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人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

初めてのクラシック・コンサートのチケット発掘!~大掃除の成果

2012年07月06日 07時03分00秒 | 日記

6日(金)。昨夕,仕事の打ち合わせでE部長,S元監査役,N監査役と地下の焼き鳥Oで飲みました本当は上野でコンサートを聴く予定があったのですが,E部長に”今日しかない”と押し切られ,気の弱い私はチケット代を犠牲にして涙を飲んでお酒を飲む決意をしました ところが,ふと翌日(今日)の予定を頭に浮かべると,健康診断の2次検査があることを思い出しました 今さら決意を撤回するわけにもいかないので,最初の1杯だけ生ビールを飲んで,あとはウーロン茶でしのぐことにしました

周りの連中はウーロン茶のお代わりをするたびに「健康診断は普段の生活を診てもらうのが正道だ 今さらジタバタしない方がいいい」,「10年後に健康であることを考えるより,今日の幸せを考えた方がいい」,「明日の朝,健保にキャンセルの電話をしておいてあげるから,遠慮なく飲んで」「っちゅうことで」と,金融先物取引の営業担当者のように,ありとあらゆる誘いの言葉をかけてきて,何とか自分たちの仲間に引き入れようと無駄な努力をしましたが,私は頑としてこれを受け付けず,10年後にもコンサートに通える健康を考えて,ひたすらウーロン茶を飲み続けました ぼくってエライ?

話の途中,N監査役が「ブログでE部長とかS元監査役とかイニシャルで書いているが,このビルに勤めている人なら誰でも,E部長が誰かが特定できてしまう アフター・ファイブは同じ人間が毎日のように飲み屋でつるんで飲んでいるように思われるのは心外だ 少なくとも人物が特定できないようにX,Y,Zとか別のイニシャルを使うべきではないか」と主張しました.これにはE部長もS元監査役も「そうだ,そうだ」と同調していました.それなら,というので「X部長,Y元監査役,Z監査役ってなるけど,いいの?」と言うと,「やっぱり特定できちゃうじゃん」ということになりました.「飲んだ日のことは書かないのが最善の道」というのが3人の共通の結論ですが,私の表現の自由を奪わないでください.悪いようにはしないから

ところで,飲んでいる最中,E部長が席を外したかと思ったら,近くの飯野ビルの某店で飲んでいたS協会のH君とT君に「よそのビルで飲んでないで,自分のところのビルで飲め」と半分脅したらしく,2人が恐る恐るやってきました.そうかと思うと,またE部長が居なくなり,N医師を呼んできて,さらにW調剤薬局のW夫妻も呼び込んで,そこに店のO社長が加わって総勢10人の大所帯に膨れ上がりました こうなると収拾がつきません.あっちとこっちで違う話をしています E部長はわが社の総務部長ですが,皆さんご存知のように,実質的な営業部長でもあり,ビルの飲食店舗の営業部長でもあります しかしながら,どこのビルでも地下街の飲食店舗の活性化に腐心している中で,お店の従業員でもないE部長が孤軍奮闘して半ば強制的に客を引き入れようとしても,思ったようにお客が入らないのが悩みの種です PCビルのテナント従業員の皆さん,地下のKが撤退したあと,残った2店のOとRでたまには焼き鳥をつまみに生ビールを飲みましょう 現在,自費で飲めるキャンペーン実施中です・・・・・・いつもと同じじゃないか・・・・・・

結局,私はビールを1杯飲み,そのあとはウーロン茶を7杯飲んで,一人だけシラフで,並み居る酔っぱらい相手に10時過ぎまで話し込んでいたことになります あ~,やだやだ,こんな生活 通販生活・・・・・あ,違うか

 

  閑話休題  

 

どういう風の吹き回しか,娘が突然部屋中の大掃除を初めて3日目になります 今まで部屋そのものがごみ箱と化していたのに比べ,見る見る整理整頓されて,いらない物がいかに多かったか自覚したようです

そうした整理整頓のおかげで,私の”宝物”が発掘されました.一つは高校3年の時の身分証明書です.埼玉県立T高校普通科第41年度生とあります.昭和41年4月入学ということですね.当たり前ですが,写真が高校生です

 

                         

 

もう一つは切手帳です.「切手集」と亡き父の字で書かれていて,父親の名前の隣に私の名前が書き足されています.つづれ織りの切手帳で,片面に父親が集めたと思われる菊のマークが配された日本の切手や諸外国の切手が貼られており,裏面に私が集めた1964年の東京オリンピックの記念切手(国内と外国)が貼られています 切手の脇には「日本武道館」とか「国立競技場」とか、競技の舞台となった建物の名前が私の字で書かれています.書いたことはまったく覚えていません

 

                           

 

           

           

           

                  

         

さて,最後は私がクラシック音楽を聴き始めた頃のコンサートのチケットを張り付けた手帳です たしか京都で買ったはずの和紙の表紙の手帳です.裏表紙に1971年12月~1983年6月と書かれています.この時期は大学2年生から就職して9年目までの期間に相当します.この間110回コンサートに行っています.11年半で110回ですから1年に10回程度のペースですね

お金を払って生まれて初めて行ったクラシック・コンサートは1971年(昭和46年)12月22日,新宿厚生年金会館で開かれた「読売日響名曲シリーズ第69回」で,プログラムはベートーヴェンの「交響曲第9番”合唱付き”」でした 指揮は若杉弘,独唱は伊藤京子,長野羊奈子,五十嵐喜芳,栗林義信といったメンバー.座席は1階B-37とあります

このコンサートはよく覚えています.何せ初めてナマで聴くクラッシック・コンサートで,前から2列目の右端の席でした 第3楽章の後半部分で弦のピチカートがチェロ,ヴィオラ,第2ヴァイオリンから第1ヴァイオリンへと段々遠ざかっていって,また近づいてくるのが印象に残っています.大学2年生の時でした

 

          

 

チケット帳によると,この間に聴いた主な海外オーケストラ&オペラは,スタインバーク指揮ピッツバーク交響楽団(72年4月),オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(72年5月.初めて東京文化会館でコンサートを聴いた),ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(73年10月,78年4月×2回,81年7月),カール・ベーム指揮ウィーン・フィル(75年3月),英国ロイヤルオペラ(79年10月),カラヤン指揮ベルリン・フィル(79年10月),ショルティ指揮ロンドン・フィル(80年11月),アルゲリッチ+小澤征爾指揮新日本フィル(81年4月6日),アルゲリッチ・ピアノ・リサイタル(81年4月10日),ドレスデン国立歌劇場オペラ(81年6月),ジャン・ピエール・ランパル(81年9月),小澤征爾指揮ボストン交響楽団(81年11月),ロリン・マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団(82年2月),ベルリン・フィル八重奏団(82年3月)などです

チケットの脇には,当日のプログラムや,一緒に行った人の名前が書かれていて,1回1回のコンサートを懐かしく思い出します

          

           

                 (京都で買った和紙の表紙の手帳)

 

1983年7月以降のコンサート・チケットもどこかに保管してあるはずですが,手帳に貼った記憶がないので,袋にでも入って見えないところに隠れているのだと思います あらためて考えてみると、1971年からコンサートを聴いているということは,40年以上もナマ演奏を聴いてきたということですね.

手帳に書いた記録によると、2004年1月から2011年12月まで合計1482回,2012年1月から同年7月1日まで92回コンサートに行っています.これに1971年12月から1983年6月までの110回を足して、1983年7月から2003年12月までの約20年間の記録を足せばトータルの回数が出るわけですが、手帳かチケットを探し出さなければなりません。そんな暇があったらコンサートに行っているしなあ・・・・・・

 

           

             (上が私の人生観を変えたアルゲリッチのピアノによる

             ラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」のコンサート・チケット)

 

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