宿泊ホテルは高知城の近くだった。時間があり、まだ体力も残っていたので高知城見学に出かける。
第29番の土佐国分寺から第30番札所・善楽寺へ移動する。
第30番の善楽寺は、神仏分離の悲劇が長く続いた寺である。善楽寺と道を隔てたところに土佐一之宮・土佐神社が鎮座する。ということは、善楽寺は土佐神社の別当寺であったことを示す。
明治の廃仏毀釈で、善楽寺は廃寺となり、本尊と弘法大師像は国分寺に預けられた。その後、安楽寺という寺院が本尊を預かり、30番札所となった。明治9年(1876年)のことである。
その後、昭和4年(1929年)に善楽寺が再建され、30番札所が二つあるという事態になった。
裁判で決着がついたのが平成6年(1994年)である。
善楽寺の朱印をみると、左側に”土佐一ノ宮”と筆書されている。お寺なのになぜ一ノ宮かと疑問が起きるが、かっては土佐神社の別当寺だったのだ。
個人的なことだが、個人で一ノ宮巡りをしていたとき、土佐神社にお参り来たことがある。その時は隣に善楽寺があることは全然気がつかなかった。
善楽寺でこの日の行程を終え、高知市のホテルに宿泊した。
第28番札所から第29番札所・(土佐)国分寺へ移動する。1時間半ぐらいかかる。
国分寺というからには、所在地はかっての土佐の中心地である。
写真は第2回目に参加したときのもの。1回目のものは桜の写真ばかりで、どんな寺だったか分からないから。
金堂。国の重要文化財に指定されている。1588年に長宗我部元親によって建てられたもの。
大師堂。
境内。2回目のときは桜はまだだった。
四国八十八ヵ所霊場めぐりツアー、第28番札所・(土佐)大日寺を参詣する。
ここは弘法大師が爪で彫ったという”爪切り薬師”が有名だが、写真は撮っていない。関心がなかった。時代が変れば、昔と同じ信心は持てない。
どういうわけか、山門だけはよく覚えている。
第26番から第27番・神峯寺へ移動する。神峯寺は標高450メートルの地点にある。ここも難所の一つとされている。
バスでは上がれない。タクシーに乗換えて上がった。タクシー乗り場も麓ではなく、海側の離れた場所だった。
タクシーから下りてもお寺が目の前にあるわけではない。
坂道を上がる。お寺の建物が見えると一安心するが、ここは社務所で、本堂・大師堂へはまた坂道を上がらなければならない。タクシー利用でもキツい札所だ。
本堂から社務所をみる。結構、下に見えるね。
帰りはホッとする。ここはもともと神仏習合の札所だった。神仏分離で神峯神社と分けられた。神社はお寺の上方にあるが、神社は無視するのがツアーの習いである。
神仏分離すると、位置関係は、神社が上、お寺が下である。神社が格上なのだ。
坂道を下る。逆に言えば、来るときはこの坂道を上がったのだ。
第24番の津照寺からバスで15分。第26番札所の金剛頂寺を参詣する。
ここはどういうわけか、印象が薄い。
下の写真は、厄除けの階段である。四国八十八ヵ所は厄除けが多い。というか、日本の神社も寺院も厄除けだらけである。国民性を表している。厄除け云々というと、またか、という気になる。私は、厄除けはほとんど気にしない。川崎大師は別だが。