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交流

草深い我が家の庭には・・・。

2009-09-13 21:48:00 | 徒然なるままに
9月13日(日)

今日は久々に庭の木の剪定や草取りをした。
体育祭やら何やらで、台風の後ほったらかしにしているうちに、ジャングル状態で荒れ放題の庭になっていた。

よく見ると、エノコロ草やらオシロイ花やらが種になる直前ではないか!*(ショック)**(汗)*
これ以上放って置くと、これらが種になって、撒き散らされされ、来年はまた凄い勢いでこれらが生い茂り、今以上に庭を凌駕するのは必然。*(青ざめ)*
蚊の襲撃もものともせず、鬼のように草むしりしていると、コウロギや鈴虫、ウマオイが逃げ回っていた。*(キョロ)*
雑草畑は、彼らにとってはパラダイスだったのに、半分以上刈られて、行き場を失ってしまったのね*(すっぱい)**(汗)*
種がこぼれたら困るのだけ抜いて、後は次回にすることにした。

かなり大きく育った金木犀も、よく見たらもうすぐ花が咲くばかりに蕾がたくさん付いていた。
後10日もすれば、あの甘い香りを漂わせてくれるんだなあ・・・と思ったら、剪定するのがかわいそうになった。*(困る)*
花が散ってからでもあまり変わらないかなあと思って、こちらもまたの機会に・・・ということで。

結局、予定の半分も終わらないうちに日が暮れてきて、蚊の猛襲に耐えられず中断はしてしまったが、ゴミ袋5つ分の剪定と草取りを終了した。*(いっぷく)*

働き出す前は、木曜日と土曜日は草取りやら野菜作りやらガーデニングをすることにしていたのだが、今、平日は仕事で、土日に出歩き、やろうと思った日は雨か炎天下。何のかんの言い訳しながらほったらかし状態の付けが回ってきたようだ。。
思えば長女が小学生の時、学校から瀕死の状態のオシロイバナを持ち帰ったのを地植えしたのが運のツキ。以来、初夏になるとものすごい勢いで芽吹き、他の草花を凌駕して、一面赤と黄色のオシロイ花だらけになってしまう我が庭。*(すっぱい)*
今週いっぱい花を堪能(?)したら、来週は種をつける前に刈り取ってしまおう。ゴメンネ、オシロイ花・・・。

宮城県立石巻女子高等学校(現・好文館高校)関東支部同窓会 始動!

2009-09-13 14:13:00 | 徒然なるままに
9月12日(土)

今日は、高校の関東支部同窓会の幹事打ち合わせ会に行ってきた。

最初に、同学年のメンバーで顔合わせをした。
毎年会っている友達、何年かぶりに会った友達もいたが、卒業して以来の友達もいた。
みんなの自己紹介&近況報告を聞きながら、それぞれの卒業後の時間の流れを感じていた。

名簿上はもっとメンバーがいそうなものだが、私たちの年齢は、子どもに養育費が一番かかる時であり、専業主婦をやっている人は少なく、親の介護で、自分の時間なんて確保できない生活を送っている人も多いことだろう。

でも、リーダーを引き受けてくれたメンバーの
『これまでの先輩たちも、今の私たちと同じような状況下でありながら、昭和37年から続いてきた関東支部同窓会を、48回まで絶やすことなく続けてきてくださいました。その努力と思いを私たちがしっかり引き継いで、そのバトンを後輩たちに渡していきましょう。』
という呼びかけに心から賛同し、幹事を引き受けることにした。
とは言いながら、開催予定の来年の7月11日は、採用試験当日だ。
直前までの準備には関われるが、残念ながら当日は欠席するしかない。
試験終了しだい、2次会に間に合えば参加したいとは思っている。

その後、引継ぎ式を行う会場に移動し、幹部の先輩方や昨年の幹事の先輩方に挨拶をした。
私たちスタッフは別室で待機しながら、昔話に花を咲かせた。
近況を話している時は、母親の顔だったり、キャリアウーマンの顔だった面々が、懐かしい友や恩師の名前が出たり、部活動や行事の思い出の話になるととたんに、15~18歳の乙女の顔になるから不思議だ。
それにつけても、私の記憶力の良さは、皆が舌を巻くほどだったのだが、色からその日の天気から誰がどんな台詞を言ったのかまですっかり覚えているのには自分でも驚いた。
それだけ、私にとっても高校時代は、かけがえのない青春時代だったのだろう。

これから何回かの打ち合わせを重ねながら、当日の出席者を増やすための声掛けをしていかなければならないだろう。
内容のある同窓会にするために、どうせやるなら、今までで最高の『同窓会』だったといってもらえるような会にしたいと思う。
実際のところ、これはいかがなものかと意見を言いたくなるようなこともあるだろうが、まずは自分たちが今までのやり方に習ってやってみて、改善点があれば、次にバトンタッチする時に申し送りをすることにして、とにかく、先輩のご意見を伺いながらやらせていただくことに徹しようと皆で話し合った。

『どうせやるなら 精一杯
 どうせやるなら 心を込めて
 得意、不得意は関係ない
 どうせやるなら 前向きに
 どうせやるなら 楽しんでやろう!』

高校時代、30年後の自分をどう思い描いていただろう。
あの頃の自分に恥じないよう、石巻女子高問う学校卒業生のプライドを持って、同窓会に関わった人、出席してくださった人が共に喜び合える、思い出に残り、母校の歴史に残る同窓会にしたいと思う。

*(映画)*『ワールド・トレード・センター』を見て

2009-09-13 11:50:00 | 徒然なるままに
9.11にちなみ、TVで*(映画)*『ワールド・トレード・センター』を見た。
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=6776

中2の娘と一緒に見たのだが、生存者の証言を下に制作されただけあり、俳優の演技もリアルで、更に当時の現実に撮影された事故状況の映像も組み込まれていて、より、リアルさが増していた。

映画のラストでも言っていたが、この事件は、人間がどれだけの悪意を持てるかと、こんな過酷な状況下で、人間がどれだけのことを頑張れるか、人々と共に助け合うことができるかと言うことを問われた事件だ。

もし、あの生き埋めになっていた公安警察職員が、たった一人だったとしたら、生き残ることはできなかっただろう。
二人で励ましあい、眠らないよう、声を掛け合って頑張ったからこそ、捜索隊が見つけてくれたのだと思う。
それから、家族愛。遠のく意識を呼び覚ましたのは、『家族のもとへ帰りたい』と言う強い想いだ。そばにいなくても、これだけの心の支えになってくれる家族愛、夫婦愛に感動した。

私が声を上げて泣いたのは、病院で、ビルのエレベーターボーイをしていて事件に巻き込まれた息子さんの母親が、朝、別れ際に息子とけんかしたまま送り出してしまったことを後悔し、嘆く母親の姿だった。
私は、2年前の事故で九死に一生を得たときに、もうだめだと思った瞬間、一番に思ったのは、前の晩長女と喧嘩したまま、朝、声もかけずに出かけてきてしまったことだった。
映画の彼女の息子さんも、死の間際、一番強く思ったことは、恐怖でも痛みでもなく、お母さんとな仲直りできないまま逝ってしまう申し訳なさと後悔でいっぱいだったことだろう。

また、これは実話なのかどうかは分からないが、事故現場から遥か離れたところにいた海兵隊員が、ニュースを聞いていてもたってもいられなくなり、助けに行くのが神が私に課した使命と、現場に赴き、生き埋めになった人たちを発見し、救済する姿に感動した。
捜索打ち切りで、誰もが諦めかけていた時に、諦めなかった人。
眠ってしまってはそのまま死んでしまうと、お互い励ましあいながら、最後まで生きて帰ることを諦めなかった人たち。
その両者の強い意志と、あの人の手でしか助け出せない状況に命がけで『使命』を全うしに挑んで行った人たちが、奇跡を呼んだのだと思う。

怖かったのは、ラスト近く、その海兵隊員が
「これからは兵が必要になるだろう。報復のために」
といったセリフだった。

映画を見終わって、娘に
「この事件は、リアルタイムで世界中に配信されていたのだけど、あのビルに突っ込んでいった飛行機をハイジャックした青年の故郷では、ビルが倒壊していく映像を見て、爆竹を鳴らしてお祝いし、ハイジャックして突っ込んで言った息子の母親は、『英雄の母』として皆から賞賛されていたんだよ」
と言ったら、
「知っているよ。ママが前に話してくれていたから。でも、こんなに凄い事件だったんだ・・・。」
とショックを受けていた。

同じ話を、当時、中1だった息子に話したことがある。
「一つの事件を一方からだけ見て善悪を決めてはダメ。ハイジャック犯を『英雄』と称える人々の気持ちや、その背景を知らなければ。なぜ、ワールドトレードセンターなのか。その理由を知ること。本土を攻撃されたことのないアメリカにとって、今度のことがどういう影響をもたらすのか。これは始まり。同時多発テロの序章だと思うよ。」
その冬、彼は同時多発テロ防止で世界中が緊迫している状況の中、外務省からの依頼を受け、イギリスの『ジャパンデー』でソーランを踊るために、短期ホームステイした。
その時に、違う文化圏で生活してみて、彼は何を感じてきたのだろう。

大学受験のとき、彼が選んだ学部は『法学部』。
「国際法を学びたいから」
だと言った。その動機は
「同時多発テロが起きた原因と、それを防ぐための方策を学ぶため」
だと言う。
中学時代は結構やんちゃをし、高校時代はサッカー一色だった息子が、成長したものだと思う。
今、ゼミで、国際法を学んでいる彼は、なかなかの洞察力で物事を考えられるようになってきている(気がする)。

「『ゲルニカ』は中学生のうちに教えたほうがいいよ。」
と私に勧めてくれた息子。
1937年、人類最初の大量無差別攻撃を受けた町『ゲルニカ』の悲劇を、たった1ヵ月で、たった一人で巨大な壁画として描いた画家ピカソ。
中学校の美術の教科書に載っていたにもかかわらず、教わらないまま卒業し、高校の世界史で習い、自分で更に勉強したのだという。


アメリカ同時多発テロ事件で父親を亡くした11歳の少女が、1年後の追悼式で朗読したことで話題になった『千の風になって』は、アメリカでは近親者の死、追悼、喪の機会に読み継がれて来た有名な詩なのだそうだ。
この詩を日本に紹介したのはデーブ・スペクター氏なのだそうだ。坂本九さんの葬儀委員長を務めていた永六輔氏さんのもとに、良い詩があるからとこの詩を持ち込んできたのがデーブ・スペクター氏であり、永六輔氏はその詩を葬式で朗読したということだ。

そして、2001年、小説家でありシンガーソングライターでもある新井満氏が日本語での訳詩を付け、自ら作曲を務めたことにより、『千の風になって』の歌が生まれた。その後、阪神大震災から10年のチャリティーコンサートで歌われたり、紅白歌合戦で秋川雅史氏が歌って一般的に知られることとなった。

8年後のグランド・ゼロの様子を見て、悲しみを新たにしつつも、
『同じ過ちを繰り返してはならない』
『明日は我が身』
という思いを強くした。

『9.11事件』でお亡くなり何になった方々のご冥福を祈り、御遺族、関係者の方々に、改めてお見舞い申し上げます。

『梨の選果作業』と思春期の少年たち

2009-09-13 07:59:00 | 徒然なるままに
9月11日(金)
 
今日は、総合学習の時間に、『梨の選果作業』の引率をした。

学校から歩いて20分ぐらいの場所にある選果場は、今が一番忙しい時期。
今収穫されている品種は『豊水』。
大きさや重さの選別はオートメーション化されているとはいえ、やはり、最終段階は人間の目で、色や形、虫食いがないか、傷がないかをしっかりチェックした上での箱詰めとなる。これは女子が担当した。

箱詰めされた梨を箱の重さ別、ランク別に運んで、荷崩れしないように積み上げる作業は男子が担当。
5kg箱はまだしも、10kgを何回も運ぶのはきつかっただろうに、誰も不満な顔もせず、一生懸命働いていた。
特に、実家が梨園をやっている生徒の積荷の仕方は、作業場の人が惚れ惚れするほど堂に入っていて、的確だった。流石*(グッド)*

2階の作業場では、箱作りをしていたが、空き箱とはいえ、組み立てる前の段ボール箱30枚組みの重さは結構な重さだ。それを機械にセットし、中敷を効率よく敷く作業は、機械の速さとタイミングを測る運動神経が要される。
リズミカルに中敷を投げ入れるコツを覚えた生徒は、作業場の人にほめられ、担任の先生にもほめられて、得意満面*(笑顔)*
「先生、4時間目の授業まで、これやっていましょうよ」
「だ~め。4時間目は美術だから。それにもう次のクラスが交代でこっちに向かっているから」
「え~*(涙)*」
現場の作業員の方からも
「せっかく覚えて、効率も上がって能率よくできるようになったのに、もう帰ってしまうのかい?」
「申し訳ありません。またすぐ次の組の生徒達が来ますので、また仕事を教えてやってください」
「え~、また最初っからだよね~?」
「はい、どうぞよろしくお願いします。」
「君たち、せっかく仕事覚えたんだから、明日も手伝いにおいでよ」
他の部署でも、スカウトされていた生徒がたくさんいた。

普段、おチャラけて入るような生徒や、授業に身が入りにくい生徒でも、こういう作業では、結構テキパキと動いたり、真剣に大人の人の話を聞いて、まじめに作業していたり、みんなの普段とは違った姿を見られて、とても新鮮だった。

5月に摘果作業の手伝いをしているせいもあるのか、梨を扱う手つきが本当にやさしく、大切に扱っているように見える。
自分の故郷を代表する農産物であると言うことを小学校からきちんと学んでいるおかげかもしれない。
ましてや、梨園を営む生徒の作業が真剣そのものなのは、この果物で一家の生計が成り立っていることを骨身に沁みているだろうし、ここまで大きく美味しくする1年間の作業の大変さを、小さい頃から親の姿を見て知っているからだと思う。
更に、選果場では、近所の同業の大先輩たちがたくさんいるのだ。
家の面子にかけても、いい加減な作業などできるはずがない。
「流石、梨園の息子、惚れ惚れするような仕事ぶりだね」
とその場にいた人たちをうならせた褒め言葉は、けして社交辞令ではない。
少子化などで後継者不足が心配される昨今、こういう子どもは、地域としても渇望されているのだろう。

2時間の作業を終えて、お土産に大きな梨を2個ももらって、味見の梨を頬張った。
大きな声で挨拶をして、作業場の皆さんに笑顔で見送ってもらい、帰路に着いた。

まるでトトロの背景に出てくるような田舎道を、遠足帰りのように歩きながら、道端に夏の終わりの花々や、秋を感じる草花を眺めやり、トンボが飛んでいたり、アマガエルを見つけたり、凄く懐かしい感じがした。

最初は女の子たちと、美術の課題の『読書感想画』の話や相談に乗っていたのだが、さっき真剣に作業していた中1の男子達が、最後尾からちょっとずつ遅れ始めた。かと思うと、私に、ちょっとH系な質問をし始めた。
さりげなく交わしながら、何とか来週の期末テスト用に社会のクイズや理科のクイズを出してみるのだが、どうしても、そっち系の話に持って行きたがる。
「あなたたち、いっつもそういうことで頭いっぱいになっているの?興味いっぱいで妄想たくましくなっちゃってるんだね」
「はい*(びっくり2)**(キラキラ)*」
肝心なことはオブラートに包みながら、適当に相手をしてやっていると、もう、目はキラキラ、耳はダンボ状態。
みんな思春期なんだね~。かわいい*(ハート6つ)*

「先生は、何人子どもいるんですか?」
「3人いるよ」
「え、じゃあ、3回ヤッタんですか?」
と真顔で聞いてきた時には思わずのけぞって笑ってしまった。
「『その時』はどんな気持ちでしたか?」
と突っ込んでくるので、
「そういうことはお父さんとお母さんに聞いてみたら?」
とかわすと、みんな真っ赤になって下を向いてしまった。ほんと、かわいい*(笑顔)*

そんなエロいことばかり考えているのかと思うと、私が
「この辺は蛍いるの?」
と話しかけたことをきっかけに、
『ほたるの墓』の話から、原爆の話に至るまで、戦争の話になって言ったのだが、そういう話も真剣に聞いてくれ、突っ込んだ話や、中学生ならではの正義感あふれる意見を話してくれた。
最後に、私が
「64年前の話だけれど、みんなの未来の話でもあるんだよ。今は科学技術が発達して、もし、戦争が起こったら、原爆の被害の何千倍の被害になるんだから。皆がお父さんになる頃もこんな自然が残っているようにしなくちゃね。」
と言った時のみんなの表情が忘れられない。

日差しも、吹く風も、秋の訪れを感じさせる爽やかな1日だった。