飛び込んで、他の船団を見てへダーを予知してタック。
この時点でかなり右海面との差があったみたいです。

ここからはずっと抑えでした。後ろの艇団に合わせるように。ブローをつかむことも忘れずに。

特に嬉しかったことはリーチングやランニングで抜けたこと。
リーチングホイストも、自分を疑うくらい落ち着いてましたし、ランニングでも大幅に下して走ることで、前の船を抜くことができました。

こういう瞬間に、順位が上がることもそうなんですが、今までの練習してきたことが存分に発揮できているなあと身を以て実感できて。

この経験は来年度の練習の励みになるな、と確かに思いました。。


全日本インカレ、上手くいったことだけではもちろんありません。自分に足りないものを実感させられる場でもありました。


それは、ノーレースになった3日目のレース。上レグの中盤。順位は大体30くらいで、真ん中の海面をスタボで走っていた。
そこでマークアプローチの選択を迫られました。左に行くか右に行くか。

右海面は角度もよく、風が強くスピードも望めそうだが、大幅にオーバーセールをしている。左海面はその逆で艇数は少なくフレッシュを楽につかめそうだが、風はあまり望めない。このジレンマに囚われたわけです。

ここで自分は選ぶことができなかった。終始迷ってしまっていました。選ぶことができなくてズルズルとスタボでポートレイラインまで行ってました。

結果的には、そこまで悪くなかったのかもしれません。順位はそれほど落としませんでした。

でも、そのコース引きは極めて積極的なものでなく、スキッパーを不安にさせるものでした。

自分の経験が浅い故のいい意味での大胆さというものを失っていた気分でした。

スパッと決めていたら、どれほどスキッパーが安心して走れることか。もっとスマートであればなぁ。と後になってネチネチと悔やみました。

積極性、すなはち、周りの艇に動かされるのではなく、自分で船を動かせるようにしなければいけないなと深く思った経験でした。そうしないとそのレースで得られるものも随分と変わってくるし。


6位フィニッシュの経験なり、こういった反省なり、この他にも本当に数多くのものを持ち帰って西宮をさりました。実に充実したインカレだったなとつくづく思います。


幸いにも自分はあと2年も残っています。全日本での経験を噛み締めながら、先輩、同期、今年からは後輩とも、チームとしてまた高め合っていければと思います。

そんな中で自分が今年1年個人として立てた目標は、先ほどの反省に大きく影響を受けているのですが、

「頼れるクルーになること」

天木さんが東大ヨット部はクルーが動かすと言っていますが、本当にそう。
特に今年からは未経験者スキッパー3人がレースに出る。常に冷静でいなければいけないクルーの自分が、スタートやコース引きで迷ってあたふたしていては、スキッパーも安心して走れない。

どんな事が起きようととクルーだけは自信を持って、冷静かつ毅然とした態度でレースに臨まないといけない。自分の性格上難しいですけど頑張ってみます。


あと、言わなければいけないことがあるんですよね。塚本さんにこの場を借りて感謝を伝えたいです。
思えば、約1年間一緒に乗ったことになるんですね。

塚本さんはストイックでした。
彼のヨットに対する意欲や、470チームのトップである責任感は、実に練習やミーティングに現れていたので、多くの部員はわかっていると思いますが、自分は今まで彼の一番近くにいた者として、他の人以上に思うことがありました_____


自主練で自分たち1艇だけ出るとなって、1日に50回もお互い苦手なリーチングホイストの練習をしたことは今でも忘れられません。

他の船を待つようなちょっとした空き時間にも加速練習やサークリングを欠かしませんでした。

秋イン前には小松さんからのアドバイスを聞いて、真摯に受け止め、ああでもないこうでもないと、最後の最後まで試行錯誤して強風のクローズを走らせていました。

そんなバカがつくほど真面目で塚本さんとこの一年お互い高め合って、強くなっていくことを実感できることが何よりも嬉しかった。

最後まで練習もレースも本当に楽しかった。
今まで、自分を成長させてくれてありがとうございました。


最後になりますが、4年生の先輩方5人で、今や50人越えとなる部をまとめるのはさぞかし大変だったことでしょう。本当にお疲れ様でした。

LBの方々、陸でも海上でも、ご声援や激励の言葉頂戴して、レース中とても励みになりました。ありがとうございました。


随分と長くなってしまいました。ここら辺で失礼させていただきます。

寒さに負けないよう冬も頑張ります。



東京大学運動会ヨット部 2年 齊藤崇



粋な漢

2019年11月16日 21時24分00秒 | 全日本インカレ2019

お久しぶりです、スナイプティーム1年の古山です。

全日本インカレ本番の前入りとして東大ヨット部は27日に西宮入りをしましたが、古山は全日程参加しました。練習ではVSRだかVHSだかなんだかのレスキューボートに乗り、練習をサポートしながら、風や雲の様子を記録していました。そしてレース当日には、崇carさんをお借りして、車の中で珠屋番に徹しました。今大会は風待ちの時間が多かったため、隙あらばマリンショップへ行っていました。足繁く通い、悩みに悩み、2回ほど試着をして、最終的に上半身3mm、下半身5mm、すなはち3×5=15mmのウェットスーツを購入させてていただきやした。そんなことはおいておきましょう。今回はレース期間中のことはあまり書きません。

 

11月4日、全日本インターカレッジトーナメント最終日、西宮の地で4年生の先輩方は引退されました。積み込みに時間がかかり、最後に全体ミーチングで直接言葉をいただくことはできなかったけれども、引退ブログで4年生が東大ヨット部に入ってから引退までの道のりをどういう思いでどのように歩んできたか、を全てではないけれども知ることができました。

 

皆この三年半でたくさんもがき苦しんできたけれども最後までヨット部員として奮闘し続けてきたことで何か大きなものを得たんじゃないか、そう感じないと言ったら嘘になってしまいます。そしてその得たものが一体何であるか、っちゅうのはやっぱり最後までやりきった者にしか分からないんでしょう。まるでONE PIECEのようです。偉大なる航路(グランドライン)の果ての地ラフテルまでたどり着いた者だけが世界の秘密を知ることができる。そこに何かあるのは確かだけれども、何かは分かりません。でもそれはきっとかけがえのない重要なものなのでしょう。古山も自分の引退後に何かを掴んでいたいなと思います。ただ最後まで続けるだけじゃあ、何も残らないのではとも思っております。ヨットという競技そのものに限らず様々な活動の中で、失敗を恐れずに挑戦し続け、七転び八起き、いや二十五転び二十八起きくらいで、辛く苦しい時もオクラのように粘り強くあり続けることで、最後何かを手中に収められるんじゃないか。これからこの姿勢を大切にしてやっていきたい、そういう風に4年生の言葉を受けて思ったわけであります。

 

 

東大ヨット部だけじゃなく他大学の引退ブログを読んでいたりすると、みんなめちゃきちゃいい文章書くなあとよく思います。でもそれはただ単に上手だと思わせるような文章を書くテクニークを持っているとかではないと思うんです。強い思いがあるからなんじゃないか。心から滲み出てきたものが言葉になっているから読む人の心を動かすんじゃないか。そしてそれができるのはいろんなことを経験してきたからなんじゃないか。そう思うんです。ここまで読んできてもらってお分かりいただけたかと思いますが、古山は今現在では、経験による裏打ちがなく、0.01mmかと思わせるほど薄っぺらく、表面的でしょうもないことしか書けません。今はこんなもんですが、やはり古山もつひに引退ブログを書くとなった時、お相撲さんのようにずっしりとした重みを持った言葉を並べられるようになっていたい、そう願ってやまないのです。

 

今あるチームは1代だけで築き上げられたものじゃない。これまでの各代がそれぞれチームに対してなんらかの貢献をしてきて、ほんでその貢献が積み重なって形作られているのが今あるティーム。4年生たちもまたこの東大ヨット部の歴史に一層積み重ね、きっとのこのティームをレヴェルアップさせてくれた。だから我々は、同じようにティームに貢献して、今よりも強くならなあかん。それがお世話になった4年生への礼儀なんじゃないか、と思ったり思わなかったりするのです。

 

締め方が分からりません。

とりあえずこのブログで言いたいのは、

3年後、この写真に映っている自分よりも粋な漢になっていたいということです。

こちらからは以上です。

 

(左が古山)