幸いにも武蔵亡きあとの富士商会の業績はよい。
武蔵の号令一下で動いていた社員たちにも、さほどの動揺もなくすんでいる。
「自分で考え、判断し、動く」。
受動態だった風潮が能動態に、うまく切り替わっていた。
「知恵を出せ、汗を出せ、出せない者は去れ」
強権的な会社風土が、いまでは上長の指示がなくとも、己の判断で動いている。
もちろん失敗はある、トラブルもある。
武蔵の時代では、即減給となる。それが緊張感をうみだしていた。
いまではそれが懐かしいと感じるほどに、寛容な会社になっていた。
ひとりの天才軍師が動かすのではなく、それぞれの部門長たちの協議で指針が決まり、それをもとにそれぞれが動いている。
ひとりの天才プレーヤーが動かすのではなく、組織体として全員が動くようになりつつあった。
組織としてのルールが設定され、人治ではなく法治体制がとられている。
以前の、武蔵が培った家族経営を懐かしむ声もあがりはするが、それはあくまで郷愁的なもので、そのころに戻ろうという機運はない。
「あらあ、お花畑みたいになりましたねえ」
ひさしぶりに社長室を訪れた徳子が、満面に笑みをうかべて小夜子に言った。
嫌味ではなく、無味乾燥だった社長室が、まったくの別室に変わっていたのだ。
大きな机の上に、大きな花瓶。
そしてそのなかにはシャクヤクの花が活けられ、ソファのテーブルにはチューリップが置かれている。
窓には黄色のカーテンが取り付けられ、その横の帽子掛けには造花がそえられている。
書籍棚の上・中段には、いかめしい経済書や会社録が収められている。
下段には、小夜子らしい「女の生き方」「婦人公論」そして「青鞜」がならべられていた。
その向かい側のかべには大きな鏡がとりつけられて、全身が映し出されるようになっている。
小夜子のおもな仕事である取引先の接待時には、その鏡が大活躍する。
数人の若い女子社員たちとともに、キャッキャッと騒ぎながら装いをコーディネートしていく。
武蔵愛用のソファにすわるようすすめながら、「あのね、徳子さん」と切りだした。
いつもにくらべて暗い表情をみせる小夜子に身がまえながら、
「接待はおつらいですか? 夜の方は控えるようにしましょうか」と、さぐりを入れた。
小夜子の悩みの種である夜の接待を切りだしてくれたことに、〝やっぱり徳子さんは優秀だわ。武蔵がなかなか辞めさせなかったのもうなづけるわ〟と、納得感がわいた。
徳子が武蔵の愛人だと知ったときに、「辞めさせて、そんな女は」と噛みついたことがある。
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