昭和の恋物語り

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出雲大社参詣記 12月30日 (二十三) 因幡の白兎

2015-03-14 12:29:47 | お出かけ
参道を歩いて行くと、とにかくウサギの彫像があちこちにあるんです。



おおっと、大きな彫像です。
大きな袋を背にして、ウサギに話しかけられているところを見ると、まさしく大国主神(おおくにぬしのみこと)さまですね。



はい。ではでは、お勉強を。
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大国主(おおくにぬし)は、『古事記』『日本書紀』に登場する日本神話の神である。
国津神の代表的な神だが、天孫降臨で天津神に国土を献上したことから「国譲りの神」とも呼ばれる。
出雲大社の祭神。

[神話における記述]

『日本書紀』本文によるとスサノオの息子。
また『古事記』、『日本書紀』の一書や『新撰姓氏録』によると、スサノオの六世の孫、また『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。

スサノオの後にスクナビコナと協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、葦原中国の国作りを完成させる。
だが、高天原からの使者に国譲りを要請され、幽冥界の主、幽事の主催者となった。

国譲りの際に「富足る天の御巣の如き」大きな宮殿(出雲大社)を建てて欲しいと条件を出したことに天津神が約束したことにより、このときの名を杵築大神ともいう。

大国主を扱った話として、因幡の白兎の話、根の国訪問の話、ヌナカワヒメへの妻問いの話が『古事記』に、国作り、国譲り等の神話が『古事記』・『日本書紀』に記載されている。『出雲国風土記』においても多くの説話に登場し、例えば意宇郡母里郷(現在の島根県安来市)の条には「越八口」を大穴持命が平定し、その帰りに国譲りの宣言をしたという説話がある。

[信仰]

国造りの神、農業神、商業神、医療神などとして信仰される。
縁結びの神としても知られるが、なぜ縁結びの神とされるのかについては諸説があり、大国主命が須勢理毘売命を始めとする多数の女神と結ばれたことによるといった俗説が一般的であるが、神社側は
「祭神が幽世の神事の主催神となられ、人間関係の縁のみならず、この世のいっさいの縁を統率なさっている」
として、男女の縁のみならず、広く人と人との根本的な縁を結ぶ神であるとしている。

他にも、元々この信仰そのものが古くにはないものであり、民間信仰としての俗説が広まったためだとする説や、古くは因幡の白兎、迫害からの蘇生、死後の幽界の主催神へ、といった神話から呪術神としての性格を持ち合わせていたことから、これが転化したのではないかとする説もある。

この他にも、中世には武士や刀鍛冶などから武神、軍神としても広く信仰されていた。
記紀神話には直接的な武威の表現は見られないが、武を象徴する別名があることや、スサノオの元から手にした太刀や弓を用い国を広く平定したことなどから、そうした信仰になったと考えられる。
このため武士政権が崩壊した明治以降現在も、武術家や武道家などから信仰されている。

また江戸期には全国的な民間信仰の広まりにより、「大国」はダイコクとも読めることから同じ音である大黒天(大黒様)と習合していき、子のコトシロヌシがえびすに習合していることから、大黒様とえびすは親子と言われるようになった。
このため比較的歴史の浅い神社などでは、大黒天が境内に祀られていることが多い。

また前述の呪術的、あるいは武力的な神格を用いて、所出不明の神などが祀られていた神社などの祭神に勧誘される場合も多く散見される。
小さな集落などでは時に氏子などが断絶するなどで廃社となった神社もあり、こうした場合に本来の祭神が誰なのか不明となることが多く、こうした神社を復興させる際に本来祀られていた神の祟りなどを鎮めるといった意味合いから、こうした神格を持つ大国主命が配されることがある。

[因幡の白兎]

この説話は、「大国主の国づくり」の前に、なぜ他の兄弟神をさしおいて大国主が国を持ったかを説明する一連の話の一部である。

大穴牟遲神(おおむなぢのかみ=大国主神のこと)の兄弟(八十神)たちは、稲羽の八神上売(やがみひめ)に求婚したいと思ったため、国を大国主に譲ってしまった。
稲羽(いなば)に出掛けた時、八十神は大穴牟遲神(おおむなぢのかみ)に袋を持たせ、従者のように引き連れた。

「気多(けた)の前」に来たとき、裸の兎(あかはだのうさぎ)が伏せっていた。
兎は、八十神に「海塩を浴び、山の頂で、強い風と日光にあたって、横になっていることだ」と教えられた通りに伏せていたが、海塩が乾くにつれ、体中の皮がことごとく裂けてきて、痛みに苦しんで泣いていると、最後に現れた大穴牟遲神が「なぜ泣いているの」と聞いた。

菟は
「私は隠岐の島からこの地に渡ろうと思ったが、渡る手段がありませんでした。
そこで、ワニザメ(和邇)を欺いて、『私とあなたたち一族とを比べて、どちらが同族が多いか数えよう。
できるだけ同族を集めてきて、この島から気多の前まで並んでおくれ。
私がその上を踏んで走りながら数えて渡ろう』と誘いました。
すると、欺かれてワニザメは列をなし、私はその上を踏んで数えるふりをしながら渡ってきて、今にも地に下りようとしたときに、私は『お前たちは欺されたのさ』と言いました。
すると最後のワニザメは、たちまち私を捕えてすっかり毛を剥いでしまいました。
それを泣き憂いていたところ、先に行った八十神たちが『海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい』と教えたので、そうしたところ、この身はたちまち傷ついてしまったのです」
といった。

そこで、大穴牟遲神が兎に
「今すぐ水門へ行き、真水で体を洗い、その水門の蒲(がま)の穂をとって敷き散らして、その上を転がって花粉をつければ、膚はもとのように戻り、必ず癒えるだろう」
と教えたので、そうすると、その体は回復した。

これが、稲羽の素兎(しろうさぎ)である。
その兎は「八十神は八上比賣(やがみひめ)を絶対に得ることはできません」と大穴牟遲神に言った。
そのとおり、八上比賣(やがみひめ)は八十神に「あなたたちの言うことは聞かない」とはねつけ、大穴牟遲神に「袋を背負われるあなた様が、私を自分のものにしてください」と言ったため、今では兎神とされる。
------------Wikipedia より

この他にも神話がありまして、結構面白い説話となっています。
是非にも、読まれることをお勧めします。
Wikipedia で、「大国主」を検索してください。


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