昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

小説・二十歳の日記  十二月三日  (雪)

2024-11-17 08:00:23 | 物語り

[再会]

寒いあさだとは思っていたけど、まさか雨が雪にかわるなんて。
初雪だ。

しかしおどろいた。
これが偶然というものだろうか。

でも、ステキなぐうぜんだった。
なんとはなしに通りかった、あの市民会館。

ベトベトの雪道のせいで、いつもとちがう帰り道だった。
裏道をやめて、大通りをあるいた。

その通用門で、たったひとときにせよ、ぼくにバラ色の夢を見せてくれたあの女性歌手に会えるとは。
降りしきる雪の中、傘がないらしく肩をふるわせていた。

目が合ってしまったとき、「良かったら、はいりませんか?」と、声をかけていた。
自分でも信じられないほど、自然に。

ぼくにとっては、革命的なことだ。
おそらく、耳たぶまで真っ赤になっていたろう。

その女性歌手は、ぼくのことを知るはずがない。
あの、長文の手紙を書いた偏執狂だとは。

 

 

[着物姿]

だれも彼女が歌手だとは知らないだろう。
たしかに雪の日にはめずらしい着物姿だった。

だけど、水商売のホステスさんたちも着ている。
前座でうたう歌手など、だれも覚えてはいない。

「いま、迎えのものがきますから。ご親切に、ありがとう」
ああ、この声だ。この声なんだ、ぼくが惹かれたのは。

澄んだあおい空――晴天のあおぞら、美しいあおみどり色の空――碧空のあおぞら、そしてそして広く高い空――蒼穹のあおぞら。

そしてそこに一羽。鳶が「ピーヒョロロロ」と鳴いている。
ぼくにとっての、天女のこえだよ。

目を閉じれば、かのじょの高く上げたほそい手が、浮かんでくる。

その女性が立ち去ろうとするぼくを呼びとめてくれた。
わかるかい? そのときのぼくの気持ちが。

天にも昇るとはこういうものだろう。
ああわかってる、ひまつぶしの軽い気持ちだったかもしれない。

うれしかった。もっとも、気が動転していてどんなおしゃべりをしたのか、……おぼえてない。
というより、思いだせないんだ。

 


[卑下]

芸能人のつらさなんかを話してもらえたような気がする。
プライベートタイムがどうしても深夜になること。

気のあう者どうしでの語らいや食事が、週刊誌では恋人として書かれてしまうこと。
そんなことから事務所から止められてしまい、なかなか異性の友だちができない、と。

もっとも、芸能人同士の場合は、おたがい有名税だと思える。
でも熱心なファンとの語らいの場を見つかるのが、いちばん辛いんだとか。

そうだ、さいごに自分のことを話してくれた。
「でも、その点あたしなんかは楽なもの。

歌手として認めてもらえていないから。スター歌手とご一緒させていただいても、一行ものらないのよ。
付き人ぐらいにしか思われてないのネ。

最近は、話し相手に引く手あまたなの。
そのおかげで結構ステージに呼んでいただけるのよ。

しょせん、前座歌手だけれどね」
あまりに自分を卑下したような口調だったから、つい口がすべってしまい、ぼくがあの長文の手紙の主だということを言ってしまった。

さいしょ、気まずい空気がながれたけれど、すぐに謝ってくれた。
事務所の指示もあったけれど、やっぱり気味がわるかったって。

 


[お誘い]

前座歌手ごときの自分に、あれほど熱烈なファンレターがくるわけがないって。
やはり、偏執狂だとおもわれていたらしい。

あれ以上手紙がつづくようなら、警察にとどけたかもしれないって。
さいごは、ふたりして大笑いしたよ。

そうそう、チコという愛称をおしえてもらった。
幸子だから、チコだって。それに、住所も。

事務所に手紙をおくると、警察沙汰になるかもしれないから。
ヘッヘッヘーだ。

遠い道のりのはずが、すぐに着いたという感じだ。
いや、まじわるはずのない道がとつぜんつながった、かな。

もっと話をしていたかったけれど、迎えの車がきたから、終わりだ。
握手してきたよ。つめたい手だったけれど、気さくな人だった。感激!

あしたの日曜日、すこし離れたN市でショーがあるんだって。
来てくれるなら、受付に話しておくからだってさ。

そして六時には終わるから、お食事でもしましょうって。
絶対に行くぞ!



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