(序)
このお話は、先日のこと、ある女性から聞いたものです。
お年は、そう八十を越えられているはずです。
ときおり認知症かと疑われるような言動がありますが、平生はしっかりと生活を営まれています、とのことでした。
正直なところ、このお話の真偽のほどはわかりません。
しかしながら、さもありなんと思えたので、みなさんにもお知らせしようと考えました。
山あいのふるびた田舎に、一人の老婆がおりました。
身寄りのない天涯孤独の身の上だったそうです。
いえいえ、十年程前までは娘夫婦と孫が二人の五人家族だったそうです。
そうです、覚えておいでのことと思います。
あの大地震で、甚大な被害を被った地にお住まいでした。
たまたま隣県での小学校の同窓会に出席中だったこの老婆だけが、その難をのがれられたとか。
あ、べつにその災害に関してのお話ではありません。
それはそれで哀しい出来事ではあります。
しかしある意味では、より哀しみをおぼえるお話なのです。
前置きが長くなりました、では……。
(一)土着宗教
その村では、家人以外の者を入れての食事をいっさいとらない風習だということです。
その村特有の土着宗教から生まれたもので、人間の食に対する卑しさのいましめとされているとか。
人間の食に対するさがは貪欲でごうの深いだものとし、憎悪の根源であるという宗教なのです。
国の成り立ちの根源は民の食を守ることだと説かれています。
国の乱れというものは全て相互間の憎悪によるもので、決して末世だのたたりなどではない。
人間のなせごう業のせい、と説いています。
それ故にその村では決して食事にたがいを呼ぶこともなく、さらには食事どきに訪問することさえも悪い因習として、いましめています。
このことはしっかりと覚えておいてください。とても重要なことなのです。
といって、村人間の行き来がないわけではありません。
それどころか、ひんぱんに行き来をしています。
農作業やら森林管理やらを、共同作業で行う村なのです。
収穫については老若男女のわけへだてなく、人数割りでの分配方法をとっています。
労働の有無ではなく、何度もお話ししますが人数割りなのです。
ですので、どこの家でも子宝に恵まれています。
原始共産主義のような村社会でしょうか。
またまた前置きのようになってしまいました。お話を本筋に戻すことにいたしましょう。
実は先ほどの老婆のことなのです、お話したいのは。
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