4年470スキッパー兼主将の小野です。
昨日は葉山に行って船を縛りなおしてきました。未だかつてないくらいに縛りましたが、高潮が心配で今夜は眠れません。
皆さまも台風で文章を読む時間があると信じて、今回は長めのブログをしたためます。
どうぞ好きなところから読んでください。
9月初旬に葉山に引っ越してから秋インカレ決勝までのおはなし。
目次はこんな感じです。
①八景島から葉山へ(9月初旬)
②最後の女子インカレ(9月中旬)
③運命の決勝レース(10月初旬)
では、早速。
①八景島から葉山へ(9月初旬)
今年は入部以来もっとも練習量に不安がありました。
相模湾で世界大会がいくつも行われたため、出艇禁止日が多く週6練はできない八景島に例年よりも長く滞在。
やっと迎えた葉山への引っ越しの前日、台風15号が上陸。
深夜2時、海水にのまれていくハーバーを見て、「船、もうないかもな」とレースに出られるのかさえ不安になりました。
主将の第一の責務は「全日本でいい成績をとる」ことではなく、「安全に部活動をする」こと。
朝起きてバースに行くと案の定見たこともないほど秩序を失った景色が広がっていました。
船はなんとか無傷で、部員も無事。断水し瓦礫で溢れた八景島からなんとか脱出し葉山へ。
葉山に来ると一気に「インカレ」の匂いを感じます。
9月11、12日、この夏葉山で初めてのレース、秋季六大学戦に出場。
秋インカレはこの6校に加え、強豪の日大、中央、明海が必ず上位に食い込んでくる。六大学戦で6位を取ってしまうと、実質関東インカレで8位以上を取り全日本インカレに行けるのかが怪しくなる。
3年天木と乗った私は「不可ではないが絶対もっと前を走れるはず」という順位。全体の結果は、470は途中まで6位でしたがなんとか5位に、スナイプは6位。
葉山にきて早速受けた洗礼。全く焦らなかったと言えば嘘になる。しかし東大は例年葉山に来てからぐっと伸びるチーム。「練習すれば大丈夫」と言い聞かせました。
②最後の女子インカレ(9月中旬)
毎年恒例、女子セーラーたちが体力を大幅に削られる期間。
とはいえ、レースでの経験はプライスレス。女子レースの存在は大変ありがたいものです。
9月14, 15日は関東インカレ女子レース。去年4年生だった水石さんと残した結果は5位入賞だったので、今年は2年生の下重(以下ちかちゃん)と話し目標を4位入賞に決めました。
2日間とも女子ペアにとっては強めの北風。普段はペアの天木にコースを引いてもらうことが多いですが、女子レースは周りをしっかり見てコースの最終判断は自分でしていました
実力的には5位には入れそうな走りをしていましたが、ちかちゃんと練習を始めたのがレース前日の午後だったからか、足りていないコンビネーションを自分がカバーできず痛恨の2回の沈で結果は8位。先輩としての力不足を痛感しましたが、スキッパーとしての成長は感じられるレースでした。
女子レースはまだまだ続きます。次は9月21-23日の全日本女子インカレ@蒲郡。
これもまた強風レガッタ。
詳細はちかちゃんのブログをご参照ください。(https://blog.goo.ne.jp/todai_dinghy/e/4eed5a0567a9b0048724a66ded494d1a)
学習が早いちかちゃんは全女までの数日でしっかりスキルアップしてくれました。今後の女子チームを安心して任せられそう。
ちなみに全女でもフィニッシュまであと少しのところで沈をしてしまい、その結果46艇中10位まで順位を落としましたが、大会が終わってからはポジティブに捉えるようにしました(多分ちかちゃんはめちゃくちゃショックだったと思う…)。自分はそもそもあまり沈をしない方だと思っています。2大会で計3回の沈のパターンを学んだので秋イン決勝の沈のリスクが減るな、と思いました。
またこの二つの大会を通して、例年より明らかに自分の視野が広がったと感じました。レースの戦い方をつかみ始めた気がして。去年はミートすらしなかった人たちの前を何度も切ったし、レース展開を自分の目で追うことができ関東女子インでは1位の瞬間も何度かあった。自分の実力は4年間で今が一番あるという実感とともに葉山へ戻ります。
③運命の決勝レース(10月初旬)
全女から帰ってきたらすぐに練習に参加。他大学の女子選手は大会の疲れを取るために休んでいた人も多かった。それもスポーツをする身としては正しいです。しかし私の場合はどうしても練習を休むことができない。
プレッシャーのかかる舞台に立った時に「これ以上できないくらいやった」という確信がどうしても欲しいから。
「効率を考えるのはまず時間を使ってから」という受験期にどこかで聞いた言葉や、小松コーチの「とにかく海に出る」というスタンスは この4年間少しも体から抜けなかった。
思えば、早稲田大学と練習を始めた3年前と比べると、レース後再出艇する文化も随分根付いた。レース委員長に交渉して、たった一艇レース後に練習に出たこともありました。
全女後の練習はインカレで上位に入る学校とのコース練習を繰り返しました。スタートも有利側から揉まれながらでも出る練習をしたし、スタートが悪くてもそこそこまで上がってこられることがわかりました。手応え的には決勝本番では4年間で一番いい成績を取れる感じがしました。
決勝での目標は6位入賞。6位に入る学校は必ず誰かがいいスタートを決めてくる。この夏もっともレースに出ている私が一番身を以て知っていることでした。
決勝レースの2日前くらいからインカレらしい緊張が少しずつのしかかってきました。予選を上位で勝ち上がってきた立教や横国も明らかに八景島にいた頃よりもレベルアップしている。
迎えた本番、自分が選んだのは度がすぎるほどの安全策。引いて引いての繰り返し。
7レースすべて、100%本部船から見えないところから出ました。
2日目、沈艇が続出する強風のレースではいつものように毎レグ少しずつ抜いていくタクティクスは引かず、沈しないことを第一に優先。
夏の間、一艇を抜いていく練習をたくさんして自信もそこそこついてきたはずでしたが、去年全日本に行くことのできなかったことのプレッシャーが舵をとる私の手に呪いのように重くのしかかっていた。インカレという本番のレースで初めて気づかされました。
地道に磨いてきた牙を自分から抜いていくような感覚で、全日本に行けたとはいえ悔いが残りました。特にペアの天木には楽しいレースをさせてあげられなくて申し訳ない。
一昨年の決勝の翌朝は100%の安堵とともに目覚め、昨年は100%の後悔で目覚めました。今年は安堵と後悔が50%ずつ。
でも、これはよく言えば東大ヨット部が2年前よりも前進している証。この一年、両クラス全日本に行くためだけの活動をしてきたわけではない。
2年前よりも悔しい思いをしている部員は多いでしょう。
しかし幸いなことに、私たちにはあと一つ戦える舞台が残されています。
決勝が終わったあと、全日本に行くことができなかった他大学の4年生には「おめでとう!応援してるよ。」と言ってくれる人が何人かいました。
明るい言葉の裏にどんな思いがあるか、去年決勝のあと1ヶ月ほど泣くことをやめられなかった自分には想像できます。いや、想像以上の悔しさかもしれない。
海にあまり出させてもらえない1年生の頃から辛い思いもたくさんしながら練習してきた他大学の同期、海にいない時も部活のことばかり考えていたリーダーたち。自分もそうだったからわかる。全日本に行けなかった人たちの4年間を前に生半可な気持ちで次の舞台に立つことができるだろうか。
いや、できるわけがない。
安堵などしている場合ではない。妥協なんてできない。
西宮で最終日にAPA旗が上がるその瞬間まで、全力で戦い抜く。
後輩に、この部活で4年間を過ごすことが楽しみになるようなレースを見せて部活を去る。
それが今の私に課された使命です。
決勝は悔しいレースが多かったとはいえ、チームとしては全日本がとても楽しみです。
スナイプも470も仲間が失敗しても誰かがカバーできる力を備えています。1年生を含めたサポートメンバーも私が入部して以来最高のレベルまできていると思います。このメンバーで全日本を戦える未来がある、そはとても幸せなこと。
また、レース中は本当に多くのLBの方、保護者の方にお越しいただきました。
多くの方に期待されているということは本当に嬉しいことです。
「応援してよかったな」と思っていただけるような部活であり続けたい。
あと3週間、自分のヨット人生のすべてをかけて最後の戦いに挑みます。
4年 主将
小野万優子