人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

パイロットになった指揮者ダニエル・ハーディング / サラ・ポーリー監督「ウーマン・トーキング」を観る ~ 宗教コミュニティー内で起こった連続レイプ事件を巡る女性たちの選択

2023年11月23日 06時46分48秒 | 日記

23日(木・祝)。無料のクラシック月刊音楽情報誌「ぶらあぼ」を愛読していますが、12月号の連載コラム「気分はカプリッチョ」の第89回でレコード会社勤務の城所孝吉氏が興味深い話を紹介しています タイトルは「ハーディングはなぜパイロットになったのか?」です 超略すると次の通りです

ダニエル・ハーディングが旅客機のパイロットをしている 現在彼は、年の半分をエールフランスで働き、残りの半分を指揮者として活動している 指揮者にはパイロットのライセンスを持っている人が多いが、プロの職業(副業)にする例は珍しい ハーディングはパイロットになった動機を訊かれて次のように答えている

「私は17歳で指揮を始め、30年間ずっと振り続けてきました 指揮者とは特殊な仕事で、100人の音楽家に権威的に接し、自分の意見を通さなければならなりません それに対してパイロットは、小さなチームで乗客の安全を第一に仕事をします   その際 私自身のエゴは全く重要ではありません   パイロットをすることは、その意味でたいへん健全なのです

つまり彼は、指揮との関連においてパイロットになったのである    聴衆はあまり意識しないことだが、指揮とは本当に難しい仕事だ  『棒を振り下ろせば、オーケストラが自分の思い通りに演奏してくれる』というようなことでは決してないからだ    むしろその逆だろう。メンバーはレベルの高い楽団であればあるほど、個々人が音楽についての確固たる意見を持っている 指揮者は、そういうプロ集団に曲についての考えを伝え、意図通りに演奏してもらわなければならないのである。オケ演奏とは、指揮者対楽団のバトルに他ならない     ハーディングはある時期からそれに「疲れ」を感じたのではないだろうか。実際 彼は10年ほど前から「指揮は難しい」と繰り返し口にしてきた   「棒振り人生」を今後も続けてゆけるように、セラピーとしてこの道を選んだのだと考えてもおかしくない    彼の名誉のために書き添えておくが、実はこれはハーディングだけの問題ではない。サイモン・ラトルも、ベルリン・フィルの首席指揮者を退任する際に、「ベルリン・フィルはバトルの相手として強すぎる。これ以上続けられない」という趣旨のことを言っている。ハーディングは、自らこの問題に気づき、自己改革のためにパイロットになったわけで、極めて聡明なのだ    事実彼は、空を飛ぶようになってから、以前よりリラックスし、指揮を楽しんでいるように見える

まったく初耳情報で驚きました ダニエル・ハーディングと言えば2010年に新日本フィルのミュージックパートナーに就任し、翌2011年3月11日の東日本大震災当日、会場に駆け付けたわずかな聴衆を前にマーラー「交響曲第5番」を最後まで振り抜いたことは今でも語り草になっています 一芸に秀でた者は何とかと言われますが、指揮者として優秀な人だからこそパイロットにもなれたのでしょう それにしても、人の命を預かるプロのパイロットになるなんて、なんと大胆素敵な決断でしょうか

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で3236日目を迎え、トランプ前米大統領(77)は20日、全体的に「極めて良好」とした健康診断結果を公表したが、体重や血圧など具体的な数値が示されていないため、米メディアは検証不可能だと懐疑的に伝えている  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ツラの皮の厚さ 脳波の異常性 自己中心志向 反省力の欠如などは計り知れない男だ

 

         

 

昨日の夕食は「豚骨スープ鍋料理」にしました 先日利用した豚骨スープの素が美味しかったので今回も使いましたが、とても美味しく 温まりました

 

     

     

 

         

 

昨日、早稲田松竹でサラ・ポーリー監督による2022年製作アメリカ映画「ウーマン・トーキング」(105分)を観ました

2010年、自給自足で生活するキリスト教一派の とあるコミュニティーで、女たちがたびたびレイプされていた 男たちからは、それは「悪魔の仕業」とか「作り話」だと言われ、レイプを否定されてきた やがて女たちは、それが悪魔の仕業や作り話などではなく、実際に犯罪だったことを知る 男たちが街へ出かけて不在にしている2日間、女たちは①男たちを赦してコミュニティーに残るか、②男たちと闘うか、③これ以上犠牲者が出ないようにコミュニティーを立ち去るか、自らと子どもたちの未来を懸けた話し合いを行う

 

     

 

この映画は、2005年から2009年にかけて南米ボリビアで実際にあった事件をもとに執筆され、2018年に出版されてベストセラーとなったミリアム・トウズの小説を原作として製作されました

本作は 登場人物が、一度破門されたコミュニティーに戻り、女性たちの議論の書記を務めるオーガストという男以外は全員が女性であるのが大きな特徴です

閉鎖的な宗教コミュニティー社会は、こうした悲惨な事件が起こりやすい環境にあると言えるのかもしれません 簡単に言えば、女たちは男たちに服従するのが当たり前だと”洗脳”されている社会です 最大の問題はコミュニティーの女性たちは読み書きが出来ないことです そのため議論の内容を書き留めるために、教育の素養があるオーガストに書記を依頼せざるを得ないのです 話し合いの結果、女性たちは幼い子供たちを伴ってコミュニティーを出ていくことになりますが、残るオーガストに託されたのはコミュニティーの男たちに対する教育(人権・男女平等)です 時代を問わず、国を問わず、差別することなく、あるいは差別されることなく生きていくには教育が大事だということを、この映画は教えてくれます

 

     


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« N響チェンバー・ソロイスツ(... | トップ | 松本宗利音 ✕ 朴葵姫 ✕ 東京... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事