それは、とてもつめたいあさでした。
わたしはつかれのとれたからだをこずえからおこし、大きくせのびをしました。
そらはどこまでもすんでいて、たったひとつのしろいくもがなかまをさがしてただよっています。
わたしとおなじです。
もうよめいのないことにきづいているわたしには、それがさびしくもおもえ、またそれがおおしくもみえたのです。
わたしはけっしんしました、いくべきみちをみつけました。
おおきくはばたき、まっさおなそらにとびこみました。
みにあたるかぜはつよくひもじさもてつだって、わたしのこころはふだんのれいせいさをうしなっていました。
どんなささいなことにもいらだつ、そんなしんきょうでした。
ですから、まっさおなそらをすがすがしくとんでいるときでさえ、しろいくものおおしいすがたをみたときでも、すなおによろこべませんでした。
くうきもまじりけのない、とてもきれいなものでした。
なんどおおきくすっても、にごりのないきれいなくうきでした。
なのに、にんげんというものはなんとごうまんでほうまんなのでしょう。
じぶんたちのりえきのためだけに、このまっさおなそらに、くろいばいえんをまきちらしているのです。
なんともけいようしにくいにおいが、おおきなぼうせきこうじょうからたちのぼっています。
いつものわたしなら、そこではたらいているしょっこうさんたちのあいだをとびかってたのいシンフォニーをかなるのですが、きょうばかりはそんなきもちにどうしてもなれません。
それどころか、そんなしょっこうさんたちにもすこしのけんおかんをかんじました。
かのじょたちのせきにんではないのですが。
くうきのよごれにたえきれず、かたわらのじゅもくのえだにまいおりました。
そしてあさぎりののこったむぎほのかおりにつつまれながら、はねをやすめることにしました。
どれほどやすんだでしょうか? いつのまにかねむていました。
こんなことははじめてです、ひがたかくなりはじめてのときにねむってしまうとは。
きがつくと、もうあたりにはゆうぐれがせまっていました。
いまからねどこをつくるのはむりです。
おしよせるさむさからはにげきれません。
わたしはいそいでもとのすへかえることにしました。
そらはまっかでした。
あたりいちめん、あかいんくをこぼしたようでした。
おひさまがやまのむこうにみえかくれし「おやすみ!」と、わたしにかたりかけています。
わたしも「おやすみ!」とこえをかえしつつ、とびつづけました。
すると、そのおひさまにむかって「おやすみなさい」と、こえをかけているかげがありました。
よくみるとなみだをこぼしています。
このはもたいはんがおちてしまったじゅもくのかたわらで、あかぎれのひどいてで目をこすりなみだをふいています。
どうやらさっきのぼうせきこうじょうのしょっこうさんのようです。
このしょっこうさんにはけんおかんをかんじません。
そのしょっこうさんのなみだが、わたしのおもくるしいきもちをあらいながしてくれたようです。
おもわずそのえだにとまり、そのしょっこうさんにはなしかけました。
「なにがそんなにかなしくてないてるの?」
しょっこうさんはおおきな目をぱちくりさせて、わたしにこういいます。
「ツバメさん、あなたはいいわねえ。いつもそらをじゆうにとべて」
わたしはおもいだしました。
そのしょっこうさんのうるんだ目のなかに、あの仔牛さんのものかなしげな目を。
だいのなかよしのセバスチャンのびょうきをなおすために、とさつじょうにうられていった仔牛さんのことを。
「どうしたの、なにかつらいことがあったの? わたしにきかせてくださいな」
「あたいはね、ねんしのしごとをしているの。まいにちまいにちいとをよっているの。
ううーん、しごとがつらいんじゃないの。
ひんなにあかぎれがひどくなったけれど、そんなことじゃないの。
みんながあたいのことを『いなかむすめ』っていじめるの。
いっしょうけんめいにはたらけばはたらくほど、みんなにいじめられるの。
しゅにんさんはあたいをかばってくれるんだけど、それがおもしろくないって、またいじめられるの」
「そう、それはひどいわね。でも、あなたがわるいんじゃない」
「みんなとなかよくしたいのに、なかまはずれにされるのって……」
「そう、それがかなしくてないてたの。
でも、あのおひさまをごらんなさい。
いつもたったひとりでかがやいてらっしゃるわ。
まじめにはたらいているあなたに、たくさんのひかりをあたえてくだったてるじゃないの」
「でもあたいだけじゃないわ。
ちっともはたらかないひとたちにだって……。そんなの、おかしいわ」
「おひさまは、そんなのとっくにごぞんじよ。
でも、いつもはやおきしてるあなたのほうが、たっくさんのひかりをいただいているでしょ。
ほかのひとたちはいつもすこししかひかりをもらえていないのよ」
「でも、もういじめられるのは、いや!」
「こうおもうのよ、わたしは。『かわいそうに、このひとはおひさまのこころをしらないんだわ』
おひさまのあたたかいひかりをすこししかもらえないひとはかわいそうよ。
ねっ、そうおもえばはらもたたなくなるわよ」
わたしはひっしに、しょっこうさんをなぐさめました。
ちいさなはねをこれいじょうはないというぐらいこうそくではばたいて、なんとかわたしのおもいをとどけました。
「ふーん、そうね、そうだわね。いじめられても、おひさまはあたいのみかただもんね。
みんながおひさまにかんしゃのきもちをもてるようになるといいわね。
ツバメさん、ありがとう。あたい、かえるわ」
しょっこうさんはあかるいえがおをわたしにむけながらかえっていきました。
やまのかげにかくれてしまったおひさまも、まんぞくそうにほほえんでいらっしゃるでしょう。
わたしはつかれのとれたからだをこずえからおこし、大きくせのびをしました。
そらはどこまでもすんでいて、たったひとつのしろいくもがなかまをさがしてただよっています。
わたしとおなじです。
もうよめいのないことにきづいているわたしには、それがさびしくもおもえ、またそれがおおしくもみえたのです。
わたしはけっしんしました、いくべきみちをみつけました。
おおきくはばたき、まっさおなそらにとびこみました。
みにあたるかぜはつよくひもじさもてつだって、わたしのこころはふだんのれいせいさをうしなっていました。
どんなささいなことにもいらだつ、そんなしんきょうでした。
ですから、まっさおなそらをすがすがしくとんでいるときでさえ、しろいくものおおしいすがたをみたときでも、すなおによろこべませんでした。
くうきもまじりけのない、とてもきれいなものでした。
なんどおおきくすっても、にごりのないきれいなくうきでした。
なのに、にんげんというものはなんとごうまんでほうまんなのでしょう。
じぶんたちのりえきのためだけに、このまっさおなそらに、くろいばいえんをまきちらしているのです。
なんともけいようしにくいにおいが、おおきなぼうせきこうじょうからたちのぼっています。
いつものわたしなら、そこではたらいているしょっこうさんたちのあいだをとびかってたのいシンフォニーをかなるのですが、きょうばかりはそんなきもちにどうしてもなれません。
それどころか、そんなしょっこうさんたちにもすこしのけんおかんをかんじました。
かのじょたちのせきにんではないのですが。
くうきのよごれにたえきれず、かたわらのじゅもくのえだにまいおりました。
そしてあさぎりののこったむぎほのかおりにつつまれながら、はねをやすめることにしました。
どれほどやすんだでしょうか? いつのまにかねむていました。
こんなことははじめてです、ひがたかくなりはじめてのときにねむってしまうとは。
きがつくと、もうあたりにはゆうぐれがせまっていました。
いまからねどこをつくるのはむりです。
おしよせるさむさからはにげきれません。
わたしはいそいでもとのすへかえることにしました。
そらはまっかでした。
あたりいちめん、あかいんくをこぼしたようでした。
おひさまがやまのむこうにみえかくれし「おやすみ!」と、わたしにかたりかけています。
わたしも「おやすみ!」とこえをかえしつつ、とびつづけました。
すると、そのおひさまにむかって「おやすみなさい」と、こえをかけているかげがありました。
よくみるとなみだをこぼしています。
このはもたいはんがおちてしまったじゅもくのかたわらで、あかぎれのひどいてで目をこすりなみだをふいています。
どうやらさっきのぼうせきこうじょうのしょっこうさんのようです。
このしょっこうさんにはけんおかんをかんじません。
そのしょっこうさんのなみだが、わたしのおもくるしいきもちをあらいながしてくれたようです。
おもわずそのえだにとまり、そのしょっこうさんにはなしかけました。
「なにがそんなにかなしくてないてるの?」
しょっこうさんはおおきな目をぱちくりさせて、わたしにこういいます。
「ツバメさん、あなたはいいわねえ。いつもそらをじゆうにとべて」
わたしはおもいだしました。
そのしょっこうさんのうるんだ目のなかに、あの仔牛さんのものかなしげな目を。
だいのなかよしのセバスチャンのびょうきをなおすために、とさつじょうにうられていった仔牛さんのことを。
「どうしたの、なにかつらいことがあったの? わたしにきかせてくださいな」
「あたいはね、ねんしのしごとをしているの。まいにちまいにちいとをよっているの。
ううーん、しごとがつらいんじゃないの。
ひんなにあかぎれがひどくなったけれど、そんなことじゃないの。
みんながあたいのことを『いなかむすめ』っていじめるの。
いっしょうけんめいにはたらけばはたらくほど、みんなにいじめられるの。
しゅにんさんはあたいをかばってくれるんだけど、それがおもしろくないって、またいじめられるの」
「そう、それはひどいわね。でも、あなたがわるいんじゃない」
「みんなとなかよくしたいのに、なかまはずれにされるのって……」
「そう、それがかなしくてないてたの。
でも、あのおひさまをごらんなさい。
いつもたったひとりでかがやいてらっしゃるわ。
まじめにはたらいているあなたに、たくさんのひかりをあたえてくだったてるじゃないの」
「でもあたいだけじゃないわ。
ちっともはたらかないひとたちにだって……。そんなの、おかしいわ」
「おひさまは、そんなのとっくにごぞんじよ。
でも、いつもはやおきしてるあなたのほうが、たっくさんのひかりをいただいているでしょ。
ほかのひとたちはいつもすこししかひかりをもらえていないのよ」
「でも、もういじめられるのは、いや!」
「こうおもうのよ、わたしは。『かわいそうに、このひとはおひさまのこころをしらないんだわ』
おひさまのあたたかいひかりをすこししかもらえないひとはかわいそうよ。
ねっ、そうおもえばはらもたたなくなるわよ」
わたしはひっしに、しょっこうさんをなぐさめました。
ちいさなはねをこれいじょうはないというぐらいこうそくではばたいて、なんとかわたしのおもいをとどけました。
「ふーん、そうね、そうだわね。いじめられても、おひさまはあたいのみかただもんね。
みんながおひさまにかんしゃのきもちをもてるようになるといいわね。
ツバメさん、ありがとう。あたい、かえるわ」
しょっこうさんはあかるいえがおをわたしにむけながらかえっていきました。
やまのかげにかくれてしまったおひさまも、まんぞくそうにほほえんでいらっしゃるでしょう。
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