母親にしてみれば、まるで縁談話が持ち上がったかのような高揚感を持っていたようでした。
わたくしの本音を見透かされたような気がしまして、顔を赤くしていたかもしれませんわね。
それで週に一度だけというお約束で、お勉強をみていただきました。
学校での授業はすくなくなり、毎日を防空・武術訓練等についやしておりました。
良い子ぶるわけではないのですよ。
不思議なもので、手に入れられないことというのは、多少の無理をしてでも欲しくなるものです。
勉学が好きだということはありませんでしたが、知識を得るということは楽しいことでございました。
三郎さまの下宿先は、湯島天神のそばででございます。
大学へは徒歩で歩ける地区にしたいとのご希望からということでした。
三四郎池の散策がお好きとかで、授業の前後にかならず立ち寄られているとか。
わたくしもご一緒できればと、思わぬでもございません。
ですがその機会が訪れることはありませんでした。
最初の日だけは、一子さまにお願いして同行ということになりました。
場所が分からぬということもありましたが、やはりのことに殿方の住まいにひとりで、というのは勇気のいることです。
また三郎さまにしましても、どう接すればよいかと迷われていたとのこと。
ふたりしてお邪魔したおりには、ほんとにうれしそうでした。
ほっとされたと推察しています。
でも、翌週からはわたくしひとりだけでお邪魔しております。
こんなことを言いますと、両親から大目玉をいただきそうですが。
じつのところは、お勉強そっちのけであちこちと訪ね歩きました。
いまで言うデートですわね。
でも、しっかりとお話は聞いております。
三郎さまは文学部に入学されていまして、日本では明治文学がお好きなようで。
ですが、わたくしにお話ししていただくのは、主にロシア文学でしたわ。
特にドストエフスキーに心酔されているようでして、ヨーロッパへの留学時にはぜひにもロシア語の勉強をしてみたいと。
そして原語で作品を読んでみたいものだと、それこそ、少年のように目を輝かせていらっしゃいました。
三ヶ月という短い間でしたが、ほんとに幸せでございました。
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突然に口をつぐまれました。
歓喜にむせるといった観ではなく、苦しげな表情をされます。
「もういいさ、小夜子。もう話すではない。
皆の衆、この小夜子というおなごの人生はここで終わったも同然なのだ」
とつぜんに善三さんが立ち上がられます。
不満顔の皆さんを抑えてつづけられます。
「お前さんの、三郎に対する純愛は、皆の衆に十分に伝わったことだろう。
のう、そう思うじゃろう?」
善三さんにそこまで言われては、もうだまって頷くしかありません。
しかしどうにも違和感が消えません。
こんなたわいもないお話のために、わざわざ冥界からお出でになったとは、どうしても思えません。
といって、当の小夜子さんご本人は、うつむかれて涙を拭っていらっしゃるようです。
「さあさあ。お開きじゃ、お開きじゃ。
今回を持って弔い上げとなる。極楽浄土に行かれる。
そしてご先祖さまの一員となられる。
のお、松夫。そうじゃの!」
ほぼ命令に近いことばです。
もちろんです、と言わんばかりに、「ありがとうございました」と、深々とお辞儀をされる松夫さんでした。
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