昭和の恋物語り

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長編恋愛小説 ~ふたまわり・第二部~(四十一)の三と四

2012-07-21 23:07:36 | 小説

(三)

奥さま、という心地良い響きが、小夜子の胸をざわつかせる。

“ち、違うわよ。武蔵の妻だからじゃないわ。

言葉の響きに、対してのものよ。

そ、そうよ。武蔵の妻だからじゃないわ。”

「奥さま、奥さま。」

頬をぽっと赤らめる小夜子に、
「ご新婚なんですね。お幸せそうで、羨しいわ。」
と、からめ手からの話に切り換えた。

新婚? 式は挙げていない。

もちろん入籍もしていない。

ただ、同居をしている。

いやその前に、小夜子は妻となることを拒否している。

あくまで正三の妻となり、アーシアと世界を旅するのだから。

「こんにちわ。ちょっと早かったかしら?」

にこやかに微笑みながら、四十半ばの女だが入ってきた。

「いらっしゃいませ。少し待ってくださいね。」

女は待合い用の椅子に腰掛け、
「あぁ、いいわよ。
ヒマな身だから、いつまでも、なんだったら、夜まででも待ちますわよ。」
と、快活に笑う。

思わず吹き出す小夜子に、
「あら!どこかで会ったかしら?」
と、鏡の中の小夜子に目をとめた。

「また始まったわ、松子さんの会った病が。」

「うーん……、違うかなぁ……
勘違いかな?

ごめんなさいね。

ところでさ、千夜子さん。

奈美ちやん、アナ何とかって言うモデルのファンだったわね?」

「アナスターシアのこと?」

「そうそう、そのモデルさんよ。」



(四)

思いもかけぬ名が耳に入り、思わず聞き耳を立てる小夜子だった。

「デパート勤めの娘によるとね、どうも亡くなったらしいわ。

詳しいことはね、教えてくれないのよ。

口止めされてるってことで、口がほんと重いのよね。」

「小夜子さん、どうされました?

パーマ液に酔われましたかしら。

大丈夫ですか?」

「ほんと。すごく顔色が悪いけど、大丈夫?」

みるみる顔が青ざめ、わなわなと手が震える小夜子が鏡の中にいた。

「うそよ、うそよ、アーシアが死んだなんて。

うそよ、大うそよ!

迎えに来てくれるんだから、きっと来てくれるんだから。」

まるで抑揚のない念仏のように呟く小夜子だった。

「あっ!」

素頓狂な声が店に響いた。

「思い出した! あなた、さよこさんでしょ。

この人よ。ロシアのモデルさんと一緒だった、日本の女性は。」

「ほんとなの? まぁ、すごい偶然ね。」

ふたりがかまびすしく話す中、小夜子は相も変わらず呟き続けている。

「うそよ、うそよ、アーシアが死んだなんて。

うそよ、大うそよ!」

「さよこさん。あなた、さよこさんよね。大丈夫?」

「行かなきゃ、行かなきゃ。アーシアが淋しがってるわ。」

突然立ち上がった小夜子は、夢遊病者のようにふらふらと店を出ようとする。

「ち、ちょっと。危ないわ、そんな状態じゃ。あぁどうしょう。」

「ご家族に連絡を入れたら?」

「ご家族と言われても…。そうだわ!

さっき貰ったメモに、会社の電話番号が……すぐかけてみるわ。」

「さよこさん! ちょっと待って! 迎えに来てもらいますからね。」

外に出ようとする小夜子を、松子が必死の力で押し止めた。

「そうなんです、心ここにあらず、といった感じなんです。

すぐ来て頂けますか?

はい、看板は出しております。

電柱に矢印がありますから、それを見落とさないようお願いします。

それじゃ、ごめんくださいませ。」


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