昭和の恋物語り

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長編恋愛小説 ~水たまりの中の青空~(九十三) 仕事とあたしと、どっちが大事なのよ!

2014-07-22 09:47:10 | 小説
(四)

しかし夕方になった時、陣痛の間隔が狭まり、そしてまたその痛みも尋常ではなくなってきた。

「千勢、千勢。産婆さん、呼んでくれた? 病院に行った方がいいかしら。
ねえ、武蔵は? 武蔵はまだ帰らないの? えっ! まだ四時だから会社に居る? 
あたしがこんなに苦しんでいるのに、会社で何してるのよ! 
仕事? そんなのもの! 仕事とあたしと、どっちが大事なのよ! 
あ、痛い! 痛い! もう、だめ。あたし、このまま死んじゃうのね。
なんて可哀相なんでしょ。あ、あ、痛い。痛いわ、ほんとに。
あ、あ、もう子どもなんかいらない。何とかして、千勢。
千勢、タクシーを呼んで。病院に行くわ。
もうだめ、病院に…。あ、いいわ。治まったから、もういいわ」

大騒ぎしたかと思うとケロリとした表情を見せる小夜子に、千勢は右往左往させられるだけだった。
お産が大変なことだとは、千勢も知っている。

しかしこれ程に痛がる妊婦を、千勢は知らない。
奉公先において、何度かのお産に立ち会ったことのある千勢だが、産婆を呼んでの自宅出産しか知らない千勢だ。
病院に行くなど、よほどのことだと思っている。

しかし、と思い当たる節もある千勢だ。
武蔵の、異常なまでの気の使いようが気になっていた。

その殆どが、いや千勢の知る夫たちは任せっきりだった。
一切の口出しはせず、産婆なりの指示に従っていた。

なのに武蔵は、どこから聞きかじってくるのか分からぬことで、あれこれと小夜子に行っている。
それも、小夜子が喜びそうなことだけをなのだ。

最たるものが、食べ物だった。
目のきれいな赤児になるからと新鮮なアワビを築地の市場から大枚をはたいて買ってみたり、卵は滋養に良いのだからと三食に出してみたりした。


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