明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(960)トルコと日本民衆の連帯を広げる(ポーランド国際会議プレゼンから)

2014年10月28日 23時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20141028 23:00)ポーランド現地時間

ポーランド・クラクフのホテルからです。
昨日もご報告したようにポーランドの国際会議は大変な成功を収めて終了しました。
僕自身もオープニングセッションとワークショップで発言して、日本民衆の行動を参加者に伝えることができ、まずまずの成果をあげられたと思っています。

今回はそのオープニングセッションでの発言内容をご紹介したいと思います。なお実際の発言は英語で行いました。まず日本語で原稿を書き、自分で英語に訳し、それを英語の堪能な平賀緑さんに直していただき、その上で、さらにもう一度、日本語に訳し直して今回の掲載にいたっています。英文も続けて掲載します。
なおこの発言は参加者の非常に大きな拍手で迎えていただくことができました。ポーランド会議の雰囲気が少しでもみなさんに伝われば嬉しいです。

*****
トルコと日本民衆の連帯を広げる!
2014年10月23日 ポーランドにて 守田敏也

この会議に呼んでいただいたことに感謝申し上げます。
 
私は日本の京都市在住のジャーナリストです。
私の父は広島原爆のサバイバーの一人です。母は東京大空襲のサバイバーの一人です。
私は戦争と核兵器、核エネルギーが大嫌いであり、そのためもあって福島原発事故以降、人々を放射線から守るために奔走してきました。
 
今年の3月にIBBが私を福島原発事故の証言者としてトルコに招いてくださいました。
私もトルコの人々にお話したいと思っていました。日本政府がトルコに原発を輸出しようとしているからです。
 
ドルトムントでのヨーロッパ・アクション・ウィークのオープニングセッションに参加後、私はアルパー・オクテムさんとともにトルコに向かいました。
プナールさんがイスタンブールで合流してくれました。彼女はトルコのアクティビストで流暢な日本語を話すことができます。
 
トルコ滞在中、私はイスタンブールシノップとイズミルを訪問し、福島原発事故についてのプレゼンテーションをしました。
福島原発は激しく壊れています。1号機から3号機の放射線値は非常に高くて誰も中に入れない状態です。そのため私たちは中で何が起こっているのかも十分には分かっていないのです。
事故直後に政府は事故が最悪化した場合のシナリオを計算しました。するとなんと原発から半径170キロ圏の人々が強制的に移住しなければならないことが分かりました。
 
最も肝心なことはこの危機が完全に去ってはいないことです。
激しく壊れている福島原発は、新たな地震に襲われた場合、倒壊する可能性があります。
しかし今なお、危険地帯にたくさんの人々が住んでいます。人々は高い放射線値を心配していますがなかなか動くことができません。
 
しかも政府も地方の行政組織も人々にそこに住み続けることを促し続け、さらには危険地帯に戻ることすら呼びかけています。
これが今、日本が直面している原発事故のリアリティです!
 
もちろん多くの日本の民衆が政府を力強く批判しています。たくさんのデモンストレーションが行われています。
とくにたくさんの若い母親たちが政府に抗して立ち上がっています。これは日本ではまれな現象です。
日本のレディたちは優しくしとやかなであると知られてきたからです。
私はこの女性たちの力強い立ち上がりは私たちの国にとって素晴しいことだと思っています。
権力に立ち向かうこの女性たちの姿は日本が今、確実に変わりつつあることを象徴しています。
 
各地でこうしたデモンストレーションが繰り広げられています。
とくに東京の首相官邸前では毎週金曜日にたくさんの人が集まりデモンストレーションが行われています。
今日、この金曜行動は150以上の都市で毎週、取り組まれています。
 
トルコを訪れて、私はこうした日本民衆のアクションのことを紹介しました。
トルコの人々は強い関心をもって聞いて下さいました。会場に広がる共感が私に伝わってきて、感動しました。
 
とくに感銘を受けたのはシノップでのことでした。
この町は原発の建設予定地とされているところです。ちょうど3月11日、福島原発事故から3年目の日に訪れました。およそ4万人の町で200人の方が集まってくださいました。
講演が終わるとみなさんが起ちあがって私に拍手してくださいました。凄い熱気でした。
 
実はこの日、2013年にトルコの警官隊にガス銃で撃たれた少年が亡くなってしまいました。
2013年にトルコの人々は、イスタンブールにある民衆の広場を守るために政府に対して立ち上がりました。
ところがその少年は、ただの通行人でデモ参加者ではありませんでした。しかしトルコ警察は人々めがけてたくさんのガス弾を発射し、その一つが少年の頭を直撃したのでした。
そのため講演会のあとに抗議のデモンストレーションが始まり、私も参加させてもらいました。
 
これらを通じて私が理解したのは、いかにトルコ政府が民衆に対して攻撃的であるかでした。
同時に私はトルコの人がけして負けることなく力強い抵抗を行っていることも学ぶことができました。
トルコの人々は強い力を持ち、政府の横暴に抗い続けています。
 
翌日にシノップの地元の方達が私を原発建設予定地に連れて行ってくださいました。とても美しい場でした。トルコの方たちのリゾート地にもなっているところでした。
私はこんな美しいところに絶対に原発を建ててはいけないと思いました。
この重要なことをたくさんの人とシェアしたい、そして原発輸出を食い止めるためのトルコと日本民衆の間の強い結びつきを作りたいと思ってたくさんの写真を撮ってきました。
 
トルコ訪問から帰って、私は日本政府がトルコとの原子力協定を国会で批准しようとしていることを知り、東京のFOE JAPANという団体とコンタクトしました。
原発輸出に抗して活発に行動してくれているNGOの一つです。
私たちは一緒に国会議員たちに協定を破棄するように説得しました。トルコの反原発同盟が国会議員に宛てた素晴しい手紙もまわし、また日本の民衆にも広く紹介しました。
 
また私は何度もトルコ訪問の報告会を開き、いかにシノップが美しいところであるのか、日本の人々に伝えました。
私は日本からトルコへの原発輸出を止めるのは私たちの義務であることも述べました。
 
そんなときシノップ県のゲゼル市長から夏祭りで原発建設反対イベントをやるので来てくれないかという話が舞い込みました。とても嬉しく思いました。
3月のシノップ訪問のときに、私の発言を聞いたゲルゼ市の女性が、ぜひ私をゲルゼにも呼ぼうと市長さんを説得してくださったのでした。
 
ここに東京のFOE JAPANの吉田明子さん、核戦争防止国際医師の会(IPPNW)ドイツ支部のアンゲリカ・クラウセンさん、アルパー・オクテムさん、IBBのマルチナ・ファゼラーさんもかけつけてくださいました。
もちろんプナールさんもトルコの日本民衆の連帯のキーパーソンとし合流してくれました。
現地では前回、シノップで会った素敵な地元の方たちとも再会できました。
これらを通じながら私たちは今、素晴しいチームを作り出しています!
 
ゲルゼでは夏祭りが行われて、高校生が素晴しい踊りを披露してくれました。
そのあとに海岸沿いの場で反原発イベントが開催されました。
私はここでも3月に訴えたことと同じことをお話しましたが、このときも多くの方が熱心に聞き入ってくださいました。
その後、たくさんの方が積極的にディスカッション。トルコの方たちはとても熱いです。
 
さらに今回のトルコ訪問方ではアルフレックという町へ訪ずれることができ、市長さんとお会いできました。
市長さんは「チェルノブイリ原発事故は、黒海沿岸を激しく汚染した。この地域でがんへの恐れを抱かずにすむ人はいない。
だから私は絶対に原発に反対だ。この地域の人々を守りたい」と力強く述べられました。
市長さんと私たちは今後、ともに共同して原発計画に抗していくことを約束しました。
 
この旅から帰ったあとも、私は何度もトルコ訪問の報告会を開催し、日本の人々に私たちと一緒になって行動することを訴えて続けています。
核の問題は世界的な問題です。そのため最も重要なのは私たち民衆のグローバルな連帯です。
私たちの未来のために、私は今後も何度もトルコに通い、トルコと日本の民衆の連帯に貢献したいと思います。
一緒になって美しいシノップを守るつもりです。
 
私の発言の最後に、みなさんとこの言葉をシェアしたいと思います。
Power to the People!
ありがとうございました!

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