守田です(20210223 12:00)
「被爆国」との言い方をみんなで再考したい!そんな考えをまとめました。3回に分けます。一緒にお考え下さい。
● 日本政府はアメリカ軍の国民・住民への攻撃を避けるための努力を怠った。被害者ではまったくない!
本年1月22日に核兵器禁止条約が発効しました。画期的なことです。ぜひ締約国を増やすだけでなく内容的な深化も実現したいです。
この際、ぜひ考え直す必要があるのでは?と僕が強く思うのは日本政府への迫り方です。
政府が条約を締結しないことを繰り返すことに対して、「被爆国としておかしい」「唯一の戦争被爆国の政府なのになんなんだ!」という声がたくさん聞こえますが、率直に言って、強い違和感を覚えるのです。
なぜか。そもそも僕には日本政府が原爆の被害者だとはまったく思えないからです。「被爆国政府なのだから条約を締結すべき」というのは「被害者なのになぜ声をあげないのか?」ということですが、おかしくないでしょうか?
日本政府、正確には敗戦までの大日本帝国政府は、アメリカによる原爆による大量虐殺も、その前の都市への無差別空襲や沖縄戦での大量虐殺も、避けることができたし、避けるべきでした。しかし避けませんでした。
その点で国民と住民を米軍の攻撃から守る努力を決定的に怠りました。被害者などではない。無謀な戦争を起こし、国民、住民にものすごい苦しみを背負わせ、挙句にアメリカの攻撃から守ろうとしなかったすごく大きな責任があります。
まず問うべきはこのことです。日本本土や沖縄だけのことではありません。植民地としていた地域もひどい戦闘に巻き込まれました。とくに南太平洋の島々はひどかった。島々と海が米軍に奪われ、その後に核実験が繰り返されました。
それらの責任にかけて日本政府に、戦争でのあらゆる加害の反省の上にたった核兵器禁止条約への参加を迫らねばならないと僕は思うのです。戦争責任を問う中でこそ、政府に平和の道を選ぶことを強制しなければなりません。
核兵器禁止条約発効を祝して 京都市円山公園枝垂桜前で 20210122 守田撮影
● 国民・住民を守るためにとっとと降伏すべきだった
もちろんあのときアメリカの攻撃を避けるとは降伏して戦争を止めることでした。そして実はそれ以外に道はありませんでした。大日本帝国軍は1944年秋のレイテ沖海戦まで敗北を続けてほとんど壊滅し抗戦能力がなかったからです。
それどころか開戦を決めた「御前会議」に参加していた大臣の誰一人も、実はアメリカに勝てるとは思っていなかった。だったらせめて1944年末の段階で降伏すべきだった。そうしたら本土空襲も沖縄戦も原爆攻撃もなかったのでした。
事実、日本政府は何度も戦争終結の道を模索していたことが分かっています。ただし降伏ではなく都合よく和平をむすび、大日本帝国をそのまま継続させる形で戦争を終わらそうとしていたのでした。
その間にアメリカは1945年3月10日の東京大空襲を皮切りに、多くの都市への焼夷弾(ナパーム弾)を多用した無差別空襲を開始しました。民間人を狙った大量虐殺であり、明らかな戦争犯罪でした。
これに対して日本はほとんどまともな防空活動ができませんでした。とくにサイパン島とテニアン島を日本軍から奪取したアメリカによるB29を使った波状攻撃にまったく歯が立たなかった。毎日、諸都市で虐殺が繰り返されました。
どう考えたって勝ち目はなく、とっとと降伏すべきだった。それなのに大日本帝国は和平の条件を少しでも有利にしようと考えて戦争を長引かせました。繰り返しますがそれがなければ空襲も沖縄戦も原爆攻撃もなしに戦争を終えられたのです。
にもかかわらず日本の指導層の自己保身のため、天皇制の存続のために無残な戦闘が続けられた。「アメリカに一泡吹かせる」とか言って。
そんな中で、多くの若者を年代遅れでアメリカの戦闘機にたちまち撃墜されてしまう攻撃機に載せて米軍艦船に特攻させました。ほとんどはただ撃ち落とされただけ。また太平洋のさまざまな島々でも「玉砕」が繰り返されました。
あまりに腹立たしい。あまりに悲しい。国民・住民を守るために、さらには若き兵士たちを救うために、もっとはやく降伏したら1945年の悲劇などなかったのでした。度重なる大量虐殺や無残な自爆攻撃のすべてを未然に防げたのでした。
日本全土に焼夷弾をばら撒いた米軍のB29戦略爆撃機 アルバカーキ―の核ミュージアムにて 守田撮影
続く
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