長編恋愛小説 ～水たまりの中の青空・第一部～ （十） 激しい独占欲に、かられたことはない。

牧子にしても、思いもかけぬ言葉だった。
彼とのことは、一夜限りのことにするつもりだった。
浮気を清算した後に押し寄せた虚脱感が、狂おしいまでに孤独感を生じさせた。
これから過ごさねばならぬ日々を思うと、思わず涙していた。

“いっそ、彼の元に戻ろうか。愛人でもいい、彼のエゴを受け入れようか…”
そう、思わぬ訳でもなかった。
そんな千々に乱れた思いを払拭したのが、彼だった。

玄関先に佇んでいる彼を見た時、胸の奥底が痛んだ牧子だった。
そしてその思いは、朝の目覚めの時により強くなった。
牧子の横で眠る彼を見た時、愛おしさをより強く感じた。

中田は、決して外泊することはなかった。
ベッドに牧子を残したまま、無言のまま去った。
" あの男性には、家庭があるのよ"
そう言い聞かせつつも、牧子の心の中に生じるわだかまりの心は消えなかった。

「一泊旅行をしてみたいわ」
「馬鹿を言いなさい! 」
牧子の冗談混じりの言葉に、真顔で叱り付ける中田だった。

彼の牧子のアパート通いは、ほゞ 毎日のものになった。
バイトの日ですら、牧子のアパートに寄ってから己のアパートに戻っていた。
牧子にしても“ボクちゃんが待っている”という思いから、それまで日課となっていたウィンドウショッピングやら散策を、一切やめた。

今日も今日とて定時になるや否や、脱兎の如くに駆け出した。
と、牧子を同僚が追いかけて来た。
「山村さん、山村さん。今日、残業をお願いしますよ。明日九時に、上げなくちゃいかんのです」
ハアハアと息を切らす同僚に、
「ごめんなさい。今日はだめなの。明日早出して、やりますから。
机の上に置いといてください。ほんと、ごめんなさい」
呆気に取られる同僚を後目に、牧子は拝むようなポーズを取りながら駆け出した。

大学への提出物があった為、牧子が帰った時には彼は居なかった。
＝ごめんなさい。今夜はアパートで、レポート作成します。　　　武士＝
ひと晩会えぬだけでこれ程に狂おしくなるとは、思いもかけぬことだった。
そしてあろうことか、中田には抑えに抑えていた感情が、どっと溢れ出た。
“御手洗武士は、わたしのものよ！”
彼の通う大学の構内で叫びたい衝動にかられる、牧子だった。
これ程の激しい独占欲に、かられたことはない。

“だめよ、だめよ。わたしの方が年上なんだから、分別を持たなくちゃだめよ”
必死の思いで、己に言い聞かせる牧子だった。