昭和の恋物語り

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長編恋愛小説 ~水たまりの中の青空・第一部~(一) 

2014-09-06 13:25:21 | 小説
(六)

誰一人として居ない長椅子に腰を下ろすと、漫然とテレビの中の漫才師を見つめた。
ドタバタと走り回る相方に対し、あれこれと注文を付けている男。
令嬢に振り回されている彼が、そこにいた。そのひと言々々に、観客が笑い転げている。

“他人から見ると、滑稽に映っていることだろうな”
ポツリと呟いた。
“こんな時、親父が生きていてくれたら…”
思わず頭に浮かんだその言葉に、彼は深いため息をついた。

中に戻ると、麗子は居なかった。
言いしれぬ不安にかられつつ、さながら母親を捜す子供のように、キョロキョロと辺りを見回した。
そして、すぐ近くの最後列に座っている麗子を見つけた時、彼は体中の力が抜けるように思えた。
「トイレ?」
小さく、麗子の声が届いた。
「はい」
彼も又、小さくそして消え入るように答えた。

彼の目が、麗子の手に動く。と、無情にも膝の上で固く握りしめられていた。
“あの時手を握っていれば”と、何度も己の意気地の無さを責めた。
チラリと銀幕に目をやると、激しいキスシーンだった。
思わず彼は、目を伏せた。気恥ずかしさが彼の耳までをも熱くした。
愛し合いながらも別れる、そんな二人の自然の行為なのだが、彼には赤面ものだった。

麗子は、食い入るように銀幕を見つめている。
その目はキラキラと輝いている。
そして麗子の右手が髪をかき上げた時、甘い香りが彼の鼻孔をくすぐった。
左手といえば、心なしか彼の方に近づいているように思えた。

彼は目を閉じると、思い切ってその手の上に彼の手を乗せた。
細い指だった、冷たい感触だった。
しかし、彼のほとばしる熱情を消すものではなかった。
彼はそっと、しかし強く握りしめた。
麗子の手がクルリと返り、彼の指にその指が絡まってきた。
ドクンドクン。彼の鼓動は急激に早まり、頭の中が真っ白になった。



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