昭和の恋物語り

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長編恋愛小説 ~水たまりの中の青空・第一部~ (十二) 許されないことなのよ

2015-05-13 09:01:04 | 小説
「ごめん、ごめん。唐突だったわね。順を追って説明しないと、分からないわよね。」
彼の落胆ぶりに気がついた牧子は、彼をベッドに腰掛けさせた。
そして、彼の前に居住まいを正した。

「ボクちゃんが嫌いになったのじゃ、ないのよ。ボクちゃんのことは、好きよ。
できることなら、ボクちゃんとの生活を続けたいとも思うの。
でもね、私のことでボクちゃんを縛るわけにはいかないの。
だめっ! 黙って聞いて」

何か言いたげな彼を制して、彼の口に指を当てながら牧子は続けた。
「お祖父さんのことは、話したわよね。帰ってみて、驚いたの。
漠然とは分かっていたの。呆けるということがどういうことなのか、分かっていたつもり。
でもね、頭で想像していたことと現実とでは、全く違うの。ちょっと、待ってね」

牧子は冷蔵庫から缶ビールを取り出して、彼に渡した。
彼にしてみれば、それどころの騒ぎではなかった。
痴呆という言葉が、頭の中でグルグルと回った。
茂作の顔が思い出された。
毅然としていた茂作の変わり様が思い出された。

「倒れた母の代わりに、介護をしたわ。
確かに大変だった。徘徊という現実は、壮絶の一言よ。
一日二十四時間もの間気を許せないのよ。
何しろいつ出て行くか分からないんだもの。
『出かける』そんな言葉はないんだから」
知ってるよ、と口を挟もうとする彼を制して、牧子は続けた。

「黙って聞いてね。それが一年三百六十五日続くわけなの。
介護する者にとっては、悲惨そのものなの。
見ると聞くとでは大違い! 思わず、寝たきりの方が‥‥って思っちゃった」
一気にビールを飲み干した牧子は、彼を正視しながら言葉を続けた。

「それだけのことなら、私も田舎に戻ろうとは思わない。
お休みの日毎に戻ればいいのよ。有休を最大限利用すれば、済むことかもしれない。
署でもそう言われたわ。
そうじゃないのよ。母が倒れたのは、肉体的な疲れだけじゃないの。
もっと、悲惨なの」

大きな溜め息を漏らした後、牧子は彼の横に座った。
そして彼の手を取り、その手に頬ずりをした。
「帰りたくない! ボクちゃんと、一緒に居たい。
でも許されないことなのよ」


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