明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1276)「放射線を浴びたX年後」について語り合う(川口美砂さんとの対談ー5)

2016年06月23日 08時00分00秒 | 明日に向けて(1201~1300)

守田です。(2016623 08:00)

5回にわたって掲載してきた川口美砂さんとの対談の最終回をお届けします。
今回は対談後の会場との質疑応答部分です。対談には盛り込めなかった話がずいぶんフォローしてもらえました。

なおすでにお知らせしましたが、6月26日に『放射線を浴びたX年後2』の「その後」とでも言える番組が6月26日深夜にテレビで放映されます。
ぜひご覧下さい。

NNNドキュメント’16
『汚名 〜放射線を浴びたX年後〜』(1時間・日本テレビ)
放送時間 6月26日(日) 深夜24時55分〜
語り 樹木希林
https://www.facebook.com/video.php?v=1042961179126965

ちなみに僕はこれから京都府北部の綾部市に向かいます。
今日から綾部・舞鶴・高浜・舞鶴・向日・彦根とまわってきます。明日からは後藤政志さんと一緒です。
次の「明日に向けて」の配信は、この旅の後になる予定です・・・。

*****

感想交流と質疑応答の時間 (抜粋)

守田
これからは是非、みなさんからも質問とかご意見を伺いたいと思いますが、初めに僕のことを少しお話させて下さい。
僕にとってもこの映画とのつながりは特別なものがありまして、『X年後1』は2012年に上映されたものですけれど、その前に2011年の7月にこの映画の作成に参加された方々が京都に来てシンポジュウムを開かれたのです。
高橋博子さんや山下先生などが来られたのですけど、その中に琉球大学の矢ヶ崎克馬先生もおられました。矢ヶ崎さんは内部被曝研究の第一人者で、僕はその矢ヶ崎さんに会うためにこのシンポジュウムに出かけて行ったのです。

2011年3月11日に福島第一原発事故があったとき、僕はそれまで「日本で原発事故があったら政府は絶対に住民をきちんと逃がしてはくれない」という確信があったので、もしもそうなったら、自分の近くの原発だったらとっと逃げる、遠いところだったら逃げることを呼びかけると、前から決めていて、すぐに避難することを訴えだしたのです。
ところがそんな僕も、原発の危険性について見識は積み上げていたのですが、被曝そのものには向い合ったことがなかったので、そのメカニズムについてもよく知らなかったのです。

でもそのことについては専門家がたくさんいるのだから、その内に次々に出てきて、被曝がいかに危険なことかを人々に伝えてくれると思って、そういう人の登場を待っていたのです。ところが待てど暮らせど出てこない。
出てこないどころか「被曝はたいして危険ではない。少しなら安全だ」とか言うとんでもない人ばかり出てきて、ひどいことになってきました。この時、「これも俺がやらなければいけないのか」と悟って、すごくショックを受けたことを覚えています。

でももうやるしかないと考えて、ではどうしたらいいだのろうと思って、ネットをずっと検索していたら、「これは」と思えた方が肥田舜太郎さんと矢ヶ崎克馬さんでした。この方たちのおっしゃっていることを広めるのが良いのではないかと思いました。
そうしたら岩波書店から「守田さん、『世界』誌上で肥田さんのインタビューをしてくれませんか?」という話が飛び込んできました。そして丁度、肥田さんにインタビューにうかがう前日が、京都でのシンポジウムの日だったのです。
僕はその前に矢ヶ崎さんの書かれた『隠された被曝』という著書を読んで、「素晴らしい。素晴らしいけれど、これを普通の人が読み解くのは難しい」と思っていたので、当日の懇親会の席上で、矢ヶ崎さんの前に飛び出して行って「矢ヶ崎さん、この本を僕に翻訳させて下さい」と言ったのです。今、思えば失礼千万だったのですが、そうしたら矢ヶ崎さんは「そういうことを言ってくれる人が出てくるのを待ってました」とおっしゃって下さった。
それで翌日に肥田先生にお会いしてインタビューするとともに、矢ヶ崎さんからのインタビューで構成した『内部被曝』(岩波ブックレット)を作ったのです。こう考えると、この映画のスキームの中で肥田先生や矢ヶ崎さんとも出会えたと言えます。

その後に『X年後2』ができました。その『X年後2』を僕に最初に紹介してくれたのは、僕の親友の気功師の方なのですけれど、なんとその方が川口さんと何十年来の友だちだったのです。なんという偶然のつながりなのだろうと思いました。
それで川口さんが京都の上映会で挨拶される時、是非、お会いしたいと駆け付けて、お話して、もうその場で今日の対談をお誘いしたのです。
ここでも僕は、核の被害に遭われた方に、その無念さや思いを「お前が代わりに語れ」、そして「人々の未来の幸せに役だたせよ」と言われているような気がしています。
それで今日こういう形でお話しさせていただいて、とてもありがたいことだと思っています。この経験を次の何かに大切につなげていきたいと思います。


まず感想からですが、私も前作『X年後1』を観た時、非常に衝撃的で、これで日本の歴史は書き変えられなければならない、教科書も書き換えられなければならない、と思った、そういうインパクトのある映画でした。
次の『X年後2』が公開されると聞いた時、おそらく『X年後1』で告発された真実というものがもっと広く明らかにされて、追及されて行くのがストーリーの中心だろうと、いわば面的な広さを勝手に想像していました。

事実そういう側面もありましたけど、『X年後2』の後半で、80歳を超えた高齢の方が登場され、自分は生きてるけれど息子が41歳でガンでなくなったという告白のシーンを観た時、私が直感的に思ったのは、ビキニの被災者にも2世がいるんだというということでした。当然、ビキニの被災者にも家族があり、お子さんやお孫さんがあって当たり前なのですけれど、そのことの深い意味に初めて思い至ったような感じでした。
そして、今にして思えば自分自身迂闊だったなと思ったのは、映画の主人公である川口さんや、それから映画にも登場される漫画家の和気さんたち、あの人たちも、後でパンフレットを見て、年齢とかお父さんの被ばくされた年度とかを見て、2世ではないかと思いました。おそらくご本人たちにはそういう2世とか3世とかいう思いは、私たちと同じようにはないだろうと思うし、そういうことを押しつけるつもりも全然ないのですけれど。

何が言いたいかと言うと、『X年後1』が『X年後2』でさらに広がっていくと同時に、それは水平的な広がりだけではなく、世代を超えた深みのようなものをすごく感じたわけです。
しかもそれは2世にあたる川口さんのような方が映画の中心になって真相を究めていこうとする、そこに2作目の映画の凄さというか、深みのようなものを、とても強く感じて、今日もとてもいい企画にしていただけたなと思いました。
質問は、今全国で上映会、舞台あいさつもされていますが、全国で聞かれている反応、感想などありましたら是非紹介して下さい。

川口
一番代表的な反応、感想は、「知らなかった」「事実を教えてくれてありがとう」というものですね。ほとんどの人が知らなかった。
『X年後1』を観られている方はある程度知識をもって来られていますが、『X年後2』で初めて観られた方は、とても衝撃的で、「こんなことがあったのか」と思われます。
他にこんなエピソードもありました。岩手県の宮古で上映会があった時、岩手県は石川啄木の故郷なのですが、父が啄木が好きだったことを知って「啄木の碑が港のこのあたりにあるよ」とか、「私は啄木のこの歌が好きだった」とか言っていただけた方がおられました。父に対して、そうやって思いを込めて観てくれているのだなあと、個人的にはとても印象的でした。

萩原
私は福島県の郡山市から避難してきています。外部被曝はしていないと思いますけれど、いろんな事情が重なって内部被曝したと確信しています。大変な被曝症状が出て、京都に来てから食材を変えたら体調が良くなってきた経験をしています。
それで3点質問があります。
①漁師さんたちは汚染されたマグロを食べたというお話ですが、どれくらいの期間、だれだけの量を食べられたのでしょうか?
②原発事故後、子どもの避難者の中には乳歯が抜けた後に新しい歯が1年以上もはえてこないという人がいます。漁師さんたちの中に似たようなことはないでしょうか?
③映画のパンフレットに「文部科学省選定」とあるのですが、私たちは政府といろんな交渉をしていてとても冷たい人たちだと感じています。文科省選定というのはすごいことなのではないかと思いますけれど、どうしたらこんなに選定を受けらけれるのですか?

川口
①マグロ船の漁師は、木造船時代は冷凍設備がないので、氷を積んでそこに野菜とか食料を入れて行くのですが、食料が無くなると釣った魚の傷ものとかをほぼ毎日食べていました。
釣ったものを捌いて、生で食べたり、焼いて食べたりしたのですね。1回の航海で40日ぐらい。年に5~6回は航海に出ていました。

②歯の抜ける話は、とても印象的な例は、聞き取りの訪問先の方が末期ガンで苦しまれていましたが、話を始めると目がランランと輝き始め、昭和29年当時のビキニ事件のことや航海のお話をして下さいました。
その方は30代で奥歯のガンになられていました。削って処置されたのですが、若い頃から晩年にかけて全身に転移して、次に訪問した時には亡くなっていました。非常に印象に深く残っている方です。
それから30代後半で歯が全部抜けてしまったいう漁師さんもいらっしゃいました。その方もビキニで操業されていた方です。
私が聞き取りさせていただいた漁師さんもまだ少なく100人にもなっていません。いろんな症状にこれからも出遭っていくのではないかと思います。歯についてはそういうことでこれまでに2件ありました。
聞き取りでは病気された時の話を中心に聞いていますので、健康状態など日常の体調についてはこれまでは聞いていないのですね。症状をお聞きすると、盲腸が多かったり、背骨を悪くされている方が多いですかね。
私の父は糖尿病があったのですけれど、伊東監督のお話では漁師さんたちに糖尿病の患者さんは結構いるらしいとのことでした。
③文科省の推薦は政府とか政治とかは関係なくて、文科省の中の映像部門というところがあって、映像の研究者などが委員となり、その方々が認定審査を行ない、そこで作品が評価されているのだと認識しています。

守田
今の質疑はとても重要なところで、放射線被曝でどういうことが起きるのか、まだ分っていないことの方が圧倒的に多いのですね。だから見過ごされていることも凄く多いのだと思います。
私たちの行なった「被爆二世の健康実態調査」でも、行なってみたら、みんな小さい頃よく鼻血を出していたというこれまであまり分っていなかった事実が浮き上がってきたり、二世、三世の間であまり話されていなかったことがいっぱい出てきました。
そこに調査の重要性があると思います。

続く

コメント
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