22日(土)。昨日のブログ(ハンブルクトリオによるメンデルスゾーン『ピアノ三重奏曲全曲演奏会』)の中で、音楽評論家の奥田佳通氏が 名前を名乗らず挨拶と曲目解説をしたことについて、「名前を名乗ってから あいさつすべきではないか」という旨を書いたところ、ご本人からコメントをいただきました 「指摘の通りであり 反省している。以後気を付けたい」という旨の内容ですが、まさか高名な音楽評論家・奥田佳通さん本人からコメントをいただけるとは思ってもみなかったのでビックリしました
それと同時に、単なる音楽好きの素人の意見に真摯に向き合ってくださった奥田さんの人柄に感激しました
音楽評論家の中には、専門的な用語を多用して簡単なことを難しく表現して素人を惑わしたり、文学的な表現にこだわって ひとり悦に入ったり、あまりにも抽象的で何を言っているのかさっぱり分からないといった人が少なくありません その点 奥田さんの解説は、昨日のブログでも若干触れましたが、素人の私にも分かり易く、聴く側の立場に立って書かれていることが分かります
コンサートのプログラム冊子や音楽関係の雑誌などに奥田佳通さんが書かれた曲目解説やコンサート評をお読みになれば、私の言っていることが分かっていただけると思います
ということで、わが家に来てから今日で1451日目を迎え、文部科学省の戸谷一夫事務次官と高橋道和初等中等教育局長が21日、一連の贈収賄事件の責任を取って辞任した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
教育を司る役所のトップが贈収賄やってるんじゃ 子供たちに説明がつかないぜ
昨日、夕食に「なすと豚ひき肉のマーボー蒸し」と「小松菜と厚揚げのナムル」を作りました 「なす~」は小田真規子先生、「小松菜~」は本多京子先生のレシピです
「なす~」は完成してから失敗に気が付きました。味噌を入れ忘れたのです
そこがミソなのに
ところで どうでもいいことですが、本多先生は十年以上前に 現在わが家が入居しているマンションに住んでいらっしゃいました
昨日の朝日朝刊 文化・文芸面に「指揮者とオケ 求めた親密さ ー サイモン・ラトルの美学」という記事が載っていました。超訳すると
「ベルリン・フィルの首席指揮者兼芸術監督を今年退任した指揮者サイモン・ラトルだが、退任の理由はなお憶測を呼んでいる そこには指揮者とオケとの関係性をめぐる彼なりの美学が潜んでいるようだ
ベルリン在任は2002年から今年6月までの16シーズン
昨シーズンから音楽監督に就任したロンドン交響楽団との違いをこう振り返る⇒『ベルリン・フィルは常に彼らの歴史について議論していて、歴史がその肩に非常に重くのしかかっている
それは素晴らしい重しだ。ロンドン交響楽団は常に先のこと、どこに向かうのかを議論している。考え方が違う
』。ベルリン在任中、演奏会のネット配信を始め、子どもたちの音楽教育にも力を入れた
カラヤン時代(1955~89年)を含め、ベートーヴェンやブラームス、ブルックナーなどドイツ音楽の伝統と重厚さで知られる楽団に 古楽器奏法や新たな解釈を取り入れ、違いを際立たせた
第1コンサートマスターの樫本大進は『今日のベルリン・フィルは、一つの決まった音ではなく、いろいろな色を持つ花束のような音になっている。カラヤン時代の音は素晴らしいが今、当時のように弾きたいかといえば、違う
』と語る。団員の強烈な個性を圧倒的なカリスマで統率したカラヤンとは時代が異なる。ラトルは『ベルリン・フィルは、いい意味で互いに激しく競い合い、わがままな集団です。ドイツ的というよりはカラヤンの影響だろう』と語る。これに対し、ロンドン交響楽団はラトル本来の方向性とも一致するようだ
『18世紀中期から昨日書かれた曲まで幅広く関心を持っている。様々な奏法を熟知しており、とても柔軟だ。素晴らしい奏者たちだが、競い合う関係ではない。互いの関係がより柔らかく、人間的だ
』と語る。指揮者とオケの関係性、あるいは音楽作りにおいて、彼が求めてきたのは、上下関係ではなく、民主的で親密な関係だ
だれの影響なのかについて聞くと、2人の対照的な指揮者を挙げた。専制君主的な指揮者として知られるトスカニーニと、ナチス支配の欧州から逃れ、主に米国で活動したブルーノ・ワルターだ。『私は常に、トスカニーニ型ではなくワルター型。楽団員の面倒見がいい指揮者の音楽を好む
』。どちらが”人間性を伴った芸術”(ラトル)を生み出すかは明らかだろう。退任後もベルリンに住み、ベルリン・フィルやベルリン国立歌劇場などに客演する。英国の欧州連合離脱との関係については『ベルリンに住み続けることは国民投票の前に家族会議で決めていた。ロンドンは素晴らしい場所だが非常に慌ただしい。音楽は人生に関するものだが、人生は音楽だけではない。いい決断だったと思う』と語る
」
この記事を読んで疑問に思ったのは、帝王カラヤンの後を継ぎ1990年にベルリン・フィルの首席指揮者に就任し、2002年にラトルにバトンタッチしたクラウディオ・アバド(1933‐2014)について、ラトルがひと言も言及していないことです アバドこそ、カラヤン的なカリスマ性を排し、オケとの民主的な関係性を求めた前任者だと思うからです
もっともインタビューの中でアバドの名前が出たものの、記事にする際に割愛したことも考えられます
どちらにしても、ベルリン・フィルにとって、いかにカラヤンという指揮者が後世に多大な影響を及ぼす大きな存在だったかということを再認識せざるを得ません
昨日、東銀座の東劇で「METライブビューイング アンコール2018」のプッチーニ「マノン・レスコー」を観ました これは2016年3月5日に米ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演されたオペラのライブ録画映像です
キャストは、マノン・レスコー=クリスティーヌ・オポライス、デ・グリュー=ロベルト・アラーニャ、レスコー=マッシモ・カヴァレッティ、ジェロント=ブリンドリ―・シェラット、管弦楽=メトロポリタン歌劇場管弦楽団、指揮=ファビオ・ルイージ、演出=リチャード・エアです
なお、デ・グリュー役は当初ヨナス・カウフマンが歌う予定でしたが健康上の理由から急きょアラーニャに変更になりました
舞台はフランス、アミアンのホテル前。奔放な性格のため修道院に入れられることになったマノンは、兄レスコーに連れられてホテルに着く。彼女に一目ぼれしたデ・グリューはもう一度会いたいと口説く しかし、銀行家のジェロントもマノンに目をつけ、馬車を用意させていた
その計画を察知したデ・グリューはマノンを誘い二人でパリに逃げる(以上第1幕)。
パリで暮らし始めた二人だが、間もなく金に困り、マノンはデ・グリューと別れてジェロントの愛人になっている。豪華なジェロントの屋敷で贅沢三昧の生活に飽きてきたマノンのところに、デ・グリューが現われる 最初は怒っていた彼だが、マノンの魅力に負けて抱き合う。そこに現れたジェロントは怒って警官を呼び、マノンを逮捕させる(以上第2幕)。
【間奏曲】
ル・アーブルの港。マノンは囚人としてアメリカに追放されることになった。兄レスコーとデ・グリューがマノンを救出しようとするがすべて失敗に終わる いよいよ出航の時、デ・グリューは船長に懇願し、マノンと一緒に乗船してアメリカに行く許可を得る(以上第3幕)。
ニューオーリンズの砂漠。水も食料も底をつき、二人は荒野を彷徨っている。マノンは病に冒され息も絶え絶えになっている 二人は運命を嘆き、お互いを思いやる。デ・グリューが水を探しに出かけたあと、一人残されたマノンは死を覚悟する。戻ってきたデ・グリューの腕に抱かれマノンは短い生涯を終える(以上第4幕)。
今マノン・レスコーを演じさせてクリスティーナ・オポライスほど相応しい歌手は他にいないかもしれません ただ歌が上手いだけではダメだし、容姿端麗でスタイルが良いだけでもダメだし、演技力が優れているだけでもダメです
常識を持った男を狂わせる魅力に満ちた「ファム・ファタール」でなければなりません
オポライスはマノンに求められるすべての条件を備えています
MET衣裳部によるセクシーなドレスがオポライスのファム・ファタールぶりに磨きをかけていました
驚くべきはデ・グリューを歌ったロベルト・アラーニャです 幕間のインタビューで「カウフマンが降板しMETのピーター・ゲルブ総裁から急きょ代演を頼まれた時、初めて歌う役だったので、2週間毎日12時間の練習を重ね リハーサルと本番に臨んだが、高音部をクリアしなければならない場面が多く喉を酷使してしまった
」と語っていました。インタビュアーから「これでプッチーニのオペラはすべて歌いましたね
」と賞賛されていましたが、初挑戦の役を2週間で仕上げる根性はまさにプロ中のプロです
しかも、彼の場合は常に全力投球なので観ている方も思わず感情移入してしまいます
レスコーを歌ったマッシモ・カヴァレッティも、ジェロントを歌ったブリンドリ―・シェラットも申し分のない歌唱力でしたが、オポライスとアラーニャの前では存在が霞んでしまいます
素晴らしかったのはファビオ・ルイージ指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団の演奏です 歌手にしっかりと寄り添い、第3幕への「間奏曲」では、このオペラの結末を物語るかのような悲しい旋律を奏でていました