守田です。(20160310 10:30)
昨日3月9日、大津地方裁判所(山本善彦裁判長)によって、高浜原発3、4号機の運転を認めない仮処分決定を下しました。
決定内容はただちに以下のサイトに掲載されました。僕もただちにプリントアウトして読みました。画期的だと思いました!
福井原発訴訟(滋賀)支援サイト
http://www.nonukesshiga.jp/
仮処分命令申立事件(高浜3,4号機)について、再稼働差し止めの仮処分決定
http://www.nonukesshiga.jp/wp-content/uploads/e9782c2ea5fefaea7c02afd880dd3bfc.pdf
http://www.nonukesshiga.jp/wp-content/uploads/b6c5742c4f89061d95ceb8a0675877e2.pdf
その上で、昨夜流されたNHKニュースをみたところ、重要なポイントが端的に解説されていました。
要約としてすぐれているのでまずはこれをご紹介します。1分27秒です。
稼働中の原発の運転停止命じる初の仮処分決定 その理由は
NHKNWESweb 3月9日 19時36分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160309/k10010437041000.html
これらを踏まえて、今回、下された決定の画期性を解説したいと思います。(引用箇所にはPDFのページ数を記します)
決定分はまず裁判所による原発の構造、設備などに対する基本的認識を述べた上で、今回の訴訟の争点が7つあったことを明らかにしています。
1、主張立証責任の所在 2、過酷事故対策 3、耐震性能 4、津波に対する安全性能 5、テロ対策 6、避難計画 7、保全の必要性
その後、運転停止を求めた市民の側(訴訟上では債権者)と求められた関西電力(訴訟上では債務者)の双方の主張が列挙され、最後に裁判所の判断が記されています。
今回、解説したいのはこのうちの1と2の内容です。
ここで大津地裁が出した内容は川内原発1、2号機を含む、すべての原発に適用できることだからです。とくに過酷事故対策についての新規制基準の抜本的矛盾をついたものとなっています。
1の主張立証責任の所在とは、訴えた市民と関電のどちらが原発が安全か危険かを立証しなければならないかを検討したもので、大津地裁は関電の側に安全性の立証責任があることを指摘しています。
「原子力発電所の付近住民がその人格権に基づいて電力会社に対し原子力発電所の運転差止を求める仮処分においても、その危険性すなわち人格権が侵害されるおそれが高いことについては、最終的な主張立証責任は債権者らが負うと考えられるが、原子炉施設の安全性に関する資料の多くを電力会社側が保持していることや、電力会社が、一般に、関連法規に従って行政機関の規制に基づき原子力発電を運転していることに照らせば、上記の理解はおおむね当てはまる。そこで、本件においても、債務者において、依拠した根拠、資料等を明らかにすべきであり、その主張及び疎明が尽くされない場合には、電力会社の判断に不合理な点があることが事実上推認されるものというべきである」(42ページ)
ここでは誰が立証責任を負うのかの確認がなされているわけですが、大津地裁は、結論的には関西電力がこの使命を果たしたとは言えず「電力会社の判断に不合理な点があることが事実上推認される」と判断して、運転停止命令を出しています。
続いて2の過酷事故対策で、極めて画期的な点が打ち出されています。
端的に言えば、今回の記事のタイトルにもあげたように「福島原発事故の原因究明は今なお道半ば」だという点です。
新規制基準は福島原発事故の教訓を踏まえたものとされているのですが、しかし原因究明が半ばでどうして教訓を踏まえられるのか。今、分かっているものを踏まえているだけで他にもまだまだ踏まえるべき教訓がある可能性があるのです。
にもかかわらず「教訓を踏まえた」とされる新規制基準が作られてしまった。
この点は新規制基準の抜本的矛盾、限界、あやまりと言うべきもので、元東芝の格納容器設計者の後藤政志さんなどが声を枯らして批判されてきたことです。
僕も繰り返しこの点を述べてきたので、大津地裁決定のこの部分を読んだときには思わず「わあ、画期的だ!」と声をあげてしまいました。以下、当該部分を引用します。
「福島第一原子力発電所事故の原因究明は、建屋内での調査が進んでおらず、今なお道半ばの状況であり、本件の主張及び疎明の状況に照らせば、津波を主たる原因として特定し得たとしてよいのかも不明である。その災禍の甚大さに真摯に向い合い、二度と同様の事故発生を防ぐとの見地から安全確保対策を講ずるには、原因究明を徹底的に行うことが不可欠である。この点についての債務者の主張及び疎明は未だ不十分な状態にあるにもかかわらず、この点に意を払わないのであれば、そしてこのような姿勢が、債務者ひいては原子力規制委員会の姿勢であるとするならば、そもそも新規制基準策定に向かう姿勢に非常に不安を覚えるものといわざるを得ない。」(44ページ)
大津地裁はこのように、福島原発事故の原因究明が未だ十分になされているとは言えないことを端的に指摘しているのですが、さらに素晴らしいのは、福島原発事故の主要な要因を津波に限定しようとする東京電力の見解やその上にのっかった原子力規制委員会による新規制基準の前提的認識を慎重に退けていることです。
というのは事故当初より、後藤さんのお仲間の田中三彦さんなどが、パラメーターの分析から、少なくとも1号機では津波の到来以前に大規模な配管破断などにより冷却材喪失事故が起こっていた可能性が高いことを主張し続けています。
これに対して東電は、津波によってすべてが起こったと説明しているわけですが、なぜここが重要なのかと言うと、津波以前に大規模配管破断が起こっていたとしたら、耐震設定が完全に間違っていたことになるからです。
そうなると日本中の原発がもう動かしてはならないことになるのです。いや実際にそうなのですが、このために東電は、事故要因は津波だと言い張り、原子力規制委員会も、東電の主張をかばう形で津波対策を求めているのです。
大津地裁は訴訟の争点の4の津波に対する安全性能のところでも、万全な安全性が確保されているとは言えないことも指摘しているのですが、しかしかりに津波に対して万全な対策ができたとしてもその前に地震で大規模配管破断が起こったのなら話は別です。
この点、必ずしも原因が津波とは決まっていないことを大津地裁はしっかりと指摘している。
さらにそもそもこの間、地球規模で気候変動が起こり、これまで経験したことのない事態が多発していること、その中で「想定を超える」災害であった言説が繰り返されてきたことを、大津地裁は「過ち」と指摘し、その事実に真摯に向い合うべきだとも指摘しています。
この点もとても感動しました。このくだりは名文だと思います。少々長いですが多くの方に知っていただきたいので、この部分も引用しておきます。
「現時点において、対策を講じる必要性を認識できないという上記同様の事態が、上記の津波対策に限られており、他の要素の対策は全て検討し尽くされたのかは不明であり、それら検討すべき要素についてはいずれも審理基準に反映されており、かつ基準内容についても不明確な点がないことについて債務者において主張及び疎明がなされるべきである。そして、地球温暖化に伴い、地球全体の気象に経験したことのない変動が多発するようになってきた現状を踏まえ、また、有史以来の人類の記憶や記録にあたる事項は、人類が生存しえる温暖で平穏なわずかな時間の限られた経験にすぎないことを考えるとき、災害が起こる度に「想定を超える」災害であったと繰り返されてきた過ちに真摯に向き合うならば、十二分の余裕をもった基準とすることを念頭に置き、常に、他に考慮しなければならない要素ないし危険性を見落としている可能性があるとの立場に立ち、対策の見落としにより過酷事故が生じたとしても、致命的な状態に陥らないようにすることができるとの思想に立って、新規制基準を策定すべきものと考える。債務者の保全段階における主張及び疎明の程度では、新規制基準及び本件各原発に係る設置変更許可が、直ちに公共の安寧の基礎となると考えることをためらわざるを得ない。」(45ページ)
この1、2の内容の続きでは、とくに3の耐震性能に対する判断が大きなポイントとなりますが、高浜原発の個別性に踏み込んだものになります。
この点も重要ですが、今回、指摘した内容は川内原発にも直ちに適用できる新規制基準の抜本的なあやまりの大津地裁による指摘です。ぜひこの点をつかみとり、多くの方に伝えて下さい!
なおこれから僕は京都市の自宅を出て篠山市に向かい、ヨウ素剤配布の現場に再度立ち会おうとともに、夜7時から講演を行います。
篠山市日置地区の城東公民館にてです。「放射能災害と人権 安定ヨウ素剤の活用を学ぶ」というタイトルです。もちろん昨日の決定のこともお話します!
お近くの方、ぜひお越しください!
続く