その夜、ふたりして武蔵の自宅で酒盛りをした。
縁側に座り込んで半欠けの月をながめながらの、二人だけの酒盛りだ。
「久しぶりのことだな、五平。店を立ち上げる前には、こうやって二人で、カストリを飲んだよな」
「うーん、何年になりますかね。十、年はたたないか。店を立ち上げる、あぜ前夜夜以来じゃないですか。
たしか、いつもの十五度じゃなくて、いきなり四十度なんて代物に手を出して。
喉はひりつくし、胃はひっくり返るし。それから頭がガンガン鳴って、死ぬかと思いましたよ。
まったく武さんの冒険心にゃ、付いていけません。あ、タケさんなんて呼んじまった」
「いいよ、いいじゃないか、タケさんで。会社ではまずいが、ふたりだけなんだ、タケさんでいいよ。
俺もな、ちょっと反省してるんだ。会社では、五平じゃなくて専務とよばなくちゃならんとな」
「へへ。こそばゆいですよ、専務なんて。もっとも、はいて捨てるほどいますかね、日本中に」
「なに、言ってる。富士商事株式会社の専務さんだ、大企業とは言わんが、優良企業だぞ」
コップを空にするよう徳利を手にすると、「せっかちなんだから」と五平が苦笑いする。
「ゆっくりやるか」と言いつつも、たけぞうもまたコップを空にした。
「二人目をな、産めなくなったらしい。そのおかげで命びろいよ。
しかし乳が出ないってのは、当の赤子にしてみりゃ死活問題だ。
おまんまなんだから、赤子のゆいいつの。で仕方なく、もらい乳をと。
ところが間がわるく、ご近所に誰もいないときてる。
で止むなく、米のとぎ汁ということだ。とぎ汁が乳代わりだったんだぜ」
「それはなんぎなことだ。しかしおふくろさんも、さぞかしおつらかったでしょう」
「だろうな。鳥越八幡宮って知ってるか? 山形の新庄市なんだが。
武運長久のご利益があるらしい。お袋がな、お百度まいりをしたらしい。
兵隊になるんじゃないぞ、赤子がなんとか育ちますようにってだ」
「しかし今じゃ、この頑丈さだ。どういうことで?」
「盗みに走っちまったよ。とにかく腹ぺこだ、手当たりしだいだったよ。
近所じゃ顔を知られててまずいってんで、となり町に遠征さ。
んでもって、走った。店先から盗んでは、一目散に走った。とっつかまったら、こっぴどく叩かれるからな。
足の遅いやつはいっつもだ。あんまり可哀相なんで、そいつに少し分けてやったよ」
「社長の親分肌は、その頃からですか。しかも、あのご時世なのにだ。
子どもの食いものまで取り上げた親がいた、なんて話も珍しくもなかったのに」
庭の木々の上にあった月が、雲間に隠れた。
「しかしなんで、すぐにあきらめるんだ? 子どもの足だぜ、本気だしゃ追いつけるだろうに。
かわいそうに思ってのことだったのか? そのせいかと思ったよ、に追いかけるのを諦めちまうのは」
「そりゃ、あれですって。店をからっぽになんか出来ませんて。
それこそ、根こそぎ盗まれちまいますよ。子どもだけじゃなく、大人だって腹をすかせてたんですから」
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