昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第一部~ (七十八)

2021-03-02 08:00:40 | 物語り
大広間に集まった社員の前で、えびす顔の武蔵が声を上げた。
「みんな、ご苦労だった。良く頑張ってくれた。
加藤専務には、ほんとうに苦労をかけた。
感謝したい、ありがとう。
みんなの入院中の頑張りについては、加藤専務から報告があった。
苦しい中、良く残ってくれた。良く耐えてくれた。そのお陰で、会社は残れた。
本来ならもっとお前たちに還元してやりたいんだが、この景気がいつまでも続くわけがない。
以前の俺なら、どーんと弾むところだが、入院中に色々考えた。
やはり、会社自体に少しは利益を残しておかないとな。
もう二度と、あんな思いはたくさんだ」

武蔵の顔が苦渋に満ちたものに変わった。
社員たちもまた、下を向いたり上を向いたりと、それぞれに思いを馳せた。
「いや、すまんすまん。楽しい席での言葉じゃなかったな。勘弁してくれ」
武蔵の言葉を遮るように、大広間のあちこちから「社長の責任じゃないですから」と、声が上がった。
期せずして「社長バンザイ! 富士商会バンザーイ!」と一斉に大合唱となった。

「実のところ今回の慰安旅行の発案は、加藤専務だ。
正直、俺は渋ったんだがな。しかし今は、みんなの笑顔を見ていると、大正解だったな。
とに角今夜は、思いっきり飲んで食べて、そして騒げ。
但し男どもは、程々にしておけよ。
どうせ、外に繰り出すだろうからな。
番頭に言ってあるから、楽しんで来い。
女性陣は、たらふく食べろ。新鮮な魚介類を、たっぷりと用意させてあるからな。
以上だ。みんな、ホントにご苦労さんだった」

思いもかけぬ武蔵の言葉に、五平は我が耳を疑った。
慰安旅行の発案は武蔵であるのに、五平の進言だと、はっきり告げられたのだ。
然も、渋る武蔵を説得したかの如き言葉に、社員全員の視線が五平に集まった。
武蔵に促されて、五平が立ち上がった折には、大広間が揺れるほどの拍手が沸きあがった。
「社長は、私の手柄の如くに言って下さったが、そんなことはない。
みんなの頑張りがあったから、こそだ。
社長は、利益を一人占めするような人じゃない。
頑張れば頑張っただけのことは、きっとしてくださる。
これからも一丸となって、社長に付いて行こうじゃないか。
と言うころで、乾杯しょう。かんぱーい!」

二十人近い芸者たち全員が、武蔵の意向もあり社員の輪の中に入っていた。
始めのうちこそ照れくさそうな表情をしていたのだが、次第に酔いが回るにつれて、飲めや歌えのドンちゃん騒ぎとなった。
そんな中、五平が武蔵の前に陣取った。
「社長! 死ぬまで、ご奉公しますぜ。今夜ほど、うれしいことはないです。
こんなどうしょうもない男に、あんなに気をつかっていただけけるとは。
惚れました、いや、惚れなおしました」
感涙に咽びながら、五平は武蔵に深々と頭を下げた。

「五平。止めろ、もう。頭を上げろ!」
「いや、頭を上げられません。涙が、止まらんのです。
こんな、みっともない顔、社長に見せるわけにはいかんのです」
「それじゃ、酒が飲めんだろうが。
いま思いついたんだが、どうだ、この床の間に徳利を並べてみんか。
徳利で、埋めつくそうじゃないか」
「そうですな、飲みあかしますか。どちらが先に飲みつぶれるか、一つ勝負しますか」


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