守田です(20210109 12:00)
昨年より始めた連載「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の考察の4回目をお送りします。
今回は資本主義時代を確立していった市民革命を掘り下げます。
● 資本主義と暴力の関係をもっと捉え返す必要があるのでは
この連載では前回、資本主義社会が大航海時代の暴力につぐ力、侵略と略奪と植民地化の嵐の中で勃興していき、「市民革命」によって政治権力を奪取したことを捉えました。
この先をいかに書くのか考え込んできましたが、2021年年頭に、アフターコロナのもとでの世界変革の展望を考える上で、とても大切だと思う点に突き当たりました。
私たちは、多くの人々が共有している民主主義革命=市民革命の、ある種の美化を捉え返す必要があるのではないでしょうか。
フランス革命というと「自由・平等・博愛」というスローガンを思い出します。多くの方がこれを良いもの、大切なものと捉えていると思いますし、私たちが手にしている人権思想も、確かにその市民革命の過程で生まれ、育まれてきています。
このため、日本の中では「日本民衆は民主主義革命を自分で達成してないからダメなのだ」となどという指摘が、「インテリな方たち」の中からしばしばなされています。
僕自身はまったくそうは思わないのですが、今回さらに「民衆主義革命」は本当に手放しで称賛だけしていて良いものなのかと考察を進めました。
というのは、資本主義が登場する過程での大航海時代、大砲を積んだ船団が世界を荒らしまわり、西洋が暴力で世界を制覇した過程の野蛮さを捉え返すことは、現代社会の中で少しずつ進みつつあるように思えます。
しかし民主主義革命はどうなのでしょう。実はそこに暴力のものすごい肯定が潜んでいることが、十分に反省的に考察されてきていないのでは?その結果、資本主義に潜む暴力性が正しく捉えられてこなかったのではないでしょうか。
「ルーヴル美術館の撮影」ジャン・ルイ・ベザート(1799-1881)画 1830年7月革命時のルーヴル美術館前での攻防より
● カトリックへのプロテストと資本主義
市民革命ないし民主主義革命をみるとき、そこにカトリックに対するプロテスト、支配的位置にあったキリスト教会に対する「新教」の抗議があり、この「宗教改革」の流れがブルジョアジーの台頭と結びついていたことを見ておく必要があります。
「宗教改革」は、中世の「神聖ローマ帝国」を中心とするカトリック教会が「世俗化」を強め、さまざまな「腐敗」を生み出していたことへの抗議=プロテストによって始まりました。
1400年代のチェコのヤン・フスの運動を先駆とし、ドイツのマルティン・ルターのカトリック批判などが有名です。1500年代初頭のことです。プロテスト運動はスイスに広がり、フランス出身のジャン・カルヴァンが加わって各地に加速していきました。
とくに鮮烈な対立の場となったのがイングランドでした。もともとイングランドは国王ヘンリー8世(1491-1547) が王妃と離婚したいがゆえに離婚を認めないカトリックを飛び出し、独自に「イギリス国教会」を作っていました。
そのヘンリー8世の逝去後、複雑な政争を経て、娘のメアリー1世(1516-1558)が即位しましたが、彼女はヘンリー8世の宗教改革を全面的に否定しカトリックへ回帰。国教会ないしプロテスタントを容赦なく弾圧し、300人を処刑しました。
この行為から彼女は後に「ブラッディ・メアリー」と呼ばれるようになりました、ちなみにカクテルの「ブラッディ・マリー」=ウォッカのトマトジュース割りはこの故事にちなんでつけられた名です。
しかしメアリー1世の死後、イングランドでは再び国教会が力を盛り返していきます。そしてその土壌のもとで急速に伸びていったのがカルヴァン派でした。
カルヴァン派はカトリックとプロテスタントのいわば折衷のように位置にあったイギリス国教会を「不純」であるとして批判し、自らを純粋な人々=ピューリタンと呼びました。
その一部がイギリス国教会に弾圧され、やむなくイギリスを飛び出して帆船メイフラワー号で「新大陸」と呼ばれたアメリカを目指しました。1620年のことです。このためアメリカ合衆国はピューリタリズムの影響のもとに立ち上がった国となりました。
マルティン・ルター ルーカス・クラナッハ(1472-1553)画 ジャン・カルヴァン ハンス・ホルバイン(1497-1543)画
● カルヴァン主義の不寛容性
自らを「ピュアな人々」と呼ぶカルヴァン派は、ピュアである証として禁欲に務めるとともに、「ピュアではない人々」に対して極めて不寛容でした。しばしば「神に見捨てられたもの」ととらえ、苛烈な態度でのぞみました。
後にこのカルヴァン主義の禁欲主義的不寛容さこそが、実は資本主義を生み出した原動力だと後に唱えた社会学者がいました。マックス・ウェーバー(1864~1920)です。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義』の中でウェーバーは、カルヴァン主義者の不寛容性を次のように説明しています。
「隣人の罪悪に対する場合、選ばれた者、つまり聖徒たちが神の恩恵に応えてとるべきふさわしい態度は、自分の弱さを意識して寛大に援助の手を差し延べるのではなく、永遠の滅亡への刻印をおびた神の敵への憎悪と蔑視になった」
(『同書』岩波文庫版 p207~208)
カトリックや国教会を批判するカルヴァンは、さらにより神の力を絶対化させ「二重予定説」を唱えました。神に救済させるものと滅びるものはあらかじめ神によって決められており、人間の意志では変えることができないというものでした。
その厳しさは信徒を不安の中に陥れます。誰もが自分の救済の可能性を求めたい。そこから自分が神に選ばれている証を求め、神の千年王国のためにただひたすら働き、戦い、成功することで証を得ようとする心情が生まれていきました。
それはやがて「己は神の武器であり、それに逆らうものは神の敵だ」という信念に転嫁していきます。かくしてイングランド市民革命に起ちあがったピューリタンたちは、オリバー・クロムウェルを中心に「鉄騎兵」を作り、国王軍を撃破していきました。
クロムウェルはさらにカトリック信者の多かったアイルランドに攻め込み、ダブリンで老若男女を問わず4000名を殺戮するとともに、スコットランドへも侵入、後のイングランドへの統合の下地を作りました。彼はイングランドでも独裁を貫きました。
しかしあまりの苛烈さへの反動の中でその後に再び王政が復古。クロムウェルはすでに死去していましたが、反逆者として墓を暴かれ、遺体が「絞首刑」にされ、切断された首が四半世紀にわたってさらされたといいます。
この点ではカルヴァン主義に対抗したカトリックや王党派の側からもしばしば苛烈な暴力が振るわれました。その際、常に神の名の下に暴力が正当化され、称賛されました。
この「市民革命」に刻印された暴力を私たちはきちんと捉え返す必要があります。とりわけカルヴァン主義の理念は、実はピューリタンによって形成されたアメリカにこそ最も強く受け継がれたのではないでしょうか。
だからこそ後にアメリカで、神の名の下に原爆が作られ、炸裂させられたのではないか。さらにアメリカが、その後も戦争に継ぐ戦争を続けてきた根拠の一つもまたここに見いだされるのではないか。
ウェーバーが言うように、プロテスタンディズムの倫理が資本主義を作ったのならば、そこに埋め込まれた暴力性を、資本主義の克服すべき大きな特徴の一つとして捉えるべきではないでしょうか。
クロムウェルと鉄騎兵 ウィリアム・バーンズ・ウォレン(1857-1935)画
続く
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