稲葉小僧としての罪状はおびただしい。
武家屋敷の後に、
寺院・町家へと矛先は移った。
ありとあらゆる物を、
片っ端から盗んだ。
箪笥の錠前をこじ開け、
金子・腰物・小道具類・衣類・反物等と、
手当たり次第であった。
それら盗品を古道具屋へ売ったり、
質入れしたりした。
大量の盗品となった折には、
知人に預けることもあったらしい。
ご丁寧に、
上野山内の穴の中へ隠し置いたりもした。
そして大枚の金子で遊女・飯売女等を買い揚げ、
どんちゃん騒ぎを繰り返した。
そしてまた大博打を打ったりもして、
派手に使いまくった。
天保五年(1834年)九月、
こともあろうに、
徳川一橋家に忍び込み捕縛されてしまった。
吟味をしていく内に、
古道具屋・質屋・上野山内の穴よりの証拠品により、
今までの悪行が暴かれた。
小塚原での処刑は、
同年十月であった。
武家屋敷の後に、
寺院・町家へと矛先は移った。
ありとあらゆる物を、
片っ端から盗んだ。
箪笥の錠前をこじ開け、
金子・腰物・小道具類・衣類・反物等と、
手当たり次第であった。
それら盗品を古道具屋へ売ったり、
質入れしたりした。
大量の盗品となった折には、
知人に預けることもあったらしい。
ご丁寧に、
上野山内の穴の中へ隠し置いたりもした。
そして大枚の金子で遊女・飯売女等を買い揚げ、
どんちゃん騒ぎを繰り返した。
そしてまた大博打を打ったりもして、
派手に使いまくった。
天保五年(1834年)九月、
こともあろうに、
徳川一橋家に忍び込み捕縛されてしまった。
吟味をしていく内に、
古道具屋・質屋・上野山内の穴よりの証拠品により、
今までの悪行が暴かれた。
小塚原での処刑は、
同年十月であった。
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