思えば順風満帆の人生だった。
世間に名のとおった商事会社で、熾烈な出世レースに勝ちぬくために、つねに走りつづけていた。
充実した毎日だった。そんな男が犯したミス。
そういうにはあまりにも間の抜けたことだった。
極秘あつかいの企画書を同僚との酒宴の席におきわすれてしまったのだ。
普段ならば決して持ちかえらない男だったが、翌朝、取引先に直行するために持ち出してしまった。
上司である部長とともに商談をすすめた案件で、大口の取引になるはずだった。。
今夜は、祝杯の意味もあっての酒宴だった。
というよりは、労をねぎらい合うといった方が正確だろう。
同僚に「前祝いだ」と強く誘われた。
いちどは、「明日にそなえてきょうはやめとくよ」と固辞したのだが、「水くさいじゃないか」と何人かに取り囲まれては帰るわけにもいかない。
翌朝企画書の紛失に気がつき、すぐさま店に連絡を取ろうとしたものの、朝では連絡の取りようもない。
「ひょっとして誰かが……」と、恥をしのんで同僚に連絡をいれてみたがやはりだれももち帰ってはいなかった。
昼過ぎに、その店からの連絡でおきわすれた企画書がもどってきた。
「」座布団の下にありましたので、気がつくのが遅れました」との電話だった。
〝翌日まで部屋の片付けをしないのか〟と思いはしたものの、それを口に出すわけにはいかない。
低価格の居酒屋だ。忙しげに動く者のほとんどがアルバイトだろう。
マニュアルに沿っての仕事だろうし、彼らが関を立ったのは閉店間際だったのだ。
しかしいまにして思えば、おかしなことばかりだった。
第一に座布団の下だというが、置いた覚えはない。
第二に営業一課ご用達の小料理屋ではなく、男にとってははじめての居酒屋だった。
だれかの馴染みの店だとは聞いたが、はいだれだったか……。
いつもの小料理屋ならば、かならずその日のうちに座布団の下まで確認してくれたはずだ。
そして遅くなっても、なんらかの方法で連絡をくれたはずだ。
極秘という判が押してある封筒なのだから。
しかしもうすでに取引先での会議は終わっており、とうぜんのごとくに取引はキャンセルとなった。
しかも、同時進行していた他部署の案件についても、「検討しなおします」との通告がとどいた。
謝罪に出かけたけれども、けんもほろろで追い返された。
男の2ヶ月をかけた労力は、水泡に帰した。部長の面目も潰してしまった。
とうぜんのごとく、男の会社での評価はおちた。
「解雇をいいわたされないのが不思議なくらいだ」と、社内での風当たりは強かった。
けっきょく、1週間後に資料室行きを言い渡された。
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