昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第三部~ (四百十四)

2024-03-12 08:00:56 | 物語り

 日本橋に会社をうつして三年目のことだ。
武蔵が五平を、社員たちのまえで怒鳴りつけた。
闇市での商売のおりには、目くばせを受けながらのことはあった。
しかし今回は、いきなりだった。
武蔵の真意をはかりかねて、といってそれを問いただす勇気もでずに、ただただいじけてしまった自分が情けなかった。
「タケさん、すまない。慢心してたよ、オレッちは」

 二階の開け放たれている社長室にまで五平のどなり声が聞こえてきた。
なにごとかと階下をのぞくが、受付に客らしき人物はいない。
ただオロオロとしている、まだ入りたての若い娘が見えるだけだ。
顔をおおって泣いている。五平が叱りつけたのかと階下におりてみると、五平は電話の相手に声を荒げていた。
あきれ顔の徳子に、「専務があんなに怒鳴るとは。あいては筋もんか?」と、武蔵が聞く。
 徳子の説明によれば、忙しく立ちまわっていた新人事務員が、電話の相手についぞんざいな対応をしたということだった。
矢継ぎばやに詰問調で声を張り上げられて、「謝るヒマもなかったようです」と、かばうことばを付け足した。

 通りかかった五平が電話をかわり、
「まだ小娘なものですから、失礼しました。専務のあたしからお詫びしますんで」と告げたところが、
「こっちは客だぞというつもりはないが、問い合わせをする客に、あれは失礼じゃないか!
それにわたしのほうが目上だということもある。すこしは敬意をもった口の利き方をできないのか!
それとも、富士商会というのは、そんな殿さま商売の会社なのか!」と、相手に言いかえされた。
 相手に理があることは五平としてもわかってはいたが、わざわざ専務だと告げての謝罪ですら収まらないことで、逆ギレした。
まだ入りたての若い娘だったがために、まだ取引が浅い相手だということもあり、「いいかげんにしろ!」と、声を荒げてしまった。

五平が顔を上げると、顔をまっ赤にした武蔵が仁王立ちしている。
受話器を手でおさえて「いや、あんまり横柄な物言いをされたもので、」と弁解した。
しかし武蔵は五平のことばに耳を貸すこともなく「代われ!」と、電話をひったくるように取り上げた。
そして「すぐに謝罪にまいります」と相手に告げると、会社を飛びだした。
なにごとかと注視していた社員たちが五平をみる。
なぜ怒鳴られたのかわからずにいる五平にたいして、徳子らの一部社員が冷たい視線をおくる。
あたしたちのために怒ってくれたと感謝されるかと思いきや、意外な反応をみせられて困惑する五平だった。

 張本人の新人社員も、恨みがましい視線を送っている。
問題解決をはかるどころではなく、油に火を注いでしまった五平に、感謝のことばもなく詫びるふうでもない。
“なんなんだ、これは。この空気は。まるで俺がわるものじゃないか”
 納得のできない五平だった。
“タケさんもタケさんだ。いきなり、代われ、はないだろうに” 
 いたたまれぬ思いで、二階の自室へと逃げ込む形になった。



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