明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(2445)日本は必ず負ける戦争にのめり込んだ 誰もこの国を守ろうとはしなかった-8月15日に思う

2024年08月15日 22時00分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20240815 22:00)

8月15日に戦争について考え直そう

2020年8月15日に書き、同年12月8日に動画配信と共に再掲した記事をリメイクしてお届けします。
何度でも確認しておくべき重大な事実がここにあるからです。
まずは動画をご紹介します。ぜひご覧下さい。


日本の指導層はアメリカに勝てないことを知りながら戦争にのめり込んだ

1941年12月8日、大日本帝国政府はハワイの真珠湾にあった米海軍基地を奇襲し、日米戦争の火ぶたを切りました。
この戦争を捉え返すのに大事な示唆を与えてくれている番組をご紹介します。NHKが2011年に「日本人はなぜ戦争へ向かったのか」と問うて作成したドキュメントの4回目「開戦・リーダーたちの迷走」です。

日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第4回「開戦・リーダー達の迷走」
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001200050_00000

とくに秀逸なのは、開戦当時、天皇を囲んだ御前会議、そこに方針を提出する大本営政府連絡会議に出ていたすべてのメンバーが、日本はアメリカに絶対に勝てないと認識していたことを描いたこと。米日の当時の国力差は総合力で80対1。誰がどう考えても勝てるはずなどなかったのです。
番組は政府と陸海軍の誰もがそう考えていたのに、絶対に勝てない戦争に日本がのめりこんでいった過程を描いています。





なぜ戦争を回避できなかったのか

絶対に勝てない戦争をなぜ回避しなかったのか。最大の理由が、自分たちがさんざん戦争熱を煽ったために好戦的になっていた日本民衆を恐れていたことにあったのことを番組は描いています。
このころ日本はアメリカに、中国からの撤兵を要求されていましたが、それまで20万の兵士の死をもたらし、国家予算の7割をもつぎ込んでいたため、引き下がることができなくなってしまっていたのでした。

しかしとても勝ち目がないこともはっきりしていました。海軍は何度も繰り返した演習からも、米軍に勝つ道がないことを熟知しており、このため先に陸軍に戦争を回避を言いだしてもらってのろうと考えました。
陸軍は陸軍で、すでに中国との戦争の泥沼にはまっていて、とても新たにアメリカとの戦争をかまえることなどできないことを熟知していました。それで先に海軍に戦争を回避を言い出してもらいのろうと考えた。そして結局、両者は共に黙り続けたのでした。

そんな中で内大臣木戸孝一の推薦のもと、東条英樹内閣が生まれましたが、なんと木戸によると狙いは戦争回避にあったのでした。「天皇に忠実な東条なら、天皇が戦争回避を命令すれば陸軍を抑えられる」と考え、東条を選んだと言うのです。
しかし昭和天皇もまた「戦争を止めよ」と言いませんでした。結局、誰もが開戦すべきでないと思っているのに、誰もがそれを言い出さず、結果的に絶対に勝てないと分かっていた対米戦争にのめりこんでいったのでした。


誰も国を守ろうとは思わず身体をはりもしなかった

このあまりにばかばかしい事態がなぜ生まれたのか。番組の最後で、佐藤賢了元陸軍省軍務課長がこう述べています。「独裁的な日本の政治ではなかった。だから(戦争回避)はできなかったんです」
「こうした日本人の弱さ、ことに国家を支配する首脳、東条さんをはじめ我々の自主独往の気力が足りなかったことが、この戦争に入った最大の理由だと思います」

しかしそうではありません。こんな捉え方はまったく間違っています。はっきりしているのは、誰も命をかけてこの国を守る気概など持ち合わせていなかったということです。責任感や倫理感もまったく欠けていたのです。
もちろん昭和天皇もそのうちの一人でした。誰もが勝つのは無理だと知っていたのだから、大元帥であった天皇が「戦争をやめよ」と命令すれば、誰もが喜んで従ったに違いなかった。にもかかわらず言い出さなかった。

誰かが止めれば、あの戦争は回避できたのでした。何百万という人々が死ななくても良かったのでした。
にも関わらずこの国は対米戦争に突入し、太平洋戦線で敗北を重ね、やがてアメリカに本土空襲、沖縄地上戦、原爆投下という大量虐殺を繰り返されて、おびただしい死者を出した上に崩壊したのでした。


● 戦争の苦しみ、悲しみの中から憲法が生まれた!

その後、この国は平和憲法を持ち、戦争を否定して今日まで歩んできました。戦争で傷ついた人々、わたしたちの親や先達が、懸命になって民主主義を育ててきてくれました。
そんなことがいま、NHKの朝の連ドラ『虎に翼』にも反映され、あらためて感動を呼んでいます。それで僕もこの番組に即し、私たちが憲法の何を魂として受け取り、育んでいかねばならないか、この間論じてきました。
動画と記事をご紹介します。ぜひご覧下さい。

明日に向けて(2421)『虎に翼』から考える 原発は憲法違反だ!-全文の文字起こしをお届けします
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/19d72ace125bbb34c52c65cf5a77c306


同じことを繰り返させない!

しかし勝つ見込みのない戦争に国をひきずり込んだこの国の支配層は、戦後はアメリカに全面的に擦り寄ることで生き延び、その戦争政策を支えてきました。
朝鮮戦争特需で「復興」を果たし、さらにベトナム戦争でも大儲けをしてきました。たいへん恥ずべきことです。その後も日本政府は、アメリカの戦争政策をすべて肯定し、支えてきました。

そんな中でこの国は、世界有数の地震大国であるにもかかわらず、アメリカに押し付けられて原発を次々と建てはじめ、危険を指摘するたくさんの声を無視し続けた挙句に、福島原発の大事故を起こし、国の半分がなくなりかねない危機に直面しました。
しかもそれでもいまもなお、この国の支配層は原発にしがみついています。南海トラフ地震(西日本大震災)発災の可能性の高まりを自ら公言し、新幹線を徐行させたり、ビーチを立ち入り禁止にしたりしながらです。あまりに愚かです。

なぜこんなことが繰り返されるのか。今もあの時と同じだからです。この国の支配層の誰も、この国を大切だとは思っていないし、この国の山河など愛してなどいないし、いわんや人々を守る気などさらさらないのです。
しかしあの時と今は全てが同じなのかというと、それも違います。戦後、日本民衆は、憲法で得た人権を活かしつつ、かつての侵略戦争を捉え返しながら、アメリカの戦争政策への政府への加担に対し、さまざまな抵抗運動を作りだしてきたからです。

原水爆反対運動やベトナム戦争反対運動などはその典型で、やがてそれは成田空港反対の大きな運動を作りだし、さらにいま、沖縄の米軍基地の辺野古への移設を阻む力ともなっています。
さらに福島原発事故後、より多くの人々が政府のウソに気づき、覚醒しました。原子力平和利用に騙されていた自分たちの過ちにも気づきだし、世論の大半が原発反対を唱える状態を生み出すにいたっています。

私たちがしっかりと踏まえなければならないのは、この私たちの力こそが、この社会の本当の安全を守り、平和を支えているのだということです。だから私たちはパワーアップしましょう。すべての愛するもののために。
8月15日にみなさんとこのことを誓いあいたいです。


すべての戦争と核の犠牲者への想いを胸に 長崎の日のキャンドルビジルより

#8月15日 #終戦記念日 #日米戦争 #太平洋戦争 #負けると分かっていた #御前会議 #責任のなすりつけあい


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