長編恋愛小説 ～水たまりの中の青空・第一部～ （十二） キスして！

「タケシさん、キスして！」
毅然とした声だった。意を決しての、言葉だった。
由香里にしてみれば、約束手形のようなものだった。
今はまだ、彼に抱かれるだけの勇気はない。
しかし、"初体験は、彼で"という思いを強くした。

思いも寄らぬ、いや予感めいたものがあったような気がする彼だった。
瞬く星空の下で大観覧車に乗りたいと言いだした由香里に、何かしらの予感を抱いたような気がする。
「だめだよ、由香里ちゃん」
喉にひりつきを感じながら、彼は答えた。

しかし、人を射るような眼差しの由香里だった。
彼は沸き起こる気持ちを必死に抑えた。
ゆっくりと由香里の目が閉じられ、あごを上げる由香里だった。
閉じられた唇が、微かに震えている。
初めてのことであることを、それが雄弁に物語っていた。

「わかった」
彼は短く答えると、そっと由香里のおでこにキスをした。
「嫌！　キチンと、口にして。子供じゃないわ、由香里は」
目を閉じたまま、由香里はキッパリと言った。

彼の脳裏に、由香里の両親が浮かんだ。
〝信頼を裏切っちゃ、だめだ。由香里ちゃんにしても、ムードに酔っているだけだ〟
彼は、己を必死に抑え付けた。

「それじゃ、こうしょう。受験に合格したら、にしょう。
ねっ、約束だ。その時でも、由香里ちゃんの気持ちが変わらなかったら、その時には」
「わかった。そうする。タケシさん、約束よ。きっと、よ」
不満げな表情の中に、安堵感もまた混じっている。
眉を八の字に寄せて、口を尖らせている。
そして目が〝ありがとう〟と告げていた。