16日(月)。娘がすごい勢いで断捨離していることはすでにブログに書きました 秋には玄関に娘の靴だけで9足も出ていて、さすがにキュウクツ(窮屈と9靴の掛詞です。ご理解いただけますか)だと文句を言っていたのが、今では1足だけです 断捨離の波は私にも及んできていて、近々大英断を下すことになります
靴で思い出しましたが、2日前の夕方、混雑する池袋駅の地下構内を歩いていたら通路に靴底が一つ落ちていました 「えっ、靴じゃなくて底だけ?」と2度見してしまいました 誰が落としていったのか分かりませんが、底だけ残して立ち去っていくとは相当器用な人だなと感心しました あまりにも shoeル だったので、記念に持ち帰ろうかと思いましたが、「すぐにアシがつく。ソコが問題だ」と思い直して立ち去りました 師走の池袋は何に遭遇するか予測不能です
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宮城県白石市に単身赴任している息子からお歳暮としてシャインマスカットが送られてきました🍇 地元には名産品がないのか、元の赴任先・山形県鶴岡市のお店から送ってくれたようです さっそくお礼のメールを送信しておきました
ということで、わが家に来てから今日で3625日目を迎え、CNNは13日、「トランプ氏、安倍昭恵氏と15日に非公式の夕食会 直接会話して計画」として昭恵夫人とトランプ氏の会談予定について報じた というニュースを見て感想を述べるモコタロです
トランプは余程 安倍夫妻と気が合ってたんだね 石破首相は蚊帳の外か 寂しい限り
昨日の日経朝刊「文化時評」に同社編集委員・瀬崎久見子さんによる「クラシック公演は大型化するか? ~ 稼ぐ文化を求められる社会では演奏家もたくましくならざるを得ない」という見出しの記事が掲載されていました 超略すると以下の通りです
「11月10日、東京・九段下の日本武道館での『石田組』結成10周年記念コンサートには、石田泰尚さんを中心にヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスなど約80人で構成する”組員”から、この日は20人が舞台に立った クラシックの名曲だけでなくロックのディープ・パープルやクイーンらの名曲を、ヴァイオリンなどでカッコよく弾いてみせる 2019年にはサントリーホール(約2000席)に進出、昨年は同ホールでの3公演が完売した クラシックの演奏会の基本は『生音』だ。しかし武道館のような巨大空間では、マイクやスピーカーなどのPA機材で音量を大きくせざるを得ない こうした”メガ公演”は、これまでは1986年のピアニスト、ブーニンさんの国技館公演、96年の三大テノールの旧国立競技場公演、『1万人の第九』コンサートのような特殊なイベントだった しかし、今年は7月にも角野隼斗さんが武道館でピアノリサイタルを開いた 来年にはベルリン・フィルが野外コンサート『ヴァルトビューネ』を山梨県の河口湖ステラシアターで開催するという このように、少しずつ、クラシック公演が大型化している。増加の条件はそろっている PAなどの音響技術が向上した。音楽を配信で聴くことが一般化し、生音でない演奏に抵抗のない層が増えている。国内のクラシックの会場が近年、一気に改修に入り、代わりにアリーナのような大規模会場の建設が続いている 一方、角野さんら男性ピアニストを中心に、今は大量動員できるクラシック奏者が数多くいる 今の日本では文化庁ですら『稼ぐ文化』を目標に掲げている。稼ぐ文化を求められる社会では、演奏家もたくましくならざるを得ない とはいえPA活用には危険もある。これが常態化すると、クラシック音楽の根幹を揺るがしかねないからだ 『生音』を前提に発展してきた音楽が、その基本を捨ててしまうと、弾き方や、演奏する曲目が少しずつ変わるはずだ。例えば繊細な弱音をじっくり聴かせる曲は、大規模公演で演奏しにくくて避けられてしまうのではないか? 救いは石田組のような優秀で柔軟な奏者たちの存在だ。生音でもマイク付きでもハイレベルで演奏できる人たちだ 彼らの武道館公演では終盤、ヴィオラの生野さんが、『これからもクラシックに興味をもっていただけるとうれしいです』と客席に呼び掛けた。大規模公演を楽しんだ聴衆が、昔ながらのクラシック公演にも出かけるようになれば、PA利用が増えても、伝統うんぬんを心配する必要はない 採算を取るのは難しいが、クラシックの会場としては、昔の貴族のサロンや教会のような小空間の方がむしろぜいたくだ」
個人的なことですが、私はそもそもLPレコードやCDでクラシックを観賞してきましたが、LPが約2000枚、CDが約4000枚に達した時点(20数年前)で、居住スペースの関係から「これ以上は増やせない」と判断し、生演奏中心主義に方針転換しました 在京オーケストラやオペラの定期会員になり、生で聴く回数を増やしていきました その経験を通じて分かったことは「音楽は、とくにマーラーやブルックナーの交響曲に代表される大規模編成による音楽は、生演奏で聴かなければ本当の良さは分からない」ということです したがって、私がコンサートに行く目的はあくまでも「生音」を聴くためです 武道館や国技館でクラシックコンサートをPA使用で開催するから聴きに行かないか、と誘われても行く気になれません
瀬崎さんの「『生音』を前提に発展してきた音楽が、その基本を捨ててしまうと、弾き方や、演奏する曲目が少しずつ変わるはずだ。例えば繊細な弱音をじっくり聴かせる曲は、大規模公演で演奏しにくくて避けられてしまうのではないか?」という指摘は、全くその通りだと思います 角野氏と石田組の武道館公演に行く人たちの目的は、もちろん彼らの演奏を聴くことでしょうが、それと同じくらい大切にしているのは、”推し”のアーティストが演奏している姿を同じ会場で直接見ながら演奏を聴くという『体験』ではないか その意味では、マイクやPAの使用による音の拡大はあまり気にならないのではないか、と思うのですが いかがでしょうか
日本だけでなく世界のクラシック音楽界は、聴衆の高齢化に伴う「クラシック離れ、コンサート離れ」という大問題を抱え、「若い世代の聴衆の開拓」という課題を抱えています そうした中、「大規模公演を楽しんだ聴衆が、昔ながらのクラシック公演にも出かけるようになれば、PA利用が増えても、伝統うんぬんを心配する必要はない」という瀬崎さんの指摘も共感できます
一番望ましいのは、そうすることによって若者の聴衆層が拡大し、オーケストラの定期演奏会が常に満席となり、チケット代が少しでも安くなることです クラシックのチケット代はあまりにも高すぎます チケット代が安くなればさらに聴衆が増えるでしょう 主催者が低料金でも”ペイ”するようになるには、聴衆の数を増やすのが最も効果的だと思います