明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(859)チェルノブイリ原発事故でトルコ黒海側も激しく汚染された!(トルコ・シノップデモから)

2014年05月28日 18時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(2014528 18:00)

少し前のことですが4月26日、チェルノブイリ原発事故のあった日に、トルコでも各地で原発反対を掲げたデモが行われました。
とくに日本が原発建設を強行しようとしているシノップ市には1万人を越える人々が各地から集まり、大きなデモが実現されました。

このデモの訴えの中で非常に注目すべきことは、チェルノブイリ事故の影響で、トルコの黒海沿岸側でも大変な健康被害が起こったことが報告されたことです。
集会の発言の中では黒海側では「葬式の数が増えて、平均死亡年齢は74歳から58歳にまで下がった」というショッキングなことも述べられています。
トルコの人々もまたチェルノブイリの深刻な被曝を受けたのです。

この点で僕が最近、頭にひっかかっているのは、よくあちこちで使われるチェルノブイリ原発事故におよるヨーロッパの汚染地図です。
事故の恐ろしさを伝える説得力のあるものですが、しかしここにはトルコの被曝状況が記載されていないのです。
典型的なものを二つぐらいネットから拾って紹介してみます。

http://www.eu-alps.com/00-info/no-nucler/chernobyl-unep-wiki-map.gif
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_swe/e/40ff41f6ef9ce6da50cffd378d430701

これは当該の地図を作った方や、それを載せている方のせいではなく、トルコ政府が被曝の事実を隠してしまったことによって起こっていることだと思います。被曝実態が隠されてきてしまったのです。
しかし今後、チェルノブイリ事故の汚染を確認する場合は、ぜひともトルコ北部にも深刻な汚染が押し寄せたことに着目して下さい。そこにもたくさん犠牲になった方がいたこと、今も苦しむ方がいることに思いを馳せ、この点を補足して捉えていただきたいです。

このデモの様子を、トルコの友人のプナールさんが書き送ってきてくれましたので転載します。
同記事は現地の新聞に掲載したものの半分ぐらいをプナールさんが日本語訳してくださったもの。僕が若干の校正を行っています。

***

報告 4月26日チェルノビル事故の28年目でシノップ市のデモについて
2014年4月27日 プナール(Pınar Demircan)
      
トルコでは毎年、4月26日にチェルノブイリ事故の日としてデモが行われていますが、今年は特別な意味がありました。
今年の4月26日の企画は、日本の国会で、シノップ市に作られる予定の原発についてのトルコと日本の間の協定が承認されたことに抗議するために行われたのでした。
そのため主だった団体が、トルコの各町からシノップ市へやって来ました。
地中海地方のメリシン市、エーゲ海地方のイズミル市とデ二ジリ市 、シノップ市と同じ黒海地方のカストモニ市、オルヂュ市、ギレスン市、トラブゾン市、マルマラ海地方のイスタンブール市 から人々がやってきて、原発反対デモは、全部で約1万人になりました。

参加者たちは「太陽力を利用しよう!原発は危ない!原発より生活だ!原発に反対!」と繰り返し叫びました。「トルコは資源が豊かで自然も美しい。なぜ事故になったときの危険性がとても高い原発を使わなければならないのか」と叫びました。
デモをアレンジした反原発団体は、話し合いの場も作って、反原発というテーマでのディスカッションを作り出しました。反原発団体のスポークスパーソンは「原発事故があると、人間だけではなくてすべての生き物がリスクを受ける。人間はこの世の中の責任者です」と述べました。
「チェルノブイリ事故によって飛散した放射能でたくさんの人間や生き物が影響を受けた。事故後、トルコの黒海沿岸地域の葬式の数が増えて、平均死亡年齢は74歳から58歳にまで下がった」とも言いました。
(注:チェルノブイリ原発事故後、10年以内にガンがどのぐらい増えたかという調査が行われていません。実態は当局に隠されてきました。アメリカ軍が広島に原爆を落とした後、人間の健康への影響について調査したものの、本当の結果を隠したのと同じように、トルコ政府の記録は市民の手には入りません。1996年以降は、そうした情報のシェアが禁止されています。)

シノップの市長は、与党AKPの党員ではなくて、野党CHPに属していますが、こう語りました。
「シノップ市は自然が美しいところだ。エネルギーになる風も太陽も豊かにあるのに政府がなぜ原発を建てたいか分からない。世界中の国々がもう原発をやめたり、2020年ごろにはやめると約束をしているのに、なぜトルコが今から作ろうとするのか、まったく分からない」。

これまでも毎年、このチェルノブイリの記念日には行動がありました。幾つかの大きい町で毎年同時に反原発行動が行われています。
その中でもシノップ市では、2006年以来、「原発の建てられる町」として予定されているために2006年に大規模なデモがありましたが、今年はそれと同じぐらいの大きなデモになりました。
チェルノブイリ原発事故の後に繰り返し行われたこの運動の結果、一時期、トルコ政府は原発作る予定を放棄しました。しかし2006年にエルドガン政権が、再度、復活させたのです。

シノップ市は黒海地方の町であるため、今のウクライナ(黒海の北側)にあるチェルノブイリ原発の事故によって、大きな影響を受けてしまいました。
その後の10年から20年の間に、ガンで亡くなった人がたくさんいました。その中には有名な歌手、カジム・コユンジュという男性もいました。彼は、チェルノブイリ事故後に降った雨で、自分がガンになったと、死ぬ前に何回も訴えました。

さらにトルコの他の町でも原発に反対するデモが行なわれました。それは下記のごとしです。
現在、シノップ市が一番状態がデリケートなので、参加者は1万人と、この町の運動で一番多かったけれども、この日のイスタンブール市とアンカラ市での参加者も少なくなかったそうです。(正確な人数は分かりません。)
地中海のキプロス島でもデモがありました。地中海沿岸のメリシン市にロシアによって原発が建てられようとしていることに対して、地中海を守りたい人々が集まりました。
(メリシン市は地中海地方の一番東にある町です、その南にキプルス島があります。万が一メリシン市で原発事故が起こると、影響を一番受けてしまうところなのです。)

***

なおこの日のデモのことを、ベルギー在住の友人のジャーナリスト、川崎陽子さんが、さきにプナールさんにインタビューをして素敵な記事を書いてくださっています。
ぜひこちらもご覧下さい。シノップでのデモの写真も掲載されています。

日本の原発輸出に反対するトルコの市民たち 「日本の原発が私たちの未来を盗む」―トルコ市民へのインタヴュー
2014年5月9日 川崎陽子:ジャーナリスト
http://financegreenwatch.org/jp/?p=43573

このデモのあと、プナールさんは5月13日にトルコのソマであった悲惨な炭鉱事故のことを取材して、涙を流しながら記事を綴り、送ってきてくれました。以下に掲載しています。

明日に向けて(848)トルコの炭鉱事故は人災!責任は人命軽視のトルコ政府にある!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/33815c30e09ecd3cc79c304ddc68cc11

タイトルは英語ですがトルコ語記事が以下から見れます。
なおこのトルコ語記事は、あるところでのトルコ語学習会でテキストに使ってくださったそうです。

For tomorrow(849) Why such a crucial coal mine accident happened in Turkey?
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/0a4426fbcd53c5cdc49c610acf677221

炭坑事故についての記事を読めばわかることですが、この事故は、効率重視に走るトルコ政府が、働く人々の安全確保を大変軽視してきたことによって引き起こされたことがよく分かります。エルドガン首相は炭坑オーナーと癒着すらしています。
それどころかエルドガン首相は、なんと「炭坑ではこういう事故は起こるものだ」とまで言い放ち、その場で抗議する人々を逮捕させようとすらしました。エルドガン首相の若い側近など、警察に抑え込まれたデモ参加者に足蹴りを加えるありさまでした。
政府の何ら責任を顧みないこの横暴な態度に対して、トルコのほとんどの主要都市で、怒りのデモンストレーションが起こりましたが、またも横暴を極めるトルコ警察が出動し、デモ参加者にガス弾を浴びせかけました。あまりにもひどい!

プナールさんは叫んでいます。
「このようなひどい政治的な考え方を持つトルコ政府と日本が、原発のビジネスを始めるなら、結果は安倍さんが想像できないひどいものになると思います。炭鉱もコントロールできないトルコで、原発は爆弾と変わらないです。」

その通り!安全思想が大きく欠落していて、それへの抗議を警察の暴力で押さえつけているトルコでの原発は爆弾と変わらない。・・・想像するだに恐ろしいことです。
こんなひどい状況のトルコに原発を送りこんではいけない。トルコ政府のこれほどひどい状況を知りながら、原発を売りつけるのはそれ自身が巨大な暴力です。
すでにチェルノブイリ原発事故でも深い傷と、苦しみと、悲しみを背負ってきたトルコへの原発輸出を、なんとしても食い止めましょう!

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明日に向けて(858)原発事故が起こったらあなたはどうする?(長谷川うい子さん児玉正人さんと鼎談します!)

2014年05月27日 22時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140527 22:00)

連日、あちこちを駆け回っています・・・。

5月25日に大阪市西成区で、飯舘村の長谷川健一さんと一緒に講演し、対談をさせていただきました。
手前味噌でごめんなさいですが、素晴らしい会になったと思っています。
感想を書かなくてはですが、今日はとりあえずIWJの方が撮影して下さった内容のアーカイブのリンク先をご紹介しておきます。

アーカイブは二部構成。第一部は長谷川健一さんの講演です。第二部が僕の講演と長谷川健一さんとの対談、会場との質疑応答になっています。
ぜひ長谷川さんのお話だけでもお聞きください。

第一部
http://www.ustream.tv/recorded/47995676
第二部
http://www.ustream.tv/recorded/47997448


さて、この前日ですが、京都で行われた「いのちを守る避難計画はできるのか 最新の交通工学とシュミレーターから探る」という企画にも一聴衆として参加してきました。
「脱原発をめざす首長会議」の主催で、事務局長の上原公子さん「元東京都国立市長」が企画をコーディネートし、京都のグリーン・アクションのアイリーン・スミスさんが京都での受け入れ事務を一手に引き受けてくださったそうです。
これまた素晴らしい企画でしたので少し紹介します。

まずは各自治体からの報告。発言者は以下の方たちです。
中山泰 ・京都府京丹後市長
西牧成通・兵庫県篠山市・市民安全課長(酒井隆明市長代理)
平尾道雄・兵庫県米原市長
三好幹二・愛媛県西予市長
石橋寛久・愛媛県宇和島市長

それぞれに原発事故に対する対策を策定中、または避難計画を作成した自治体で、話に非常にリアリティがありました。
もっとも特徴的だったのは、愛知県西予(せいよ)市長の三好さんの発言です。西予市は伊方原発のすぐ南に位置し、市の半分が原子力規制庁によって避難計画を策定せよという指定されている30キロ圏内に入ります。
以下、アウトラインを紹介します。

*****

三好幹二・愛媛県西予市長

安全神話が無くなった中で、私たちには東電が原発の危険な実態を封印していたことが見えてきた。
実際には原発は危ない。動いていようが停止していようが危ない。このことを私たちは分からなくてはいけない。そのためにはやはり避難計画は作っておく必要があるということで作った。

しかし避難訓練は有効に機能するのかというアンケートが今回あった。これは非常に難しい問題だ。このことを言うことには忸怩たる思いがあるが、矛盾を抱えているのが避難計画だ。
私の西予市は、伊方原発の南側にあって東西に長い。原発から10キロ15キロに1500人が住んでいる。15キロから20キロに8700人。
20キロから25キロで17000人。25キロから30キロに2800人。西予市の人口の7割が30キロ圏内に住んでいる。
この計画の中に情報伝達をどのようにするかだが、当然ながら原発からの距離によって対応が違ってくる。しかし防災無線でそれぞれの地域に分けて連絡しても混乱を生じてしまうと思う。

避難道路にも問題がある。海岸はリアス式。海に山が迫っている。そういうことの中で大混乱が起こる可能性がある。道は片道一車線だ。車がガス欠を起こしたり、故障を起こしたら大変なことになる。
さらに私たちのところには南海トラフの大地震の可能性がある。台風の大水害は毎年起こっている。それと原発が複合事態になったらどう逃がすのか。これは非常に困難だ。
実のところ、このことを計画に入れると、計画は作れないという矛盾を秘めている。私たちは複合災害を考えては計画は作れないのだ。このことをしっかりと頭に入れておかないといけない。

防災訓練では、住民を最も安全なところに送ることを考えなくてはいけない。しかし、今、やっている避難訓練は日中のシナリオだ。どこも夜の広域避難訓練などやってないと思う。
しかし実際に夜中に事故があって、電気が切れて、真っ暗闇で、さらに道路が寸断したりするとどうか。非常に難しい。私も市長として避難指示を出すことが本当にできるのかなと思う。だから避難訓練も非常に厳しく考えなくてはならない。

他の市町村との関係で受け入れのことだけれども、福島の事態を見えても一時的ではなくなる。生活が変わってしまう。しかし今の避難計画は一時的なもので長期的な避難を想定してはいない。どこもそうだと思う。一時的な避難計画でしかない。
住民を避難させた後、地域をどう管理するのかということも抜け落ちている。今の計画地域もゴーストタウンになる。そのことも計画には入ってない。本来はそういうこともいれた計画を立てなくてはいけない。

*****

非常に共感しました。そうなのです。僕も本当にそう思う。リアルに考えれば考えるほど、あらゆる事態に適合できる避難計画など作れない。
だからせめて再稼働させないことがとても大切ですが、しかし動いてなくたって燃料プールがある限り、やはり原発は危険だし、完全廃炉実現までは事故を想定しなくてはいけないし、訓練もしなくてはいけない。
私たちが今、立ってるのはそういう場なのです。僕も、これを知っていれば安心・・・などというものではなくて、何か起こってしまったときに、せめて少しでも被害が少なくなる道を模索する必要があると思って、避難計画を考え続けています。
例えば一車線の道路で車が立ち往生してしまったときに、せめてヨウ素剤は手元にあって飲んでいる状態でいて欲しい。あるいはそんなときに山側に回避するう回路があって欲しい。それやこれや少しでも命を守る可能性を広げておく。

そのことに地域で一生懸命に取り組む。その場合、原発に賛成・反対は問わずに、その場にいる人全体で取り組むことが大事だし、地域の防災への取り組みは自ずとそういう位置を持ちます。これはとても大事な点だと思います。
僕はそれぞれの行政の立場から、可能な限り、警察官、消防隊、自衛隊の隊員たちのことも考えて欲しいと思います。一番、事故現場やその近くに投入されるであろう方たちだからです。
もちろん、指揮系統が上から作られている自衛隊などに、いざとなったときに行政からできることはないでしょう。でも普段の防災訓練のときに、一緒に原発事故の危険性、放射能の危険性、身の守り方を学ぶことはできます。
事前学習で積み重ねた知恵で、いざというとき、少しでもそれぞれで被曝を軽減して欲しい。そのためにできることをコツコツと積み上げておきたいと思うのです。


さてこの日は続いて、青山貞一さん•環境総合研究所前代表、鷹取敦さん•環境総合研究所代表、上岡直見さん•環境経済研究所代表というこの道のエキスパートが連続的に話をしてくださいました。これは凄かった!
たくさんのことを新たに学ぶことができましたが、この報告はまたの機会にさせていただきます。

さて今度は僕自身が原発災害対策のことを再びお話します。
5月31日に京都市内で「たねまきカフェ」に参加し、緑の党共同代表で、友人の長谷川羽衣子さん、「原発なしで暮らしたい丹波の会」世話人の児玉正人さんと一緒にお話します。
はじめに僕と児玉さんがお話し、その後に3人で鼎談の予定です。お近くの方、ぜひお越し下さい!

長谷川羽衣子さんとの対談は、6月17日に宮津市でも計画中。詳しくは企画が決まり次第、お知らせします!

以下、5月31日の企画のご紹介です。

*********

5月31日 京都市

5/31のたねまきカフェは、守田敏也さんと児玉正人さんと一緒に、防災を考える講演会を開催します!ぜひご参加下さい!(^^)!

 =====================================
たねまきカフェ 『京都の防災 大丈夫?!』

もしも、原発震災が起こったら...
14基の原子力施設が100km圏内に存在する京都。
私たちの現状と全ての災害に共通する防災の心得と備えについて考えてみよう。

■ 日時:5月31日(土)午後4:30~6:30
■ 場所:岡崎いきいき市民活動センター 会議室2
    (左京区岡崎最勝寺町2 ※ みやこめっせ北側の細見美術館西側)
■ 参加費:500円以上のカンパをお願いします。

■ 1部:「京都の現状と防災の心得と備え」
     守田敏也さん(フリージャーナリスト)
■ 2部:「関西広域連合の防災」
     児玉正人さん(「原発なしで暮らしたい丹波の会」世話人)
■ 3部:トークセッション「子どもたちを守るために」
     守田敏也さん+児玉正人さん+長谷川羽衣子さん+参加者のみなさん

■ ゲスト プロフィール
 守田敏也さん:フリージャーナリスト。同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、現在フリーライターとして取材活動を続けながら、社会的共通資本に関する研究を進めている。
311以降は原発事故問題をおいかけている。篠山市原子力災害対策検討委員会委員。
 共著:『内部被曝』岩波ブックレット
https://www.facebook.com/hasegawauiko/photos/a.627781580568583.1073741828.614374908575917/865719986774740/?type=1&relevant_count=1&ref=nf

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明日に向けて(857)「鼻血は事実」~福島の母親「美味しんぼ」言論抑圧に抗議!~OurPlanetTVより(下)

2014年05月25日 08時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140525 08:00)

『美味しんぼ』応援記事第6弾です!

5月21日行われた表題の記者会見の起こしの後半です。
同会見の主催は「ふくしま集団疎開裁判の会」。OurPlanetTVが22日に報じてくれています。
動画のアドレスも示してあるので、ぜひご覧下さい。

僕は今、大阪のホテルに滞在中。隣の部屋に飯舘村の長谷川健一さんがおられます。
今日は午後から二人で企画に参加します。詳しくは以下をご参照ください。

明日に向けて(851)飯舘村の長谷川健一さん、映画『遺言』監督の豊田直巳さんと対談します!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b7c91b7a8c17437a014577dae5d9f7c4

午後2時より「釜ヶ崎ふるさとの家」(西成区萩之茶屋3-1-10)です。

まず長谷川さんが飯舘のことを話され、続いて僕が、福島でこれまでどんな形での被曝があったのか、2011年からのことに振り返りつつお話したいと思います。
荒木田さんたちと「福島放射能除染・回復プロジェクト」に参加したときの取材写真などを使います。
そのことを通じて『美味しんぼ』で書かれていることがまったく妥当であること、政府や福島県のバッシングはまったく間違っていること。
そればかりか、そもそもこの重大な被曝を放置し、子どもたちや市民が被曝するに任せていたのが、政府と福島県であることをきちんと示したいと思います。

お近くの方、ぜひお越しください。

以下、昨日の続きをお届けします。

*****

「鼻血は事実」~福島の母親「美味しんぼ」言論抑圧に抗議!
20140522 OurPlanetTV
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1785

郡山市から川崎市へ避難した母親

原発事故を機に当初、3月24日にやっと高速バスがつながったということで、妹が東京にいるものですから、まずは当時、小学校6年生だった次女を避難させようと思って、東京に一時的に自主避難しました。
周りの状況はとにかく水やガソリンとか、そういうことでみなさんがその日の生活をするのにやっとの状態だったのですね。
入学式が始まるということで、また一時、娘を戻らせて、生活を送っていく中で5月ごろから「子どもを放射能から守るネットワーク」というメーリングリストが流れているということを聞いてそこに参加させていただいて、今の状況がどうなっているのかを知ることになっていきました。

そのときに私は福島市に勤務していたのですね。そこの同僚のスタッフの4歳と7歳の男の子が毎日、鼻血を出しているということで、「ちょっと気になるんだ」という話を聞きました。
私からするとなにか放射能との関係があるのではないかということで、うちもそのとき以降、放射線を測る機械を借りて家を測ることにしました。
当初、その時には家の中の1階が0.4μシーベルト、2階が1.2μシーベルト、玄関の外で2.7μシーベルトでした。
その数字すら私はどういう値か分からなかったのですけれども、いろいろなことを調べていく間にちょっと異常だということで、危険性を感じている最中、うちの娘も6月23日に鼻血を出すということが起こりました。

その時点から体調不良を訴えて、一時、郡山に戻しましたけれども、やはりこのままではいけないと感じ、また自主避難させる決意で、私も仕事の転勤を申込み、7月に夏休みを待たずに2度目の自主避難をしました。
今の経過としては、鼻血は止まりましたけれども、貧血があります。今は3年経ちましたので高校生になりましたが、やはりお風呂に入ると、10分間のものでも貧血になるということがあります。
私自身も去年の10月から、高熱がでて調べたところ、膠原病だということが分かりました。

今回、『美味しんぼ』の漫画で流れたことに関してですけれど、やはり事実、私の周りにもありましたし、私の娘もそういう経験をしましたし、あの鼻血はですね、ちょっと流れるぐらいの鼻血ではないですね。
朝、起きたときに鮮血ではないのですね。どす黒い血液がかなり大量に出るということで、学校に行ったときも、かなり大量に出たということで、やはりその事実は認めてもらなわいといけないと思います。
郡山では今も除染をしてますね。なぜ側溝とか除染をしなければいけないのか。それも不思議になります。何ら関係がないのであれば、除染に高額な金をかける必要もありませんし、それだったら、今、仮設住宅で本当に大変な人たちを助けるべきだと思います。

あのとき、野党(自民党)の森まさこ氏は、鼻血の件は知っていました。あのときに私もこういうところに出て、森まさこ氏が鼻血のことを話しているのを聞いています。
でも今、与党になって、ああいう話をするということ事態、私はすごく憤りを感じています。
これを機に、みなさんが本当の真実がどこにあるのかを考えていただいて、それが本当に「風評被害」なのか、本当は「復興」のために、「風評被害」と言葉を変えておっしゃっているのか、その辺をメディアの方たちが追及していただければいいのではないかなと私は思います。

会津放射能センター代表
片岡輝美さん

私たちはこの抗議に対して聞き取り調査を始めました。裏付けとなるものが集められたらと思いました。
5月17日土曜日から私たちのML、またそれに繋がる人たちに問いかけたところ、18件のメールが寄せられました。今、話されたお母さんたちはみなさん、中通りの方たちですから、私は会津のことに特化してお話したいと思います。
例えば会津の高校生、当時16歳だった子です。「急にタラリと出る。量も多かった。3月11日から2か月ぐらい経ったころから1年以上続いた。昼夜問わず、いきなり出ることが多かった。週に2、3回、多い時には3、4回。」
お母さんのコメントとしては「頻度が多すぎる。下痢や咳もひどかった。」この子は屋外の部活動にいた子です。

またけして子どもだけの情報が集まってきたのではありません。お父さんたちの情報も集まってきました。
成人男性、おそらく50代の方だと思われますけれども「しつこい鼻血で毛細血管を焼いてもらう」。これは震災の年、2011年の話だそうです。この方は「職業柄、被災地での仕事が多い日々、鼻血は2週間ぐらいにわたって出た」。

また会津の男の子、9歳の子ですが、「突然、両方の鼻から出血。サラサラの鮮血、中にはどろっとした粘液も含まれていたがなかなか止まらなかった」。
そしてこの子は確かに2011年の8月中に就寝中に2日間だけ出たということだったのですけれども、「突然、何の理由もなく鼻血を出したのは始めてだ」とお母さんはコメントしました。「この鼻血を出したのは、県外に保養に出て帰ってきて、二日後のことでした」とのことでした。
会津のその時、11歳だった男の子ですが、中学生になって、お母さんからの勧めもあって屋内での部活動を選び、そこに所属していましたけれども、やはり課外活動、野外活動、いろいろな大会の応援などに出かけるときに、「強風の中にいるとそのあとで鼻血を出す」という状況が続いたそうです。
本人だけではなく、「一緒にいた友人にも鼻血が出た」と証言しています。

私の場合です。息子を2011年3月14日から2週間、県外に避難をさせました。そして会津に数日間、とどまった後、県外に進学するために出しました。
3年経った今、「実はお母さん。僕は県外に行った後、鼻血を出したんだ」と言いました。彼が言って、私はびっくりしたのですけれども、実は暫く避難をして帰ってきた後、会津でどうしても体が動かしたくなって、夜にランニングに出ていたのですね。
私は「そんなことをさせたのか」と思って、自分のしたことを後悔したのですけれども、このように3年経ってから「実は」という息子がいます。本当に短い期間しかいませんでしたから、これが被曝の影響かどうか分かりません。
ですが、子どもたちの中に、親に心配させたくないから言えないという子どもたちがいることは確かだと思います。「お母さんが心配している、お母さんをこれ以上、心配させたくない」。そういう子どもたちの口まで封じてしまうのでしょうか。

私は福島県の抗議する先が違うと思います。相手が違うと思います。人々が「一緒に住みたい」、福島県での子育てを本当に楽しみにしていたお母さんたちが、福島県を愛しているのに離れなければならない。
家族の中での分断がある。地域の中での分断がある。仕事を辞めなければならない。離婚してしまう。このような状況が県民にあるのに、その人たちに対しての抗議、これはおかしいです。福島県が抗議する先は違うはずです。


元双葉町町長
井戸川克隆さん

この事故はですね、東京電力の起こした事故なのですね。予防原則を守らなかった。そのあと、事故責任をぜんぜんやってない。これが結論でしょう。そしてその事故責任をとらせようとしてない。ここに大きな問題がありますね。
今回の『美味しんぼ』の描写については、私はもっと過激にしゃべっているのですね。だから、本当にもう、三分の一ぐらいしか表現されていません。だって私の言っていることは事実なんですよ。本当のことを言っているんだから、それを「また言ったな」「井戸川、常に言ってるな」ぐらいで良かったんですよ。
それをこともあろうに国をあげてビックリしてしまって。それはなぜかというと、被曝を隠していたから。それを私がズバッと言った。言う立場にあるんですね。
あれほど高い放射線を、ヨウ素も全部かぶっているようですけれども、浴びせさせられたこの思いをですね、私は、そういう辛い思いを、子どもたちを守りたいという一心に変えてきております。

住民に正しい情報を。そして「放射能を怖がらせない安全教育」ではなくて、放射能の持つ意味を隠蔽しないで、本当の意味の情報を提供して、最終的に住民がその場を離れるか、離れないか、判断してもらえばいいんですよ。
別に隠したりなんかしなくていいんです。それを今、やっているからおかしいのですね。
「風評被害」という言葉でやっているようですけれども、「風評被害」というのは、私としては望むところなんです。本当に「風評被害」であれば、私はここに立っていません。双葉町に住んでいます。


ふくしま集団疎開裁判弁護団
柳原敏夫さん

福島の子どもたちが、ものを言えぬまま、命と健康という最も尊い人権が踏みにじられると言う、そういう問題であります。
昨年4月、福島集団疎開裁判の仙台高等裁判所の判決で、「福島の子どもたちの命と健康に由々しい事態が懸念される」とはっきり認められましたが、このような事実を口にすることができなくなります。
このような希望をともすために、私たちはまもなく、もう一度、子どもたちを福島から安全な場所で教育せよということを求める、福島集団疎開裁判の第二次裁判を起こします。
1人でも多くの人たちがこの裁判に繋がってください。そして私たち市民の手で、言うべきことが自由に言える社会に、そして子どもたちの命が本当に守られる、子どもたちを救い出す社会へ一緒に作り変えていきましょう。

今日はありがとうございました。

以上


 

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明日に向けて(856)「鼻血は事実」〜福島の母親「美味しんぼ」言論抑圧に抗議!~OurPlanetTVより(上)

2014年05月24日 10時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140524 10:00)

『美味しんぼ』応援記事第5弾です!

表題の記者会見が5月21日行われました。主催は「ふくしま集団疎開裁判の会」です。OurPlanetTVが22日に報じてくれました。

福島のお母さんたちが勇気をもって、自分のお子さんに起こった鼻血体験を話して下さっています。また問題は鼻血だけではないこと、さまざまな健康被害が起こっていると思われることも語られています。
僕自身、これまでたくさん耳にして来たことですが、それでも視聴していて強く胸を打たれました。できるだけ多くの人に伝えて、福島の人々、いや被曝を被ったすべての人々を助けることにさらなる努力を傾けなければならないと思います。

集団自衛権行使に向けた会見で、安倍首相は、「国民の命を守るのが自分の役目だ」と、ありもしないような想定を掲げて語っていましたが、ならばどうしてこの今、現にある健康被害に立ち向かおうとしないのか。
それどころかなぜ、被害実態を隠そうとばかりするのか。そこには、本当は民衆の命を守る気などまったくないこの方の本音がはっきりとあらわれています。

この首相、この政府をこのままにしていては、福島の人々をはじめ、放射線被曝を被ったすべての人々が深刻な危険に晒され続けます。
被害は甚大です。鼻血現象は氷山の一角にすぎません。何よりこれだけいろいろなことが起こっていながら何らの調査もされていないこと事態が脅威です。
すぐにも開始されなければならないのは、福島にとどまらず、広範な地域での徹底した健康調査と対応です。ものすごく膨大な規模の住民の命と健康が危機に晒されているのです。

予算は幾らでもあります。まず東京オリンピックにかける費用をすべて当てればいい。
それでも足りないのであれば、アメリカ軍需産業にいいように買わされてきた、自衛隊の膨大な装備・費用を削ってあてればいい。現に今、進行している住民の被害に立ち向かわずして何の「国防」でしょうか。

こうしたことをつかみ取るためにも、ぜひこの勇気ある発言に耳を傾け、自らのものとし、多くの方に伝えて欲しいと思います。
また身の回りで「低線量被曝で鼻血が出ることはあり得ない」と断言している「科学者」に伝えて欲しいです。
これらの人々は、誰一人、疫学的調査をしたこともなく、ただ高線量被曝で造血機能が損傷し、血小板が作れなくなるなどのメカニズムしか知らないだけで、低線量被曝に対して「鼻血はあり得ない」と断言し、現実に鼻血に遭遇した人々を痛く傷つけています。
事故の被害をないものにしたい政府や東電を利することばかりを、「科学」の名のもとに語っている人々を、強く諫めなくてはいけません。

それらを考えて、会見を文字起こししました。ぜひご活用下さい。
長いので2回に分けて掲載します。
お時間のある方はぜひOurPlanetTVのサイトから動画をご覧下さい。

*****

「鼻血は事実」〜福島の母親「美味しんぼ」言論抑圧に抗議!
20140522 OurPlanetTV
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1785

井戸謙一弁護士
今回の『美味しんぼ』攻撃のポイントは二つあります。一つは鼻血の話がデマだと、あるいはデマであるかのような表現で攻撃しているということです。
二つ目は鼻血が被曝とは関係がないということを明言し、因果関係があるとの考え自身を攻撃していることです。

鼻血の話はデマではありません。井戸川元町長の話も真実です。それ以外にもたくさん鼻血を出された方がおられたということも真実です。
今回の政府、福島県、双葉町による『美味しんぼ』に対する攻撃は、故郷を追われ、職業をなくし、地域コミュニティを奪われ、家族がバラバラにされ、健康不安を抱え、
先の見えない暮らしに疲弊している福島の人たちをさら抑圧し、将来に対する不安も、現実に起こったことすら口にできない、そういう状況に追い込もうとするものです。
私たちはこれに対して断固抗議したいと思います。

そして市民のみなさまにはこんな異常な社会の出現を許していいのかと問いかけたいと思います。
これは福島だけの問題ではありません。復興の妨げになるという理由だけで放射能に対する不安を口にできない、この国は戦争に対する妨げになるということで戦争に対する不安を口にできなかった。70年前のこの国の姿とどう違うのでしょうか。
これは私たちがこの国を、これからどういう国にしていくのかという、私たち一人一人に突きつけられた問題なのだと思います。
今日は福島から勇気を奮っていただいて、お母さんたちに来ていただきました。鼻血をはじめとする健康不良が現実に起こったこと、今回の『美味しんぼ』騒動によってどれだけ傷つけられたかということについてお話してもらいます。


郡山市で暮らす母親

私は学習塾の講師をしております。そのため子どもたち、とくに中学生の話を聞く機会が多くありました。今までにない鼻血の話を聞きました。
2011年震災後、すぐに学校が再開され、学校に通うようになると学校での状況を聞くようになりました。子どもたちの話によると学校の教室では誰かが必ずといっていいほど、鼻血を出していました。
子どもたちは毎日必ず誰かが鼻血を出すという異常事態になれてしまい、誰もが驚かなくなっているようでした。

私の生徒も授業中、何回も鼻血を出す子がいました。その中で私の知っているだけで3人は耳鼻科でレーザー治療をしました。子どもたちによると何度も鼻血が出て日常生活に支障が出るので、レーザーで焼いてもらったんだと話していました。
また保養に子どもたちを連れて行って、また郡山に帰ってきた時も、すぐに荷物をあけたタイミングで10人中4人も鼻血を出していました。私は塾の講師を25年ぐらい続けておりますが、今までにこのような経験はありませんでした。
放射線の影響で鼻血が出ているのかどうかは分かりません。しかし、「もしかして放射線の影響ではないか」と考えてしまいます。もうそれ自体が被害なではないかと思います。
いくら学識者や有識者に、放射線と鼻血は関係ないと言われても、実際に今までと違った事象が出ていれば心配になるのは当たり前のことで、これを「まったく科学的根拠がない」と言われて、切り捨てられていることにとても怒りを感じます。


福島市で暮らす母親

私は爆発当時、小学5年生の息子と小学1年生の娘、そして私に、爆発直後に身体に発疹が出ました。原因は不明で暫くして治まりました。
5月ごろ大量の鼻血で息子が何度も倒れました。喘息がほとんどよくなっていたのですけれど、今は強い薬を毎日飲まないとダメなぐらい、症状が悪化しました。白血球もかなり減少しました。なので保養に連れ出しました。
行ったら、薬も塗らずに発疹が消えたり、鼻血が止まったり、喘息の薬も気づけば飲んでなかったのですね。それぐらい違ったのだと思います。
小学校5年生の息子が、当時、眼に見えない放射能が怖いと私に訴えてきたのですよ。それは自分の身体にすごく色んなことが起こりすぎて、恐怖を抱いたのだと思います。

『美味しんぼ』についてですけど、実際に私たちが経験したことを書かれていたので、それを「風評」というのはおかしいことだと思います。「風評」を逆に作り上げているのは、原発由来にしたくない人たちだと私は思います。
ただちに影響がない=影響があるかもしれない。影響があるかもしれないなら、それなりの対応をなぜ取らなかったのか?なぜここまで『美味しんぼ』を非難するのか。私たちの口封じだとしか思えません。


郡山市で暮らす母親

私は地震のときに小学2年生の息子がおりまして、郡山市ですけれども、地震の時に水が止まってしまって、原発事故の避難措置とかも市民の方には伝わってこなかったのですね。
水が止まって、子どもを連れて水をもらいにも行ってしまいましたし、ガソリンがなかったのでバスで移動したりもしまして、おそらくたくさん被曝をしてしまったと私は思っています。初期被曝の影響はおそらくあったのではないかと思っています。
事故の後は、小学校は入学式とか始業式が一週間遅れて始まったのですけれども、最初はマスクをして長袖長ズボンで暫く過ごしていまして、うちの息子は1学期に一週間近く鼻血が出ました。
鼻血は子どもなので何度か出たことがありましたけれども、今まではちょっとティッシュを詰めれば止まる程度だったのが、朝起きると枕が赤くなったりとか、何度もティッシュを代えないと止まらないという量が一学期にありましが、それは一週間程で治まりました。

事故のときに8歳だった息子と半年間、母子避難をしまして、私の入院を機に、郡山に戻ってきたのですけれども、その後に咳が止まらなかったりとか、湿疹が出てしまったりとか、いろいろと体調を崩してまして、病院にいくといま、子どもが多いのですね。
病院に3年以上、たびたび行ってきましたけれども、どこの病院も、原発事故のお話をしてくださるお医者さんはほとんどいない。

私の子どもは学校の甲状腺の集団検査で、「A2」をいただきまして、書面だけで「再検査なし」ということでいただいていたのですけれども、この間の春休みに保養にいきまして、戻ってきたその日にまた鼻血が出ました。
春休みで、心配が度重なっていたので、甲状腺検査を受けてくれる病院をやっと探しまして、連れて行きました。
「A2」ということを2年前に頂いていたのですけれども、自分が連れて行った検査をやってくれる病院で、やはり「A2」だけれども、先生がよくこれで「A2」だったなと言われました。
のう胞がたくさんあったのですが、のう胞自身はがんになるわけではないのですけど、刺激を受けたからいっぱいのう胞があるわけで、のう胞がある子はあってもいっぱいあるのは異常で、異常があるのだからその周りの細胞ががんになるかもしれない。
それで「半年に一回、検査をしていきましょう」といわれました。

鼻血だけでなく、たくさん不安がありまして、今回、『美味しんぼ』の件で、「ああ、あったあった」と。私の息子もありましたし、ただ鼻血だけではないと思いますし、そこをいいきっかけにしてくださったなと思います。
とくに私は、否定される方、行政だったりですが、ちゃんと調査をしてくださいと強く思います。本当に検査が2年に1回と言うのは、とても親として切なくてですね。子どもを守れないというのは本当に辛いです。
抗議をするのであれば、細やかな検査をして、一部の子ではなく、全市民の声を拾ってもいいのではないかと思います。

続く

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明日に向けて(855)原発から250キロ圏内の住民に差し止めを主張する権利がある!(画期的な福井地裁判決-1)

2014年05月22日 10時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140522 10:00)

さきほど大飯原発差し止め判決要旨の全文を紹介しましたが、続いてその画期的な点の解説を行いたいと思います。
この判決文、本当にあらゆるポイントを網羅して書かれていて、素晴らしい点は幾つもあげられると思いますが、僕は何といっても主文の内容を一番に指摘したいです。「主文の1」・・・以下の内容です。

***

被告は、別紙原告目録1記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏内に居住する166名)に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1において、大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。

***

主文に続く「理由」の「6 閉じ込めるという構造にうちて(使用済み核燃料の危険性)」の「(2)使用済み核燃料の危険性」の中に、ここで「250キロ圏」という範囲が指摘された理由が示されています。
以下、引用します。

***

福島原発事故においては、4号機の使用済み核燃料プールに納められた使用済み核燃料が危機的状況に陥り、この危険性ゆえに前記の避難計画が検討された。
原子力委員会委員長が想定した被害想定のうち、最も重大な被害を及ぼすと想定されたのは使用済み核燃料プールからの放射能汚染であり、他の号機の使用済み核燃料プールからの汚染も考えると、強制移転を求めるべき地域が170キロメートル以遠にも生じる可能性や、住民が移転を希望する場合にこれを認めるべき地域が東京都のほぼ全域や横浜市の一部を含む250キロメートル以遠にも発生する可能性があり、これらの範囲は自然に任せておくならば、数十年は続くとされた。

***

最悪の場合、避難区域が半径250キロ圏にまでおよぶというこの推計は、2011年3月25日に、当時の近藤原子力委員長が内閣に提出したものです。政府内では「近藤シナリオ」と呼ばれていました。まさに政府の考えた想定なのです。
このことは2011年末に報じられました。僕も翌年になって「明日に向けて」で報じ、以来、講演を含めて折にふれてこの重大な事実に触れてきました。詳しい内容については以下の記事をご参照ください。

明日に向けて(389)4号機が倒壊したら、半径250キロまで避難の必要が・・・
2012年1月25日
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b0af865e4de2a836139cfc49cd5583e6

明日に向けて(765)福島原発事故の最悪シナリオは半径170キロ圏内強制移住!250キロ圏内避難地域!
2013年11月19日
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/9b867ac64be3b5c0492b5626806e9070

どうしてこんなとんでもない広域の強制避難が必要になるのか。それは「五重の防壁」と自慢されてきた格納容器と違って、燃料プールは放射能の拡散をふせぐ何らの設備もないため、一度、冷却機能を喪失して干上がってしまったり、地震による倒壊などがあれば、すべての放射能が大気中に飛び出してしまうからです。
現にそのために今も、福島原発4号機から懸命に燃料棒を降ろす作業が続けられていますが、この作業が始まった時点、およそ1500本の燃料集合体があったときの4号機の放射能量は、京大原子炉実験所の小出裕章さんの推計で、セシウムだけで、なんと広島原発16000発分という膨大なものです。
判決にはこの放射能量のことは書いていないものの、いずれにせよ裁判所は、他ならぬ政府自身が、事故が最悪化した場合、半径250キロが避難圏になると想定したことを非常に重く捉えて、この範囲にいる住民には自らの人格権を守るために、運転停止を訴える権利があることを認めたのです。

何度も言いますがこの点はとても重要なことです。
みなさん。ぜひご自分の自宅から半径250キロの円を描いてみてください。そこに原発があれば、あなたな万が一の事故の時に、避難区域に入る可能性があるのです。政府の想定によるものです。
だからあなたはただちに半径250キロ圏内にある原発の運転停止を訴える権利がある。人格権としてです。ぜひぜひ、この貴重な権利を行使しましょう!それがこの判決から第一に引き出すべきことです!
そうなるとどうなるか。沖縄や離党をのぞくほとんどの地域が半径250キロ圏内に入ります。権利があるというのは、同時に、事故で避難民になる可能性もあるということですから、誰もが当事者として立ちあがらなくてはいけない。福井判決はそのことを全住民に訴えかけてもいます!

僕はこれまでこのことを繰り返し、繰り返し述べてきました。
しかしマスコミは2011年末に話題になったときをのぞいてほとんどこのことを報道してきませんでした。
多くの政党もそうです。脱原発運動の中でも僕はこの点の指摘が弱いことを常に大きく感じてきました。
なぜでしょう。誰もが破局など想定したくないからだと思えます。しかしそれは事態が破局の可能性を孕んでいることを避けようとする心理=正常性バイアスの罠にはまっていることでしかありません。

この点が極めて重要なのです。危機に瀕したり、命が問われる局面に遭遇する経験の少ない現代人は、実際に危機に直面した時に、「正常性バイアス」にはまりやすい。事態は正常に戻っていくというバイアス=偏見を事態に被せて、危機を直視しないことで、精神の平穏を保とうとしてしまいがちなのです。
これはあらゆる災害に共通することです。危機に直面しているのに事態を軽くみてしまう。だから脱出=避難が遅れてしまう。
しかし福島原発事故が突きつけたのは、いざとなったら170キロ圏内は強制避難しなけばならないということなのです。250キロ圏内も避難対象地域になる。
いやこれはチェルノブイリの現実を適用したものとされていますが、僕はその想定すら甘いかもしれないとも思っています。何といったって、政府の原子力委員会=原子力村の一員だった人々の想定なのですから。現実にはもっと広範な地域が汚染される可能性も高い。

災害心理学では、こうした非常時の「正常性バイアス」の心理的ロックにはまらないようにするためには、日ごろから避難訓練を行い、非常事態の認識に耐えられる精神的な支えを作っておくことが大事だと述べています。
私たちがしっかりと見据えなければならないのはこのことです。そのためにまさに250キロ圏内にある原発を自らの直接的な脅威と捉え、せめてもその運転を止めるための行動をとる必要があります。

人格権は基本的人権の一つです。そして憲法第三章の「国民の権利及び義務」にはこう書いてあります。「第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」
憲法の対象が「国民」に限定されていて「すべての住民」を対象にしていない点が残念ではありますが、それはともあれ、大事なのはこの私たちの権利は私たちの「不断の努力によって」保たなくてはならないということです。
だから今、私たちは「原発から250キロ圏内の住民には原発差し止めを主張する権利がある」ことが、福井判決で真っ当に示されたことをしっかりと受け止めて、もっと大胆に「権利の行使」を行っていきましょう!

さらに判決を越えて提起したしたい重要なポイントは、この半径250キロ圏内が避難しなければならない危機は、原発が稼働していなくても存在するということです。
もちろん原発が稼働した場合、事故が破局化する可能性は止まっている場合に比べて何倍、何十倍もある。だから原発を稼働させないことは、人格権を守る上での絶対条件です。
しかし判決が正しくも指摘したように、原発には止まっていてもきわめて無防備な燃料プールがあり、危険な使用済み燃料が沈んでいるのです。
とすればどうすべきか。運転停止を越えて、ただちに廃炉過程に入り、一刻も早く使用済み燃料を安全な状態に移すことを私たちは人格権の行使として求める必要があります。これがこの判決から演繹されるべきことです。

もう一つ、これも繰り返し述べてきたことですが、この現実的な危機を見据えて、広域の避難訓練を行うこと、そのことで現に今、日本を覆っている正常性バイアスを吹き飛ばすことです。
中でも最も危険な状態にあるのが福島原発であることは何度強調してもしたりません。そもそもプラントとして大崩壊しているのです。汚染水ひとつとってみても、とてもではないけれどコントロールなどされてないのです。
建屋は何度も爆発や地震にさらされています。これでどうしてプールの安全性が廃炉過程が続く向こう何十年も保たれると言うのでしょうか。
しかも1号機から3号機は放射線量が高すぎて誰も入れないのです。そこにも燃料プールがあり、合わせて1500本近くが沈んでいるのです。取り出す算段すらつかない状態です。

だからこそ、福島原発の状態が深刻化したときのことを考えて、最低でも半径250キロ圏内で避難の準備を進めるべきです。
やってみてわかることですが、もちろん理想的な避難などできようはずがありません。原発に近ければ近いほど、逃げ出すのは困難です。
しかし理想的な避難計画が建てられないから「避難計画は茶番だ」などというのは間違いです。そうではない。減災の観点、万が一のときに少しでも多くの人を救えることを真剣に考える必要があります。
繰り返しますが、破局的な事故の可能性はまだ私たちの前に厳然としてあるのです。その危機とこそ面と向かいあわなければいけない。

それを考えるならば、東京オリンピックの準備こそ大いなる茶番であることが見えてくると思います。そんなことやっている余裕など私たちの国にはないのです。
全ての人を逃がすなどとても無理だということを承知で、子どもたちを、自力で逃げられない災害時に弱い立場に立つ人を、優先的に逃がす体制を整えておく必要がある。
全国でも同じことです。再稼働を許さないことを安全を守る絶対条件としつつ、しかし燃料プールの崩壊の危機もあることを見据えた対策をたてることが必要です。
災害対策に自治体をあげて取り組む中で、原発とは何か、事故が起こったらどうなるのかを、リアルに住民の間で共有しあうことになることも重要な点です。

以上、私たちは、福井地裁の出した判決をただ喜ぶだけでなく、主体的に受け止める必要があると思います。
判決は私たちの権利を覚醒してくれていますが、この権利は「不断の努力によって、これを保持しなければならない」もの。
判決を自らへの訴えとして受け止めて、前に進みましょう!

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明日に向けて(854)【速報】大飯原発運転差止請求事件判決要旨の全文です!

2014年05月22日 07時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140522 07:00)

昨日21日に出された大飯原発運転差し止めを命じる福井地裁の判決要旨を入手しました。非常に重要な内容なので全文を転載します!
ぜひ熟読してください。脱原発をさらに力強く推し進めるために極めて重要です。長文なので、解説などはつけずに掲載します。(掲載可能キャパを上回ってしまうため、判決要旨部分は文字フォントも小さいままです。ご容赦下さい)

なお情報は以下のサイトから入手しました。感謝です!
News for the People in Japan
http://www.news-pj.net/diary/1001

*****

大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨

主文

1  被告は、別紙原告目録1記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏内に居住する166名)に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1において、大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。

2  別紙原告目録2記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏外に居住する23名)の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、第2項の各原告について生じたものを同原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

理由

1 はじめに

 ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。このことは、当然の社会的要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、私法を間わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。

 個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。

2 福島原発事故について

 福島原発事故においては、15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、この避難の過程で少なくとも入院患者等60名がその命を失っている。家族の離散という状況や劣悪な避難生活の中でこの人数を遥かに超える人が命を縮めたことは想像に難くない。さらに、原子力委員会委員長が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討したのであって、チェルノブイリ事故の場合の住民の避難区域も同様の規模に及んでいる。

 年間何ミリシーベルト以上の放射線がどの程度の健康被害を及ぼすかについてはさまざまな見解があり、どの見解に立つかによってあるべき避難区域の広さも変わってくることになるが、既に20年以上にわたりこの問題に直面し続けてきたウクライナ共和国、ベラルーシ共和国は、今なお広範囲にわたって避難区域を定めている。両共和国の政府とも住民の早期の帰還を図ろうと考え、住民においても帰還の強い願いを持つことにおいて我が国となんら変わりはないはずである。それにもかかわらず、両共和国が上記の対応をとらざるを得ないという事実は、放射性物質のもたらす健康被害について楽観的な見方をした上で避難区域は最小限のもので足りるとする見解の正当性に重大な疑問を投げかけるものである。上記250キロメートルという数字は緊急時に想定された数字にしかすぎないが、だからといってこの数字が直ちに過大であると判断す’ることはできないというべきである。

3 本件原発に求められるべき安全性

(1)  原子力発電所に求められるべき安全性

 1、2に摘示したところによれば、原子力発電所に求められるべき安全性、信頼性は極めて高度なものでなければならず、万一の場合にも放射性物質の危険から国民を守るべく万全の措置がとられなければならない。

 原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。しかるところ、大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。このことは、土地所有権に基づく妨害排除請求権や妨害予防請求権においてすら、侵害の事実や侵害の具体的危険性が認められれば、侵害者の過失の有無や請求が認容されることによって受ける侵害者の不利益の大きさという侵害者側の事情を問うことなく請求が認められていることと対比しても明らかである。

 新しい技術が潜在的に有する危険性を許さないとすれば社会の発展はなくなるから、新しい技術の有する危険性の性質やもたらす被害の大きさが明確でない場合には、その技術の実施の差止めの可否を裁判所において判断することは困難を極める。しかし、技術の危険性の性質やそのもたらす被害の大きさが判明している場合には、技術の実施に当たっては危険の性質と被害の大きさに応じた安全性が求められることになるから、この安全性が保持されているかの判断をすればよいだけであり、危険性を一定程度容認しないと社会の発展が妨げられるのではないかといった葛藤が生じることはない。原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。

(2)  原子炉規制法に基づく審査との関係

 (1)の理は、上記のように人格権の我が国の法制における地位や条理等によって導かれるものであって、原子炉規制法をはじめとする行政法規の在り方、内容によって左右されるものではない。したがって、改正原子炉規制法に基づく新規制基準が原子力発電所の安全性に関わる問題のうちいくつかを電力会社の自主的判断に委ねていたとしても、その事項についても裁判所の判断が及ぼされるべきであるし、新規制基準の対象となっている事項に関しても新規制基準への適合性や原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなく、(1)の理に基づく裁判所の判断が及ぼされるべきこととなる。

 4 原子力発電所の特性

 原子力発電技術は次のような特性を持つ。すなわち、原子力発電においてはそこで発出されるエネルギーは極めて膨大であるため、運転停止後においても電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならず、その間に何時間か電源が失われるだけで事故につながり、いったん発生した事故は時の経過に従って拡大して行くという性質を持つ。このことは、他の技術の多くが運転の停止という単純な操作によって、その被害の拡大の要因の多くが除去されるのとは異なる原子力発電に内在する本質的な危険である。

 したがって、施設の損傷に結びつき得る地震が起きた場合、速やかに運転を停止し、運転停止後も電気を利用して水によって核燃料を冷却し続け、万が一に異常が発生したときも放射性物質が発電所敷地外部に漏れ出すことのないようにしなければならず、この止める、冷やす、閉じ込めるという要請はこの3つがそろって初めて原子力発電所の安全性が保たれることとなる。仮に、止めることに失敗するとわずかな地震による損傷や故障でも破滅的な事故を招く可能性がある。福島原発事故では、止めることには成功したが、冷やすことができなかったために放射性物質が外部に放出されることになった。また、我が国においては核燃料は、五重の壁に閉じ込められているという構造によって初めてその安全性が担保されているとされ、その中でも重要な壁が堅固な構造を持つ原子炉格納容器であるとされている。しかるに、本件原発には地震の際の冷やすという機能と閉じ込めるという構造において次のような欠陥がある。

5 冷却機能の維持にっいて

(1) 1260ガルを超える地震について

 原子力発電所は地震による緊急停止後の冷却機能について外部からの交流電流によって水を循環させるという基本的なシステムをとっている。1260ガルを超える地震によってこのシステムは崩壊し、非常用設備ないし予備的手段による補完もほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく。この規模の地震が起きた場合には打つべき有効な手段がほとんどないことは被告において自認しているところである。

 しかるに、我が国の地震学会においてこのような規模の地震の発生を一度も予知できていないことは公知の事実である。地震は地下深くで起こる現象であるから、その発生の機序の分析は仮説や推測に依拠せざるを得ないのであって、仮説の立論や検証も実験という手法がとれない以上過去のデータに頼らざるを得ない。確かに地震は太古の昔から存在し、繰り返し発生している現象ではあるがその発生頻度は必ずしも高いものではない上に、正確な記録は近時のものに限られることからすると、頼るべき過去のデータは極めて限られたものにならざるをえない。したがって、大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能である。むしろ、①我が国において記録された既往最大の震度は岩手宮城内陸地震における4022ガルであり、1260ガルという数値はこれをはるかに下回るものであること、②岩手宮城内陸地震は大飯でも発生する可能性があるとされる内陸地殻内地震であること、③この地震が起きた東北地方と大飯原発の位置する北陸地方ないし隣接する近畿地方とでは地震の発生頻度において有意的な違いは認められず、若狭地方の既知の活断層に限っても陸海を問わず多数存在すること、④この既往最大という概念自体が、有史以来世界最大というものではなく近時の我が国において最大というものにすぎないことからすると、1260ガルを超える地震は大飯原発に到来する危険がある。

(2) 700ガルを超えるが1260ガルに至らない地震について

ア 被告の主張するイベントツリーについて

 被告は、700ガルを超える地震が到来した場合の事象を想定し、それに応じた対応策があると主張し、これらの事象と対策を記載したイベントツリーを策定し、これらに記載された対策を順次とっていけば、1260ガルを超える地震が来ない限り、炉心損傷には至らず、大事故に至ることはないと主張する。

 しかし、これらのイベントツリー記載の対策が真に有効な対策であるためには、第1に地震や津波のもたらす事故原因につながる事象を余すことなくとりあげること、第2にこれらの事象に対して技術的に有効な対策を講じること、第3にこれらの技術的に有効な対策を地震や津波の際に実施できるという3つがそろわなければならない。

イ イベントツリー記載の事象について

 深刻な事故においては発生した事象が新たな事象を招いたり、事象が重なって起きたりするものであるから、第1の事故原因につながる事象のすべてを取り上げること自体が極めて困難であるといえる。

ウ イベントツリー記載の対策の実効性について

 また、事象に対するイベントツリー記載の対策が技術的に有効な措置であるかどうかはさておくとしても、いったんことが起きれば、事態が深刻であればあるほど、それがもたらす混乱と焦燥の中で適切かつ迅速にこれらの措置をとることを原子力発電所の従業員に求めることはできない。特に、次の各事実に照らすとその困難性は一層明らかである。

 第1に地震はその性質上従業員が少なくなる夜間も昼間と同じ確率で起こる。突発的な危機的状況に直ちに対応できる人員がいかほどか、あるいは現場において指揮命令系統の中心となる所長が不在か否かは、実際上は、大きな意味を持つことは明らかである。

 第2に上記イベントツリーにおける対応策をとるためにはいかなる事象が起きているのかを把握できていることが前提になるが、この把握自体が極めて困難である。福島原発事故の原因について国会事故調査委員会は地震の解析にカを注ぎ、地震の到来時刻と津波の到来時刻の分析や従業員への聴取調査等を経て津波の到来前に外部電源の他にも地震によって事故と直結する損傷が生じていた疑いがある旨指摘しているものの、地震がいかなる箇所にどのような損傷をもたらしそれがいかなる事象をもたらしたかの確定には至っていない。一般的には事故が起きれば事故原因の解明、確定を行いその結果を踏まえて技術の安全性を高めていくという側面があるが、原子力発電技術においてはいったん大事故が起これば、その事故現場に立ち入ることができないため事故原因を確定できないままになってしまう可能性が極めて高く、福島原発事故においてもその原因を将来確定できるという保証はない。それと同様又はそれ以上に、原子力発電所における事故の進行中にいかなる箇所にどのような損傷が起きておりそれがいかなる事象をもたらしているのかを把握することは困難である。

 第3に、仮に、いかなる事象が起きているかを把握できたとしても、地震により外部電源が断たれると同時に多数箇所に損傷が生じるなど対処すべき事柄は極めて多いことが想定できるのに対し、全交流電源喪失から炉心損傷開始までの時間は5時間余であり、炉心損傷の開始からメルトダウンの開始に至るまでの時間も2時間もないなど残された時間は限られている。

 第4にとるべきとされる手段のうちいくつかはその性質上、緊急時にやむを得ずとる手段であって普段からの訓練や試運転にはなじまない。運転停止中の原子炉の冷却は外部電源が担い、非常事態に備えて水冷式非常用ディーゼル発電機のほか空冷式非常用発電装置、電源車が備えられているとされるが、たとえば空冷式非常用発電装置だけで実際に原子炉を冷却できるかどうかをテストするというようなことは危険すぎてできようはずがない。

 第5にとるべきとされる防御手段に係るシステム自体が地震によって破損されることも予想できる。大飯原発の何百メートルにも及ぶ非常用取水路が一部でも700ガルを超える地震によって破損されれば、非常用取水路にその機能を依存しているすべての水冷式の非常用ディーゼル発電機が稼動できなくなることが想定できるといえる。また、埋戻土部分において地震によって段差ができ、最終の冷却手段ともいうべき電源車を動かすことが不可能又は著しく困難となることも想定できる。上記に摘示したことを一例として地震によって複数の設備が同時にあるいは相前後して使えなくなったり故障したりすることは機械というものの性質上当然考えられることであって、防御のための設備が複数備えられていることは地震の際の安全性を大きく高めるものではないといえる。

 第6に実際に放射性物質が一部でも漏れればその場所には近寄ることさえできなくなる。

 第7に、大飯原発に通ずる道路は限られており施設外部からの支援も期待できない。

エ 基準地震動の信頼性について

 被告は、大飯原発の周辺の活断層の調査結果に基づき活断層の状況等を勘案した場合の地震学の理論上導かれるガル数の最大数値が700であり、そもそも、700ガルを超える地震が到来することはまず考えられないと主張する。しかし、この理論上の数値計算の正当性、正確性について論じるより、現に、全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が平成17年以後10年足らずの問に到来しているという事実を重視すべきは当然である。地震の想定に関しこのような誤りが重ねられてしまった理由については、今後学術的に解決すべきものであって、当裁判所が立ち入って判断する必要のない事柄である。これらの事例はいずれも地震という自然の前における人間の能力の限界を示すものというしかない。本件原発の地震想定が基本的には上記4つの原発におけるのと同様、過去における地震の記録と周辺の活断層の調査分析という手法に基づきなされたにもかかわらず、被告の本件原発の地震想定だけが信頼に値するという根拠は見い出せない。

オ 安全余裕について

 被告は本件5例の地震によって原発の安全上重要な施設に損傷が生じなかったことを前提に、原発の施設には安全余裕ないし安全裕度があり、たとえ基準地震動を超える地震が到来しても直ちに安全上重要な施設の損傷の危険性が生じることはないと主張している。

 弁論の全趣旨によると、一般的に設備の設計に当たって、様々な構造物の材質のばらつき、溶接や保守管理の良否等の不確定要素が絡むから、求められるべき基準をぎりぎり満たすのではなく同基準値の何倍かの余裕を持たせた設計がなされることが認められる。このように設計した場合でも、基準を超えれば設備の安全は確保できない。この基準を超える負荷がかかっても設備が損傷しないことも当然あるが、それは単に上記の不確定要素が比較的安定していたことを意味するにすぎないのであって、安全が確保されていたからではない。したがって、たとえ、過去において、原発施設が基準地震動を超える地震に耐えられたという事実が認められたとしても、同事実は、今後、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しても施設が損傷しないということをなんら根拠づけるものではない。

(3) 700ガルに至らない地震について

ア 施設損壊の危険

 本件原発においては基準地震動である700ガルを下回る地震によって外部電源が断たれ、かつ主給水ポンプが破損し主給水が断たれるおそれがあると認められる。

イ 施設損壊の影響

 外部電源は緊急停止後の冷却機能を保持するための第1の砦であり、外部電源が断たれれば非常用ディーゼル発電機に頼らざるを得なくなるのであり、その名が示すとおりこれが非常事態であることは明らかである。福島原発事故においても外部電源が健全であれば非常用ディーゼル発電機の津波による被害が事故に直結することはなかったと考えられる。主給水は冷却機能維持のための命綱であり、これが断たれた場合にはその名が示すとおり補助的な手段にすぎない補助給水設備に頼らざるを得ない。前記のとおり、原子炉の冷却機能は電気によって水を循環させることによって維持されるのであって、電気と水のいずれかが一定時間断たれれば大事故になるのは必至である。原子炉の緊急停止の際、この冷却機能の主たる役割を担うべき外部電源と主給水の双方がともに700ガルを下回る地震によっても同時に失われるおそれがある。そして、その場合には(2)で摘示したように実際にはとるのが困難であろう限られた手段が効を奏さない限り大事故となる。

ウ 補助給水設備の限界

 このことを、上記の補助給水設備についてみると次の点が指摘できる。緊急停止後において非常用ディーゼル発電機が正常に機能し、補助給水設備による蒸気発生器への給水が行われたとしても、①主蒸気逃がし弁による熱放出、②充てん系によるほう酸の添加、③余熱除去系による冷却のうち、いずれか一つに失敗しただけで、補助給水設備による蒸気発生器への給水ができないのと同様の事態に進展することが認められるのであって、補助給水設備の実効性は補助的手毅にすぎないことに伴う不安定なものといわざるを得ない。また、上記事態の回避措置として、イベントツリーも用意されてはいるが、各手順のいずれか一つに失敗しただけでも、加速度的に深刻な事態に進展し、未経験の手作業による手順が増えていき、不確実性も増していく。事態の把握の困難性や時間的な制約のなかでその実現に困難が伴うことは(2)において摘示したとおりである。

エ 被告の主張について

 被告は、主給水ポンプは安全上重要な設備ではないから基準地震動に対する耐震安全性の確認は行われていないと主張するが、主給水ポンプの役割は主給水の供給にあり、主給水によって冷却機能を維持するのが原子炉の本来の姿であって、そのことは被告も認めているところである。安全確保の上で不可欠な役割を第1次的に担う設備はこれを安全上重要な設備であるとして、それにふさわしい耐震性を求めるのが健全な社会通念であると考えられる。このような設備を安全上重要な設備ではないとするのは理解に苦しむ主張であるといわざるを得ない。

(4) 小括

 日本列島は太平洋プレート、オホーツクプレート、ユーラシアプレート及びフィリピンプレートの4つのプレートの境目に位置しており、全世界の地震の1割が狭い我が国の国土で発生する。この地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しにしかすぎない上、基準地震動に満たない地震によっても冷却機能喪失による重大な事故が生じ得るというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設のあり方は原子力発電所が有する前記の本質的な危険性についてあまりにも楽観的といわざるを得ない。

6 閉じ込めるという構造について(使用済み核燃料の危険性)

(1) 使用済み核燃料の現在の保管状況

 原子力発電所は、いったん内部で事故があったとしても放射性物質が原子力発電所敷地外部に出ることのないようにする必要があることから、その構造は堅固なものでなければならない。

 そのため、本件原発においても核燃料部分は堅固な構造をもつ原子炉格納容器の中に存する。他方、使用済み核燃料は本件原発においては原子炉格納容器の外の建屋内の使用済み核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれており、その本数は1000本を超えるが、使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたときこれが原子力発電所敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。

(2) 使用済み核燃料の危険性

 福島原発事故においては、4号機の使用済み核燃料プールに納められた使用済み核燃料が危機的状況に陥り、この危険性ゆえに前記の避難計画が検討された。原子力委員会委員長が想定した被害想定のうち、最も重大な被害を及ぼすと想定されたのは使用済み核燃料プールからの放射能汚染であり、他の号機の使用済み核燃料プールからの汚染も考えると、強制移転を求めるべき地域が170キロメートル以遠にも生じる可能性や、住民が移転を希望する場合にこれを認めるべき地域が東京都のほぼ全域や横浜市の一部を含む250キロメートル以遠にも発生する可能性があり、これらの範囲は自然に任せておくならば、数十年は続くとされた。

(3) 被告の主張について

 被告は、使用済み核燃料は通常40度以下に保たれた水により冠水状態で貯蔵されているので冠水状態を保てばよいだけであるから堅固な施設で囲い込む必要はないとするが、以下のとおり失当である。

ア 冷却水喪失事故について

 使用済み核燃料においても破損により冷却水が失われれば被告のいう冠水状態が保てなくなるのであり、その場合の危険性は原子炉格納容器の一次冷却水の配管破断の場合と大きな違いはない。福島原発事故において原子炉格納容器のような堅固な施設に甲まれていなかったにもかかわらず4号機の使用済み核燃料プールが建屋内の水素爆発に耐えて破断等による冷却水喪失に至らなかったこと、あるいは瓦礫がなだれ込むなどによって使用済み核燃料が大きな損傷を被ることがなかったことは誠に幸運と言うしかない。使用済み核燃料も原子炉格納容器の中の炉心部分と同様に外部からの不測の事態に対して堅固な施設によって防御を固められてこそ初めて万全の措置をとられているということができる。

イ 電源喪失事故について

 本件使用済み核燃料プールにおいては全交流電源喪失から3日を経ずして冠水状態が維持できなくなる。我が国の存続に関わるほどの被害を及ぼすにもかかわらず、全交流電源喪失から3日を経ずして危機的状態に陥いる。そのようなものが、堅固な設備によって閉じ込められていないままいわばむき出しに近い状態になっているのである。

(4) 小括

 使用済み核燃料は本件原発の稼動によって日々生み出されていくものであるところ、使用済み核燃料を閉じ込めておくための堅固な設備を設けるためには膨大な費用を要するということに加え、国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しのもとにかような対応が成り立っているといわざるを得ない。

7 本件原発の現在の安全性

 以上にみたように、国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。

8 原告らのその余の主張について

 原告らは、地震が起きた場合において止めるという機能においても本件原発には欠陥があると主張する等さまざまな要因による危険性を主張している。しかし、これらの危険性の主張は選択的な主張と解されるので、その判断の必要はないし、環境権に基づく請求も選択的なものであるから同請求の可否についても判断する必要はない。

 原告らは、上記各諸点に加え、高レベル核廃棄物の処分先が決まっておらず、同廃棄物の危険性が極めて高い上、その危険性が消えるまでに数万年もの年月を要することからすると、この処分の問題が将来の世代に重いつけを負わせることを差止めの理由としている。幾世代にもわたる後の人々に対する我々世代の責任という道義的にはこれ以上ない重い問題について、現在の国民の法的権利に基づく差止訴訟を担当する裁判所に、この問題を判断する資格が与えられているかについては疑問があるが、7に説示したところによるとこの判断の必要もないこととなる。

9 被告のその余の主張について

 他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

 また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

10 結論

 以上の次第であり、原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者(別紙原告目録1記載の各原告)は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。

福井地方裁判所民事第2部

 裁判長裁判官 樋口英明

    裁判官 石田明彦

    裁判官 三宅由子

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明日に向けて(853)【速報】大飯原発3、4号機に運転差し止め命令が(福井地裁)・・・画期的!

2014年05月21日 18時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140521 18:00)

凄いニュースが飛び込んできました!
福井地裁で、大飯原発3、4号機に対する運転差し止め命令が出されました!画期的です!

僕は直接にこの裁判に関わっていないので、さしあたって朝日新聞の記事を読む限りの分析ですが、最大の争点は「耐震設計など安全対策の基準となる基準地震動を超える大きさの地震が起きる可能性があるか」だったとのこと。
裁判所が当然にも「可能性がある」と判断したのでしょう。

もう一つ重要な点があります。
この裁判では樋口裁判長の訴訟指揮により「①外部電源が喪失した場合などでも過酷事故を防ぐために原子炉を冷却できるか②使用済み核燃料プールの損傷による放射能漏れの可能性③活断層や地滑りで地盤にずれが生じる可能性」の3点も争点となっていたということです。
これは非常に重要な点です。なぜなら何度も指摘してきたことですが、原子力規制庁が2012年10月31日に打ち出した「原子力災害対策指針」では、「原子炉の五重の防壁が破られた場合」を想定しています。つまり過酷事故後が起こりうることを認めて、そのときの対策を施すとなっているのです。
これに対してこの裁判では過酷事故を防げるかどうかをきちんと俎上にのせ、過酷事故が防げないので運転を認めないとなっているのだと思います。これまで絶対に過酷事故は起こらないと約束してきた国が、なし崩し的に「過酷事故対策」を再稼働の要件としだしたことに対して、きわめてまっとうな観点で対応していると思えます。

さらに「原子力災害対策指針」では、過酷事故を想定はしているものの、あくまでも「原子炉の五重の防壁が破られた場合」となっている。つまり防壁などない燃料プールのことが除外されているのです。
これは福島事故の経験から、原子炉が壊れるか否かということとは別に、その外にある燃料プールが常に危険を伴っていることが明らかになったことに対し、おそらくは意図的に無視し、論点化を避けようとしたものだと僕は思っていますが、裁判ではこの点もきちんと俎上にあがりました。
詳しい分析は、弁護団や、訴訟を担ってきた方たちの説明を待ちたいと思いますが、僕はこのように、国の「過酷事故はあり得ない」から「過酷事故対策をした」というなし崩し的な態度変更を認めず、きちんと実際の事故の危険性を判断の対象に挙げたがゆえに、まっとうな判決が出たのだと思います。

なお、原子力規制庁が打ち出した「原子力災害対策基本指針」のあやまりについては以下の記事をご参照ください。

明日に向けて(621)過酷事故を前提とした「原子力災害対策指針(原子力規制委員会)」を批判する!(1)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/1d2110ce6b55ad6624460c1ff2055b4b

この判決は何よりも、訴訟を担ってきた方たちが紡ぎ出してくださった素晴らしい成果ですが、僕はそれを後押ししたものこそ、全国の再稼働反対の声、たゆみない運動だと思います。
実際、東京の首相官邸前行動をはじめ、各地で金曜日の電力本社前行動が100回目を迎えつつあります。
例えばその一つ、関西電力姫路支店前で行われてきた「関金行動@姫路支店前」は7月11日で100回目だそうです。

この日の行動を呼びかけるチラシにはこう書いてあります。
「こんなこと続けたくはないけれど原発全基廃炉になるまで頑張らにゃ!とりあえず雨にもマケズ雪にもマケズ夏の暑さにもマケズ頑張ってきた。
記念にぱ~っといつもより派手にアピールしたい!そう考えています。みなさまのご参加お待ちしております。数は力だ!黙ってちゃあかん!」
(脱原発ニュースNo.39 脱原発はりまアクション 5.17発行 なお同行動は毎回金曜日の17:30から)

各地で同じような思いで、多くの方が奮闘してきたのではないでしょうか。
「今日は少ないな。あ、今日は少し増えたな」と一喜一憂もしながらも、淡々と、街頭に立ち続けてきた。
その連なりが弁護団を後押しし、裁判所のまっとうな訴訟指揮のもとでの正義の判決を出すことにつながったのだと思います。

私たちが確信すべきことは、私たちには力があるということです!
だとするならば、さらにこの力を発揮しましょう。

全国で互いに声をかけあい、エールを交換し合って、歩みを強めていきましょう。
まさに「原発全基廃炉になるまで頑張らにゃ!」です。
「数は力だ!黙ってちゃあかん!」・・・さあ、また何度でも再稼働反対を叫んで行動しましょう!!

*****

大飯原発の運転差し止め命じる 福井地裁が判決
2014年5月21日午後3時15分
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/society/50555.html

安全性が保証されないまま関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)を再稼働させたとして、福井県などの住民189人が関電に運転差し止めを求めた訴訟の判決言い渡しが21日、福井地裁であり、樋口英明裁判長は関電側に運転差し止めを命じた。

全国の原発訴訟で住民側が勝訴したのは、高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の設置許可を無効とした2003年1月の名古屋高裁金沢支部判決と、北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の運転差し止めを命じた06年3月の金沢地裁判決(いずれも上級審で住民側の敗訴が確定)に続き3例目。
大飯3、4号機は昨年9月に定期検査のため運転を停止。関電は再稼働に向け原子力規制委員会に審査を申請し、新規制基準に基づく審査が続いている。

審理では、関電が想定した「基準地震動」(耐震設計の目安となる地震の揺れ)より大きい地震が発生する可能性や、外部電源が喪失するなど過酷事故に至ったときに放射能漏れが生じないかなどが争点となった。
大飯原発3、4号機をめぐっては、近畿の住民らが再稼働させないよう求めた仮処分の申し立てで、大阪高裁が9日、「原子力規制委員会の結論より前に、裁判所が稼働を差し止める判断を出すのは相当ではない」などとして却下していた。

脱原発弁護団全国連絡会(事務局・東京)などによると2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、全国で住民側が提訴した原発の運転差し止め訴訟は少なくとも16件あり、福井訴訟が事故後初めての判決となった。

*****

大飯原発3・4号機の再稼働差し止め命じる 福井地裁
朝日新聞 2014年5月21日15時16分
http://digital.asahi.com/articles/ASG5P521XG5PPTIL014.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG5P521XG5PPTIL014
 
 
関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)をめぐり、住民らが関西電力に運転の差し止めを求めた訴訟の判決が21日、福井地裁であった。樋口英明裁判長は250キロ圏内に住む住民らは差し止めを求めることができると判断し、運転差し止めを命じる判決を言い渡した。
2011年3月の東京電力福島第一原発の事故後、原発の運転差し止めを求めた訴訟の判決は初めて。大飯原発は13年9月に定期検査のため運転を停止し、新規制基準に基づく原子力規制委員会の再稼働審査を受けている。
差し止めを命じたこの判決が確定しない限り、再稼働審査に適合すれば大飯原発の運転は可能だが、司法判断を無視して再稼働させることには世論の大きな反発が予想される。このため、全国の原発で再稼働に向けた動きが進む中、福井地裁の判決が注目されていた。

差し止めを求めたのは福井県の住民や、原発事故に伴う福島県からの避難者ら計189人。
訴訟の最大の争点は、耐震設計など安全対策の基準となる基準地震動を超える大きさの地震が起きる可能性があるかだった。
住民側は05年以降、原発が基準地震動を超える揺れに襲われた例が、福島第一原発事故を含めて5例あることを指摘。「関電の想定は過小だ」と主張した。
一方、関電側は訴訟で大飯原発の基準地震動を700ガルと説明。さらに原発周辺の三つの活断層が連動して想定を上回る759ガルの地震が起きたとしても、「安全上重要な施設の機能は維持される」などと反論した。

訴訟では樋口裁判長の訴訟指揮により、①外部電源が喪失した場合などでも過酷事故を防ぐために原子炉を冷却できるか②使用済み核燃料プールの損傷による放射能漏れの可能性③活断層や地滑りで地盤にずれが生じる可能性、の3点も争点となり、住民側が危険性を指摘した一方、関電側は「福島第一原発事故後を踏まえた安全対策をしている」などと反論していた。
原発訴訟をめぐって過去に住民側が勝訴したのは、高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の設置許可を無効とした名古屋高裁金沢支部判決(03年)と、志賀原発(石川県志賀町)の運転差し止めを命じた金沢地裁判決(06年)の2例。ただ、いずれも上級審で住民側の敗訴が確定している。(太田航)

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明日に向けて(852)除染するほど「住めない」と思う・・・荒木田さんの除染についての問いを考察する!(2)

2014年05月21日 08時30分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140521 08:30)

『美味しんぼ』応援記事の第4回目です。

スピリッツ最新号が出て、さまざまな人士の見解と編集部の見解が出されるとともに「美味しんぼ」の休載が発表されました。
休載は予定されていたものであるとのこと。「圧力に屈したのでは?」という見方も多くありますが、スピリッツを読み継いできた知人によると、『美味しんぼ』はこれまでも一区切りのあとに休載になることがあったそうです。
これらの見解の検討は今後にゆずり、今回は「明日に向けて(846)」を引き継いで、除染についての荒木田さんの勇気ある発言への考察の続きを掲載したいと思います。

まず荒木田さんが『美味しんぼ』の中で主張したことを再度、押さえておきたいと思います。

***

「私は除染作業を何度もしました。その度に、のどが痛くなるなど具合が悪くなり、終わると寝込む。」
「しかも除染をしても汚染は取れない。みんなで子供の通学路の除染をして、これで子供たちを呼び戻せるぞ、などと盛り上がっても、そのあとに測ったら毎時12マイクロシーベルトだったこともある。汚染物質が山などから流れ込んで来て、すぐに数値が戻るんです。」
「除染作業をしてみて初めてわかったんです。除染作業がこんなに危ないということを。そして、福島はもう住めない、安全には暮らせないということも。」

***

この除染に関する荒木田さんの提言は実に重要です。ここには極めて重要なことがポンポンと幾つも提起されています。
第一に除染は非常に危険な被曝労働であることです。そもそも放射能があっては安全に暮らすことができないから行うのが除染です。つまり危険物質に自ら近づいていくのです。
今でも除染はさまざまな形で行われていると思うので、何度もこの点は強調しておく必要があります。除染にたずさわる方はぜひ自分を守ることに高い意識を持って欲しいと思います。

ただしどれほど高い防護意識を持ってもかなり難しいです。放射能が見えないし、感じられないからです。これは僕自身が荒木田さんたちと一緒に除染活動に関わった実感です。
除染に関われば自分自身が放射性物質を被るわけですが、その場合、本当にやっかいなのは自分のどこが汚染されていて、どこが汚染されていないか、判別できなくなってしまうことです。
僕自身、除染に向かう時には、自分の中で「これは作業時に着るもの、汚染されたものはこのバックにつめる。その後はこれに着替える」などなど、考察を重ねていったのですが、現場ではそうそう頭の中で考えたようにはいかない。

現実の除染作業は、汚染が溜まっている土を除去したり、草木を刈ったりする重労働です。現場ではどうしてもその労働自身に意識をとられやすい。その分、放射線防護が手薄になります。また現場では行って見て初めて分かることもたくさんあります。

僕の場合、携わってみてはじめてまず現場にどうやっていくのかから問題であることが分かりました。例えば履いていく靴はどうするのか。誰でも長靴など想像すると思います。ではどこで履き替えれば良いのか。現実にはこのこと一つとってもなかなかに難しい。除染するところまでそれまでの靴で行ってしまえば、その靴が汚染されてしまいます。
なのであらかじめ長靴を履いて現場に近づく。そこまでは良いとして帰りはどうするのか。長靴は汚染されています。その汚染とどこで切れれば良いのか。現場で履き替えれば、もとの靴が汚染されてしまう。しかし履き替えなければ履き替えるところまで汚染を運ぶことになる。
「洗い流せばいい」と思われるかと思います。しかし必ずしも現場の直近に水道があるとは限りません。頭の中で考えることと現場の食い違いはさまざまに生じます。

もっとやっかいなのはそもそも現場までどう行けばいいのかです。例えば車で行くとする。そうしたら車が汚染されます。作業が終わった後、長靴で車に乗ったら、そのことでも車の中が汚染されてしまう。だからといって除染のための用具を抱えて歩いていくわけにもいかない。
衣服も同じです。僕は3000円ぐらいの上下のカッパを買っていきましたが、終わってからどこで脱ぐのか。そのまま車に乗り込めば、車の中が汚染されてしまいます。
しかし現場で着替えれば、着替えた洋服が汚染されてしまう可能性が極めて高い。そうなるともう自宅にまで汚染物質を持ち帰ってしまうことになる。こうしたことが非常に厄介なのです。

実際に放射能の除去作業に携わって思ったことは、完璧を期すならば、汚染から切れるためにはクリーンルームが必須だということです。原発労働では必ず設けられているところです。
そこで汚染と切れる。そうして汚染がないことを線量計で確認してから外に出る。しかし街中の除染ではこうした作業者が「汚染から切れる」場を作ることなどほとんど無理なのです。
するとどうなるのか。作業者は汚染から完全に自らを切り離すことができず、汚染物質を運んでしまいます。そのことで汚染を広げる結果も作り出してしまいます。

着ているものだってそうです。僕は数回の参加だったので、カッパをそのつど捨てました。しかしこれが毎日のことだったらそうはいかない。コストが大変です。
そうなれば、捨てるなんてことはしないで洗って使うようになる。しかし洗ってどこまで落ちるのでしょうか。またどこで洗うのでしょうか。自宅に持ち帰って洗えばそこが汚染されるのです。
いやカッパを捨てるにしてもどこに捨てればいいのでしょう。現実には普通に家庭ごみに出す以外に選択肢はなく、僕も申し訳ないけれどもそうしたのですが、それは焼却場で燃やされて、放射能をまき散らすことになってしまう。

現実にはこうした僕の考察は無視されてしまいます。なぜってここまで考えたらとても除染活動なんてできないからです。だから「そんな少しの汚染を気にしても仕方がない」と必ずなります。
「衣服についたものだって?そんなの微量だから心配ない・・・」となってしまうのです。本当に必ずです。そう考えないと一切が成り立たないからです。
「家に持ち帰るだって?そんなことに神経質になる必要はない・・・」ともなります。そうして除染をすればするだけ、自分が汚染されてしまうようになります。

それやこれや、現実の町の中の除染活動で、自分が放射能汚染を免れるのはとても難しい。だからこそ、いろいろな形で放射性物質を吸引してしまい、あとから症状に見舞われてしまうのです。
とくにやられやすいのは粘膜で、口内炎ができたり、下痢をしたりといった症状が出やすいです。
もちろん人によって大きな差がある。僕は自分自身がかなり用心していて、うがい、手洗いなども徹底化したため、それほどの症状が出ませでした。その代りと言うか、除染ではないからとあまり用心しないで参加した放射線計測のあとに激しい下痢になったことがあります。茨城県でのことです。

こうしたことを書くと「そんな微量な放射能に神経質になるのはおかしい」とかいう声が出てくるでしょう。
しかし待ってほしい。その「微量な放射能」を原発労働ではもっと厳しく管理してきたのです。あらゆる放射性物質を扱う施設でもそうです。
おそらく今、もっとも放射能管理がずさんなのが、除染の現場でしょう。なぜって専門的な対処の設備もないところで、専門的な知識もない人たちが携わっているからです。

しかも核心問題として第二に言いたいのは、そうまでして除染をしても、効果がなかなかあらわれないということです。線量を下げても、またもとに戻ってしまうことが多いことです。
なぜか。その地域が広範に汚染されてしまっていて、周囲にたくさんの放射性物質があるからです。だからある任意のところの放射性物質をどけてもまた後から舞い戻ってきてしまう。これが広域汚染された地域での除染の難しさです。

またそもそも除染は、放射性物質をある地点からある地点に移動させることです。「移染」と呼んだ方が正確です。高圧洗浄で壁を洗い流したら、その流れた水に沿って放射性物質が移動していきます。ある地点を除染することは他の地点を汚染することにもなるのです。だからと言って水をすべて回収するのは至難の業。結局、ある部分を除染しても放射性物質を周辺に拡散させるだけで、総体としての除染はなかなか進まない。

もちろんこうした例も一律ではありません。学校の校庭のものすごく汚染された土などを取り払うことで、部分的に線量を下げることに成功する場合もある。その学校に子どもたちがいる限りは、やった方がいいことです。でもその場合でも後からまた放射線値がだんだんと上がっていくことが多い。ということはその場にいれば飛んでくる放射能を吸引してしまうことにもなります。

大事なことは、これらのことはこれまで社会的にも何度も確認されてきているということです。またこの困難さが業者の行う除染のずさんさにもつながっていて、何度も社会問題化されてきています。
何も荒木田さんが初めて言い出したのではありません。いや多くの業者は荒木田さんの言うことなど実感として知っていると思います。
ところがそれでもお金が出るので黙っています。黙って請け負って、しかしやっても意味がないことも知っているから作業がおざなりになる。その挙句に何度も摘発されてもいるのです。

一例としてこうしたことが連続的に報道された2013年1月のことをあげてみましょう。毎日新聞の1月5日の報道をご紹介したいと思います。

***

除染作業員証言:枝葉「その辺に」 洗浄「流しっぱなし」
毎日新聞 2013年01月05日 15時04分

東京電力福島第1原発事故を受けた国の直轄除染で集めた枝葉や汚染水を川などに捨てる不適切処理が明らかになり、環境省が実態調査に乗り出した問題で、現場の男性作業員が毎日新聞の取材に応じた。
作業員は「そもそも仮置き場が足りない。『置くところがないから仕方ないべ』と捨てることが日常茶飯事になっている」などと証言した。

作業員は昨年秋から福島県川内村などで除染作業に従事し、放射線のモニタリングなどを担当。元請けは大手ゼネコンで、工区ごとに下請けがあり、さらに2次、3次下請けとして中小の事業主や地元業者で作る組合などが入っているという。
作業員によると、集めた枝葉は本来なら「フレキシブルコンテナバッグ」と呼ばれるブルーの袋などに入れて仮置きする。「でも仮置き場の場所がなくなっていて、枝葉を袋に回収しないでその辺に捨てることもある。日常茶飯事です。早い話が『もう置くところがないから仕方ないべ』となる」と話す。

洗浄後の汚染水も本来は回収する必要がある。作業員によると、建物などを水で洗浄する場合は通常、下にブルーシートを敷いて汚染した水を受け、ポンプでくみ取りタンクに入れ、浄化装置で処理する。しかし、「回収するのは環境省が管轄し、なおかつ環境省が見に来るモデル地区だけ。普段はそんなことやっていない。(汚染水は)流しっぱなし」という。
さらに「『今ここでマスコミなんかが見に来たら大変なことになるね』といつも同僚と話している。以前、国の要人が来た時には、いいところだけをきちんと見せたが、普段はずさんもずさん。道路縁の刈った草などは片付けもせず、そのままにして帰ることもある」と打ち明ける。
こうしたことから、除染後に空間線量を測っても、除染前とあまり変わらないケースも多いという。

「実際、大した効果は出ていない。僕たちから言わせたら税金の無駄遣い。でも国は『予算がないからやめる』というわけにもいかない。大手(元請け)にしてみれば、こんなにおいしい(もうけ)話はない。作業をすればするほどお金が入ってくる」と作業員は指摘する。
その上で「(明らかになった)ここで何とかしないと、大変なことになる。税金なんかいくらあっても足りないですよ」と訴えた。【袴田貴行】

*****

あくまでもこうした記事は一例でしかないことを強調しておきたいと思います。
なおかつ記事は重要なことを書いていない。こうしたことの背景にあるのは除染そのものの困難性、不可能性なのです。ここではあるべき除染があるかのような建前で記事が書かれている。
誰も建前そのもの、大前提そのものに踏み込もうとしない。そうして「もっときちんと除染をやれ」と指摘するばかりです。
しかし現場はそんなことは無理だということが分かっている。やってみれば分かるのです。だから範囲が広くなればなるほどまともにやってられなくなってしまうのでしょう。それが繰り返されてきた現実です。

こうしたことのすべてを踏まえて、荒木田さんは「除染作業をしてみて初めてわかったんです。除染作業がこんなに危ないということを。そして、福島はもう住めない、安全には暮らせないということも」と真実を口にした。
本当は大手ゼネコンなど、莫大な金を手にしている業者が明らかにするべきことです。除染を請け負った側が、真剣な現場レポートを出さなければいけないのです。マスコミもそれをこそ取材すべきなのです。
しかしそんなことをしたら儲けが減るだけだから業者からそんな声はまったくでてこない。マスコミもそこまで突っ込んで取材すると、「除染は不可能」と書かざるを得ず、荒木田さんのようにバッシングされるのでなかなかそこまで突っ込まない。
そうして荒木田さんのように、すべて自分の持ち出しで負担しつつ、本気になって除染に取り組んだ者からのみ、本当の声が出てくるのです。・・・絞り出すように。

続く

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明日に向けて(850)自衛隊来るほうが危険!(中村哲医師)・・・集団自衛権衛権行使&解釈改憲に反対しよう!

2014年05月18日 11時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140518 11:00)

『美味しんぼ』応援記事を連投し、トルコの悲惨な炭鉱事故も関する記事も書いているところですが、今度は、安倍首相の身勝手わがままな解釈改憲による集団自衛権行使への流れへの批判を行いたいと思います。
記事を書くだけでなく、今日は、京都市の三条大橋に午後4時から僕も参加してきたピースウォーク京都の友人たちと、抗議のスタンディングを行います。そのためにも朝から調べ物をしてこの記事を書いています。

まず今日の行動への呼びかけを先に書きます。いつも胸にキュンと来る文章を書いてくれる友人の蒔田直子さん作成のアピールです!

*****

すみません、直前呼びかけです。

本日です。
もうじっとしてはいられません。
戦争する国になりたくない、その思いをことばにしましょう。訴えましょう。

**************************
戦争する国になりたくない!
解釈で憲法を変えるな!
スタンディングアピール

●5月18日(日) 今日です。
 午後4時~
●三条大橋東詰集合
 自分のメッセージをプラカードにして訴えましょう。

ピースウォーク京都 
連絡先:09037043640
***********************:

どこか遠いところにあると思いたかった戦争。
あれよあれよと言う間に、気がつけば「戦争する国」に、今すぐなろうとしています。
この扉を開いたら、わたしたちは戦争する国に生きなければなりません。
軍隊は人の命を守りはしない。それはたくさんの戦争で、もう明らかなこと。
敵の国はありません。
敵は戦争をしたい人たちです。
原発を続け、武器を売り、他国を「敵」とみなして、人々の命を売り渡す一握りの人たち。

わたしやあなた、
わたしたちが愛する子や孫が
殺してはいけない。
殺されてはいけません。

コトバ泥棒の安倍首相に騙されるのは、もうやめよう。
 集団的自衛権→武器を持って戦争に行けるようにすること
 解釈改憲→そのときの権力者の好き放題に、立憲主義も捨てること
 防衛装備三原則→金儲けのために、人殺しの武器を売りつけること

たくさんのごまかしに、そのスピードに、やられっぱなしでは、間に合いません。

暮らしているこの国は、大災害と原発事故で多くの命が失われました。
人間の命だけではありません。
生き物たちすべての命、今生まれようとする命、これから生まれる未来の子どもたち。
わたしたちを包んでいる空気、土、山や海。
たいせつな、かけがえのないものたちすべてが、悲鳴を上げています。

原発も、米軍基地も、もうやめよう。お金は命のために使うのです。
傷ついたものとともに、もういちどやりなおしましょう。
生きていくための歩みを、私のことば、私の足で始めましょう。
戦争する国は、奪います。わたしたち、すべての生き物の命を。
未来をもう一度とりもどすために、ひとりの歩みから。
黙ってはいない、手をつなぎましょう。

*****

この蒔田さんの素晴らしい提案を受けて、安倍首相の会見批判を付け加えようと、ツイキャスで流れた録画を観ましたが、あまりのひどさと無内容さに途中で観るのが嫌になってしまいました。
それでも伝える必要があると考えて(ぐっと我慢して)安倍首相の発言の特徴的な幾つかのものを示しておきます。

***

集団的自衛権行使についての安倍会見
http://twitcasting.tv/kumiko_sekioka/movie/63447145

私たちの命を守り、私たちの平和な暮らしを守るため、私たちは何をなすべきか。

具体的な例として、150万人が海外に住んでおり、1800万人が海外に出かけている。
日本人が海外で紛争に巻き込まれ、アメリカ軍に日本へと輸送してもらっている。このときに日本近海で攻撃を受けても自衛隊は守ることができない。

海外で活動している人々が武装集団に襲われても、自衛隊は救うことができない。
一緒に行動している他国の軍隊から助けてくれと言われても、自衛隊は見捨てるしかない。
みなさんのお子さんやお孫さんがその場にいるかもしれない。その命を守るべき責任を追っている私や日本政府は本当に何もできないということでいいのか。

南シナ海ではこの瞬間も力を背景とした一方的な行為によって国家間の対立が続いている。これは他人ごとではない。東シナ海でも日本の領海への侵入があいついでいる。
北朝鮮のミサイルは日本の大部分を射程に入れている。核兵器の開発を続けている。テロやサイバー攻撃など、脅威はたちまち国境を越えてやってくる。

***

あまりに酷いのは、会見を通して具体的な例が、「日本人が海外で紛争に巻き込まれ、アメリカ軍に日本へと輸送してもらっている。このときに日本近海で攻撃を受けても自衛隊は守ることができない」という荒唐無稽なものにつきている点です。
そもそもこれまで紛争に巻き込まれた日本人が、アメリカの船で救済されて日本に戻ってきたことなどあったでしょうか?
また世界最強のアメリカ軍の艦船が、沖縄をはじめ、たくさんの自軍の基地を持っている日本近海で一体、どこの誰に襲われると言うのでしょうか。

さらに一歩進んで安倍首相は海外で「一緒に行動している他国の軍隊から助けてくれ」と言われたときに自衛隊が動くことも想定していることを匂わせています。
これは「日本が重大な危機にさらされたとき」という建前にすら合致していない。世界のどこでも自衛隊を戦闘に参加させたい意図が露骨に表れている。

最も大事なのは、アメリカ軍がアフガン戦争においてもイラク戦争においても、何の証拠もなしに一方的な侵略を行ったという重大な事実です。
とくにイラク戦争については、アメリカ国内でもアメリカに追従したイギリス国内でも、戦争目的とされた大量破壊兵器などイラクになかったことから、あの戦争はあやまりだったという厳しい追及を国内でも受けています。

それだけではありません。何より、ひどい侵略を受けたアフガンの人たち、イラクの人たちをはじめ、イスラム圏の人々を中心にアメリカに対する怒り、恨みはどんどん高まっています。
またアメリカの不正義をまったく正そうとしない各国のあり方への批判も強まっています。

そんな中、日本なついに自衛隊を出してしまい、大きく信用を下げることになりましたが、それでも未だ自衛隊が海外では誰とも交戦しておらず、日本人以外の誰も殺したことがないことが、ぎりぎりのところで日本の信用と好印象をつなぎとめています。
何よりこのことが私たちを大きく守っているのです。武器ではなく、信頼こそが私たちの守りであり、それは、私たちが自衛隊に海外での人殺しを一度もさせてきていないことで保たれているものなのです。

憲法はまさにこの精神に立っています。憲法前文にはこう記されています。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
諸国民の公正と信義に信頼すること、信頼関係をあつく育むこと、まさに人間と人間の信頼にこそ、平和と安全の根拠を求めているのが憲法の精神です。
日本国の首相は憲法を守り、発展させるべき義務があるのに、安倍首相まさにこの憲法の理念そのものを壊そうとしている。完全に首相失格です。

いやそれだけではありません。今や安倍首相そのものが、私たち日本に住まうものの平和と安全の最大の脅威なのです。
なぜか。第一に私たちが直面している最大の危機である福島原発事故と放射能汚染に対して、世界に向かって大嘘をつき、危機を隠蔽してしまっているからです。
首相という最も重い責任ある地位にいながら、「原発はコントロールされている」「汚染水は完全にブロックされている」「今も未来も健康被害はない」などと3つの大嘘をつき、危機への対処を放棄してしまっています。

私たちは今、私たちの乗っている「日本丸」が、韓国でフェリー転覆事故を起こしたあのひどい船長に操船されているのと、あまり変わらないような危機の中にあることを自覚しなければなりません。
福島原発事故をまったく見据えようとしないこと、いやむしろ見据えることができないこと。おそらくは自分をも騙して危機をみないようにしていること、それが大きな危機そのものなのです。

さらに軍事アナリストたちから繰り返し「安倍首相はタカ派の平和ボケだ」と言われているように、外交を著しく軽視し、アジア各国との不必要な軋轢ばかり作り出し、軍事をもてあそぶことでかえって危機を拡大させてばかりいるのが安倍首相です。
このため、投機のためにいつも各国の政治的経済的安定度を値踏みしているヘッジファンドから、「アジアで最も危険な政治家」に名指しされてしまっているです。この点は以下の記事をご参照ください。

安倍首相はアジアで最も危険な人物=ヘッジファンド首脳
ロイター 2014年 05月 17日 08:45 JST
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0DW1TM20140516

他にも平和と安全を下支えする民主主義をどんどん破壊しつつあるなど、安倍首相そのものが、この国の先達が営々と築き上げてきた平和の基礎を壊しつつある張本人です。
日本を守ろうとするのならば、大嘘つきの危険なこの首相をこそ辞めさせなければなりません。

この点で最も説得力のある提言をしているのは、アフガニスタンで医療援助からはじめて井戸堀や運河建設まで行って、戦乱後のアフガンに平和を取り戻す活動を繰り返してきたペシャワール会の中村哲医師の発言です。

西日本新聞の記事より一部を引用します。
(なお記事全文はある方のブログに貼り付けてありましたのでリンクをご紹介しておきます。)
http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/img/img_box/img20140518100243992.jpg

***

自衛隊来るほうが危険
20140516 西日本新聞の記事より

アフガニスタン人にとって、日本は軍事行動に消極的な国だと思われています。一言で言うと敵意のない国。これは自衛隊の行動を縛ってきた憲法9条の威力です。

アフガニスタン人は多くの命を奪った米国を憎んでいます。日本が米国に加担することになれば、私はここで命を失いかねません。
安倍首相は記者会見で「(現状では)海外で活動するボランティアが襲われても、自衛隊は彼らを救うことはできない」と言ったそうですが、全く逆です。命を守るどころか、かえって危険です。私は逃げます。

9条は数百万人の日本人が血を流し、犠牲になって得た大いなる日本の遺産です。大切にしないと、亡くなった人たちが浮かばれません。
9条に守られていたからこそ、私たちの活動も続けてこられたのです。私たちは冷静に考え直さなければなりません。

***

僕もピースウォーク京都の一員として、2001年911事件の直後から、毎年、京都に中村医師をお招きして同様のお話を聞いてきました。
中村哲さんの言葉は、安倍首相のようにもてあそんだものではなく、現実に、アフガンの中で行動するなかで実践的に打ち鍛えられてきたものです。
中村さん自身が、9条の精神を体現してくれてきたのです。まさに中村さんたちが、丸腰で、繰り返し信頼を勝ち取ってきてくれたからこそ、海外での私たちの安全性が大きく守られてきたのです。

安倍首相はこの安全性、平和の根拠を壊そうとしている。
先人の努力の連なりへの感謝の思いからも、このひどい策謀を許してはなりません。

みなさん。
思い思いの方法で、戦争反対、平和を守ろうという声をあげましょう。
もう世界のどこでも、僕は人殺しを見るのは嫌です。「幻想だ」と言われようが「甘い」と言われようが、嫌なものは嫌なのだから僕は声を上げ続けます。
これこそが人類史の最先端の思想であると僕は確信しています。

そうして真の危機である、福島原発事故と放射能漏れとこそ、この国を正面から向かいあわせましょう。
福島原発事故を拡大させずに本当に収束させることこそ、世界への信義にかけたこの国の最も重要な義務です。
世界を騙したままでさらに放射能漏れを拡大させたら、(現にいま海洋汚染は拡大中ですが)そのときこそこの国の信用は完全に失墜するでしょう。それは私たちの安全の基盤そのものを壊すことにつながります。

日本と世界を守るために、今こそ努力を傾けましょう!


 

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For tomorrow(849) Why such a crucial coal mine accident happened in Turkey?

2014年05月17日 22時30分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

by Toshiya MORITA(20140517 22:30)

Dear Turkish folks.

This is an article about the crucial accident of Turkish coal mine.
A best friend of mine living in Turkey wrote it.
She also wrote it in Japanese.
So, I understood why such a crucial accident happened.
She said me she was crying during writing it.
I'm very sad,too.

Please read it.
And let's do our best together for our peace and future.

http://yesilgazete.org/blog/2014/05/17/soma-gercegi-ve-bir-adim-otesi-pinar-demircan/

日本のみなさま。

ご紹介している記事はトルコの炭鉱事故に関してプナールさんが書いてくれて、すでに(848)で配信した記事のトルコ語バージョンです。
この記事を配信するのは、私たちが日本で、このあまりにもひどく悲しい事故に心を痛めていることをトルコの方たちに伝えたいと思うからです。
どうかトルコ語のできるご友人をお持ちの方、ぜひこれをお伝えください!

*****

Soma Gerçeği ve Bir Adım Ötesi

Soma Madeninde çıkan kazada 299 ölü ….bu sayının sebebi İşçi sağlığı işgüvenliği şartlarının sağlanmaması .kurallarına  uyulmaması !

Dünyada bilmeyenin, duymayanın  kalmadığı kaza 13 Mayıs günü Türkiye’nin batısında Manisa Soma’da meydana geldi .Kazada yangın sebebiyle çok sayıda işçi hayatını kaybetti fakat aşağıda hala çıkarılmamış olan çok sayıda inssan var .

Kazanın meydana gelişinin üzerinden 4 gün geçti. Yangının söndürülmesi için arama kurtarma çalışmaları canla başla devam ediyorsa da halen içeri hiç girilememiş olan 2 galeri var.Yangın sebebiyle ortaya çıkan karbonmonoksit gazının miktarı da yangının sönmesiyle gittikçe artmakta …Diğer bir felaket  içeride elektrikler kesildiği için yeraltında biriken suyun maden içini basması . Kaza tam da vardiya değişim saatine denk geldiği için magduru oldukça fazla, bu sebeple de içeride kaza anında içeride 787 kişiden 299’u maalesef hayatını yitirdi, 80’i yaralı olarak kurtarıldı,  içeride kaç kişi var hala tam bilinmiyor…

Kazadan bir gün sonra Başbakan Erdoğan Soma’ya gitti. Kazada kocasını,babasını ,kardeşini ,çocuğunu ,yakınlarını kaybeden halkla karşılaştı; onların isyan dolu yakarışlarıyla karşılandı hepsi tek bir ağızdan “Başbakan istifa!” diye haykırıyordu.Başbakan bu tepkiye sert karşılık verdi, halkının acısını paylaşacağına onları azarladı hatta onlara vurdu. Başbakanın korumaları sesini çıkaranı gözaltına aldı, tutukladı hatta onlara dayak attı,hepsini medyadan izledik.

Polis şiddeti sadece kazanın meydana geldiği Soma’da kendini göstermedi, cinayeti kınayan, insanların pisipisine ölmesine sebep olan devletine yurt genelinde eylemlerle cevap verdi, halk polise nefretini kustu ve Türkiye polis şiddetinden her şehirde gazdan nasibini aldı!

Mesela kazadan 2 gün sonra 15 Mayıs’ta İstanbul Taksim’de hükümet aleyhine toplanan sivil toplum kuruluşu üyelerinin de bulunduğu  yaklaşık 4.000 kişi basın açıklaması da yapmak istediler ve polisin şiddetiyle karşılaştılar, bol miktarda biber gazı yine kullanıldı ve insanların kendisini ifade etmesine dahi tahammul edemeyen  devlet, polis eliyle bu eylemi de dağıtmış oldu.

Bu isyan pek tabi ki Soma ya da İstanbul ile sınırlı kalmadı, tüm ülkede gözyaşlarını tutamayanlar çareyi sokağa çıkmakta buldu, hemen her şehirde hükümet aleyhine eylemler yapıldı. 3 gün yas ilan edildi ve çoğunluğu memur olan çalışanlar 16 Mayısta iş bırakma kararı aldı. Kazanın üstünden 3 gün geçmesine rağmen ülkede hala acı ve gözyaşı var, yerin altından henüz çıkarılamamış olan bedenlerin sayısı korkutucu…Halkın hükümete isyanı , bu kazanın sorumlusunu  devlet yani iktidar partisi AKP olarak görüldüğünün ispatı. Peki neden halk Erdoğan’ı ve hükümetini sorumlu tutuyor bu kazadan ? Pei niye? İşte sebepler:

Not Japoncada “Erdoan” olarak yapılan telaffuzu özellikle “Erdogan” olarak yazdım ki ülkemizin kanseri haline gelen problemleri Japoncada kanser kelimesine karşılık gelen “GAN” sesiyle biraz mizah katarak anlatabilelim. Yani bu durumda Japonca’da “Erdo (GAN)kanseri”  olarak ifade edebiliyoruz Başbakanımızın adını . Bu kanser türünün daha fazla sağlıklı hücreyi yok etmeyeceğini umuyorum. 

Devletimiz 19 yıldır  ILO’nun Madencilikle ilgili 176 sayılı maddesini imzalamaktan imtina ediyor

Maden işkolu tüm dünyada en tehlikeli olduğu kabul edilen işkoludur ve Türkiye şartlarına tabi olduğu ILO’nun maden işkolunu düzenleyen 176 no’lu maddesini 1995 yılından beri imzalamamakta direnmiştir. Peki bu maddeler özetle hangi düzenlemeleri gerektirmektedir? Türkiye hangi maddeleri imzalamaktan kaçınmıştır?

-Çalışma olduğu zaman maden içerisinde kaç işçinin olduğunu bilinmesini sağlayacak bir sistemin kurulması gerekir

-Maden içerisinde işgüvenliği tedbirlerini arttıracak iletişim ve haberleşme sisteminin kurulması gereklidir

-Madenin, işçilerin tayin edilen işleri kendileri ile başkalarının güvenlik ve sağlıklarını tehlikeye atmayacak şekilde gerçekleştirmesi için düzenlenmelidir

-Uygulanabilir durumlarda, yeraltındaki iş yerlerinin tümünden iki çıkış sağlanmalı, bu çıkışlar yüzeye ayrı ayrı çıkış noktalarından bağlanmalıdır

-İşçilerin maruz kalabileceği çeşitli tehlikelerin tespit edilebilmesi ve maruz kalınıyorsa bunun seviyesinin belirlenmesi için çalışma ortamının izlenme, değerlendirilme ve düzenli teftişi sağlanmalıdır

-Erişim izni verilen tüm yer altı çalışma mekanlarının yeterli havalandırması sağlanmalıdır

-Bir maden işletmesinin doğasına uygun şekilde, yangınların başlaması ve yayılması ile patlamaları önleyecek, tespit ve mücadele edecek tedbir ve önlemler alınmalıdır

-Bir yerde, işçi güvenliği ve sağlığına ciddi tehdit olması durumunda, operasyonların durdurulması ve işçilerin güvenli bir noktaya tahliye edilmesi garantiye alınmalıdır

-İşveren, her madende ayrı ayrı öngörülebilen tüm endüstriyel ve doğal afetler için acil müdahale planı hazırlamalıdır

-İşçilere, hem verilen iş, hem de güvenlik ve iş sağlığı konularında yeterli eğitim programları ve anlaşılabilir talimatlar sağlanmalı tüm bu uygulamalar ücretsiz olmalıdır

-İşverenler riski kaynağında bertaraf etmek, güvenli çalışma sistemleri tasarlamak, kaza riskleriyle ilgili işçileri bilgilendirmek ve kaza olduğunda gerekli tıbbi yardıma ulaşımları sağlamak zorundadır

-İşverenler sözleşmeyle kaza sonrasındaki sağlık ve kurtarma etkinliklerinin kalitesinden de sorumludur

-Denetimlere ilişkin gerekli yasal düzenlemelerin sağlanması ve kazaların etkili soruşturulması gerekmektedir

Bundan başka altyapı çalışması olarak acil durum halinde madendeki işçilerin korunmasını sağlayacak kaçma odalarının ,sığınakların oluşturulması  da zorunluluklar arasında yer alıyor. Bu sebeple 12 kişik sığınaklardan yapılması gerekiyor ki maliyeti toplamda 80 bin dolar….Uzmanların görüşüne göre Soma Madeninin ,en kalabalık olduğu vardiya değişim zamanı öngörülürse bu kaçma odalarının sayısı  en az 15-20 arasında olmalı ki bu kaçma alanları olursa afet ve felaket hallerinde içerideki işçiler sağ kurtulabilsin .

Türkiye yıllardır işçi sağlığı işgüvenliğine dair bu maddelere imza atmadı. Eğer bu kaçma odaları, sığınaklar yapılmış olsaydı şimdi hayatını kaybetmiş işçilerimiz yaşıyor olabilirdi .

Soma Holding AKP İlişkisi 

Aslında tek problem Türkiye’nin ILO’nun Madencilik işkolunu düzenleyen maddelerine imza atmaması da değil. Esas problem Soma Madeni’nin 2005 yılında özelleştirilerek kamu işletmesinden özel işletme kimliğine geçirilmesi; “Soma Şirketi” olarak faaliyetlerine başlaması.Türkiye’de kamu kurumu olan işletmelerle özel işletmeler arasında işçi sağlığı iş güvenliği konularındaki uygulamalarda farkların olması.

Türkiye’de kamuya ait maden işletmelerindesektörde çalışan 1.000 kişi üzerinden yapılan hesaba göreölümlü kaza oranı 2.4 kişi iken özel işletmelerde bu sayının 20.3 kişi olabilmesi. Aynı işkolunda Avrupa ortalaması ölümlü kaza için 1.8 kişiye tekabül ediyor.  Bununla birlikte 2000 yılından beri Türkiye’de maden işkolunda meydana gelen kazalarda hayatını kaybedenlerin sayısı da 1.308 kişi olarak biliniyor.

Maalesef Türkiye genelinde işçi sağlığı işgüvenliği konusundaki bilinç Japonya’daki kadar ileri de değil. Örneğin “Önce İş Güvenliği” diye bir anlayış görülemeyebiliyor bazı işletmelerde. İşgüvenliği bilincinin oturtulması için gerek şirket kültüründe gerekse çalışanlar içerisinde eğitimin önemi büyük fakat, gözünü kar hırsı bürümüş işletmelerde bu önemli detay daha fazla kar hırsı yüzünden kolaylıkla atlanabiliyor.

Bunun örneğini tam da Soma Holding’de görüyoruz ; Soma Holding’in sahibi kazadan iki hafta önce televizyonda “çok büyük maliyet indirimi sağladık” diye övünebiliyor. İşin en ilginci maliyet avantajı sağlanan rakamlar ;nasıl olur da bu rakam 140$’dan 24$ indirilebilir? Maliyet indiriminin de bir optimizasyonu vardır. Eğer Soma’daki gibi maliyeti 140$dan 24$’a indirmişseniz %600’e yakın bir kazanç sağlamış olursunuz ki bu indirim değil çalmaktır. Peki neyden çalınmıştır? Maliyet azaltma dediğiniz şey verimliliğinizden işin kalitesinden dengesiz bir şekilde ayrılıyorsa burada iktisadi bir optimizasyondan bahsedilebilinir mi?

Öte yandan Soma Holding’in sahibi yine 2 hafta önce Soma Madeni’in çok sağlam ve harika bir saha olduğundan bahsedebilmiş, bununla övünebilmiş ve kaza halinde işçilerin içeride 20 gün kadar mahsur kalsalar da dışarı sağlam çıkabileceklerini söylemiş bulunmaktadır. Ne yazık ki bizler bugün Soma Madeni’nin ne kadar “harika” olduğunu gözyaşları içinde tecrübe ediyoruz…Gerçekte ise Soma Holding’de son 3 yıl içerisinde 11 defa kaza meydana gelmiş bulunmaktadır. İlaveten 15 yaşında çocukların çalıştırılmış olma olasılığı hala zihinleri karıştırmakta, üstelik her haliyle Soma Holding hükümetimizin de güven(!) duyduğu desteklediği bir işletmedir .Buna inanabiliyor musunuz?

Soma Holding’de taşeronlaştırmanın da çok yüksek olduğu yaralı da olsa kurtulan işçilerin kendileri tarafından söylenmektedir. Kabul edersiniz ki taşeronlaştırmanın yüksek olduğu işletmelerde işçi sağlığı işgüvenliği tedbirleri yetersiz kalabilmektedir. Taşeron işçilerin işyerleri her zaman kolayca değiştirilebildiği için  yeterli ve uygun süreli eğitimler verilememekte,sağlam takip yapılamamaktadır.

Bununla birlikte Soma Holding’de son 3 yıl içerisinde meydana gelen 11 kazanın sebepleri tespit edilmemiş olup  üzerine aksiyon planları alınmamış, mühendislerin uyarılarına rağmen iyileştirmelerin yapılmadığı bilinmektedir. Bunların hepsi  akıl sınırlarını zorlamaktadır. Bu uyarıları değerlendiren muhalif parti CHP milletvekilinin soru önergesinin de ciddiye alınmamış olduğunu bugün anlamaktayız. CHP, Soma Holding’de “Neden bu kadar çok kaza oldu?” diye sormuş denetimlerin etkin yapılıp yapılmadığını sorgulamışsa da AKP, muhalif parti olduğu için CHP ‘nin önergesini dikkate almamayı tercih edebilmiştir.

İlaveten hem başbakan hem de AKP nin lideri olan Ergoğan için Soma Holding ‘le yakın ilişkilerinin olma ihtimali ayrı bir problem olarak görünüyor. Soma Holding sahibinin eşinin Manisa’da AKP ‘den belediye meclisi olması tesadüf mü sorularını akıllara getiriyor. Hatta belediye seçimlerinde AKP üzerinden Soma Holding çalışanlarına bazı faydaların sağlandığı bile konuşulanlar arasında. Kaza öncesinde Soma Holding’in 5.000 mavi yaka 500 beyaz yaka çalışanı bulunuyordu.Soma Holding’in beyaz yaka çalışanları Tokyo’nun Shinbashi semtine denk gelen işyeri merkezi Istanbul Maslak’taki Spine (Omurga) Plaza’da. Bu Plaza 191 m yükseklikte bir gökdelen. Maalesef hayatı bu kaza ile kaybettirilen 299 işçinin ortalama boy uzunluğu 160cm olsa boylarının toplamı zengin kulenin yüksekliğini 7 kere geçer…

Sendikal Faaliyetler ve Sahadaki İyileştirmeler Yetersiz 

Türkiye’de bir işkolundaki faaliyetlerin iyileştirilmesi Japonyadaki gibi işyeri bazında değil işkolu ölçeğinde yapılıyor fakat işkolunda örgütlenebilmesi için o işyerinde çalışanların salt çoğunluğu sendika üyesi olmalı; eğer işyerindeki işçiler arasında salt çoğunluk sağlanamazsa işyeri o işkolundaki sendikaya üye olamıyor. Nitekim Soma Holding’de de çalışanların sendika üyeliği yetersiz, Avrupa’daki gibi işyerinde çalışanların %30 +1 kadarının sendika üyesi olmasıyla o işkolunda örgütlenmeye elverilseydi belki işgüvenliği konusundaki ihtiyaçlar çalışanlar tarafından tespit edilen risklerin bertarafıyla giderilir ve bu kaza yaşanmazdı.

Bu arada Soma Holding’de ortalama işçi ücretinin 900 TL (90.000Yen ) e tekabül ettiğini söylemeyi de atlamayalım .

İşte tüm bu sebepleri göz önüne alıp değerlendirince bu yaşanan trajedinin bir kaza değil cinayet olduğu  saniye saniye faciayı izleyen halk için açıktır, nettir ve sorumlusu kuşkusuz yeterli önelmeleri almaktan kaçınanlardır.

Şimdi sizleri az önce yukarıda açıkladığım bir facia yaşanmasına yol açan  sebepler üzerine düşünmeye davet ediyorum.

Sizce böyle bir ülkede Nükleer Santral kurulabilir mi? 

Böylesine elim sonuçları doğuran politik ve iktisadi ilişkiler ağıyla yönetilen Türkiye’de nükleer santral kurma sorumluluğunun altına girerseniz yaşanacakları hayal edebiliyor musunuz?

Bir madende asgari şartları sağlayamayan yönetimin nükleer santral projesi başka bir faciadan ne kadar uzak olabilir? Sadece bir adım ötesi…

 

 

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